「ゾロ!」
男は振り向かない。
返事も返さない。
ただ黙って、駆け寄るサンジの姿を見ている。
「ゾロっ・・・」
サンジはもう一度そう呼び、ゾロの前に立った。
緑の髪、精悍な顔立ち、じじシャツにくたびれた腹巻もそのままに、ゾロが座っている。
ああ間違いない。
こいつはゾロだ。
サンジは息を切らせてゾロの前に立ったまま、しばらく黙って見下ろしていた。
なんと言っていいかわからない、けどこいつはゾロだ。
ゾロは胡散臭そうにサンジを見上げている。
その表情が、また嬉しい。
「ゾロ・・・」
また名を呼んで、サンジは乾いた唇を舌で湿らせた。
どこからどう、説明すればいいのだろう。
いっそ挨拶代わりに蹴倒すか。
「さっきから、言ってるそれは俺の名か?」
ゾロは不機嫌そうに眉を寄せたままそう聞いてきた。
記憶がなくとも、えらそうな態度はそのままらしい。
「ああそうだ、てめえはゾロだ」
その声が、改めて耳に届いてサンジは口元を歪めた。
その声を、再び聞けると思わなかったのだ。
「迎えに来た。みんな待ってんだ。帰るぞ」
うっかり漏れそうな息を噛み殺して、サンジは平坦な声でそう言うとゾロに向かって手を伸ばす。
だがゾロは立ち上がろうとしない。
「こんなとこで、暢気に座ってる場合じゃねえんだよ。簡単に死んでんじゃねえ、馬鹿。とっとと帰るぞ」
「死んだ?俺は死んだのか?」
いつまでも動こうとしないゾロに焦れて、サンジは足を鳴らした。
「そうだよ、ドジ踏みやがってうっかり死んじまいやがった。けど一緒に来たら生き返れんだよ。
話は後だ。早く来い」
だがゾロは腰を上げようとしない。
サンジはふと不安になった。
「まさかてめえ、こっちでなんか食ってねえだろうな」
「食う?」
「食いモンだよ。食事、したのか?」
確か何か口にしていれば連れ帰るのは難しいとか言っていた。
「いや、食ってねえ」
「なら・・・」
「けど酒呑んだ」
がくんと、サンジはその場で膝を着いた。
酒、かよ・・・
そりゃあやっぱり、口にしたって言うんだろうなあ。
「まあいいや。俺が食わなきゃ問題はないはずだ。さ、行くぞ」
ゾロはサンジをじっと見つめ、腕を組んで巨木に凭れる。
「なんで俺は死んだんだ?」
「巻き込まれたんだよ。戦ってる最中に・・・爆発して」
「それで死んだのか」
「ああ、事故だった」
事故だったのだ。
あの時の女性は今、両親と幸せに暮らしている。
だから、ゾロが死ぬ必要なんてどこにもなかった。
「だが、俺は死んだんだろう。結局はそれだけのことだ」
ゾロの言葉に、サンジはへ?と間抜けた声を出した。
「戦いの最中に、事故に巻き込まれて死んだんだろう。所詮それだけの男だったってことだ。
甦る値打ちはねえだろう」
はああ?と声に出して叫ぶ。
「ちょっと待て、お前のことだぞ。値打ちもクソも、今なら生き返られるんだよ」
「死んだことに代わりはない。戦いの最中に命を落としたなら、それだけのことだ。俺はそれまでの男ってことだ。
今更無駄足掻きして生き返ってなんになる」
サンジは歯噛みした。
融通の利かないところは、死んでも直ってない。
「馬鹿かお前。元々てめえはこんなとこで死んでるような奴じゃねえんだよ。てめえ、すげー腕持つ剣士だったんだ。
世界一の大剣豪を目指す、三本刀の使い手なんだよ。グランドラインで一番強い男になるんだよ。それが、
こんなとこで死んでていい訳、ねえだろう!」
サンジはもどかしくて座り込んだまま地面を叩いた。
「鷹の目のミホーク!覚えてねえかもしれねえが、世界一の大剣豪の名を持つ男を倒して、てめえが世界一になるんだ。
天国にまでその名が轟くような剣士になるんだって、てめえは白い刀に誓っただろう。それをこんな小さな島で
