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嵐の夜、サンジが波間に消えてから1月が経った。

GM号は港に着いた。
あの海域から一番近い島。
もしかしたら、サンジが流れ着いているかもしれない。
サンジを助けた船が寄っているかもしれない。
一縷の望みを掛けて上陸する。
何より食料の管理が全然出来ていない。
サンジを失ってから、クルーの人間関係は最悪の状態になっていた。

「ほんと、食べるって大切な行為なのね」
ナミはしみじみと呟きため息をついた。
食事時の楽しみがない。
士気があがらない。
なにより、サンジの笑顔が見られない。

クルー全員といっていいだろう、皆サンジに頼っていたのだ。
うまい飯を食わせてくれるだけでなく、
世話を焼いてくれて、
気を遣ってくれて、
見守っていてくれた。
いつだって―――

ルフィの食事の量が減っている。
ウソップの口数が少なくなり、チョッパーがため息をついている。
一番落ち込んでいるのは、サンジが転落する直前まで喧嘩していたゾロだろう。
顔には出さないが、度を越してトレーニングばかりしている。

―――あれは相当、落ち込んでるわね

この島で、何か情報が得られれば・・・。
誰もサンジが死んだとは考えていない。
信じている。









「女と見ればやたらと声を掛ける、軽い金髪の男見なかったか」
「さあねえ」
「眉毛がまいてる、片目の男だ」
「知らないねえ」
ゾロは手当たり次第に街で声を掛けた。
大方、ゾロの外見に恐れをなして逃げるが、運良く掴まった人からもろくな情報は得られない。
―――この島にゃあ、いねえか。
この島にいる確立など皆無に等しいのに、尋ねずにいられない。
もしかしたら、と根拠のない期待が身体を突き動かす。
あんな馬鹿野郎、海の藻屑にでもなったんだろうが―――
そう考えたくない自分がいる。
死体を見ない限り、多分俺は一生、奴を探し続けるだろう。





うろうろしているうちに、見覚えのない港に着いた。
自分達の船は見えない。
―――また、迷ったか。
小さな島だから、まっすぐ行ったら、一周するだろう。
海を眺めながら歩くゾロの前に、金色の髪が光る。

―――――!!

見間違いのない男。
海に消えたあの日のまま、黒いスーツ姿で煙草を吸っている。
今しがた着いた船から下りてきたのか、何人かの大柄な男達と連れ立って歩いている。
少し身体を斜めにして、猫背で歩く。
長い足。
細い身体。
くわえ煙草に揺れる金髪。
間違いねえ。

やっと見つけた、―――生きていた

駆け寄ってぶん殴りたいのに、足が動かない。
じっと顔を凝視しているゾロに気づかないのか、サンジは男達と話しながら近づいてきて、そのままゾロの横を通り過ぎた。



驚きに声も出ない。
振り向くとサンジは行き過ぎていた。
慌てて追いかけ、ひじを掴む。
「・・・んだあ?」
はじかれたようにサンジが振り向いた。
声もそうだ。
間違いなく、サンジだ。
ガラの悪い表情そのままに顔を潜める。
「なんだてめえ、俺になんか用か?」
なんだなんだと連れの男達も寄ってくる。
「てめえ、サンジさんの知り合いか?」
大男がゾロに詰め寄る。
サンジと呼んでいるということは、間違いないんだろう。
「サンジ、だな」
ゾロにまじまじと顔を見られて、サンジは眉根を寄せた。
「そうだが、あんた俺の知り合いか?」
なんとも間の抜けた再会だ。
ゾロもそれ以上言葉が続かなくて困惑している。






エースは甲板から成り行きを見ていた。
―――ああ、案外早く見つかっちまったな。
港にはあの男。
サンジを初めて抱いた夜、絶頂を迎えた瞬間、口をついて出た名前を持つ男。
そろそろ潮時か―――
波止場に飛び降り、声を掛ける。

「ゾロ、久しぶりだな」
「エース!」
ゾロとサンジが同時に声を上げ、お互いの顔を見合わせた。
「すまねえな、連絡が遅くなって」
丁度いいタイミングで、街の方角からにぎやかな声が聞こえてきた。
「ああ、お仲間が集まってきたぜ」
ルフィが、ナミが、ウソップがチョッパーが駆けて来る。
その姿をサンジはただ呆然と見つめていた。

長い鼻の男はぶつかるように抱きついてきた。
小さい鹿が足にしがみついて泣いている。
きれいなレディが満面の笑みで駆け寄って来てくれる。
麦藁帽子を被った少年は、文字通り腕を伸ばして長い鼻の男ごと絡みついてきた。
―――すっげー、腕伸びてる。
サンジは目をぱちくりして、されるがままにしていた。

エースの船に乗って以来、サンジはなるべく物事を考えないようにしていた。
何か考えると頭が痛くなるから、いつもぼーっとしている。
ぼーっとしていても料理は作れるし、身を守る必要もない。
エースがいるから。

そのエースが目の前で困ったような顔で笑っている。
「エースう、どういうことだあ?」
どこか間の抜けたテンポで麦わらが聞く。
「サンジは俺が拾ったんだ」
「うわあ、お兄さん、あじがどうございばす」
長っ鼻が涙と鼻水でぐしゃぐしゃになったまま礼を言う。
「サンジ、こいつらがあんたの仲間だ」
言われてもサンジに反応はない。
他のメンバーは感動の再会をしているのに、サンジだけが取り残されている。
「エース、もしかしてサンジ君・・・」
キュートなレディは聡明な瞳でエースを捉えた。
「ああ、記憶喪失なんだ」

記憶喪失?

