アヒルがおせち背負ってやってきた。

そんな初夢を見た気がして、ゾロはうとうととまどろみながら目を覚ました。
キンと冷えた空気が頬を撫でる。
雨戸を閉めていてもどこか隙間風が吹く部屋の中はすっかり冷え切って、吐く息さえ白い。
エアコンなどないから、石油ストーブを消してしまえばそれまでの暖房だ。
横たわったまま耳を澄ましても、何一つ聞こえない。
時計の秒針を刻むリズムが唯一の音だと意識した途端、やけに大きく響く気がした。

白い息を吐きながら、そっと首を巡らして傍らの温もりに目をやる。
大の字に眠るゾロにぴたっと引っ付くようにして、サンジが静かな寝息を立てている。
昨夜、雪の中を歩いてきたらしいサンジは冷え切っていて、風呂を張るのももどかしくそのまま布団の中に
引っ張り込んでずっと抱き締めたまま暖めるつもりがそのまま寝てしまった。
故に、お互いパジャマに着替えもしていない。
上着だけ脱いで手足を絡め、頬をくっ付けるようにして寝入ってしまったらしい。
今も、サンジはゾロの腕を枕にして腹巻きの上から手を回している。
寄り添う布団の中はお互いの体温があるから暖かいが、布団からはみ出た場所は容赦ない寒気に晒されて
肌が冷たくなっていた。
ゾロは少し痺れた己の腕をサンジの背中に回して、横向きに体勢を変えた。
枕の上に散らばる金髪は冷たいが、髪の中の地肌は熱を持ったようにしっとりと暖かい。
頭を抱え直し、更に深く腕の中に抱き込むようにして脚を絡めた。
サンジの爪先が少し冷えていたから、足の裏で擦ってやる。
くふうと猫の子でも泣くような息を吐いて、サンジがゾロの首元に顔を埋めた。
肌に触れる額の冷たさに、ゾロもまた反応して温かな頬を擦り付ける。
外はまだ暗く静かだ。
家の外を覆う雪の気配に耳を澄ましながら、ゾロはまた眠りに落ちた。










次に目が覚めたときは、空気が違っていた。
赤々と灯る石油ストーブの上で、薬缶が湯気を立てている。
湿り気のある温もりが肌を包み、食欲をそそる匂いが鼻腔を擽った。
「・・・朝か」
「もう昼だ」
間髪入れずに突っ込まれ、目玉だけを上に動かした。
白い割烹着姿のサンジが、煙草を咥えたまま見下ろし笑っている。
「おはよう」
「おはよう」
そう応えたら、サンジはそのままちょこんと枕元に正座した。
改まった姿勢で手を着いて、頭を垂れる。
「明けましておめでとうございます」
慌ててゾロも布団から起き上がり、その場で正座した。
「明けましておめでとうございます。今年もよろしく」
「今年もよろしくお願いします」
畏まって挨拶を交わし、どちらともなく笑い出す。
「てめえに寝すぎとか言えないんだよな。俺も今起きたとこだから」
それでも、部屋の中は充分温まっている。
ゾロは布団を剥いで大きく伸びをした。
目覚めたときに部屋の中が温かいとは、なんと快適なのだろうか。
「ともかく、顔洗って着替えろよ。飯にしようぜ」
「うっす」
冬眠明けの熊のようにのろい動作で洗面所に向かった。



さっぱりとして台所に戻ると、テーブルの上に豪華なおせちが並べられていて仰天した。
あれはまさか、正夢だったのか?
「どうした、これは・・・」
「昨夜俺が持ってきてたんだよ。お前に捕まる前に玄関前に下ろしててさ。その後俺だけ家の中に引っ張り
 込まれたからずっと玄関先に放置してあったんだけど、まあ天然の冷蔵庫の中にいたというか」
そう言って、思い出したのか笑いを噛み殺す。
「あん時のお前の顔ったらもう凶悪すぎて、俺じゃなくてもビビるっての」
「そうか」
あまりよく覚えていないが、とにかく“逃がすか!”の一念で必死だった気がする。
「目が覚めてから、そういや持ってきたおせちはどうなっただろうとか気になってたんだけど、寒いからなかなか
 起きられなくてよ。結局昼前にやっとこさ布団から出たんだけど、今度は玄関開けようとしたら戸が開かなくて
 参った」
「そんなに凍ててたか」
「どうも風向きが玄関直だったらしくて、雪がびっしりこびりついてそのまま凍ってんの。お湯かけたりしてどうにか
 こうにか戸を開けたら、風呂敷に包んだまま雪まみれでちゃんとあったのがコレだ」
指差す先に鎮座する立派なおせちは、まさか一晩野宿したものとはとても思えない。
「一応あったかい方がいいものは温め直して盛り付けしたし、冷めないうちにいただこうぜ」
「おう」
今年の正月も飲んで寝るだけだと思っていたのに、思わぬ僥倖につい口元がにやけてしまう。
「正月と言えばお屠蘇だな、どうぞ」
研修生が手慰みで陶芸に挑戦してプレゼントしてくれた、芸術的な形の徳利から熱燗を注いでくれる。
ゾロとしてはコップでかぱかぱいきたいところだが、これもまたいい風情だと小さなお猪口に受けた。
徳利を受け取ってこれまた歪なお猪口に注げば、サンジがおっとっととおっさんみたいな声を出した。
「んじゃ、乾杯?」
「いい年に」
お猪口同士を軽く合わせて、二人視線を合わせたまま杯を開けた。
熱い酒が喉に沁みる。
いつもより、美味い気がする。

