たまゆら ―4―
部屋の窓から暗い空を見上げる。
ぼんやりと傘のかかった月明かりが辺りをかすかに照らしている。
ナミさんに満月がいつか聞き損ねたな。
そんなことを聞いたら、余計不審に思われるだろう。
なら今、自分に出来ることはなんだ。
あの婆さんを殺すか。
皆で協力してゾロの動きを封じ込めるか。
ログが溜まり次第この島を離れて、遠くまで逃げおおせるか。
がたんとドアが鳴って、思考が中断される。
弾かれたように振り向いたサンジの目の前で、ノブがガチャガチャ揺れている。
「おい、開けろ」
ゾロの声。
「てめえ、ノックぐらいしろよ」
近づいて、ためらった。
ゾロを中に入れることに。
「開けねえと、壊すぞ」
そうだな、こいつには鍵なんざ関係ない。
修理代がかかる方が、ナミさんにも迷惑だ。
「今開ける。ノブから手を離せ」
せっかく鍵を開けたのに、ドアごともぎ取りそうな勢いでゾロが入ってきた。
サンジの顔を見て、ふんっと鼻を鳴らす。
「辛気臭い面してんな」
「・・・喧嘩売りに来たのか」
ゾロはどかりとソファに腰を下ろして、持ってきた荷物を机に並べる。
チキンにソーセージ、サラダにキッシュ・・・
「―――なんか俺、今日ずっとてめえに飯食わせてもらってねえ?」
「俺も、そう思うぜ」
どん、とワインも置かれた。
サンジは部屋に備え付けのグラスを出す。
今朝から、ゾロが自分にひどくやさしい気がする。
もしかして偽者が、俺を懐柔しようとしている?
それとも、ゾロは昨夜のことを覚えていて、罪滅ぼしのつもりなのか。
すう、と体温が下がるのがわかった。
「風邪ってえのはたいしたもんだな。てめえがこうも大人しくなるたあ」
揶揄を含んだ口調に苛つく。
「馬鹿にすんな、クソ剣士」
睨みつけるのに、ゾロの目が笑っている。
「やっと、言いやがったな」
「?」
「てめえ朝から『クソ剣士』とも、俺に言わなかったじゃねーか」
なんだか嬉しそうだ。
ゾロが俺にひどく優しいと感じたのは、俺がゾロに突っかからなかったからか。
何故か毒気を抜かれて、サンジは目を泳がせている。
「ぼさっとしてねえで座れ。食うぞ」
「―――わかってる」
乱暴に腰掛けて、チキンに手を伸ばす。
シラ様は、あの男の体を手放す気はない。とばあさんは言った。
今目の前にいるのが正真正銘のゾロなら、シラって奴は今どこにいるんだ。
幽霊・・・だよなあ。
自然、手が止まる。
グラスのワインも少しも減っていない。
ゾロは水のようにワインをあおって、さっきから欠伸ばかりしている。
「俺も、どうも調子が出ねえ」
額に手を当てて、呟いた。
「夜も昼も寝ているはずなのに。眠気が消えねえ」
「お前のは、寝すぎなんだよ・・・」
言って、サンジははっとした。
眠り。
眠っている間に。
マサカ―――
とろりと目蓋が下がってきている。
「おい!寝るな!」
立ち上がって、ゾロの腕を引いた。
「あん?寝ねえよ」
少し目を瞬かせて、ゾロが頭を掻く。
くらりと体が揺れている。
「寝るな!絶対寝るな、てめえっ・・・」
肩に手を掛けて強く揺すった。
ゾロは目を開けて、サンジの顔を見る。
「ああ、眠らないよ。寝ている場合じゃないからな」
――――ゾロの顔をした男が、笑った。
ギシギシと、スプリングの音が軋む。
縛られた両手を投げ出して、サンジはシーツを噛み締めていた。
男が突き入れる度に、ぐちゅぐちゅと卑猥な音が鳴り、背中がしなる。
サンジの腰を掴んで激しい抽挿を繰り返し、後ろから覆い被さった。
きつく目を閉じたサンジの顔を覗き込んで、耳穴に舌を差し入れる。
くちゅりと音が立って、肌が粟立った。
「なぜ、私のことを話さなかった」
耳朶に歯を立てながら、ゾロの声で男が囁く。
「お前の言うことは、仲間に信用されないのか?」
胸に手を廻して乳首に爪を立てた。
「黙れ・・・クソ野郎―――」
唇を噛んで、顔をシーツに擦り付ける。
何も見たくない。
何も聞きたくない。
ゾロの手で俺に触れるな。
ゾロの声で俺にささやくな。
ゾロの目で俺を見るな。
「この男も、いずれ己の力に溺れる」
忌々しい、呪文のような睦言。
「強さを求めてひたすらに修業し、鍛錬を積み、やがて己を持て余して殺戮に走る」
「黙れ!」
ゾロが目指すのは世界一の剣豪。
ミホークを倒して世界一になった後、あいつは―――
「ゾロは―――てめえとは違う・・・・」
理屈じゃない、強靭な精神、気高き本能。
「一緒に、すんな・・・」
男の手が顎を掴んで上向かせた。
サンジはぎりと歯を噛み締める。
「―――汚らわしい・・・」
くく、と喉が鳴る。
「汚らわしいか、ならお前はどうだ」
硬く張り詰めたサンジ自身に手を這わせ、握り締めた。
「く・・・」
濡れた先端を親指の腹で擦る。
サンジの身体が小刻みに震え、銜え込んだ男根を無意識に締め付ける。
「なんとあさましい姿だ。これがお前の本性だろう」
嘲りの声とともに激しく揺さぶられた。
サンジは括られたままの両手で、ゾロの腕にしがみつく。