全員が固まってしまった。




「記憶喪失といっても、あんたらの仲間には違いねえだろ」
「当たり前だ!」
ルフィの声はひときわ大きい。
「サンジはうちのコックだ!」
エースの前に進み出て、手を出す。
「世話になった。返して貰うぞ」
「ああ」
ルフィの手を握り、にやりと笑う。

サンジの顔が青褪める。
いきなり声を掛けられて、いきなり仲間だと宣言された。
そして今、エースは俺を返すと言う。
俺は、こいつらと共に行くのか。
エースは俺を手放すのか。

自分を刺すような目で睨む男がいる。
緑の髪をして目つきの悪い男。
まるで憎んでいるような強い光。
なんか、怖ええ・・・。
あの男は嫌だ。
胸が詰まる。
あの目に見つめられると、息も出来ないほど苦しくなる。







「今すぐに、てのは無理だぜ。こっちにも仁義がある」
エースの言葉に麦藁の少年が頷く。
どうもこいつが船長らしい。
「サンジ、おやじに挨拶だけして行け。俺も行くから」
エースに誘われて、弾かれたように駆け寄る。
「お前らの船はどっちに着けてんだ。南か?」
ならそっちにサンジを送って行く。とエースは言った。
「私達、できるならなるべく早く出航したいの。もうこの島に5日もいるし」
ログは十分溜まったわとレディが笑う。
「夕方には送るぜ」
にかりと笑って歩き出すエースの後ろに、ぴたりと寄り添うようにサンジが付いて行く。
仲間達には一瞥もなかった。















「帰るってか、そりゃめでてえな」
白ひげが巨体を揺すってあっさりと言った。
「それにしちゃあ、そのガキ浮かねえ面してるぜ」
からかうような口ぶりに、エースが苦笑する。
「お世話に・・・なりました」
サンジは深々と頭を下げた。
後頭部がちりちりと痛む。





「忘れもん・・・もねえな」
身一つで来たんだからよ、とエースが笑う。
部屋にも厨房にも、持って行くようなものは何もない。
船員達はほとんど陸に上がっているし、特別別れを告げる奴もいない。
部屋を出るエースの背中を見つめながら、サンジは一歩も動けなかった。

「どうした?」
振り向いたエースが問う。
いつものように穏かな声。
その顔がぼやけて見えて、サンジは慌てて下を向いた。
「――もう、これ以上迷惑かけらんねえし」
とぼとぼとした足取りでエースに近づく。
「あんたを困らせるわけにゃ行かねえしな」
長い前髪から垣間見える口元は歪んでいる。
エースはサンジの髪をくしゃりと撫でて、上を向かせた。
「―――そんな顔、すんな」
キスしたくなる、と茶化す。
「してくれ。」
目尻に涙を浮かべながら、サンジは真っ直ぐにエースを見ている。

「お前は病気なんだ。今に記憶を取り戻したら、俺のことなんざ忘れる」
諭すような、穏かな声。
「エースのこと、忘れるのか」
「いや、元々俺らは知り合いだから、俺のことは覚えてるだろうが・・・この船でのことは忘れるだろ」
それでいいんだ。
頭をぽんぽんと軽く叩き、歩き出そうとするエースの腕を掴む。
縋り付くように、
必死に―――

「俺を困らせるな」
エースの目が細められる。
「・・・言うだけ、言わせてくれ。聞いてなくてもいい。言ったら気が済む・・・から」
顔を伏せたまま、サンジは声を絞り出す。
「―――行きたくねえ」
「―――ここにいてえ」
「―――離れたくねえ」
小刻みに震えるサンジの顎に手をかけ、上を向かせる。
「・・・エースの傍にいてえ」
置いていかれる子供のような、無防備な泣き顔。
「―――あんたが・・・好きだ」
言葉を掬い取るように、エースが口付ける。
薄い背に手を回し、思い切り抱きしめる。
力の強さに息をつきながら、サンジがかじりついてくる。
何度も深く口付け、舌を絡める。
奪い合うような激しいキス。
エースの固い髪をまさぐりながら、サンジは喘ぐように呟きつづける。

―――好きだ。
―――エースが好き。
―――傍にいてえ。
―――離れたくねえ。
熱に浮かされたような、サンジの甘い声を塞ぐように口付けを繰り返す。


その髪に、肌に、唇に―――
俺がお前を忘れねえように。

くしゃくしゃに歪んだサンジの顔を両手で挟み、エースはにかりと笑った。
「お前が忘れても、俺は忘れねえ。覚えててやる」



お前が俺を好きだったことも。

お前と寝たことも。

お前の脆さも。

激しさも。

――――全部。




「・・・覚えててやるから」