「あーいいねえ、正月って感じで」
これで着物姿の美女でもいればなあと呟いてから、一人で「ん?」と首を傾けた。
「そういえばさ」
「なんだ?」
今度はコップに手酌でなみなみと酒を注ぎながら、ゾロが振り仰ぐ。
「気のせいかな。昨夜この部屋に入ったとき、ナミさんの匂いがした気がしたんだけど」
つい、徳利を傾ける手が止まった。
なんというか、鋭い・・・というか、さすがと言おうか。
「ゾロ?」
徳利を持ったまま固まったゾロに、サンジは雑煮の入った椀を差し出しながら首を傾げた。
「どうした」
「いや、さすがだなと思ってよ。お前が来るちょっと前に、ナミがいた」
「ええ?マジで?」
サンジの方が仰天して、思わず身を乗り出している。
「なんでナミさんが?一人?まさか一人でお前んとこに」
「違う、ルフィも一緒だった」
一瞬ほっとしたような顔をして、それから悔しそうに歯噛みする。
「くそうあのガキ猿か!」
「ああ、お前も会ってるんだな」
そこまで言って、今度はコップを唇に当てたまま固まる。
―――そう言えば、そうでした
サンジもようやく思い出したのか、急に剣呑な目つきでゾロをねめつけた。
「そういうことも・・・あったよなあ」
含みのある低い声で呟き、ぐいっと勢いよく杯を空けるとずいっとゾロの目の前にお猪口を差し出す。
ゾロは畏まってそれに酒を注いだ。

「で?何か言い訳は?」
「ない」
きっぱりと言い切り、自分はコップ酒を呷った。
「お前がナミとホテルで夕飯食ってるって、教えたのは俺だ」
「この野郎」
口調ほど憤りを見せず、サンジは仕方なさそうに横を向いてけっと息を吐く。
「先にあのガキに会ったのか?」
「ああ、シモツキ駅にいきなりやってきた。んで、ナミの居場所がわからないから教えろとよ」
「まあ、あの勢いで来られちゃあゾロだって教えないわけにはいかないだろうなあ」
ってことは、ホテルのレストランにも相当な勢いで乗り込んだってことだろうか。
サンジは自嘲するように笑ってから、じろりとゾロに視線を戻す。
「お前なあ、想像してみろ。クリスマスイブのロマンティックなディナーにいきなり乱入されて、彼女掻っ攫われ
 てった哀れな男の姿を。テーブルに一人ぽつんと残された俺に、店の人達がどんだけ気を遣ったか」
悪いと思いつつも、思わず噴き出してしまった。
酒のせいでなく顔を真っ赤にして、サンジが足踏みをする。
「笑いどころじゃねえんだよ!お前もいっぺん経験してみろ、あのみじめで情けない一人の時間。周りの同情を
 一身に集めた生ぬるい空間で、帰ろうにも席を立つタイミングも掴めないで固まってるしかない居た堪れなさを!」
「すまん」
ゾロはコップを置いて、潔く頭を下げた。
「ルフィがナミに会いに行ったら、間違いなくその展開になるだろうとわかってて、俺は教えた」
だから俺が悪かったと深々と頭を下げられ、サンジの勢いが削がれる。
「・・・別に、お前が悪いわけじゃ、ちょっとしかないけど」
もごもごと口の中で唱え、手酌してぐいとお猪口を呷る。
「結局選んだのはナミさんだもんな。お前はきっかけを作っただけだ。ンで俺の元から去られたのは俺の不徳の
 致すところだ。仕方ない」
だから飲め、と徳利を差し出されたが、既に中身は空だった。
ゾロは一升瓶を持ってきて、直接自分のコップに注ぐ。

