その瞬間が、目に焼きついて離れない。


白い閃光に包まれる身体。
きな臭い煙
動かない腕
閉じた瞳

呆気なく、すべてが終わった。

























海賊との小競り合いがなければ或いは、その村の存在には気付かなかっただろう。
ログポイントではない島並みを抜ける途中で襲撃に遭い、停泊を余儀なくされた小さな島。
GM号の損傷はそれほどではなかったが、そこでひっそりと暮らす村人達と出会った。
彼らはルフィ達を温かく受け入れ、もてなしてくれた。

最近この海域に海賊が住み着いて、通りかかる船を襲うのだと言う。
先の戦闘相手がその海賊達だったので、村長は是非にともルフィに頭を下げた。
我が村の巫女が海賊たちに捕らわれている。
どうか手を貸していただきたい。
一宿一飯の恩義だと、ルフィは二つ返事だった。
喧嘩を仕掛けられて充分やり返さないうちに相手に逃げられていたのでゾロも異存はなく、
巫女と聞いてサンジは積極的に腕を上げた。
そして日暮れを待って、ルフィ達は海賊の根城へと向かった。





奇襲攻撃を得意とする矮小な海賊では、所詮麦藁海賊団の敵ではない。
あっという間にアジトは破壊され、船は沈められた。
先に飛び込んだゾロに遅れを取って、サンジは後から後から湧いて出る雑魚の始末に追われていた。
砂浜から振り返れば、ちょうどゾロが巫女らしき女性を携えてアジトから飛び出して来るところだ。
「ちっくしょ〜、うまくやりやがったな、あんにゃろう!」
大丈夫ですか、お嬢さん!と最初に助け出すのは自分の役目だったはずだ。
それをよりによってゾロに先を越されるなんて、ラブコックの名が廃る。

サンジは最後の数人を一気に蹴散らして、ゾロの・・・もとい巫女の元へと駆け出した。
ゾロは女を背後に庇い、敵船の甲板の上で数人に囲まれて刀を構えている。
この程度なら敵でもないと、鼻で笑ったその刹那―――
サンジの眼前が白く光った。












一瞬何も見えなくなる。
目が眩み両腕で顔を覆ったサンジは、少し遅れて熱い爆風を受けた。
咄嗟に身を屈めその場に跪く。
耳を劈くような爆音と風圧。
細かい破片がバラバラと降り注ぎ、あちこちに痛みが走る。

なにが―――
まるで一瞬の嵐が過ぎ去ったかのように、ふいと凪いだ空気に顔を上げて、白く煙る景色の向こうに目を凝らした。
海から風が吹いて、きな臭い匂いと共に視界が晴れる。

敵船は粉々に割れていた。
手や足をもがれた海賊たちが血塗れで倒れ、ゾロ達がいた辺りは大きく穴が空き黒い煙が立ち上っている。
その光景を目にして、サンジはそのまま立ち上がることができない。




まさか、そんな―――
一体何があったのか。
なにが、爆発した?

震える膝をなんとか立てて、サンジは這うように前に進んだ。
何度も砂に足を取られ、転びながら走る。
吹き飛ばされた男達の中に、緑色の髪を見つけた。
白いシャツ。
腹巻だって、ちゃんと緑だ。

「クソ腹巻!」
うまく叫べなくて、とにかく走る。
他のやつらと同じように血塗れで転がっている。
だけどあいつは大丈夫。
だって、マリモなんだから―――



「おい、ゾロっ・・・」
砕けて斜めに傾いだ甲板に乗り上げ、その傍に駆け寄る。
うつ伏せで目を閉じた顔は血に塗れているが、いつものように仏頂面だ。
ああ、やっぱり大丈夫だ。
そんな不機嫌な面して、硬く目を閉じて眉間に皺を寄せてやがる。

