Bon appetit!

-人買いと火を噴く竜のおはなし- 6

地響きのような吠え声と共に、火炎が吐き出される。
熱風が部屋の壁を撫で、カーテンが燃え上がった。
「火がっ火が!」
「早く火を消せ!」
慌てふためく男達を前に、火竜は唸りを上げて尻尾を振った。
風圧だけで数人が吹き飛ばされる。
「畜生!」
闇雲に銃を撃ったが、すべて鱗に弾き返された。
そんな男達を睨み付け、鉤爪の付いた足を踏み下ろす。
火竜は男の2倍くらいの背丈で、決して大きくはない。
けれど力が強過ぎて、とても制御仕切れなかった。
「化け物め!」
天井まで燃え広がった炎が黒煙を吐き出す。
奥の部屋から閉じ込められている“商品”達の悲鳴が響いた。
「火事だ!助けて」
「出してーっここから出して!」
火竜は構わず炎を吐き散らし、消火を諦めた男達は我先にと逃げ始めた。

「おぉい!」
サンジは床に伏せたまま、声を張り上げる。
「大丈夫だ!もう大丈夫だから、元にっ」
いくら叫んでも、巨大な竜には聞こえない。
床を撫でる熱風に煽られ、サンジはその場で数度転がった。
「くそ、ガキ…」
真上に竜の足が下ろされるのを覚悟して、サンジは丸くなって身を竦める。
「元に戻れよー!」
力の限り絶叫し、頭を抱えた。


目も眩むような一閃が辺りを白く染める。
と共に、どこから心に染み入るような声が響いてきた。
―――珠玉は己の心にある。愛しきものをしかと見よ・・・
グフウ・・・と低く唸り、竜は宙空を見上げた。
―――小さき声に耳を傾け、愛しきものをその手に守れ。
ふいっと空気が横凪に揺れた。
風圧はあるのに吹き飛ばす威力ではない、すべてを包み込むような柔らかな力。
ちろちろと床を舐めていた炎が、徐々に小さくなっていく。
―――己を傷つけるものより、己が傷つけるものを見よ。呼ぶ声が聞こえぬか。
愛しきものは―――

竜が、じっと足元を見下ろした。
長い首を屈め、床に這い蹲るようにして鼻先を近付ける。
鋭い爪が付いた両手をそっと寄せ、手の平を上げた。
愛しきものをその手に抱き、元へと還れ―――

サンジは、横たわったまま目を見開いた。
ゆっくりと竜の両手で抱かれ、持ち上げられる。
己が吐く炎を全身に纏わせながら、竜の身体は輝くような赤に染まった。
けれど熱くはない。
恐ろしくもなかった。
竜の目は銀色に輝きながら、しっかりとサンジの姿を捉えている。
勇気付けるように微笑み頷き返せば、竜は一声小さく鳴いた。
そのまま竜の姿はしゅるしゅると縮み、やがて裸の小さな男の子となって目の前に現れる。
いつの間にか炎は消え、きな臭い匂いだけが部屋の中に充満していた。

「・・・おい」
「あれ?」
サンジを大切そうに両手で抱え、少年はキョロキョロと辺りを見回した。
「あれ、僕・・・」
「大丈夫か」
お互いに目をぱちくりとしながら見詰め合っていたサンジと少年は、はっとして声がする方を振り向いた。
「ゾロ!」
刀を納めながら歩み寄るゾロがそこにいた。



「随分と派手にやらかしたな」
ゾロはほとんど丸焦げになった部屋の中を見渡し、少年の手からそっとサンジを受け取った。
「あの、僕・・・」
「シュライヤ!」
ゾロの後ろから、痩せた女性が現れる。
その声に弾かれたように振り向いて、少年は立ち上がった。
「母さん!」
「あんたって子は・・・!」
女性は涙ながらに駆け寄って、しっかりと少年を抱いた。
少年も声を上げて泣きながらその身体にしがみ付く。
「母さん、ごめんなさい母さん!」
ゾロの手の中でその光景を眺め、サンジはほうと脱力した。
「・・・よかった・・・」
「よくねえよ、何してんだお前」
不満気な声に顔を上げる。
むうっと眉を寄せたゾロの顔があった。

