Bon appetit!

-人買いと火を噴く竜のおはなし- 7

もはや人買いの店は跡形もなく、ゾロが置いたベリー札が虚しく空を舞うのみだった。
何事かと見物客が集まってくるのに、ゾロはそ知らぬ顔でいつの間にか元に戻ったシュライヤを連れ、母親と共に足早にその場を去る。
「これから、どうしたら・・・」
不安げな母親の両手に抱かれていたサンジがひょっこりと顔を出した。
「一体、なにがあったんだ」
恥ずかしさのあまり顔を伏せている間に、なにやらこの世のものとも思えない叫び声がこだましたと思ったら、急にしんと静かになった。
顔を出してみれば柔らかな女性の手の中で、ゾロとシュライヤが急いで並走している風景が見えるのみだ。
サンジはあまりに小さいが故に視界も狭くて、状況を把握するのがとても困難なのだと、こうして旅に出てみて改めて思い知った。

「ええと、この人が怒ったんです」
シュライヤも戸惑いながらゾロを指差す。
「ゾロが怒った?」
「ええ」
なるほど・・・と、納得すればいいものか。



騒ぎを逃れて街外れまで来ると、開いている食堂に飛び込んだ。
母親が荷物の中から少年の衣類を取り出し、着せ掛けてやる。
「なんにしてもよかったな、お母さんに会えて」
サンジがそういうと、シュライヤは顔をくしゃっと歪めて母親に向き直った。
「お母さん、ごめんなさい・・・」
「シュライヤ、私こそごめんね」
改めて感動の抱擁を交わしている親子を前に、空気を読まないウェイトレスが注文を取りに来たから、ゾロが適当に定食4人前+酒と
返している。

「元々、私がシュライヤと出会ったのはこの子が小さな竜の姿をしていた時のことなんです」
病気で夫と赤ん坊を亡くし絶望の淵に立たされていた母親は、山間いの谷で小さな竜を拾った。
思わず両手で抱きかかえたら人間の赤ん坊へと変化したため、家に連れ帰り自分の子として育て始めたのだと言う。
「だから、この子が普通の子どもじゃないってことはわかってました。でも、もう手放すなんてことはできなくて、何もなければ人間の
 ままですから普通の子どもと同じように暮らしていけるって思ってたんです」
「僕が、あんなことしなければ・・・」
シュライヤが目に涙を溜めてぐっと唇を噛み締めるのに、ゾロはウェイトレスが先に持って来た酒を勝手に呷りながら口を挟んだ。
「お前が竜になるのはな、喉を触られたからだろ」
「え?」
母親とシュライヤが、同時にきょとんとした顔をする。
「喉の、そこんとこに一枚だけ逆向いた鱗があるだろうが。それを人に触られると本能で嫌がるんだ」
「え・・・」
「あ、これ?」
「逆に言えば、それを誰にも触られないように気を付けてりゃ、竜に変じることはねえ」
「へ・・・」
「そうなの?」
あまりに簡単に言い切られたから、サンジまで拍子抜けしてしまった。

「それに、こう言っちゃなんだがお前はあんまり竜の血筋が濃くねえ。多分、自分の意志で竜に変化することはこの先もできねえだろう。
 逆鱗に触れて勝手に変化しちまうのが関の山ってとこだ」
「・・・はあ」
「だから、いっそのことそのまま人間として暮らしちゃどうだ。喉の鱗は竜に変じれば変じるほど硬さを増すが、逆にずっと人間として
 暮らせば、あと10年もしない内に普通の皮膚に同化する」
「そうなの?!」
ゾロは酒に濡れた口端を腕で拭って、ぷはっと息を吐いた。
「そしたらお前はただの“ヒト”だ。それでもいいなら・・・」
「いい、勿論それがいい!」
シュライヤは身を乗り出して頷いた。
「俺、竜なんかじゃなくていい、普通の、ちょっと今は力は弱いけどもっともっと大きくなって強くなって、普通で当たり前のヒトになりたい。
 母さんの、息子でいたい」
「・・・シュライヤ」
ゾロは満足そうに微笑んで、それならと提案した。
「首に布でもなんでもいいから巻いておけ。それだけでいい、もし万が一にも誰かに触られて変化したら、そん時は制御できる“言葉”を
 母さんに授けておく」
「それで、いいんですか」
あんな大きくて恐ろしげな竜を、言葉一つで宥めることができるものか。
「竜や麒麟ってえ聖獣なんてものは、響く声を持つものなら届く。特に、自分が信頼を寄せている相手の声ならきちんと届く。あんたが
 言ってやりゃあ、こいつを御するのは簡単だ」
そう言って、ゾロは“言葉”を紙に書き付け母親に渡した。