ちんけな戦いで命を落として、何やってんだマヌケ野郎っ」
「そんな小さな戦いで命を落とす程度の男だったってことだ、これも運だろ。諦めろ」
まるで他人事のように、ゾロは耳をほじって指で払っている。
サンジはかっとして立ち上がり、右足を振り上げた。
だがゾロの片手に軽々と止められる。
「やめとけ、ここでは動きが遅え。威力もねえよ」
簡単に振り払われて、サンジは尻餅をついた。
ゾロは頭の後ろで腕を組んで、草原に寝転がる。
「大体なんで、てめえはそんなに俺を連れて行きたがるんだ。理由を言え」
「理由、だと?」
サンジは仕方なく胡坐をかいて、ゾロに向き直った。
「だからさっきから言ってっだろうが、てめえは世界一の剣士を目指す男で、その野望はまだ叶えてなくて・・・」
「俺の話じゃねえよ、なんでてめえがそこまで俺を連れ帰りてえのか、そっちだよ」
ぴしゃりと言い放たれて、言葉に詰まる。
理由も何も、人が生き返らせてやろうとしてるのに、なんて言い草なんだと腹が立った。
「だから、てめえと俺は同じ船に乗る仲間だったんだよ。生き返らせようってしちゃ、悪いかよ」
そうだ仲間だ。
これは仲間として当然の行為だ。
「仲間、だと。てめえ、仲間の死も乗り越えられねえような奴なのか?」
これにはカチンと来た。
なんでこんな話になるんだ。
「だから、てめえはこんなとこで終わっていい男じゃねえんだっつってっだろうが。それで俺がわざわざ迎えに
来てやってんのに、ごたごたと御託並べてんじゃねえよ!とっとと来い!」
腕を引っ張ろうと伸ばした手を逆に掴まれる。
バランスを崩し、ゾロの前に膝を着いた。
「なんでてめえはそう必死なんだ。俺に死んで欲しくなかったのか?」
カッと頬に血の気が上ったのは、怒りのせいだと思いたい。
「だから、てめえはこんなとこで死んでるような男じゃねえって・・・」
「俺のことじゃねえ。てめえの気持ちを聞いてるんだ」
ゾロはサンジを掴んだ手に力を込めて引き寄せた。
「ここじゃ、嘘や誤魔化しは通用しねえんだよ。すぐわかんだ。本音を聞かせろ。どうしててめえは俺を
生き返らせてえんだ。仲間だからか?俺の死に納得できねえからか?」
「そうだ、だから・・・」
ゾロの、鳶色の瞳が真っ直ぐに自分を見つめている。
サンジは観念したように溜め息をついた。
こいつは結局どこまでもゾロだ。
死んでも、記憶を失くしていても、容赦がない。
「俺が、てめえに帰って来て欲しいんだ」
サンジは消え入るような声で言った。
「てめえが好きなんだ。気色悪いって怒るだろうが、俺はてめえを亡くしたくねえんだ。てめえが野望を
叶えるところを見てえ、世界一の剣豪になったとこを見てえ・・・」
両手で顔を覆い、俯いた。
「死んだてめえなんて、見たくねえ」
脳裡に浮かぶのは、白い光に包まれたゾロだ。
硬く冷たくなって動かない屍だ。
確かに生きてそこにいた、その存在自体を黒く塗り込めてしまうような、全部なかったことにしてしまう
ような死の影が怖かった。
本当にゾロを亡くしてしまうのだと、それを認めるのが怖くて怖くて、仕方がなかった。
今こうして、目の前に確かにゾロがいるのに。
いつの間にかサンジは涙を流していた。
ゾロの死体を前にしても、号泣する仲間たちの中にあっても、一粒の涙も湧いて出なかったのに、
今自分はこんなにも涙を流している。
「死ぬな、死なないでくれ。俺はそんな言葉すら、一つもてめえに伝えてねえ・・・」
自分を掴む腕に縋るように頭を凭れさせた。
ゾロのもう片方の手がサンジの小さな頭を抱え、胸に押し付ける。
サンジは両手をおずおずと伸ばし、ゾロの広い背中に回して硬い胸に顔を埋めて泣いた。