きつく爪を立てて、ただ嵐が過ぎるのを待った。
「ゴムゴムの・・・」
「猫パーンチ!」
バシバシバシバシバシバシ・・・
「んだあ!!」
ゾロは慌てて飛び起きた。
目の前で、にやけた顔のルフィが右手をあげて手首をクイクイさせている。
タチの悪い招き猫のようだ。
「てめえ・・・なんの真似だ。」
怒る気も削がれる。
「起こしてやったんだ。ガトリングの方がよかったか?」
冗談じゃねえ。
どうやらソファに腰掛けたまま眠っていたらしい。
部屋の中にサンジの姿はない。
「エロコックは?」
「買出しだって、早くに市場へ行ったぞ。ロビンが一緒だ」
「そうか」
見張れと言われて寝ているようじゃ見張り失格だ。
どうした訳か、ひどく眠い。
こんな有様じゃ不寝番も出来やしない。
目を擦って、肘の内側に目が止まった。
爪で引っかいたような赤い筋がいくつもついている。
「なんだ、俺あ、引っ掻いてねえぞ」
覗き込むルフィを押しやって、ゾロは部屋を出た。
「お早いご起床で」
皮肉たっぷりのナミの声。
「あんたのことだから高鼾で、サンジ君のことなんて見張っちゃいなかったんでしょう」
「なにかあったのか?」
「あたしが知るわけ無いでしょ!」
だんっとテーブルを叩く。
「ともかく、今朝もひどい顔してたわ」
ゾロがぎりぎりと歯噛みした。
「なんだってんだ、らしくもねえ。うじうじしやがって・・・」
苛々する。
まるで寝不足のようにこめかみが痛い。
「あんたに頼んだ私がバカだっただけよ。さ、もう行くわよ。買い出しが終了次第、出港するから」
言い捨てて、慌しく荷物を抱えた。
GM号には続々と食糧が届けられた。
サンジはウソップとチョッパーと使って、てきぱきと積み込んでいる。
「サンジ君の様子どうだった?」
ささやくナミに、ロビンが眉をあげて見せた。
「テンションが高すぎたわ」
ロビンによると、サンジは市場でそれはもう大はしゃぎで食材を買い揃え、のべつ幕なし喋り続けたらしい。
「あ、その袋こっちよこせ。おいクソ腹巻、ぼさっとしてねえでてめえも運べ!」
とても今朝、死人のような顔をして赤い目で起きてきた男とは思えない。
「それはそうと、霧はどうなの」
「それなのよね」
到着時から続く霧が全く晴れないのだ。
今日は特別に濃い気がする。
「この状態じゃとても今日の出港は無理だわ。今日どころかいつ出られるか目処も立たない。
無理やり出るのは自殺行為だし」
「他の船も困ってるようね」
港にも多くの船が停泊している。
大方片付け終えて、サンジはお茶の用意をしだした。
「お疲れさま。ケーキは用意できませんでしたが、おいしい紅茶をどうぞ」
「サンジ君こそ少し休んだら、朝から働きっぱなしよ」
ソーサーを受け取って、座るように促す。
買ってきたクッキーを皿に移しながら、ウソップがふと顔を上げた。
「そう言えばゾロ、砥ぎに出した鬼徹、どうすんだ」
「出航するついでに取りに寄ろうと考えてたんだが、無理みたいだな」
ゾロは壁に凭れて座りこんでいる。
「鬼徹・・・」
ロビンが小さく呟く。
「妖刀―――鬼徹・・・」
「ロビンちゃん、」
気を取られて、サンジの声に気づくのが遅れた。
「え、あ何かしら」
ロビンの前にソーサーを置いて、首を傾けている。
「あの、あれまだ持ってるかな」
「あれ?」
「えーと、黒い・・・」
「・・・まかるがえしのたま?」
「そう、それ」
ロビンがじっとサンジの顔を見つめる。
「あなたどうして、珠の名前を知っているの?」
サンジは少し固まって、それから首をめぐらした。
ナミが二人の会話を注視している。
「前に、言ってなかったけ?」
「言ってないわ」
いつの間にか、クルー全員がサンジを見ている。
買ってきた食パンを丸齧りしているルフィも、ウソップも、チョッパーも、壁に凭れたゾロも。
ナミが静かに立ち上がり、近づいてきた。
「サンジ君、私たち仲間よね」
サンジの手を取り、自分の胸にあてた。
「だから、隠し事はしないで全部話して」
ああナミさん、なんて大胆な・・・。
ナミの柔らかさにどぎまぎしながら、手を引っ込めることが出来ない。
「もしかして、サンジ君―――」
意を決したように見上げる瞳。
「悪霊に、取り憑かれてるんじゃないの」
――――へ?
しばしの沈黙。
「ち、違いますっナミさん、誤解です!」
慌ててぶんぶんと首を振る。
「俺じゃないです悪霊は―――」
言いかけて、壁に凭れたゾロが目の端に映った。
その口元がかすかに笑いを形作る。
こいつ―――
「ごめん!ナミさん」
唐突にナミを突き飛ばし、キッチンから飛び出した。
「サンジ君!」
「待て!」
訳も分からぬまま手を伸ばすルフィの腕を蹴り飛ばして、サンジはGM号から飛び降りた。
そのすぐ後をゾロが追う。
もう一刻の猶予もない。
あの珠がロビンちゃんのもとにある限り、魂降りの術は使えない。
なら、あの婆さんを殺すまでだ。
「な、どうしたんだサンジは!」
慌てふためくウソップにロビンが声をかけた。
「長っ鼻君、お願いがあるの」