「あの、貴方は本当にドラゴンマスターではなくて?」
「厳密に言うとそれじゃあねえからな、でもその“言葉”は本物だ。安心しな」
テーブルの上にちょこんと座りながら、サンジはぼうっとゾロと母親のやり取りを見ていた。
「なんか、カッコいいなあ」
ついぽろりと本音を漏らすと、シュライヤがうっとりした目で見つめ返す。
「ほんとですよね。てか、さっきのゾロさんすごかったですよ」
「そうなのか?」
サンジは母親の手の中にいたから、見ていない。
「ものすごくカッコよかったです。僕、ゾロさんみたいに強くなりたい」
キラキラと憧れに輝く少年の瞳を見上げ、サンジはちぇっと拗ねたそぶりを見せつつも満更ではなかった。
なるほど、俺の従者はカッコいいのか。


「本当に、どうもありがとうございました」
深々と頭を下げる親子に、もうさっさと立ち去ろうとするゾロを引き止めてサンジはいやいやと手を振り返す。
「この街で親子二人、なんとか頑張っていこうと思います」
逃げずにこの地に留まろうとする決意の強さに、サンジは胸を打たれた。
けれど、シュライヤが竜に変ずることはこの先どこで知られてしまうかもわからない。
あの人買い達だって、またこの街に留まることもあるだろう。
「無茶だけはしないでおけよ。もしこの街から出なきゃならなくなって行くあてがなかったら、ここから北へ向かったところにハテ村って
 小さな村があるからさ。そこに行けば、そして俺達のことを話せばきっと良くしてくれると思うよ。親切な人達ばかりだったし。それにもし
 そこでも困ったことがあったら、ノースのオール・ブルーって国に行くといい。国境近くのディゴの店ってとこでも、きっと親切にしてくれると思う」
「何から何まで・・・」
涙ぐむ母親の隣で、シュライヤはサンジに向かって手を差し出した。
「ありがとう、僕きっと立派な大人になります」
「おう、約束だぞ。そしてお母さんを大切にしてやれよ」
握手の代わりに差し出された指を、サンジはぎゅっと握った。
「ゾロさんも、ありがとうございました」
「達者でな」
「皆さんも、お気を付けて」
何度も手を振り返しながら歩き去る親子を見送り、ゾロも踵を返した。



「ったく、飛んだ目に遭ったな」
「ほんとだな」
他人事みたいに返すサンジを掌で包み込んで、ゾロはじっと睨み付ける。
「元はと言えば・・・」
「俺が勝手な真似をしたからだよな、へいへいごめんなさい」
ふざけた口調ながら殊勝に頭を下げて見せた。
そうして少し顔を顰める。
「でも、よかった。あの女の子もこれで手術が受けられるだろうし」
「結局100万ベリーはあの店に置いてきてやったんだから、もう文句はねえだろ」
結果的に壊滅させてしまった気はするが、あのまま竜を置いておいてもそうなっただろうから同じことだ。
「けど、お前竜を扱えるのか?すごいな」
「別に、ちょっと言葉を掛けただけだ」
「だって、竜に届く言葉はよほど信頼が置ける相手じゃないと無理だって、お前がさっき言ってたんじゃねえか。なんでお前の言葉が届いたんだ」
ゾロはんーと視線を上げた。
「確かに俺の言葉は聖獣に届くが、言葉の意味まで通じるかどうかは相手による。シュライヤの場合は、大切なものとしてお前が
 あいつの中にあったから、届いたんだ」
「え?」
「シュライヤがお前を、愛しいもの、大切なものとして“好き”でいたから、俺の言葉に耳を傾けたんだよ」
ゾロの台詞を頭の中で繰り返して、サンジはじわじわと頬が赤くなった。
「えーと・・・」
「お前のこったから、店の中でもあいつのこと気に掛けて励ましたり慰めたりしてたんだろ」
この、小さいながらも人一倍心根が優しくてお節介な男は、きっとゾロがいない場所でもあっちこっちで親切心を発揮して孤軍
奮闘していたのだろう。
少女の怪我を治すために身売りしたのだって、その際たるものだ。
だからこそ目が離せないと、ゾロは思った。

