たまゆら   ―

部屋の窓から暗い空を見上げる。
ぼんやりと傘のかかった月明かりが辺りをかすかに照らしている。

ナミさんに満月がいつか聞き損ねたな。
そんなことを聞いたら、余計不審に思われるだろう。
なら今、自分に出来ることはなんだ。

あの婆さんを殺すか。
皆で協力してゾロの動きを封じ込めるか。
ログが溜まり次第この島を離れて、遠くまで逃げおおせるか。








がたんとドアが鳴って、思考が中断される。
弾かれたように振り向いたサンジの目の前で、ノブがガチャガチャ揺れている。

「おい、開けろ」
ゾロの声。
「てめえ、ノックぐらいしろよ」

近づいて、ためらった。
ゾロを中に入れることに。
「開けねえと、壊すぞ」

そうだな、こいつには鍵なんざ関係ない。
修理代がかかる方が、ナミさんにも迷惑だ。

「今開ける。ノブから手を離せ」
せっかく鍵を開けたのに、ドアごともぎ取りそうな勢いでゾロが入ってきた。
サンジの顔を見て、ふんっと鼻を鳴らす。
「辛気臭い面してんな」
「・・・喧嘩売りに来たのか」
ゾロはどかりとソファに腰を下ろして、持ってきた荷物を机に並べる。
チキンにソーセージ、サラダにキッシュ・・・

「―――なんか俺、今日ずっとてめえに飯食わせてもらってねえ?」
「俺も、そう思うぜ」

どん、とワインも置かれた。
サンジは部屋に備え付けのグラスを出す。
今朝から、ゾロが自分にひどくやさしい気がする。
もしかして偽者が、俺を懐柔しようとしている?
それとも、ゾロは昨夜のことを覚えていて、罪滅ぼしのつもりなのか。
すう、と体温が下がるのがわかった。





「風邪ってえのはたいしたもんだな。てめえがこうも大人しくなるたあ」
揶揄を含んだ口調に苛つく。
「馬鹿にすんな、クソ剣士」
睨みつけるのに、ゾロの目が笑っている。
「やっと、言いやがったな」
「?」
「てめえ朝から『クソ剣士』とも、俺に言わなかったじゃねーか」
なんだか嬉しそうだ。
ゾロが俺にひどく優しいと感じたのは、俺がゾロに突っかからなかったからか。

何故か毒気を抜かれて、サンジは目を泳がせている。
「ぼさっとしてねえで座れ。食うぞ」
「―――わかってる」
乱暴に腰掛けて、チキンに手を伸ばす。










シラ様は、あの男の体を手放す気はない。とばあさんは言った。
今目の前にいるのが正真正銘のゾロなら、シラって奴は今どこにいるんだ。
幽霊・・・だよなあ。



自然、手が止まる。
グラスのワインも少しも減っていない。
ゾロは水のようにワインをあおって、さっきから欠伸ばかりしている。

「俺も、どうも調子が出ねえ」
額に手を当てて、呟いた。
「夜も昼も寝ているはずなのに。眠気が消えねえ」
「お前のは、寝すぎなんだよ・・・」

言って、サンジははっとした。

眠り。

眠っている間に。

マサカ―――









とろりと目蓋が下がってきている。
「おい!寝るな!」
立ち上がって、ゾロの腕を引いた。
「あん?寝ねえよ」
少し目を瞬かせて、ゾロが頭を掻く。
くらりと体が揺れている。
「寝るな!絶対寝るな、てめえっ・・・」
肩に手を掛けて強く揺すった。



ゾロは目を開けて、サンジの顔を見る。





「ああ、眠らないよ。寝ている場合じゃないからな」









――――ゾロの顔をした男が、笑った。




















ギシギシと、スプリングの音が軋む。
縛られた両手を投げ出して、サンジはシーツを噛み締めていた。

男が突き入れる度に、ぐちゅぐちゅと卑猥な音が鳴り、背中がしなる。
サンジの腰を掴んで激しい抽挿を繰り返し、後ろから覆い被さった。
きつく目を閉じたサンジの顔を覗き込んで、耳穴に舌を差し入れる。
くちゅりと音が立って、肌が粟立った。

「なぜ、私のことを話さなかった」

耳朶に歯を立てながら、ゾロの声で男が囁く。

「お前の言うことは、仲間に信用されないのか?」

胸に手を廻して乳首に爪を立てた。

「黙れ・・・クソ野郎―――」

唇を噛んで、顔をシーツに擦り付ける。





何も見たくない。
何も聞きたくない。



ゾロの手で俺に触れるな。
ゾロの声で俺にささやくな。
ゾロの目で俺を見るな。





「この男も、いずれ己の力に溺れる」

忌々しい、呪文のような睦言。

「強さを求めてひたすらに修業し、鍛錬を積み、やがて己を持て余して殺戮に走る」
「黙れ!」

ゾロが目指すのは世界一の剣豪。
ミホークを倒して世界一になった後、あいつは―――

「ゾロは―――てめえとは違う・・・・」

理屈じゃない、強靭な精神、気高き本能。

「一緒に、すんな・・・」

男の手が顎を掴んで上向かせた。
サンジはぎりと歯を噛み締める。
「―――汚らわしい・・・」
くく、と喉が鳴る。
「汚らわしいか、ならお前はどうだ」
硬く張り詰めたサンジ自身に手を這わせ、握り締めた。
「く・・・」
濡れた先端を親指の腹で擦る。
サンジの身体が小刻みに震え、銜え込んだ男根を無意識に締め付ける。
「なんとあさましい姿だ。これがお前の本性だろう」
嘲りの声とともに激しく揺さぶられた。



