たまゆら   ―

チョッパーは、早い時刻に帰ってきた。
「サンジ、お疲れー」
人型になって、山のような荷物を抱えている。
「たくさん仕入れたから、早速調合したいん―――」
言いかけて、サンジの首の包帯に目ざとく気付いた。
「サンジ、その首どうしたんだ!」
目をむくチョッパーにサンジとゆっくり煙を吐いた。
「ちょっと風邪気味でな、葱を巻いてみた」
「葱?」
「ああ、喉にいいらしい。」
「聞いたことないゾ。民間療法か」
見せてみろと近づいてくるチョッパーを軽く手でいなして、サンジは昼食の準備に取り掛かった。
「昨夜、俺ちょっと具合悪くてな。薬も適当に飲んだから、ごめんな」
「そんな時のために置いてある薬だ。でもちょっと診察させてくれ」
「もう治ったから、いらない」
「風邪引いたってのに、煙草はダメだぞ」
小さなサイズのままぴょんぴょん飛び上がって、抗議する。
「それより、クソ腹巻が体がだるいとか入ってたから、見てやってくれ。甲板で寝てるはずだ」
「ゾロ?いなかったぞ」
「え?」

サンジが慌てて外に出ると、寝ていたはずのゾロの姿がない。
慌てて男部屋に入ると、二本の刀はそのまま置いてあった。
―――散歩か?
何故か胸が騒ぐ。
「チョッパー悪いが俺も出る。後は頼むな」
「え、おいサンジ!」

行ってしまったサンジの背中を見送って、チョッパーは小さくため息をついた。
しかたない、と踵を返して部屋に戻ろうとして、何か違和感を感じ足を止める。
とことこと甲板を回った。







「ひ、ひえええ―――――っ!!」




静かな入り江に、チョッパーの悲鳴が響き渡った。















慌ててGM号を飛び出して来たものの、ゾロの行く先は見当もつかない。
―――チっ、どうしたもんかな。
チョッパーが交替に来たということは、ロビンは無事だということだ。
刀を置いてあるのだから心配ないと思うのだが・・・
丘の上を見上げる。
店主が言っていた、巫女を名乗る怪しげな婆さん。
男の復活を待っているという。
手がかりは、あそこしかねえなあ。



サンジは煙草を銜えて、山に足を踏み入れた。
鬱蒼とした森の中を、急な獣道が続いている。
婆さんといっても、70か80くらいだろう。
ドクトリーヌは130代だから、彼女より50歳は若いってことだ。
充分範疇内のレディじゃねえか。
巫女ってんだから、独身だよな。

急に目の前の景色が開けた。
海が見渡せる丘の上に立つ。
山を意図的に削ったような洞窟があり、その横に粗末な庵が結んであった。
洞窟を覗くと、かなり奥が深い。
白い紙のようなものが入り口に飾られ、呪術的な雰囲気が漂っている。

―――だれも、居ねえか。
見渡して庵に目をやり、ぎくりとした。
庵の奥に老婆が立っている。

まったく気配が無かった。



白髪を後ろで束ね、身を屈めてこちらをじっと見ている。
白い着物に赤い袴。
巫女を名乗るに相応しい、怪しげな姿。
サンジは心底びっくりしたが平静を装い、銜えていた煙草を持ち直す。
老婆の正面に立ち、頭を垂れた。
「失礼マドモアゼル。驚かせてしまいましたか」
きろりと視線が動き、老婆はサンジの頭から爪先まで舐めるように見た。
皺だらけの口がもごもごと動く。
「ふん・・・贄か」
にかりと歯の無い口で笑う。
サンジは胸に手を当てて、老婆の背にあわせて腰をかがめた。
「少々、お聞きしたいことがあるのですが」
「まわりくどいことはいい。あんたシラ様に会ったね」
「シラ様?」
「あんたを犯した男じゃよ」
サンジの表情が強張った。
「シラ様は、たいそうあの男の体が気に入ったようじゃ。もう離れるつもりは無かろうて」
「冗談じゃねえ!」
自然、声が荒くなる。