「お前のそういうところは悪くねえとは思うが、やっぱり危なっかしくてしょうがねえな」
「うっせえな、俺だってちゃんと考えてんだ」
「ほう、考えて身売りした訳だ」
「ううう、なんとかなると思ったんだよ」
自然、後の方は声が小さくなる。
そんなサンジに追い討ちを掛けるように、ゾロは腹巻から新しい服を取り出した。
「まあ結果オーライかな、こんな服も手に入ったし」
「あ、てめえそれ!」
金糸銀糸を施した絢爛な衣装を前に、サンジの顔がさっと紅色に染まる。
「さて聞かせてもらおうか、一体あいつらはてめえに何をしたんだって?」
「な・・・なにも」
「なにもじゃねえだろうが、恥ずかしくて言えねえだと?」
「うー・・・」
「なにされた、なに恥ずかしいことされた!?」
「なんでそこで目え剥くんだよ、鼻息荒えよ飛ばされるよ、歯あ剥くなよ!」
サンジは慄く仕種を見せて、そのままゾロの掌に倒れこみコホコホっと咳き込んだ。
「お前、大丈夫か?」
「・・・ん、だいじょ・・・う・・・」
胸を押さえてはっはと浅い息を吐く。
そう言えば、助け出された時からあまり動いていないし大きな声も出せていない。
「お前、もしかして怪我してんのか?どっか痛いのか?」
俄かに焦り始めたゾロに、サンジは弱々しく笑い返した。
「大丈夫だって言いてえけど、どっか痛いかって聞かれたら全部痛え」
「てめえっ!」
それを早く言えと、血相を変えて辺りを見渡すゾロにサンジははははと笑い声を立てた。
笑いながら、痛えと顔を顰め蹲る。
「まあ、大丈夫さ。ボチボチやるだろ」
「てめえ、それ多分肋骨イってるな。けどこんな小さえもん、どうやって診ればいいのか・・・」
ゾロらしくもなくオタつく様子が、サンジにはおかしくてならなかった。
おかしくてならないのに、なんだから胸が熱くなって目元まで潤んでくる。
「ゾロ」
「ああ?なんだ」
「なんでお前、俺を探してくれたんだ?」

部屋から勝手にいなくなって、勝手に身売りして、勝手にトラブルに巻き込まれたのに。
ただ行きずりの、素性も何も知らない相手だのに。
きっと金ヅルだなんて思ってないだろうし、一国の王子だってことも、本当の名前すら知らないのに。

じっと見上げるサンジの頭を、指の先でぐりぐりと撫でた。
「いきなりいなくなりゃ探すだろうが。当たり前だ」
それに・・・と一旦言葉を切って、バツが悪そうに下唇を歪める。
「お前がいねえと、なんか腹がすうすうして落ち着かん」
「・・・なんだそりゃ、俺はカイロかよ」
ははっと笑うサンジを、さっきより慎重な手付きで腹巻の中に仕舞った。
そこにいるのを確かめるように、上からぽんぽんと撫でる。
「お前はそん中に引っ込んでろ」
「偉そうに」
憎まれ口を叩きながら、サンジは柔らかく温かい腹巻の中で身体を丸めて、ほっと息を付いた。
話す度に鈍く痛んだ身体も、こうしていればなんともない。
馴染んだゾロの匂いに包まれて、サンジは安らげる場所に戻れた安堵感からかすぐに寝息を立て始めた。