「こら、ドジりやがったな、ざまあみろ」
サンジは四つん這いになってゾロの傍へ寄った。
なぜだかうまく足が立たない。
腕だってがたがたと震えている。
大丈夫だ。
だってこいつは、筋肉の塊で―――

「おい、敵がみんな寝てるからって、てめえも寝てんな。起きろ」
うつ伏せで倒れた身体を抱き起こした。
もの凄く重い。
一度にはとても持ち上げられない。
「くそ、重てえぞてめえ。無駄に筋肉ばっかつけやがって・・・」
殺したって死なねえような、ゴキブリ並みの生命力なんだ。

「おい、起きろよ。寝てんじゃねー・・・」
例え頭半分なかったって
「戦いは終わってねーだろ、レディはどこだ」
絶対死んだり、するはずねえ―――

「おいっ!」
力任せに引っ張れば、ぐらりと仰向いてサンジの身体に凭れかかった。
白いシャツがみるみる血に染まる。
飛び散った脳漿が膝の上に零れて、サンジは慌てて拾い集めた。
「おいおい、行儀悪いなおい。ちゃんと集めねえと、後でチョッパーに元通り入れてもらわねえと・・・」
指が震えてうまく拾えない。
なんだこの白い塊は。
いくらなんでも血がいっぱい出すぎじゃねえのか。

「おい、起きろよ」
あんまり強く揺り動かして、これ以上中身が零れちゃ後が面倒だ。
そう思ったから、サンジはゾロの耳元で囁いた。
「起きろって。踵落とし決めねえと、起きねえのか。なあ・・・」

どこかで誰かが叫んでる。
ひどい金切り声を上げている。
一体なんだろう。
サンジはゾロを胸に抱えたまま呆然と顔を上げた。


砂浜から、ナミが真っ青な顔をして駆けてくる。
ああ、転んだ。
大丈夫かな、ナミさん。

「サンジ君!」
ああ、ナミさん。
俺?
俺じゃないよ。
ゾロだよ。
ゾロが起きねえんだよ。

ナミも同じように這い蹲って甲板まで上がってきた。
綺麗な大きな瞳から、涙がぽろぽろ零れている。

「ナミさん・・・」
サンジは困ったように顔を傾けた。

「ナミさん、こいつ起きねえの」
腕の中、ゾロの身体はどんどん硬く冷たくなっていく。
「ねえナミさん、寝てる場合じゃねえのに・・・」



途端にナミはわっとその場で泣き崩れた。
その背後から、ルフィが、ウソップが、チョッパーが駆けてくる。

それなのに、ゾロが起きない。
























いつもは賑やかなGM号のラウンジは静まり返っている。
時折聞こえるのは、押し殺したチョッパーの泣き声だけだ。
堪えようと、我慢しようと努力して、それでも漏れる息を殺して、俯いたまま身体を震わせている。
その隣でウソップは椅子に座ったまま目を見開いて床を凝視し、ナミは机に突っ伏したまま動かない。
ルフィは、船首に跨って海を見ている。

「・・・うく、おで・・・おでっ・・・」
どうしても耐えられなくて、チョッパーは声を出した。
「おでがもっとっ・・・いい医者だったらっ・・・」
「馬鹿言え。いくら優秀な医者でも、頭半分失くした男を生き返らせるなんて、できっこねえだろ」
穏やかにそう遮って、サンジは大皿を両手に軽やかに振り向いた。
さっきからずっとキッチンに向かって料理していたのだ。

「まあ、もう済んだことだ。とにかく飯を食え。食ってからでないと力が出ねえだろ」
そう言ってテーブルの上に料理を並べ皿を用意する。
ウソップは錆び付いたロボットみたいに、ぎこちなく首を巡らした。

「・・・なに、言ってんだ。サンジ」
信じられないと、大きな目をさらに見開く。
「何言ってんだよサンジ。飯食えって、なんだよそれ。ゾロが、ゾロが死んだんだぞ!」
「うっせえなあ、わかってるよ。大きな声出すな長っ鼻」
サンジは耳を穿って見せて、踵を返した。
またキッチンに向かう。