「俺らは通りすがりの海賊だぜ。いきなり取り憑くたあどういう魂胆だ。何の関係もねえだろうが!」
「シラ様は焦っておられる」
サンジの剣幕に怯むことなく、老婆はケケケと笑った。
「魂振りの術を知るのは最早わし一人じゃ。わしの命が終えれば、シラ様の復活は望まれぬ」
「なんで300年も前の男に、そんなにこだわるんだよ。あんた、生まれて無かったよな」
老婆は濁った白目をサンジに向けて、それから海を見た。
「シラ様には許婚がおった」
ドクトリーヌは130歳でああだから、もしかしてこの婆さん300歳?
「シラ様が討たれたのち、後を追おうとして出来なんだ。気の触れたように彷徨った女は、
 やがて誰の子ともわからぬ娘を産んだ。シラ様に再び会いたい一心で呪術を学び、
 娘に伝えた。女が死ぬと娘は母の遺言を受けてシラ様の復活を待った。やがて娘を産み落とし・・・
 そうやって伝えられたのじゃ」
「信じらんねえ・・・」
なんという妄執。
女の呪縛。

「じゃがわしは、子を成すことが出来なんだ。呪術が使えるのも、このわしが最後。もうわしが死ねば
 シラ様の復活はかなわぬ」
サンジの脳裏に一瞬恐ろしい考えが浮かぶ。
―――このババアを殺せば・・・
「わしを殺すかえ。」
色だけは赤い口で、壮絶に笑った。
「シラ様はお前に呪いをかけた。わしの呪術かお前の呪いか、どちらかが揃えばシラ様は復活する」
―――俺に?
「魂振りの術が使えるのは満月の夜だけじゃ。それまでただ指を銜えて見ておるがよい」
そう言うと、老婆は音も無く庵の奥へ退いていった。



どういう、ことだ。
魂振りの術。
俺にかけたマジナイ。



この婆さんはなぜ――――

俺にそんなことを話す。















満月って、いつなんだろう。

この島の空はいつも濃い霧に覆われていて、月の姿もはっきりは見えない。
薄ぼんやりした影が見えるだけだ。
宿に帰ったら、ナミに聞いてみよう。
それから――――話すべきか。

ゾロに悪霊が取り憑いている。
怪しげな術で身体を乗っ取ろうとしている。
俺に何かマジナイをかけたらしい。



こんな馬鹿げた話、信じてもらえるだろうか。












いつの間にか通りを抜けて、常泊している宿に着いた。
古びた扉をきいと開けると、粗末なソファがおいてあるだけのロビーに、ナミとロビンが座っている。

「サンジ君!どこ行ってたの」
詰るような口調に、サンジは面食らった。
「な、なんですか・・・ナミさん」
何か、あったのか―――
問い掛ける言葉は声にならず、ただ心臓がばくばくと鳴り出した。



サンジを見るなり立ち上がって詰め寄る形になったナミは、その状態に気づいたのか、一歩下がって
声のトーンを落とした。

「サンジ君、昨夜何かあった?」

強い光を放つ瞳に見上げられて、身構える。
顔色が変わらないように。
動揺を悟られないように。



「昨夜俺、風邪引いて早めに休んだので・・・」

声は上擦ってないか。
うまく、話せているか。

「じゃあ、物音は聞いてないのね」

物音?
なんの?

無意識に手の指を開いたり閉じたりしている自分に気付いた。
ぎゅっと握り締めて、ナミから視線を逸らす。
視界の隅にロビンの立ち姿が映っている。
じっとこちらを見ているようだ。

「交代したチョッパーから、慌てて連絡が入ったのよ」

チョッパー?
何かあったのか。

「GM号の舵が壊されているって」





ガツンと、ハンマーで殴られたような衝撃を感じた。

しまった―――。
船の見回りをしていない。
ゾロに気を取られて、何のための船番だ、畜生。

はっきりと顔が蒼褪めたのが自分でもわかる。
血の気の引いた指先で、サンジは額に手をあてた。

「すみません・・・ナミさん、俺―――」

なんと言い訳すればいいのだろう。
明らかに自分のミスだ。

「今ウソップとルフィが直しに言ってるわ。ゾロも向こうにいてくれてるし、何とか直せると思うけど」

ゾロが、いる?
ゾロは船にいるのか。



「大丈夫?コックさん、顔色が真っ青よ」
音も無く近づいたロビンが、サンジの肩に手を添えた。
掌越しに、サンジの身体がこわばったのがわかる。
「すみません。俺、何も気づきませんでした」
悄然とうなだれる姿に、ナミが柔らかな声をかけた。
「責めてるわけじゃないの。サンジ君が無事で、よかったわ」
サンジは顔を上げて、ナミの顔をじっと見つめた。



