たまゆら ―5―
山に足を踏み入れて、どれ位時間がたったのだろう。
歩いても歩いても以前あった筈の庵に辿り付けない。
ゾロかよ、俺は―――
何度目かの同じ場所に出て、サンジは座り込んだ。
ジャケットの胸ポケットを探る。
中身が空の煙草を取り出して、クシャリと握り締めた。
―――畜生
婆さんとの心中も、できねえのかよ。
いつの間にか日が暮れている。
自分が飛び出してしまったから、出航できなかっただろう。
このまま置いてってくれてもいいんだけど。
そうはいかねえんだろうな。
あいつらは。
とぼとぼと当てもなく歩き、山を降りた。
街の灯りが一つ二つと点いて行く。
見覚えのない路地に迷い込んだ。
出勤前らしいお姉さんたちが、戸口に溜まって談笑している。
色街か。
結局この島じゃ遊ぶこともできなかったな。
どこかに転がり込もうにも金がない。
足が棒のようだ。
適当に角を曲がったら、ゴミ置場を兼ねた行き止まりだった。
これ以上、歩けねえや。
壁に凭れて無意識にポケットを探る。
煙草、切れてんだよなあ。
じゃり・・・と砂を踏む音がする。
重い靴音。
聞き慣れた音。
サンジはトントンと靴を鳴らし、身構えた。
曲がり角に長い影が現れる。
姿が見える前に、蹴りかかった。
破壊音がして壁が壊れる。
予期しなかった男は、コリエをモロに喰らって向かいの路地に叩きつけられた。
蹲った脳天にコンカッセを落とす。
男は両手でブロックして跳ね飛ばした。
「呆れたな。往生際の悪い男だ」
にやりと笑う表情が、ゾロと重なる。
腰に目をやった。
刀はない。
丸腰なら勝算はある。
繰り出す蹴りを辛うじて交わしながら男が手を伸ばしてくる。
通常なら骨が折れているはずの蹴りにも、びくともしない。
ジャケットを掴まれて壁に叩きつけられた。
鳩尾を殴られて膝をつく。
後頭部に衝撃を受けて、サンジは一瞬意識を飛ばした。
首を掴まれて壁に押し付けられる。
息が出来ず喘ぐサンジの顔に触れそうなほど顔を近づけて、男はその頬を舐めた。
「そんなに、この男が私に取り憑かれていることを認めるのが、怖いか」
「・・・怖い、だと―――」
うまく声が出ない。
代わりに唾を吐きかけた。
男はサンジの頬を張り飛ばし、腕を捻って身体を反転させる。
顔を壁に押し付けてバックルに手を掛けた。
「やめろっ、なんで・・・」
「教えてやろうか」
萎えたサンジを握る手に力を込める。
「なぜ私がお前を犯したか。教えてやろうか」
その声はひどく楽しげで、サンジは耳を塞ぎたい衝動に駆られた。
「この男が、望んでいたからだ」
声がひどく遠い。
こいつは何を言ってる?
後孔に這わされた指が乱暴に内部を掻き混ぜる。
身を仰け反らせて、サンジは首を振った。
「こいつは、お前を犯したがっていた」
ゾロの声が、呪いの言葉のように響く。
「その身体を組み強いて、貫いて汚したいと、心の奥底で望んでいた」
嘘だ。
立ったまま後ろから突き上げられる。
身を裂かれる痛みと衝撃で、目の前が暗くなった。
「こいつに教えてやりたいよ。お前のモノになったと」
嘲りが続く。
「お前の手で泣いて、お前の下で腰を振るまでになったと教えてやりたい」
嘘だ。
ゾロがそんな―――
男が腰を掴んで何度も打ち付ける。
嘘だ。
嘘だ。
嘘――――
一層深く抉られて、サンジは意識を飛ばした。
ひゅうと口笛が鳴る。
「こりゃまた、早い時間から見せ付けてくれるじゃねえか」
身体を斜に構えた男が二人、路地に現れた。
男は乱暴にサンジから己を引き抜き、無表情な目でチンピラを見返す。
「なんだ、男かよ」
サンジの顔を覗き込んで、気の抜けた声を出す。
男は口の端を上げた。
「お前たち、こいつ買わないか」
あん、と不審そうな顔で見るチンピラに笑いかける。
「私はもう飽きたんでね。安くしといてやる。お前達が楽しんだ後、どこへ売ろうが構わない」
力の抜けたサンジの身体を起して、顔を晒した。
「悪い話じゃないと思うが」
男とサンジの顔を見比べて、チンピラは顔を歪める。
「いくらだい?」
誰かが呼んだ気がして、ゾロは顔を上げた。
目の前には見慣れた天井。
いつの間にか、船の中で眠っていたらしい。
人の気配がない。
皆どこに行ったのか。
「おい、誰かいないのか!」
外で呼ぶ声がする。
ゾロは体を起した。
海岸で酒屋の店主がなにやら慌てた様子で叫んでいる。
ゾロの顔を見て手を振った。
「あ、あんたか丁度良い。お仲間が闇市で売られてる!」
「なんだと!」
叫んで男部屋に入り、刀を掴んで飛び出した。
闇市だと。
ナミかロビンか、まさか珍しいところでチョッパーじゃねえだろうな。
「酒の配達に行ったら、事務所に連れ込まれてんの見たんだ」
店主は興奮状態で捲くし立てている。
「金髪の、坊やだよ」
「なんだと・・・」
ゾロの目が驚愕で見開かれた。
ゾロ一人ならとても来ることは出来ないだろうややこしい路地を抜けて、古ぼけたバーに着いた。
裏口まで案内してくれた店主に礼を言い、扉を蹴り開ける。
中にいた数人のチンピラが驚いて飛び退いた。
「なんだてめえ!」
部屋の隅に何人かの女が身を寄せ合って震えていた。
その中にサンジの姿を認めて、頭に血が上る。
「何してやがる、エロコック!」
きつく目を閉じたまま、ゾロの怒鳴り声にぴくりとも反応しない。
踏み込んだゾロを男達が取り囲んだ。
「あんた、何の真似だ」
チンピラの一人が目を剥いて威嚇する。
構わず刀を抜くと、周囲が色めき立った。
「ふざけた真似すんじゃねえぞ」
銃を構えて引き金を引く。
カンと乾いた音を立てて、ゾロの足元に弾が落ちた。
刀を構えてゾロがにやりと笑う。
怖気づいた男達が、一歩退いた。
「冗談じゃねえぜ、美人局なら他でやってくれ!」
チンピラが何か喚いている。
「美人局?」
「てめえが売ったんだろうが、こいつを」
なんだ。
こいつ何を言っている。
「誰が売っただと?」
チンピラは何度もゾロとサンジを見比べて、狂ったように喚いている。
「あんただよ。もう飽きたっつって俺たちに売ったじゃねえか。金え払ったぞ」
飽きた?
