
翌日、サンジがゾロの部屋へ向かうと、ゾロは酷く不機嫌だった。
それもそうだろう、サンジはゾロの言うことを聞かない、その上ミホーク王に会わなければならないのだから。
「おはようございます、ゾロ様」
サンジは声をかけたがゾロからの返事は無かった。
「ご準備は整いましたか」
やはりゾロからの返事はなく、サンジはゾロの服装に目をやった。
昨日着ていた服とは違い、布の全面に刺繍の入った煌びやかな服を着ている。
いや、着せられている、といったほうが正しいだろうか。
返事をしないゾロはじっと自分の服を睨んでいた。
その豪華な衣装は王族にのみ許されたものだ。
今までの生活でも悪い物を着せられたりはしなかったが、こんなに高価なものを着たことはない。
もしも第一王子が死ななければゾロはこの城へ入り、王族にのみ許されたこの服を着ることなど一生無かっただろう。
「王がお待ちです、こちらへどうぞ」
サンジはそう言って頭を下げた。
行かない、と反論するだろうか、とサンジは思っていたがゾロは声を上げることはなく、ただ深い溜息を吐いた。
サンジはゾロを連れ、大きな扉を叩いた。
少し待つと、扉が開かれる。
甲冑に身を包んだ兵士が二人の姿を見て頭を下げた。
まるで大広間のように広いその室内には一番奥に玉座があり、中央には玉座まで赤い絨毯が敷かれている。
ここは許可された者だけが入ることのできる王の謁見室だった。
王の護衛の為、何人かの兵士が立っていて、その横を通り過ぎようとすると、兵士は頭を下げた。
王の玉座の前まで来るとサンジは頭を下げ、膝をついた。
「只今参りました、サンジで御座います」
サンジは深く頭を下げたまま言うと、ちらりとゾロの方を振り向いた。
だがゾロは王の事など関係ない、というように頭を下げることなく腕組みをして顔を横に向けている。
「第二王子をお連れしました」
構わずサンジが言うと、ゾロがピクッと体を動かしたのが分かった。
第二王子という言い方がゾロには嫌なのだろう。
ゾロは振り向くとサンジを睨み付けた。
「遠路、ご苦労だった」
玉座に座るミホークが唇を開く。
その声にゾロは目を向けた。
ゾロが着ている物と同じような刺繍の施された服を着てミホークは玉座に座っている。
だがゾロの物とは刺繍が全く違い、王にしか着る事の出来ない模様の刺繍だ。
よく似た衣装ではあるが、王の気品をよく現していた。
ミホークに目を向けたゾロは、サンジに向けた時よりもっと強く睨み付けた。
「ゾロ」
ミホークが名前を呼ぶと、ゾロは嫌悪感を露わにするような顔を向けた。
“お前に名前など呼ばれたくない。”もしもゾロの唇が開いていたのならそう言っていたことだろう。
「突然呼びつけて悪かったな」
だが、王は対照的にゾロを視線に収めて目を細めていた。
「もう、こんなに大きくなったのか」
懐かしむような目で王はゾロを見ている。
ゾロは苛々するように、組んだ腕の上で指を動かしていた。
「……今更」
低く暗い声でゾロが呟いた。
「今更何の用だ、ミホーク」
「ゾロ様!」
王の前で、王を呼び捨てにしたゾロをサンジは咎めて睨み付けた。
「どうかしたのか、サンジ」
「どうかしたではありません、王に向かってそのような…」
「何が王だ、そんなもの俺には何も関係ない」
「そのような言い方をしてはなりません、ミホーク様はこの国を守ってくださる方です」
「だから、そんなもの俺には何の関係も無いことだと言ってるんだ」
「ゾロ様!」
ゾロはサンジの咎める言葉など聞く意志がない。
これでミホーク王が怒ったら…と、サンジは気が気ではなかった。