「おい!わかってんのかサンジ!飯なんか食ってる場合じゃねえだろうがっ」
怒鳴り声が掠れて歪む。
興奮でぶるぶる震えるウソップの目から、大粒の涙がほろほろと流れ落ちた。
「ゾロが、死んだんだぞ。ゾロが、ゾロが・・・」
うつ伏せていたナミが、大きくしゃくり上げた。
震える肩を両手で抱いて、身を丸めて膝を立てる。
「誰も、誰も死なせないって、ぢがっだのにっ・・・」
チョッパーも、涙と鼻水を盛大に垂らしながら血を吐くように叫んだ。

途端にラウンジが号泣に包まれる。
サンジは振り返りシンクに凭れると、ポケットからタバコを取り出し火をつける。
横を向いて煙を吐き出し、腕を組んだ。

「お前のせいじゃねえよ、チョッパー。誰のせいでもない」
ウソップは拳を握り締め、サンジを睨み付けた。
「お前、なんでそんなに冷静なんだ。そりゃあ、お前らは仲間同士でも気が合わなかったかもしれねえ、
 喧嘩ばっかししてたし、気に食わねえ相手だったかもしれねえ、けど―――」
ぶわりと湧き出る涙を拭って、ウソップはサンジの胸元に掴みかかった。
「ゾロは、ゾロは死んだんだぞっ、もう、死んじまったんだ・・・なのに、なんで・・・」
サンジは咥えていたタバコを指に挟んで、困ったように顔を背けた。
口端からゆっくりと煙を吐き出す。

「死んじまったもんは、仕方ねえだろ。生きてるもんは、食わなきゃなんねえ」
「お前っ!」
ウソップの拳がサンジの頬に打ち付けられた。
薄い身体が跳ねて、床に尻餅をつく。
「ウソップ!」
チョッパーが悲鳴みたいに叫ぶ。
「ウソップやめろ!これ以上やめてくでっ」
泣きながら取り縋られて、ウソップは震える拳を握り締めたまま、サンジを見下ろす。
サンジは口元を袖で拭うと、あーあと間の抜けた声を出した。

「しょうがねえな。俺あロビンちゃんと交替してくるわ」
だからちゃんと食っとけよーといい置いて、ラウンジを出る。

ウソップはその後ろ姿を見送ってから、思い切り泣き声を上げた。












「お疲れ様ロビンちゃん。交替しよう」

明かりを落とした医務室の白いベッドに、ゾロは横たわっている。
枕元に座ったロビンは、サンジの声に一呼吸遅れて顔を上げた。
いつもは無表情な横顔が、少し窶れて見える。

「ありがとう、コックさん」
「少し遅くなったけど、ラウンジに夕食を準備してきたよ。皆で食べて。できれば、ルフィも」
サンジはそう言い、ドアを明けたままロビンに立つように促す。
ロビンは素直に従って、サンジの横をすり抜けた。

ふと立ち止まり、振り返る。
「ねえ、コックさん」
だがサンジは薄く微笑みを浮かべたまま、ロビンを見送る仕種を見せて応えない。
ロビンは黙って、扉を閉めた。










ロビンの足音が遠ざかり、サンジは改めてゾロを見下ろす。
綺麗に拭き清められた身体からは、まだ血の匂いが漂っている。
頭と肩から胴体は包帯だらけだ。
せめて形だけでもと、チョッパーが整えてくれた。

「それでもてめえ、丈夫だったんだってよ。なんせあんだけの爆発で、後ろが抉れただけだったからなー・・・」
普通なら手足もバラバラだろうけど、ちょっと損傷しただけだったのだ。
頭の半分と背中一面ぐらいで。
手だって足だってちゃんとついてる。
まだ刀振り翳して戦うには充分パーツが残ってるじゃねえか。
普段から、脳味噌なんて使ってなかったんだから、なくったっていいじゃねえか。