明るいブラウンの理知的な瞳。
この人に、すべてを話してしまおうか。
何もかもぶちまけて――――
ゾロを止めて。
俺を救って。






サンジの表情はまるで捨てられた子供のように不安げで頼りない。
ナミを見つめる青い眼差しが揺れている。

話す訳には、いかない―――

サンジはふいと目を逸らした。

「ありがとうございますナミさん。俺まだ本調子じゃないんで、先に休ませて貰っていいですか」
サンジの言葉に我に返って、ナミはええと頷いた。






部屋の鍵をサンジに渡す。
すみませんでしたと小さく呟いて、静かに階段を上がって行く。
後姿が消えてから、ロビンはソファに腰掛け、冷めてしまったコーヒーを口に運んだ。
「さっきは危うかったわね」
「どっちが、私?それともサンジ君?」
「両方」
笑いを含んだ口ぶりに、ナミも表情を緩める。
「何か隠してるのは、間違いないわ」
ナミもロビンの向かいに腰掛けた。
チョッパーから聞いたことが頭から離れない。






ナミ、サンジの様子が変だ。
風邪引いたって言ってるけど、首に巻いた包帯は不自然だ。
食べ物が沢山捨ててあった。
薬箱からかなりの量の薬がなくなってる。
サンジの体から、かすかだけど血の匂いがする。
サンジは何か、隠してる。






宿に泊まっている間に町中を流れた不吉な噂。
悪霊の復活が近いと。
誰が言い出したのかわからない流言に、島中の人が怯えている。

「そう言えば、ロビン。あの黒い玉のこと、何かわかった?」
ロビンは鞄からハンカチを取り出した。
「これは死反玉と言うらしいわ」
取り出されたそれは光沢を放ってロビンの掌にある。
「死者の魂の蘇生を目的とした呪術に使う神宝の一種で、他にもアイテムが9つあるらしいの。
 10種全てが揃って初めて、儀式が行われると書かれてあったわ」
「そんなものが、本当に・・・」
ごくりと唾を飲み込んで、ナミはロビンの手の中を凝視した。
こんな時代にまだ、こんな原始的なものが残っているなんて。
しかもサンジ君から手渡されたもの。

「いいロビン、それ絶対サンジ君に渡しちゃダメよ」
ロビンは頷いて、丁寧にハンカチで包みなおした。










ホテルの扉が勢いよく開かれる。

「おっす、ナミただいま」
ルフィとゾロだ。
「どう、舵は直った?」
ルフィの登場で、今まで漂っていた重苦しい空気がどこかに吹き飛ぶ。

「おう、何とか直ったぞ。ウソップは今日チョッパーと船に泊まるってっから、俺がゾロを
 連れてきてやったんだ」
「うっせえぞ」
ゾロが不満げにルフィの後ろで顎を突き出している。
「ゾロ、あんたに頼みがあるわ」
ナミは立ち上がってゾロの横に立つ。
「サンジ君は今部屋で休んでる。悪いけどずっとついてて欲しいの」
ゾロは眉を上げて、ナミの顔を見返した。
「風邪引いたとか、言ってたぞあいつ。」
「で、あんたは呑気に寝こけてたのよね。舵を壊される音にも気づかずに」
嫌味を込めて棘のある口調で言ってやる。
ゾロは何か言いたそうだったが、あえて反論しなかった。
「サンジ君から目を離さないで」
サンジの様子がおかしいのは自分にもわかる。
問い詰めて口を割るタイプでもないが、気をつけるに越したことは無いだろう。
「ナミ、俺腹減ったぞ」
万年欠食児童の声が上がった
「はいはい、わかりました」
軽く、ゾロに視線だけよこした。







もしかしたら――――


 ――――――サンジ君は取り憑かれているのかもしれない。