いくらどんなことがあったとしても王は王であり、敬うべき方だという事には変わりがない。
「サンジ、まぁ、よい」
二人が言い争うのを止めるように、ミホークが口を挟んだ。
「ミホーク王、しかし…」
反論するようにサンジは言ったが、ミホークは首を振った。
構わない、ということだろう。
その態度を認めたというのではなく、そういう態度を取る気持ちを理解しているのだろう。
今更何の用だ、と言ったゾロの言葉が気持ちを表している。
それをミホークは理解していた。
「今更だというのは重々承知している」
ミホークが話を始めると、ゾロはまた顔を背けた。
「エース…、この国の第一王子が死んだことはお前の耳にも入っているだろう」
ゾロは何も返事を返さなかったが、その話はサンジが伝えていた。
先月の初めに亡くなったエースは、この国の正当な只一人の王子で、腹違いではあるがゾロにとっては兄になる。
ミホークの正当な后が産んだのはエース只一人であり、今となってはミホーク王の血を引くのはゾロだけだった。
エースの名を口にしたとき、ミホーク王は苦しげな表情を浮かべた。
まだエースが死んでから一月半ほどしか日が経っていない。
息子が死んだということがミホークには悲しいのだろう。
「このココヤシで、私の血を引くのは今やゾロだけになった」
「だから何だというんだ」
「ゾロ様!」
何度咎めてもゾロは言葉遣いを直さない。
「エースが死んだから、俺か?いい加減にしろ!」
ゾロの声は謁見室中に響き渡った。
「ゾロ様!」
「あんたは俺の母親に子供を作らせておいて、一度も顔を出さなかったな。只の、一度も」
これ以上ないほど、ゾロはミホークを睨み付けた。
「母親の、葬式の時でさえ」
ミホークは何も答えなかった。
ゾロの母の葬儀の日、ミホークが姿を見せなかったのは事実だった。
ミホークはココヤシの王であり、この城から滅多に出ることは出来ない。
しかもゾロやゾロの母親は王族であるとは認められていなかった。
身分の違いすぎるゾロの母の葬儀に、ミホークが出られる筈も無かった。
「それは…すまなかった」
「今更謝って済むと思っているのか」
聞く耳を持たないという様に、ゾロは攻撃的な言葉を口にする。
ミホークは首を振った。
「許されるとは思っていない。お前に会いにいかなかったのも、葬儀に出れなかったのも悪いのは私だ。本当ならば会いに
行きたかった。葬儀の日くらいは別れの挨拶をしに行きたかった」
痛みを堪えているように、絞り出したような声でミホークは呟いた。
「…言い訳か」
「お前の母を、愛していた」
「なッ」
突然のミホークの言葉にゾロが頭に血を上らせているのが分かる。
「愛していた…、誰よりも。この国の…、この世界の、誰よりも」
「嘘を吐くな!」
「嘘ではない、私はお前の母を誰より愛していた。だが、私とお前の母は…出会うのが遅く、そして身分が違いすぎた」
「愛しているなら、何故一度も会いに来なかった? 只の一度も」
ゾロの言葉にミホークは苦々しい表情を向けた。
他のどんな言葉も、これほどまでにミホークを苦しめることはない。
他人であるサンジが見ても分かるほどの苦しげな表情だった。
「…すまない」
ミホークはただ一言だけでそう言った。
いくら愛していても、いくら会いたいと思ってもそう簡単には会いにはいけない。
それが一国の王であるミホークの立場だ。
そして、ゾロがこの国を継げばサンジもまた簡単に会うことができなくなる。
そう考えるとサンジの心境は複雑だった。
城に仕えることが出来るのは、王族の親戚筋か身分の高い貴族と決まっている。