「ゾロ・・・」
「おう」
「ゾロ、だ」
「おう」
ゾロだー・・・
へたりとその指先に凭れ掛かり、剣だこだらけのゴツゴツとした感触を確かめる。
ああ、ゾロだ。
確かにゾロの手の中だ。



「なんでここに?」
「てめえを追っ掛けてたら、ガキがいる家に着いてな。全部聞いた」
「全部って…」
「おう、てめえで100万ベリー売りつけたんだって?」
やるなあと軽口を叩かれ、サンジはへへっと笑った。
「ごめん、勝手なことした」
「まったくだ」
真顔で嗜めるようにきっと睨み、指を開いてサンジの身体を確かめるように見つめる。
「・・・無茶しやがって」

手のひらの中で、サンジはくたんと寝転がったままだった。
顔も服も煤で汚れ、髪は乱れ切っている。
「てめえが攫われて売り飛ばされるんじゃねえってわかったから、直接踏み込まなかったんだ。とにかく元手の
 100万ベリーくらい、用意してかねえとダメだろう」
だから、ゾロは一旦帰って現金を用意してきた。
せめて元手の100万ベリーを払って引き取れれば御の字だと。
「50万ベリーは返って来たからな。あと50万、お前が置いてった宝石で換金した」
「ちょっと待て、返って来たって?」
「あの夫婦は、50万ありゃ充分だっつってたぜ」
せっかくサンジが吹っかけたのに、必要な分だけしか受け取らなかったのか。

「そんで、換金所であの女に会ってな。あっちは自分の息子買い戻すために金作ってて…」
どちらも、本人自ら望んで身売りした経緯から同行することになったのだと言う。
「来てみりゃ火竜が暴れてる。もうちょい遅かったら、ここも丸焼けだったな」
「そういや、お前…」
今のはなんだとサンジが問いただそうとすると、半分焼け落ちた扉を蹴破るようにして男達が傾れ込んで来た。


「一体どういうことだこれは!」
「あれ?竜は、竜は?」
明らかに過剰武装して多くの武器を携えた男達がキョロキョロと辺りを見回す様は滑稽でさえある。
けれど、先ほど竜の恐ろしさを目の当たりにしたサンジには笑えなかった。
「確かに、竜がいたんですよ!」
「あああわかってる、この有様じゃあなあ」
人買いの首領らしき男が、ゾロに向き直った。
シュライヤと母親はその背に隠れるようにして身を縮める。
「あんた何モンだ?」
「俺はここに身売りしたモンを買い戻しに来た、あんたが頭領か?」
「そうだ」
「なら話は早い。こいつを返して貰おう」
言って、掌の中のサンジを見せる。
目を剥いて引っ手繰ろうとする男から、素早く手を引いた。
「勝手に商品を奪ってんじゃねえよ」
「てめえこそ、乱暴に扱うんじゃねえ」
無骨ななりをしたゾロが大切そうに両手を合わせて文句だけ返す姿は、どこかほのぼのとして見える。
シュライヤは安心して、ゾロの上着の裾を掴みながら顔だけ覗かせた。
「ごめんなさい、僕もここで働かせてくださいって言ったけど、なしにしてください」
「なんだとお?」
頭領は悪人顔を更に歪めて、唾を飛ばす勢いでがなり立てた。
「いきなり人の店押し入ってきて、勝手なことほざいてんじゃねえよ。一旦うちのもんになったからにはうちの
 商品だ、おいそれと譲れるか!」
「その商品を扱いきれなかったのはそっちの手落ちだろうが、こいつどころか他の奴らも危なかったんだぞ」
閉じ込められていた部屋から助け出された“商品”達は、いずれも恨みがましい顔で頭領を見つめている。
その目に恐れをなしたか、頭領はええいと叫んで床に鞭を振り下ろした。
「ふざけんな、買い戻したいならそれなりの額を払え。勿論、こちらの言い値でな」
「そんな・・・」
ぷるぷると震える母親の手の中で、縮こまっているシュライヤの首元にゾロがそっと手を伸ばす。