さわさわと、風が木を揺らす音が頭上を駆け抜けた。
サンジは我に返って、顔を上げる。
見たこともないほど優しい眼差しで、サンジを見下ろすゾロと目が合った。
急に恥ずかしくなって、乱暴に顔を拭きながら身体を起こす。
随分と、長い間泣いていた気がする。
その間ずっとゾロは、自分を抱き締めていてくれたんだろうか。
どうにも居たたまれなくなって立ち上がろうとするのに、ゾロはがっちり抱きとめたまま、
腕の力を抜いてくれない。
「離せ・・・」
「嫌だ、このままじっとしてろ」
サンジを掴んだゾロの手は暖かい。
硬くもないし冷たくもないし、浅黒くて力強い。
サンジはそっとゾロの胸に手を当てた。
とくりとくりと響くのは、自分の脈だろうか。
ゾロの鼓動だろうか。
ゾロがまたサンジを引き寄せ、背中に腕を回した。
サンジは目を閉じて軽く顎を上げ、降りてきたゾロの唇を受け止めた。
どうせ何も、覚えてやしないんだ。
生き返るのに本気を見せろというのなら、見せてやろうじゃねえか。
俺は男だけども、野郎の為に身を投げ出すほどこいつに惚れているんだと、思い知らせたい。
なにがなんでも連れ帰るんだと、お前が必要なんだと伝えたい。
どうせ、何も覚えてないんだから。
モノ言わぬ死体に告白するよりも余程健全だと、サンジは腹を括った。
「ゾロ、好きだ」
ためらいながらも、自分から唇を合わせる。
サンジの吐息を掬うように、ゾロは軽く歯を立てて舌を絡めてきた。
器用に蠢きサンジの口中を愛撫する動きに、うっかりのめり込んでしまう。
まさかゾロがこんな巧みなキスをするとは、思わなかった。
時に荒々しく時に誘うように内側をなぞり唾液を絡められて、サンジは仰け反って応える。
痺れるような快感に包まれ、身体の力が抜ける。
ゾロは思いの他手際よく、サンジの服を脱がせてしまった。
手馴れてるなと、ほんの少し嫉妬する。
生き返らなきゃ、レディともこんなことできねんだからなと言い訳を探して・・・
いや、死んでてもHできるのかよと感心しながら、草原に身を横たえた。
明るいけれど眩しくはない地底の空を覆うように、ゾロが上から覗き込み、またキスしてくる。
まるで世界のすべてがゾロになったみたいで、サンジは目を閉じてゾロの背中に腕を伸ばし抱き締めた。
いつの間にか風は止み、広がる木々も姿を消した。
上も下も、丘も草原も村も人もすべてが消え去り、自分に触れるゾロだけが唯一となる。
密着した肌の間で、どちらのものともつかぬ鼓動はやがて一つになり、同じリズムを奏で踊る。
絡めた指は溶け合い丸まり、腕から肘にまで融合して混ざり合った。
あわせた唇の中で蠢く舌は、同じ吐息をついて悦びを響かせる。
目も耳も、腕も足も心臓も脳髄も、すべてが重なり、侵食しながら回り、やがて一つの熱の塊となった。
求め得た悦びに涙を流しながら、サンジは声を出してその名を呼び続ける。
もう二度と手放さぬようにと祈りながら―――
気がつけば、サンジは元の草原に座っていた。
ゾロも、同じように向かい合って胡坐をかいている。
慌てて自分の格好を確認するが、黒のスーツ姿のままだ。
「あ・・・れ?」
きょろきょろと見て慌てるサンジの姿を、ゾロはどこかおかしそうに見ている。
「なんだよ」
むっとして睨み付けるとゾロは肩を揺らして笑った。
「てめえ、感度いいなあ」
「なっ・・・」
あまりのことに絶句して、真っ赤になる。
「な、な、今の・・・」
「やっちまったな、気持ちよかっただろ」
「えええ〜〜〜」
じゃあ、さっきのやっぱりSEXか?
確かに気持ちよかったけど、イイばっかりだったじゃねえか。
あんなんで、いいのか?