サンジの家は貴族ではあるものの、そう高い身分ではない。
今まで王族と認められていなかったゾロには高い身分の従者は付けられず、身分高くないのサンジが選ばれたのだ。
今はまだゾロの従者としてこの城にいられるが、ゾロが王の後継者となることを認めたら、ここにいることは出来ない。
「…不愉快だ。帰る」
言葉を投げ捨てるようにしてゾロは言うとくるりと背を向けた。
「ゾロ様!王に向かってなんと言うことを!」
その暴言と態度は王に向けていいものではない。
サンジは声を張り上げたが、ゾロは聞かずに扉へ向かって歩き出す。
「ミホーク王、あの…」
理由があったにしろゾロを傷つけていたのはミホーク。
だが、ゾロの態度は流石に王を怒らせてしまうだろうと、サンジは慌ててミホークに向き直った。
ミホークは視線でサンジに、行け、と命令した。
その目は怒りに打ち震えていたりはしなかった。
「では、失礼致します」
早口でサンジは言うと頭を下げ、ゾロの後を追った。
「ゾロ様!」
ゾロは謁見室を出ると後ろを振り返りもせずに部屋へと歩いていった。
ゾロが開けた扉はバンッ、と大きな音を立てた。
「サンジ、帰るぞ」
「ゾロ様、王にあのような態度はいけません」
多分、ミホークに会えばこうなるだろうとは思っていた。
長年憎んでいたミホークを、一度会って僅かな時間話しただけで理解しあえるとは思えなかった。
「サンジ、馬の準備をしろ」
冷たい瞳を向けてゾロが命令する。
だがサンジは返事をしなかった。
「聞こえなかったのか。馬の準備をしろ」
聞こえなかったわけではない、二人の距離は1メートルほどしか離れていない。
聞こえない筈はなかった。
「…出来ません」
首を振って答えた言葉はゾロを怒らせるのには充分すぎた。
「今、何と言った?」
ゾロの手がサンジの襟首を掴んだ。
サンジはゾロよりも5つ年上だが、身長はほぼ同じで、ゾロの方が少しがっちりとした体型をしていた。
喉元が圧迫され、サンジは顔をしかめた。
「…出来ません」
もう一度言うと、掴んでいた手に更に力が込められた。
「うっ…」
とサンジの唇から呻き声が漏れる。
「あの男には会っただろう、何故いつまでもこんな所にいなければならない!」
「ミホーク王をそのように呼ぶのは…いけません」
息苦しさに耐えながら声を絞り出した。
サンジはただゾロの世話をするだけの立場ではなく、護衛も兼ねている。
それなりの腕力もあり、ゾロの手を払いのけることが出来ないわけではなかった。
だが、そうすればゾロの怒りを余計に増長させるだけだ。
「馬の用意をしろ、サンジ」
「ですから…それは出来ませんと…、何度も申し上げております」
「何故俺の言うことが聞けない?」
「…貴方が、この国の王子だから…です」
じっとこちらを睨んでいるゾロの強い瞳がピクッと動いた。
「…俺をここから出すなと、あの男に言われたのか」
「何度も申し上げておりますが、ゾロ様…、ミホーク王をそのように呼んではいけません」
「そんなことどうでもいい。答えろ、サンジ」
大人と呼ぶにはまだ幼さの残るゾロの瞳は、その瞳に収めた人間を圧倒する力がある。
それも王の血を引いている証だろうか。
「ゾロ様はココヤシの只一人の後継者です」
サンジの答えにゾロの瞳が吊り上がるのが分かった。
「お前が仕えているのは誰だ?」
「…ゾロ様です」
「ならばどうして俺の言うことを聞かずにあいつの言うことを聞く?」
「ミホーク王は、ココヤシの王。その言葉にはココヤシの全ての民が聞かねばなりません」
「あの男の言うことは聞けて、俺の言うことは聞けないのか!」