「離れてろ」
「ひっ・・・」
掛けられた上着が滑り落ち、見る間に部屋の真ん中に巨大な火竜が現れた。
「ひ、いいいいいっ!!」
仰天した頭領が闇雲に銃を乱射する。
竜は翼を広げて弾を弾き返し、威嚇するように頭領に顔を近付け吠え立てた。
「ふぎゃああああっ」
耳を劈くような吠え声と熱風で、頭領達はその場でへなへなと崩れ落ち腰を抜かしてしまった。
「こいつをこのまま置いていきゃあ、いいのか?」
平然と立つゾロの傍に寄り添うように、竜は腰を下ろした。
片手を挙げれば、その手に額を擦り付けるようにして懐いてくる。
「あ、あんた・・・ドラゴンマスターか?」
「いや、そうじゃねえ」
「違うのか!?」
もはや、人買い達はパニック状態だ。
「似たようなもんだが、こいつらを飼い慣らすのはてめえらじゃ無理だ」
呼応するように、竜が炎を吐く。
ひいいと床に這い蹲って、人買い達は両手を挙げた。
「はい、わかりました。よくわかりました」
「別に、俺がこいつを飼い慣らしてやってもいいが、年間契約で3億ベリーが相場だぜ?」
「そんなっ」
「こいつをこのまま穏便に連れ出すだけなら100万ベリーで請け負ってやる。どうだ?このまま置いておくと店の
 被害は計りしれねえし、こうなっちまうと餌代も馬鹿になんねえんだよなあ。野生の竜を養うなんざ、王族か貴族の
 道楽じゃねえと無理だぜ」
「ううう」
「しかも、売りつけるんなら、あらかじめ躾けとかねえと売値が付かねえしな。どうだ、どっちが得だ?」
こう懇々と諭されると、非道な人買いと言えども考えてしまう。
どちらが得かと言われれば、手に負えないものはさっさと手放すのが得策だろう。
「しかし、100万ベリーで・・・」
「ああ、そん代わりこいつは買値の100万ベリーで買わせてもらう。差し引き0だ、どうだ?」
掌の中のサンジを見て、頭領はいいやといきなり奮起した。
「それとこれとは話が別だ!それはうちの看板商品になるんだから、おいそれとは渡せねえ」
「・・・なんだと?」
ゾロの額にピキッと青筋が立つ。
「物騒な竜なんざ、ただでくれてやる。だがそれは返せ、そんな金ヅル簡単に渡せるかってんだ」
「元は俺んだ、勝手に自分のもんにすんな」
「そっちがノコノコ売りつけに来たんじゃねえか、金払ったのはこっちだぞ」
「だからその分、きっちり金は返すっつってんだろうが」
ゾロは懐から100万ベリーを鷲掴んで頭領の前に叩きつけた。
が、それで怯むような頭領ではない。
「確かにうちは100万で買ったが、これから売りつける値は5000万は下らねえぞ、せめて1億ベリー用意しろ即金で!」
言って、鞄の中から細々とした布キレを出して見せ付ける。
「ほらこの通り、ヒューマンマーケット用の衣装も用意してんだからな、金糸銀糸の凝った作りだぞ、せいぜい飾り
 立てて高い値で売りつけんだからよ」
「・・・てめえ」
怒りに震えるゾロの掌で、サンジがおもむろに突っ伏した。
「どうした?」
慌てて目線まで腕を上げれば、サンジは自分の身体を抱えて顔を真っ赤に染めている。
「俺・・・俺・・・」
目を凝らしてよく見れば、その青い瞳は涙で潤んでいた。
「俺、そいつらに・・・」
「なんだ!こいつらになんかされたのか!」
ゾロの鼻息で飛ばされそうになりながら、サンジはふるふると首を振った。
「言えねえ、とても言えねえ」
「なんでっ」
「あんな・・・恥ずかしい・・・っ」
わあっと突っ伏すサンジを母親に預け、ゾロは腕に巻いていた黒いバンダナを外すと頭に巻き直した。

「お前ら、下がってろ」
母親と竜、それに何事かと見物している“商品”達が店の外まで避難したのを見届けて、ゾロは刀を振るった。