少々混乱した頭でそんなことを考えていたら、ゾロがズボンについた草を払いながら立ち上がった。
「さて、それじゃ行くか」
「え、どこへ?」
間抜けた質問をするサンジを呆れて見下ろす。
「還るんだろうが、てめえそのために迎えにきたんだろう。早く俺を連れて行けよ」
サンジはまた目と口をぽかんと開けて、慌てて立ち上がった。
「どういう風の吹き回しだよ」
元の風景に戻った黄泉の村を、サンジはゾロと並んで歩く。
「あん?てめえが連れて帰るつったんだろうが」
「言ったけど・・・」
サンジは先ほどまでの行為の照れもあって、そっぽを向きながらごにょごにょと呟いた。
「ここでは嘘や誤魔化しが通用しねえっつったろ。てめえの本気がわかったから一緒に帰るっつってんだ。
あんだけ想われてて、応えねえのは男じゃねえだろ」
歩きながら、うっかりがくんと膝が砕けてしまった。
こいつ、なんて恥ずかしいことを・・・
「そ、そそそそんなことねえぞっ・・・」
「誤魔化すなっつってんだろ」
真っ赤になって言い返すサンジの頭に手をぽんと置いて、ゾロは早足で追い抜く。
「ちょっと待てコラ、万年迷子が先行くな!」
乱暴に怒鳴りながらサンジは慌ててその後を追った。
村の外れに、まるで地の果てのよに壁がそそり立っている。
地上と同じように注連縄が飾られた裂け目のような竪穴があった。
ここから、サンジは降りてきたのだ。
サンジはごくりと唾を飲み込んで、あらためてゾロを振り返った。
腕を組んで珍しそうに中を覗いているゾロは、いつもと変わらぬ姿だ。
こいつは間違いなくゾロだと、改めて確認して一歩踏み出した。
「いいかゾロ、てめえはこっちで酒飲んじまったらしいから、そう簡単に生き返れねえらしい。
ちゃんと俺の言うことを聞けよ」
ゾロは真面目な面持ちで神妙に頷く。
記憶がない分、サンジに無駄な反発もしないので話は早い。
「てめえは生前から天才的な方向音痴だ。恐らく死んでも直ってねえ、だから・・・」
ちょっとためらって、それでも真っ直ぐにゾロに向かって手を伸ばす。
「この手、ちゃんと掴んで俺に着いて来い。途中で寄り道したり手離してどっか行くんじゃねえぞ」
「迷子かよ」
「迷子なんだよ!」
ゾロは抵抗なくサンジの手を握った。
でかくてがさついていて、暖かい。
そんな手でぎゅっと握られただけで、サンジの心臓は3mm程飛び上がってしまった。
その後も口から飛び出そうなほど、浮かれて踊っている。
動揺を隠して、サンジはゾロの手を引いて穴の入り口へと進む。
「こっから一歩入ったら、俺は絶対に後ろを振り向けねえ。振り向きそうになったら怒鳴ってくれ」
「わかった」
「・・・頼む、ぞ」
サンジはもう一度ゾロを見返す。
ゾロは相変わらず不機嫌なんだかそうでもないんだか判別しがたい仏頂面で、ちょこんとサンジに手を繋がれている。
その様がなんだかおかしくて思わずサンジが表情を緩めたら、ゾロは口端を上げて握る手に力を込めた。
「心配すんな。てめえのために、俺は必ず戻る」
途端、またバクバクと心臓が跳ねる。
「ば、か野郎っ、恥ずかしいこと言うなボケ!」
悪態だけついて、勢いで暗い闇の中に突進した。
来たときと同じように、暗闇の中をなだらかな坂が続く。
今度は左側に傾きながら、ゾロの手を引いて慎重に昇って行った。
「てめえが帰ったら、みんな喜ぶぞ」
「みんな?他にも仲間がいるのか」
「ああ、いるさ。
暗く丸く柔らかなトンネルの中を、静かな声が響く。
「船長は大喰らいの馬鹿だが、すげえ美女が二人もいる。あと鼻の長いのとトナカイがいるぞ」
「・・・」
「ナミさんの悲しむ姿は辛かった。早くみんなにてめえを会わせてえ」
「・・・」
「おい?」
返事がないので、立ち止まってうっかり振り返りそうになってしまった。
いかんいかん。
繋いだゾロの手を確かめるように握ってみた。
ゾロは握り返してこない。
俄かに不安になったが、サンジはそれを無視してまた早足で歩き始めた。
ゾロはついてきているようだ。
「てめえみてえな、昼寝と鍛錬しか能のねえ役立たずでも、死んじまったら皆悲しんだんだ。ありがてえと思えよ」
物言わぬゾロを連れて、黄泉の坂をひたすら昇る。
大丈夫、ついてきている。
手を繋いでおいて本当によかった。
繋いだ手の感触がほんの少し変わってきた。
サンジの背中を冷たい汗が浮いて流れる。
ゾロの手がするりとすべり落ちそうで、握る手に力を込めた。
さっきまであんなに暖かく弾力のあった手が、やけに固い。
そして氷のように冷たくなっていく。
「なんだゾロ、てめえ冷え性か」
冷え性の剣豪ってちょっと笑えるけど、だから腹巻愛用してんのかな。
そう考えるとおかしくなった。
不意に空気が揺らぎ、足元から風が吹き上げた。
サンジは思わずう、と唸って息を止めた。
臭え―――
なんとも言えぬ、嫌な匂いだ。
後ろから漂ってくるこれは、明らかに腐臭。
サンジはゾロの手を握り直した。
さっきまで人形のように固かったそれが、ぐにゃりと手の中で形を変える。
「・・・!」
親指で押した部分にそのまま指が減り込んだ感触がする。
腐臭は益々強くなり、サンジは込み上げる嘔吐感に必死で堪えた。
繋いだ手にうっかり力を入れると、その分だけゾロの手の面積が減っている。
まるで粘土を握り潰すような感じで、しかもなにかがちろちろと這い回る感覚もある。
振り向いちゃ、いけねえ。
立ち止まって確認することはできない。
だが、今サンジの片手にはあきらかになにがが蠢いている。
小さくて細かな、恐らくは虫のようなものがうぞうぞと這っている。
想像するのさえ怖くて、サンジは前を向いたまま殆ど駆け足になっていた。
それでも、ゾロの手は決して離さない。
その手を伝って恐らくは何十匹もの蛆虫がサンジの腕を遡ってこようとも、この手は絶対に離さない。
また後方から吹き付ける風に乗って、不気味な声が届いた。
『置いていけ』
「ああ?」
サンジは前を向いて走りながら、大声で返事する。
『置いていけ、その男の代わりに』
「ああ?何をだ?」
返事はない。
ただ『置いていけ』の声が、いくつ重なっては木霊のように何度も何度も鳴り響く。
そういえば、自分の大事なものと引き換えとか何とか言っていたっけか?