「なのになんで、起きねえの」
サンジの声が、闇に浮かんでは消える。

「飯時はちゃんと起きろって、口が酸っぱくなるほど言っただろうが。てめえだって耳ダコだってぼやいてたろうが、
 最近やっと自分から起きてくるようになったってのに・・・」
椅子に座って片足を組み、タバコに火をつける。
ゾロの白い顔がちらちらと揺れた。
「なーに大人しく寝てんだっての、起きろコラ」
サンジはゾロの横顔に向かって煙を吐いた。

口元を真一文字に引き結び、一直線な眉はほんの少し寄せられている。
「こんなときまでしかめっ面で寝てんじゃねー、オロすぞ」
サンジはゾロの眉間に指を這わせた。
思ったよりつるんとしている。
生きてたら、絶対触らせてはくれなかっただろう。
眉を辿り、頬にも触れた。
傍に寄るだけで暑苦しい男だったのに、ひんやりとして硬い。
弾力がなくて作り物のようだ。

「やっぱ偽者だな。こんなんマリモじゃねー」
サンジはおかしくなって、笑った。
笑いながら肩を揺すった。
おかしくて、仕方がない。

「おいこら、マリモ人形。よくできてんなこれ。俺の玩具に貰っちゃおうか」
サンジはくしゃりと顔を歪めた。
「なあ、触っちゃうぞ。お前のほっぺにチューとかしちゃる。どうだ、嫌だろう」
硬く閉じた瞳、鼻筋の通った顔。
緑色の髪の生え際も、明かりと共にちらちら揺れる。
「こらなんとか言え、寝てる場合じゃ・・・ねえんだよ」
サンジは拳骨で、ゾロのこめかみをゴンと小突いた。
石ころを殴ったように、重く鈍い。
「おい起きろ、てめーはこんなとこで、終わる男じゃねえだろうが」
サンジはゴツン、ゴツンと小さく小突く。
その度、ゾロの鼻梁が揺れた。
だがそれ以上動かない。

「なあ、ゾロ―――」
サンジの声が掠れて、それを誤魔化すように唾を飲み込んだ。
こんなことは、あっていいはずがない。

「なあ、びっくりとかさせんだろ。その手は食わねえぞ。俺を心底驚かせてみろよ」





目の前で、白い光に包まれた。
その命が一瞬で尽きるのを、この目で見たのに。

「起きろって、茶番は終わりだ」
その腕の中で、急速に体温が奪われていったのに。
「てめえは鷹の目ぶった斬るんだろうが。世界一の大剣豪になって、天国までその名を轟かせるんだろうが。
 こんなところで、なにやってる」
ちんけな海賊相手に、海図にも載ってないような小さな島で。
「こんなとこで、終わっていい訳、ないだろ。早く起きろっ」
サンジはシーツを握り締め、ゾロの耳元で低く怒鳴った。

消毒薬の匂いしかしない、ただの物体。
モノも言わず何も見ず、誰の声も届かない。
ただの屍体に。

「ゾロっ・・・」
サンジは苛立って、ゾロの喉元にタバコの火を押し付けた。
じゅっと小さな音を立てて紫煙が上がる。
だけどゾロは動かない。

「・・・ゾロ」
なにすんだって、怒鳴れよ。
てめえこのクソコックって叫んで、刀振り上げて、俺のこと睨んで―――




サンジはがくりと肩を落とした。
目の前には、ゾロはいない。
ここにあるのはただの死体だ。
ゾロはどこに行ったんだろう。

ずっと告げるつもりはなかった。
もしもここで生き返ったって、絶対言ってやるつもりはない。
だけど、ほんとは―――





「ずっと、てめえが好きだった」



ここにいるのはただの死体だから、だから今だけ言ってやる。

「好きだよ、ゾロ。」
囁きは闇に溶ける。


サンジは身体を傾けたまま、モノ言わぬ死体をただ見つめ続ける。

何故だか、涙も出やしない。




















堰を切ったように慟哭する声が響き渡るラウンジに、ロビンは足を踏み入れた。
悲しみに覆い尽くされたような空間にあって、テーブルの上だけは暖かな湯気の立つ料理が並べられている。
その異様な光景に、ロビンは己の哀しみを新たにした。