「ゾロ…さま…」
掴まれている襟首を捻られ、喉が圧迫される。
本当ならゾロの言うことを聞いて、すぐにでも馬の準備をして元の屋敷へと帰ってしまいたかった。
だがこの国の為を思えば、そんな身勝手な事が出来る筈がない。
それに、血の繋がった実の親子がこんな風に仲違いするのは寂しすぎる。
「…俺がこの城に残ったら、お前はどうなる?」
「私は…城へお仕えできる身分ではありません。今は…ゾロ様にお仕えさせていただいていますが…ゾロ様がこの国の
後継者となれば、相応の者がつく筈です」
息苦しさに耐えながらサンジが言うと、ゾロはじっとサンジの目を見つめた。
それは酷く冷たい温度を感じる。
「…お前は、それでいいのか」
「それが…ゾロ様の為です」
「俺の為?…あの男の為、だろうが」
「ゾ…ッ…」
名前を呼ぼうとしたが、突然ゾロの手が襟から離れてサンジは喉を突然解放されて声が出なかった。
「…出て行け」
「ゾロ様!」
冷たく言い放ったゾロは、それきりサンジの方を振り向くことは無かった。
サンジは自分に与えられた部屋に戻るとベッドへと倒れ込んだ。
『…出て行け』
そう言ったゾロの言葉が頭から離れない。
あの言葉はサンジの胸を突き刺した。
自分を拒絶した、ゾロの言葉。
長年過ごした屋敷でのゾロとの近かった距離にはもう、戻れない。
二人の間には深く広い溝が刻まれてしまった。
もう、手の届かない人。
サンジはごろりと体を反転させた。
白い天井が見える。
いや…手が届かないのは以前からだ。
ただ、錯覚していただけ。
あの小さな屋敷にいる時は、いつもゾロと自分だけだったから。
いや、いつも二人ではなかった。
ゾロはよく女性を連れ込んで来て、いつも嫉妬していた。
連れ込んだ女性にしていた行為を、ゾロにされたいと浅ましいことすら考えていた。
ベッドの上で重なって、口づけしゾロに抱きしめられたなら。
ゾロの最も敏感な部分に触れ、私の中に、ゾロ自身を感じられたら、どんなに幸せな事か。
冷静な顔をして、ゾロには女性を連れ込むことを「そんなことをしては駄目だ」と戒めながらいつも、考えていた。
だがその妄想が現実になる訳がない。
私は従者で、ゾロは王子だ。
手の届く人ではない。
第一私は男だ。
そんな対象に見られる訳もない…。
だから、…これでいい。
拒絶されれば諦められる。
ゾロが正式な後継者となって、ゾロの従者からも外されれば会うことすら容易には出来なくなる。
ゾロはもっと手の届かない人になって、どうしてこんなにゾロを好きになってしまったのかと悩むこともない。
正式にゾロが王の後継者になって、新しい従者がつけば自分の役割も終わる。
「…これで、いい」
部屋の中には他に誰もいないが、サンジは呟いた。
口に出さなければどうしても納得が出来なかった。
頭では分かっているつもりでも、心が悲鳴を上げている。
ゾロが好きだ。
誰よりも、好きだ。
例えこの国が滅び去ったとしても。
……愛している。
王がゾロを思うよりも、この国の全ての民がこの国を愛するよりも。
もっとずっと、強く、愛している。
けれど、それは封印しなければいけない感情。
サンジは自分に言い聞かせながら熱いものが流れる瞳を閉じた。
あれ以来、ゾロはサンジを寄せ付けなくなった。
ゾロの身の回りの世話をするのはサンジで、毎日顔を合わせる。
だがゾロから話しかけることはなく、また目を合わせることもない。
サンジが何か話しかけても殆ど返事が返ってくることは無かった。
全く話をしていない為、ゾロが王の跡継ぎになるのかどうかも確認は出来なかった。
聞けば、またゾロを怒らせるかも知れない。