サンジは片手で胸ポケットを探って、タバコを取り出した。
「これで勘弁してくれ」
後ろに向かってぽいと投げる。
途端、声は途切れた。
「・・・タバコで、いいのかよ」
ほっとして、少し歩を緩めた。
降りてくるときも相当の距離を歩いたのだ。
昇りもかなり先は長そうだ。
しばらく歩くと、また下から風が吹いてきた。
『置いていけ』
「・・・またかよー・・・」
今度は何を置いていけばいいのか。
前を向いてひたすら歩きながらライターでも取り出そうかとしたとき、がくんとバランスを崩した。
誰かが、サンジの右足首をいきなり持ったのだ。
転倒は免れたが、それ以上動けずに膝をつく。
「離せよっ」
振り向いて蹴りつける訳にはいかない。
『置いていけ・・・』
サンジは舌打ちすると、身体を起こした。
「わあったよ、くれてやる。」
すると足首を握った感触が消えた。
躊躇いながら足を踏み出すが、右足の感覚がまったくなくなってしまっている。
歩けないことはないが、早く歩くことはできない。
「くそったれ・・・」
それでも進めないことはない。
サンジは足を引きずりながら、ひたすらに上を目指した。
どれくらい昇っただろうか。
ほんの少し左へ傾斜しながら昇っているはずなのに、昇っているのか降りているのかわからなくなってくる。
ちゃんと真っ直ぐ昇ってんだろうな。
もしかして、また黄泉に降りてるんじゃねえだろうな。
たまらなく不安になった。
来た道を確かめたいが振り向くことはできない。
振り向けば、きっと終わりだ。
「くそったれ・・・」
気が遠くなるほど長い時間が歩いた後に、目の前に緩くなだらかなカーブがほんのり浮かび上がってきた。
光だ。
もうすぐ、出口だ。
不意にざあっと風が吹く。
『置いていけ』
またしても足が止められた。
どうしても身体が動かない。
もう少しで出口なのに、ゾロを生き返らせることができるのに。
『置いていけ・・・』
「なにをだよっ」
『その男を、置いていけ』
それはできない。
ゾロを連れ帰るためにここまで来たのだ。
『その男を連れ帰ったところで、お前とのことは覚えていないぞ』
「なに?」
声が、初めて意図を持って話しかけてきたので、サンジは思わず聞き返した。
『生き返ったら黄泉でのことは忘れる。お前は覚えているだろうが、その男は忘れる。せっかく伝えたお前の想いも、
全部なかったことになるだろう』
サンジは前を向いたまま鼻で笑った。
「そりゃあ好都合だ」
『そうではなかろう。やっと伝えた想いをこの男に受け入れられて、お前はあんなに悦んでいたではないか』
カッとサンジの頬に赤みが差した。
何もかも知られているようで、腹立たしい。
「うっせえ、てめえに関係ねえ」
『どうせなかったことになる気持ちだ。それを置いていけ』
「なに?」
うっかり振り向きそうになって慌てて視線を戻す。
声が後ろから覆い被さるように届く。
『この男の代わりに、この男を想う気持ちを置いていけ。この先それは、お前の枷となろう』
サンジは前を向いたまま、唇を噛み締めた。
サンジの手の中で、ゾロの腕は細く固く尖り、カラカラと乾いた音を立てている。
もう一度、あの力漲る腕で刀を振るうことができるなら、恐れを知らぬ瞳で敵に立ち向かう背中を見ることが
できるなら―――
俺の想いなんて、なんの価値もない。
「いいだろう、くれてやる」
途端、目も眩むような光に包まれた。
サンジは目を閉じて、光の中に足を踏み入れた。