「ロビ・・・、サンジくん・・・はっ・・・」
ナミがしゃくり上げながら、幼い子どものようにたどたどしく問うてくる。
ロビンは静かに首を振り、眉を顰めた。
「もう、私の声も彼には届かないわ」
それを聞いてまたナミの目に新たな涙が盛り上がった。

ウソップとチョッパーはお互いを抱き締めながら、必死に声を殺そうと努力している。
その時。「誰だ?」唐突にルフィの声が届いた。
少しして、どたどたとラウンジに駆けてくる足音がする。

「おい」
ラウンジの扉を開けて覗くルフィの顔は険しい。
「村の人が、来たぞ」
ナミとロビンは顔を見合わせ、ウソップは鼻水を啜って顔を上げた。













「申し訳、ありませんでした」
村長と若い娘が手をついて頭を下げる。
砂浜では、村民たちが跪いて同じように土下座していた。
「よもや巫女が、あのような振る舞いに出るとは思いもしませんでした。誠に、なんと申し上げればよいか・・・」
ナミは何か言いそうに口を開けて、何も言わず口を閉じた。
先ほど激昂していたウソップもサンジに当り散らしたせいか、今は冷静に座っている。

「どうしてあの女性は、自爆なんてしたの?」
代わりにロビンが静かに問いかける。
村長の隣の少女が、悲しげに顔を伏せた。
「姉は・・・巫女は恐らく穢されたのだと思います。私たちの両親は、海賊の手にかかって命を落としています。
 姉は人一倍海賊のことが嫌いだった・・・」
そう言ってはっと顔を上げ、申し訳ありませんと再び頭を下げる。
「仕方ないわよ、あちこちで好かれる海賊なんてないわ。私だって海賊は大嫌い」
ナミはそう言い、哀しげに目を伏せる。
「それに、あんた達に謝ってもらったって、もうゾロは、帰ってこないっ・・・」
言葉が詰まって、代わりに嗚咽が漏れた。
口元を手で押さえ、横を向く。



守るべき女だと思って、ゾロは背に庇ったのだ。
傷一つない美しい背中を曝して、敵に立ちはだかった。
まさか、背後で自爆されるなんて、思いもしなくて。

「でもだからって、いくら海賊でも・・・助けた相手まで巻き込んで死ぬこと、ないでしょう!」
どうしても抑え切れなくて詰ってしまう。
ロビンはナミの肩に手を添え、軽く抱き締めた。
村長は甲板に手をついたまま、静かに顔を上げる。

「あの方を、生き返らせる方法は、あります」
は、と全員の動きが止まった。
村長はもう一度ゆっくりと、だがはっきりと言った。

「生き返らせる方法は、あるんです」










「サンジ君!」
バタンと乱暴に扉を開ける音に、だがサンジはすぐに反応しないで俯いていた。
「サンジ君サンジ君サンジ君っ!」
「はい、はいはいはいナミさん、なんでしょう」
今気付いたと言う風に暢気に振り向く。
目の焦点は、合ってない。
「サンジ君、ゾロはっ」
「え、ゾロですか?えーっとどこか行ったっけか?」
「馬鹿、何言ってんのっ」
噛み合わない会話を置いておいて、ナミはサンジの肩に手をかけた。