怒らせるだけで済むならいいが、もしかしたらゾロの従者という仕事をサンジから奪うかも知れない。
いずれは別れなければならないことは分かっているが、その期間を自ら短くしたくはなかった。
“未練だろうか”そう思ってサンジは自分自身を笑った。
ゾロに仕えるのが長かろうが短かろうが溝を埋めることが出来ない事には変わりがないのに。
食事を終えたゾロにサンジは服を手渡した。
王族にのみ許された豪華な服を最初は嫌っていたが、今では普通に着るようになっている。
王の跡継ぎになることをゾロは認めたのだろうか。
サンジは全ての仕事を終えると、ゾロの座っているベッドへと振り返った。
「…ッ…」
思わず空気を飲み込む音がサンジの喉から漏れた。
目も合わせないゾロがこちらを見ているとは思わなかった。
「…ゾロ…様…」
いつから見ていたのだろうか、ゾロはじっとサンジを見ている。
サンジは目を逸らすことが出来なかった。
自分の主であるゾロから目を逸らすなど、仕える者としては出来ないことだ。
ゾロの強い瞳にサンジは身動きが取れなくなってしまう。
その瞳に引き込まれるような気がして、また封印しなければいけない感情を思い出す。
ゾロはこちらを見つめたまま何も言わなかった。
「…あ、の…」
何か言わなければ。
そう思って口を開くが、何を言ったらいいのか分からない。
まるで蛇に睨まれた蛙のように。
それはそう長い時間ではなかったのだろうが、サンジには何時間も経ったような気がした。
突然扉がコンコン、と叩かれてようやくサンジはゾロの目を逃れることが出来た。
サンジは扉の向こうにいるのがこの城に仕えている者であるのを確認すると「どうぞ」と声を掛けた。
「失礼致します」
と、声が聞こえて扉が開いた。
扉の向こうにいたのは王直属の従者であることを示す緑色の服を着た男だった。
「ゾロ様に何か?」
ここへ来るという事はゾロに何か用事があるということだろう。
サンジは緑服の従者が何か言う前にそう言葉を切り出した。
「いえ、ゾロ様ではありません」
従者の言葉にサンジは驚き、目を大きく開いた。
「…私に用事…ですか?」
聞き返すと従者は頷く。
「王がお呼びです、直ぐに来られますか?」
「あ…、はい、大丈夫です。謁見室へ行けば良いのですか?」
「いえ、謁見室ではなく王は私室におられます」
私室ということは公の場では言いたくないような事でも話したいのだろうか。
「王がお待ちですので、出来るだけ早めに。では、失礼致します」
従者は頭を下げると扉を閉めた。
「ゾロ様、行って参ります。もし何かありましたら部屋の外に控えている者にお伝え下さい」
扉の外には部屋を守るように兵士が立っている。
何か用事のある時は兵士に言えば従者に連絡を取ってくれるようになっていた。
サンジは頭を下げると扉に手を掛けた。
「…サンジ」
扉を僅かに開いた時、後ろから声が聞こえた。
サンジはゾロに呼びかけられたことに驚いて振り返った。
「…何でしょう、ゾロ様」
ここ暫くゾロから声を掛けられることはなく、自分の名前を呼ばれたこともなかった。
またじっとゾロの目がサンジを見つめる。
何の言葉もなく、じっとサンジを見ていたが、暫くしてゾロは口を開いた。
「…何でもない」
ゾロはそう呟いて目を背けた。
何でもないのなら、何故私を呼んだのだろうか。
サンジは首を捻ったが、のんびりしている場合では無かったことを思い出した。
「失礼致します」
もう一度ゾロに継げると、サンジは頭を下げて部屋を出た。
…苛々する。
もう何日サンジとは話をしていないだろう?