サンジは括られたままの両手で、ゾロの腕にしがみつく。

きつく爪を立てて、ただ嵐が過ぎるのを待った。














「ゴムゴムの・・・」





「猫パーンチ!」





バシバシバシバシバシバシ・・・



「んだあ!!」
ゾロは慌てて飛び起きた。

目の前で、にやけた顔のルフィが右手をあげて手首をクイクイさせている。
タチの悪い招き猫のようだ。

「てめえ・・・なんの真似だ。」
怒る気も削がれる。

「起こしてやったんだ。ガトリングの方がよかったか?」

冗談じゃねえ。

どうやらソファに腰掛けたまま眠っていたらしい。







部屋の中にサンジの姿はない。

「エロコックは?」
「買出しだって、早くに市場へ行ったぞ。ロビンが一緒だ」
「そうか」
見張れと言われて寝ているようじゃ見張り失格だ。

どうした訳か、ひどく眠い。
こんな有様じゃ不寝番も出来やしない。

目を擦って、肘の内側に目が止まった。
爪で引っかいたような赤い筋がいくつもついている。
「なんだ、俺あ、引っ掻いてねえぞ」
覗き込むルフィを押しやって、ゾロは部屋を出た。









「お早いご起床で」
皮肉たっぷりのナミの声。

「あんたのことだから高鼾で、サンジ君のことなんて見張っちゃいなかったんでしょう」
「なにかあったのか?」
「あたしが知るわけ無いでしょ!」
だんっとテーブルを叩く。
「ともかく、今朝もひどい顔してたわ」
ゾロがぎりぎりと歯噛みした。
「なんだってんだ、らしくもねえ。うじうじしやがって・・・」

苛々する。
まるで寝不足のようにこめかみが痛い。

「あんたに頼んだ私がバカだっただけよ。さ、もう行くわよ。買い出しが終了次第、出港するから」
言い捨てて、慌しく荷物を抱えた。








GM号には続々と食糧が届けられた。
サンジはウソップとチョッパーと使って、てきぱきと積み込んでいる。

「サンジ君の様子どうだった?」
ささやくナミに、ロビンが眉をあげて見せた。
「テンションが高すぎたわ」

ロビンによると、サンジは市場でそれはもう大はしゃぎで食材を買い揃え、のべつ幕なし喋り続けたらしい。

「あ、その袋こっちよこせ。おいクソ腹巻、ぼさっとしてねえでてめえも運べ!」
とても今朝、死人のような顔をして赤い目で起きてきた男とは思えない。







「それはそうと、霧はどうなの」
「それなのよね」
到着時から続く霧が全く晴れないのだ。
今日は特別に濃い気がする。
「この状態じゃとても今日の出港は無理だわ。今日どころかいつ出られるか目処も立たない。
 無理やり出るのは自殺行為だし」
「他の船も困ってるようね」
港にも多くの船が停泊している。



大方片付け終えて、サンジはお茶の用意をしだした。
「お疲れさま。ケーキは用意できませんでしたが、おいしい紅茶をどうぞ」
「サンジ君こそ少し休んだら、朝から働きっぱなしよ」
ソーサーを受け取って、座るように促す。

買ってきたクッキーを皿に移しながら、ウソップがふと顔を上げた。
「そう言えばゾロ、砥ぎに出した鬼徹、どうすんだ」
「出航するついでに取りに寄ろうと考えてたんだが、無理みたいだな」
ゾロは壁に凭れて座りこんでいる。
「鬼徹・・・」
ロビンが小さく呟く。
「妖刀―――鬼徹・・・」



「ロビンちゃん、」
気を取られて、サンジの声に気づくのが遅れた。
「え、あ何かしら」
ロビンの前にソーサーを置いて、首を傾けている。
「あの、あれまだ持ってるかな」
「あれ?」
「えーと、黒い・・・」
「・・・まかるがえしのたま?」
「そう、それ」

ロビンがじっとサンジの顔を見つめる。



「あなたどうして、珠の名前を知っているの?」



サンジは少し固まって、それから首をめぐらした。
ナミが二人の会話を注視している。
「前に、言ってなかったけ?」
「言ってないわ」

いつの間にか、クルー全員がサンジを見ている。
買ってきた食パンを丸齧りしているルフィも、ウソップも、チョッパーも、壁に凭れたゾロも。

ナミが静かに立ち上がり、近づいてきた。
「サンジ君、私たち仲間よね」
サンジの手を取り、自分の胸にあてた。
「だから、隠し事はしないで全部話して」
ああナミさん、なんて大胆な・・・。
ナミの柔らかさにどぎまぎしながら、手を引っ込めることが出来ない。
「もしかして、サンジ君―――」
意を決したように見上げる瞳。
「悪霊に、取り憑かれてるんじゃないの」








――――へ?



しばしの沈黙。



「ち、違いますっナミさん、誤解です!」
慌ててぶんぶんと首を振る。

「俺じゃないです悪霊は―――」
言いかけて、壁に凭れたゾロが目の端に映った。
その口元がかすかに笑いを形作る。



こいつ―――



「ごめん!ナミさん」
唐突にナミを突き飛ばし、キッチンから飛び出した。
「サンジ君!」
「待て!」
訳も分からぬまま手を伸ばすルフィの腕を蹴り飛ばして、サンジはGM号から飛び降りた。
そのすぐ後をゾロが追う。







もう一刻の猶予もない。
あの珠がロビンちゃんのもとにある限り、魂降りの術は使えない。
なら、あの婆さんを殺すまでだ。





「な、どうしたんだサンジは!」
慌てふためくウソップにロビンが声をかけた。
「長っ鼻君、お願いがあるの」