「いーい、よく聞いてサンジ君。ゾロを、生き返らせるの」
真正面から見つめるナミさんも素敵だ〜、なんて小さく呟き、それからん?と首を傾げた。

「え、今なんて?ナミさん・・・」
「ゾロを、生き返らせるのよ。サンジ君!」
ナミはもう一度力強く言った。











村の外れに、仰々しく注連縄を張られた小さな祠があった。
入り口は狭いが中へ進むほど広くなり、やがて巨大な地底湖が姿を現す。
どこからか光が差し込み蒼く幻想的に浮かび上がる清らかな泉に、ゾロの遺体を浮かせた。
まるで吸い寄せられるように湖の中ほどまで流れて、沈むことなく留まっている。
神聖な雰囲気に気圧されたように、皆黙りこくってその光景を見つめていた。


「このカムサの地では、『死』と言うものは存在しません」
決して大きくはない村長の言葉が、深く響く。
「肉体を失った者の魂は黄泉へと降り、そこで暮らすのです。この島で命を失うとはそういうことです」
「他所から来たものでも?」
静かに頷く村長を、ロビンは湖底の淀みに似た瞳で見返す。
「と言うことは、ここで『死』を司るのは時間ではなく場所だということかしら」
「・・・恐らくは。」
よくわからない会話に、ナミは間できょろきょろと首を巡らせた。

「私たちが最も恐れるのは、愛する家族が結婚や旅立ちでこの島を離れることです」
娘が、遠慮がちに言い添えた。
「この島から離れて命を落としたなら、もう二度と会うことは叶いません。それは永遠の別れであり、
 私たちにとっての本当の『死』です」
「と言うことは、この島で死んだのならもう一度、会うことができるということ?」
「はい、黄泉で暮らしていますから」
娘は湖の傍らにある、新たに注連縄を張られた亀裂のような横穴を手で指した。
「そこから、黄泉に降りることができます。ただし、その結界に一歩足を踏み入れた時からそこは死者の国です。
 入る時は相応の覚悟をしなければなりません」
「我らは、古来より死者の国があまりに身近にあったが故に、自ずと厳しい掟を設けました。死者を甦らせるのは
 年に一度。たった一人です」
「その権利を、今回私たちに譲ってくれるってことね」
そう言って、ナミははっとして娘を見た。
「けど、本当はあなたのお姉さんを優先したいんじゃないの?」
娘は静かに微笑んで頭を振る。
「いいえ、自ら黄泉を選んだ者を迎えてはいけません。それに姉は向こうで両親と共に幸せに暮らしていると
 思います」
だから、いいのですと小さく呟き、硬い面持ちで顔を上げた。

「ただし、迎えにいく者はたくさんのことを気をつけなければなりません。特に、迎えに行った黄泉で
 死者がすでに黄泉の食べものを口にしていた場合は、大切なモノを失くすことになるでしょう」
村長はナミの前に手を翳し、ゆっくりと指を折りながら言った。


「ひとつ、迎えに行ったものは黄泉のモノを口に入れてはなりません。ふたつ、黄泉から死者を連れ出すときは、
 この注連縄を潜るまで絶対に後ろを振り返ってはなりません。この二つのことが守れない場合は、迎えに行った
 者も黄泉に引き戻され、こちらへ戻ることは二度とないでしょう」
クルーたちは顔を見合わせた。
黄泉の食べものを食べてはいけないという条件で、すでにルフィはアウトだ。

「迎えに行くのは一人で?」
「はい、一人だけです」
ナミとロビンが顔を見合わせる。
ウソップもチョッパーも、果敢に前を向いてはいるが、足元が震えていた。
今までずっと後ろで聞いていたサンジが前に進み出る。

「ルフィは論外だし、ウソップもチョッパーも一人じゃやだろ。レディを危険な目に遭わせるわけにはいかねえ。
 俺しかいねえだろ」
「い、いいいや俺が行くぞ!ちゃんとゾロを、連れ戻してくる!」
ウソップが震えながら叫んだ。
だがサンジは火のついてないタバコを咥えると、口端を上げて笑う。
「てめえじゃ、引きずられてあの世に留まるのがオチだろ。大丈夫、ちゃんと連れて帰って来るって。もしも駄目なら、
 ゾロを見捨てて俺だけ帰ってくるさ」
一番恐れるのは、迎えに行った仲間も戻れなくなることだ。
その点、サンジなら容赦なくゾロを見捨てることもできるだろう。