こちらから話しかけることなど殆どない、サンジが話しかけてきても頷くか首を振るくらいで返事を返した記憶も無かった。
これまで、サンジに何度か突っかかった事はあったが、こんなに長い時間口をきかなかったことはなかった。
ゾロが我が儘を言えば、それが間違ったことならサンジは怒った。
王子と従者という関係と言うよりは兄と弟のような関係だった。
それなのにこの城へ来てからサンジはそれまでとは態度が違う。
口をきかないゾロにサンジは何も感じていないように振る舞う。
「…王子だからもう、自分は関係ないって…言いたいのかよ」
部屋には自分以外誰もいない。
誰に聞かせるわけではなく、ゾロは呟いた。
王子としてこの城にいれば、サンジはゾロの従者でなくなる。
ミホークも、この国も、ゾロには何の興味もなかった。
ただ、側にサンジがいれば…それだけで良かった。
そう思う感情が何なのか、ゾロは理解していた。
だから、わざと屋敷に女を連れ込み、サンジに見つかるように抱いた。
別に連れ込んだ女が好きだったわけじゃない、同じ女を連れ込んだこともない。
もしかして嫉妬してくれるんじゃないかと、期待していただけ。
だけどサンジは自分が思うようには思っていなかった。
「……クソッ…」
ゾロは手を握りしめて壁を叩いた。
女を抱きながらいつも、サンジの事を考えていた。
女ではなくサンジを抱いて感じたかった。
サンジの、体温を。…感じたかった。
この城へ来て、ゾロと一線を置くようになったサンジは自分の命令は聞かずにミホークの言うことを聞くようになった。
城に来る前でも、サンジは何度かこの城へ出向いてくることがあった。
あれは、ミホークに会っていたのだろう。
『ミホーク王のご命令です。例えゾロ様でも、ご命令は絶対です』
反論したらそう言った。
『ミホーク王は、ココヤシの王。その言葉にはココヤシの全ての民が聞かねばなりません』
ためらうこともなく、サンジは言った。
サンジと兄弟のような関係だと思っていたのは、ゾロだけだった。
サンジにとっては、只の仕事で、仕えている主であるから一緒にいただけ。
それも、ミホークの命令で、だ。
「…バカバカしい…」
ゾロは呟いて笑った。
バカバカしいのは、自分か。
一人でサンジを好きになって、サンジも自分を愛してくれたらと馬鹿な期待をして。
そう思うと笑いが込み上げてくる。
「…クッ……、ハッ…… ハハ…ッ…」
笑い声を上げるゾロの視界は、何故かじわりと歪んで見えた。
ゾロとサンジがこの城に来てから、しばらく日が経った。
相変わらずゾロはサンジと殆ど口を聞いてはくれず、このままゾロとは別れることになるのだろうか。
そう思うと心臓がギュっと鷲掴みされるような気がした。
まだゾロの存在は公に発表されていない。
城の中でもゾロは極一部の人間にしか知られていなかった。
正式に王の後継者であるという発表がない限り、サンジはゾロの側にいることが出来る。
ゾロはミホークへの態度を変えて居らず、後継者になることを認めていないため発表できないままだ。
無理強いはしたくない、これまで散々辛い目に遭わせてきたのだから。
と、ミホークはゾロの意志を無視した発表はしないと決めていた。
その日は、朝ゾロの食事と着替えの世話をしてサンジは部屋に戻った。
だがしばらくして、ゾロの事を知っている数少ない従者がやってきた。
「あの、王子の部屋に来ていただけませんか」
そう言った従者はサンジを見てはいなかった。
どうかしたのかと聞くと、従者は言いにくいのだと唇を噛んでサンジに目を向けた。
「王子の部屋から声が聞こえるんです」
「…王子の?」
「…いえ、王子のではなくて… その…」
従者の態度で分かった。
サンジの脳裏に屋敷でよく見かけたシーンが思い浮かんだ。
多分、きっと頭で思い浮かべたことと同じ事をゾロがしている。
そう思うと頭の中が真っ白になるのを感じた。
サンジは目の前の従者に言葉を掛けることすら忘れてゾロの部屋へと走った。
部屋の前にはいつも兵士が控えている。