売った?
俺が―――?
ゾロはポケットに手を突っ込んだ。
指先に当たる紙の感触に、血の気が引く。
覚えのない、紙幣の束。
「なんだ・・・これは―――」
呆然としたゾロに、チンピラが引きつった笑みを浮かべた。
「とぼけてんじゃねえ、やっちまえ」
一斉に銃が火を噴く。
ゾロは身を翻して刃を煌かせた。
怒りに身体が震える。
チンピラに対してではない、己自身への怒り。
感情に任せて剣を振るうのは恥ずべきことだが、衝動を抑えきれない。
ゾロの咆哮が響き渡った。
暗い坂道を、街中を避けながら下って行く。
あちこちに明りが灯って、まるで蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
色街とはいえ、島のど真ん中で禁忌の刀を振るい、血の海にした代償は高くつくだろう。
早めに出航しなければ、島の連中が海軍を呼ぶかもしれない。
ゾロは焦りながらも、どこか冷めた頭で考えていた。
船がどこにあるかわからないが、目の前に海が見えるから、こっちでいいのだろう。
力なくずり落ちるサンジの身体を抱えなおす。
何度寝ても眠い体。
覚えのない傷。
欠落した記憶。
なぜ、気づかなかった――――
背負ったサンジの温もりが背中に伝わる。
あったけえ。
こいつは生きてる。
まだ、失っちゃいねえ。
ゾロはサンジを支える手に力を込めた。
「ゾロ!」
GM号から身を乗り出してナミが叫んだ。
ルフィの手を借りて船に乗り込む。
「ゾロ、サンジは・・・」
ゾロの背中でぐったりとしたサンジを見て、チョッパーは血相変えて駆け寄った。
「診て、やってくれ」
人型に変化してサンジを抱え、その顔を凝視する。
ひどく殴られたらしい青痣と血の匂い。
まるで暴行を受けた後のようだ。
「誰がやったんだ。ゾロか?」
人型特有の切れ長の瞳が、責めるようにゾロを見る。
「わからねえ」
うん・・・と低くうめいたサンジの声に急かされるように、チョッパーは医務室に駆け込んだ。
「ゾロ?」
心配そうな皆の顔を眺めて、ゾロは口を開いた。
「悪霊は、俺だ」
冗談ではない、ゾロの表情。
「どういうこと?」
ナミがうろたえた顔で、ロビンと目を合わせた。
「悪霊は俺に憑いている。サンジじゃ、ない」
噛み締めるように呟くゾロにナミが首を振った。
「じゃあ、サンジくんの様子がおかしかったのは・・・」
「気づいてたんだ。なぜ言わなかったのか―――」
頭が混乱する。
目の前に静かに立つ男が、自分は悪霊だと名乗っている。
「ほんとかあ?ゾロにしか見えねえぞ」
「どうやら悪霊は、俺が眠っている間に憑いてたらしいな」
そんな・・・とナミが口元を手で覆った。
「じゃあ、私ゾロに見張りを頼んだのに・・・。」
どうして、サンジは何も言わなかったのか。
「コックさん」
ロビンがはっとして後ろを見た。
サンジがチョッパーに連れられてキッチンに入ってきた。
感情の消えた、白い貌。
「サンジ君!」
ナミがその薄い胸に飛びつく。
「サンジ君、なんで言ってくれなかったの?もう、いいのよ」
蒼い瞳がナミを見つめる。
「もういいのよ。わかったから。ゾロなんでしょう」
サンジは答えない。
ゾロの目が、射抜くようにサンジを見つめる。
「言ってもいいのよ。ゾロが悪霊だって!」
「ナミ・・・」
チョッパーが二人の間に割り込んだ。
「だめなんだナミ。サンジは喋れない」
「え・・・」
「サンジは、言葉を失ってる」
その場にいた全員が凍りついた。