「サンジ、頼むな。絶対帰って来い」
「まかせろ、キャプテン」
サンジはポケットに手を突っ込むと、散歩にでも出かけるように注連縄の下を潜った。
後ろから村長が声をかける。
「黄泉に住む死者は生前のことは何一つ覚えていません。そのことも承知しておいてください」
「了解」
サンジは軽く片手を上げて、裂け目のような暗い穴へ姿を消した。












目の前は真っ暗だ。
サンジは明かり代わりにライターに火をつけた。
一瞬辺りが浮かび上がる。
先へと続く穴はなだらかで、躓いたり当たったりしそうな突起もない。
やや右曲がりに続いている。
サンジはとりあえずタバコに火をつけて、壁伝いに歩を進めた。

石ころや砂利があるわけでもない、一枚岩をくり貫いたかのようななだらかな傾斜がずっと続いている。
常に右に傾いで歩いていく。
確かに坂を下っているはずなのに、昇っているのか降りているのかわからなくなる感覚だ。
どれだけ歩いても先は見えない。

「えーと、何も口にしちゃいけねえんだよな。それから帰りは振り向かねえっと・・・まあ、これだけ明確な一本道なら
 迷子にゃあならないだろう。」
それでも迷うのが、あいつの才能だよなと口元に笑みを浮かべる。



本当に
本当にこの先を行けば、ゾロに会えるのだろうか。
硬く冷たいモノ言わぬ屍体ではない、あの生意気で尊大なゾロに。
あの男に、もう一度―――

眉唾物だと笑い飛ばす余裕もないほど、サンジの胸は期待に満ちていた。
どんな茶番だって、ゾロと再び会えるのなら地獄の底まで付き合ってやる。
例え一時の夢であっても―――

うっすらと緩いカーブが目に見えるようになって来た。
この先に、光があるのだ。
サンジは一歩一歩足を踏みしめ、先を急いだ。














唐突に視界が開ける。
地底とは思えないほど光が溢れ、柔らかな風の吹く広場に出た。

木々が生い茂り、広場から丘へと続き家並みが見える。
上を見上げれば空かと見まごうほど遠いところに、岩壁がある。
やはり地の底なのだ。
それにしても、広い。

「すげーな・・・」
サンジは感嘆の声を上げて、タバコを揉み消した。
木立の中に、和やかに話しながら歩いている若いカップルの姿がある。
丘を登り村を見下ろせば、家々から煙が立ち上り、多くの人が生活しているのが見えた。
なんとなく、年寄りが多い。
子どもの姿は見えない。

村へ向かって坂道を降りると、途中恰幅のいい男とすれ違った。
どこかで見たことがあるような・・・と思い起こしてはっとする。
自分が倒した海賊だ。
やはりこの地で死んだ者は、ここに来るのだ。
男は生前の凶悪な人相と見間違えるほど穏やかな顔で、一人ゆっくりと歩いている。
記憶がなくなるというのは、本当らしい。

村へ入ると、皆穏やかに微笑みながら黙って会釈してくれる。
まるで時間の流れがないような、ゆるやかな雰囲気。
争いも痛みもない、永遠の平穏。

木でできた簡単な家の窓から、楽しげに食事する家族の姿が見えた。
両親に囲まれて楽しげに会話する女性。
彼女だ。
と言うことは、ゾロはこの近くにいるのだろうか。



村の外れにまた小高い丘がある。
一際高くそびえる木の根元に、男が一人座っていた。
どきん、とサンジの胸が鳴る。
鍛錬するでも身構えるでもなく、あんな風にぽつりと座る姿に強烈な違和感を抱きながら、サンジは丘を駆け上った。




 



螺旋の向こう

-1-