扉の前にいる兵士が、どうしたらいいのかとウロウロと歩きながら狼狽えていた。
「サンジ様!」
サンジの姿を見つけると、兵士は走り寄ってきた。
「サンジ様、あの…」
兵士は口を開くが、サンジの部屋に来た従者と同じような表情を向けた。
サンジは「お前はここにいろ」と、兵士に告げて扉を開けた。
「…ん…ッ……」
声が聞こえる。
その部屋にいるはずの、ゾロではない声。
艶めかしい上擦った声、よく屋敷で耳にしたのと似た音。
サンジは耳を覆いたい気持ちだった。
聞きたくなかった。
真っ白だった頭の中はぐちゃぐちゃと黒くなっていく。
「あぁ…っ… いやっ…」
「…嫌なのか?」
ゾロの声が聞こえた。
部屋の奥に、ベッドがある。
声がしているのは多分、そこからだ。
だが目を向ける勇気が、サンジには無かった。
「っ… あ… やめ…ないで…」
二人の声が、サンジに想像をさせてしまう。
相手はこの城に仕えている者だろう。
ここは城で、一般人は出入りすることは出来ない。
上質の絹のシーツは、二人が動く度に音を立てた。
知らない声の、ゾロの相手が快楽に声を上げる。
それをサンジはじっと聞いていることは出来なかった。
「ゾロ様!」
ベッドへ目は向けられなかった。
視線はベッドとは逆の壁を向いている。
ゾロが正式に王の後継者となれば自分はゾロと一緒にはいられなくなる。
それが頭にあるせいだろうか、屋敷にいた時のように平静を装って見ていることが出来なかった。
一瞬、ベッドの上からの声が止んだ。
「…どうかしたのか、サンジ」
ベッドの上からゾロの声が聞こえた。
今まで殆ど会話らしい会話をしていなかったゾロの声。
だがそれは嬉しくも何ともなかった。
「あッ……やめ…っ… ゾロ…さ、ま…」
また誰かの声がした。
サンジが部屋にいる事をゾロは分かっていてその相手との行為を止めない。
「ゾロ様!」
止めさせたいのなら、二人の前へ出て行って止めればいい。
それが一番簡単な事だと分かっている。
だがサンジには出て行くことが出来なかった。
これから王の後継者になる王子と、城勤め出来る程の地位のない自分の身分の差。
その壁すら忘れて嫉妬してしまう。
ゾロに抱かれる相手と、誰かを抱くゾロに嫉妬して胸が焼け付くような気がした。
「どうした?サンジ、まだ食事の時間には早い。俺はお前を呼んだ覚えはないが」
ゾロの愛撫に声を上げ続ける相手とは対照的に、ゾロの声は落ち着いていた。
まるで何もないようなゾロの言葉は、やけに冷たく感じた。
「…お止め下さい、ゾロ様」
「止める?…何をだ?」
冷たく、とても遠い所にいるように感じるゾロの声はそう言って笑った。
聞き返してはいるが、サンジの言いたいことは分かっている。
だというのにゾロはわざと言っている。
「…今、ゾロ様がされている事です」
「よく、分からないな」
サンジは唇を噛みしめた。
ベッドの上からの声と、シーツの音は絶えることなく続いている。
言葉で言っても、ゾロは止めようとしない。
屋敷でも何度も見た光景だった。
だがサンジはそれを見ることも、聞いていることも出来ずに遂に瞳を伏せて耳を両手で覆った。
ギュっと耳を押さえつけても、遠くから声が聞こえてしまう。
この部屋から出て行きたい、とサンジは思った。
だが部屋の外には狼狽えた兵士がいる。
そして城の中にはサンジにゾロの事を教えに来た従者もおり、何もせずに部屋を出るわけにもいかない。
サンジはただ、ゾロがその行為を終えるのを待つしかなかった。
どうしてこんなに…ゾロを好きになってしまったのだろうか。
一国の頂点に立つことのなるゾロは触れることすら敵わないくらい遠い存在なのに、それなのにどうして…
こんなに好きになってしまったのだろうか。
好きになっても、どうにもならない辛い恋でしかないと知っていて、それでも痛む心臓を押さえることが出来ない。
塞いだ耳に一際大きい声が聞こえてきて、サンジはようやくベッドの上の行為が終わったことを知った。
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