「お前それでずっと怒ってたんだろう?」
人のメールに返信一つ寄越さないで。
暗にそう話を向ければ、サンジはむうと口元を尖らせて空のお猪口を舐めている。
「ずっと怒ってたわけじゃない、それは八つ当たりだってわかってたし」
「・・・・・」
それじゃあ何故だとゾロが追い討ちをかけないから、サンジは自ら口を割った。
「一応、お前からのメール見てたし。毎日見てた、つか毎日来るよな。あれ作業日誌のコピペだろ」
「コピってねえ、あれはあれでちゃんと打ってる」
「問題はそこじゃねえ気もするが」
ガシガシと頭を掻くサンジのお猪口に、一升瓶から酒を注いだ。
「毎日読んで、毎日返事打ってたんだ。ほんとだぜ、来るたんびにレス書くんだけどよ・・・メールってあれだな、
 なんつうか文章って難しい」
「?」
「なんか、何書いても冷たい口調になるんだ。いや、文章だから口調じゃないかもしれないけど、打ってから後で
 読み返すとなんか素っ気無くてつっけんどんでさ。棘みたいなもの自分でも感じて、俺はこんなこと言いたい
 わけじゃねえのにってそう思ったら―――」
メールを返せなくなった。
そう言って、サンジはお猪口に入った冷酒を飲む。
「やっぱり会って話さないと、だめだなーって」
「それは俺も思った。正月明けにでもそっちに行くつもりだったからな」
ゾロの呟きに、えっと眼を丸くする。
「電話くらいしたかったんだが、俺は生憎顔の見えない相手と喋るのが苦手だ。まだメールの方がいい。それでも、
 正月明けて皆が帰ってきたらそっちに行こうと思ってた。直接顔見て話したかった」
呆けたようなサンジの顔が、じわじわと赤味を増す。
「だから昨夜、玄関先にお前がいた時“逃がすか”って思ったんだよ。いるのが信じられなかったが、本物なら
 捕まえるしかねえだろ」
その時のことを思い出したのか、サンジは顔を真っ赤に染めながらぷっと吹き出す。
「あん時の、お前ったら・・・」
「はいはい、鬼みてえだったんだろ」
またしても話が戻る。
「笑ってないで雑煮食え、冷めるぞ」
ゾロに進められて、どっちがどっちだよとまた笑い出した。
どうやら笑い上戸らしい。

「店の方はいいのか?」
「ああ、うちは盆正月はきっちり休む方針だから、正月休みも5日まである。じじいはバカンスだって旅行に
 出ちまったし、俺はゆっくりしてられるんだが・・・」
「ならゆっくりいるといい。どうせ俺には研修施設の動物の世話しか仕事がねえ」
「え、餌やりとかすんの?」
途端、目を輝かして食いついてきた。
「おうよ、こんだけ雪が降るとまず施設まで辿り着けるか心配だな。動物たちは農舎に入れられてるから寒さは
 大丈夫だろうが・・・」
「俺も行っていいか?」
「当たり前だ、むしろ戦力だ」
うっしと張り切りながら、サンジは雑煮を掻き込んだ。

「餅、よくわかったな」
「こっちなら貰い物で絶対あると思ってたんだよ。台所に置きっぱなしだったから勝手に使わせてもらった。玄関に、
 ちゃんとお鏡さんが飾ってあったな」
「あれも貰いもんだ、玄関にくらい飾れってうるさい」
おせちをパクパク食べながら、ゾロは美味そうに酒を飲んだ。
「すげえな、こんな豪華なおせち食ったの初めてだ」
「そうか、重いの持ってきた甲斐があったぜ」
「大変だっただろう、こんなの背負って」
「駅に着いた時は雪降ってなかったんだよ。んでぼちぼち歩くかと思ったのに途中で降ってきて、マジで
 遭難するかと思った」
「せめて、こっちに来ることくらい連絡しろよ。もし俺がいなかったらどうするつもりだったんだ?」
「まあ、そん時はそん時だな」
気楽な物言いをするサンジを前にして、ゾロは今更ながら冷や汗を掻く想いだ。
あの時、ナミ達の誘いに乗って旅行に出ていたら、こいつとはすれ違いになっていたことだろう。
よかった。
動物の世話を請け負っていて本当によかった。

「まあ、お隣さんが通りかかってくれてよかったな」
「ほんとに地獄で仏だよ。こんなこともあろうかと、お隣さんには小さい方のお重をお礼として渡してきたんだ」
ゾロはぴたっと箸を止め、まじまじとサンジの顔を見た。
サンジは知らん顔でおせちを摘んでいる。
「お前、確信犯か?」
「いやあ、でもシモツキって小さい村だからか世間が狭いよな。絶対誰かに会えそうで、準備だけはしといて
 よかったよ」
こいつもなかなか逞しくなってきた。
田舎の流儀に馴染んできたようで、ゾロは一人笑いを噛み殺す。
「そんだけ、お前にもこっちに知り合いが増えたってことだな」
「だろうなあ、つか俺はあんまり覚えてないおっさんとかが、勝手に声掛けてくれんだよ」
実際にサンジに会ってない村民でも、金髪の男がいたら「サンジ」だと聞き及んでいるから一方的に親しげに
話しかけるだろう。
その場面を容易に想像できて、ゾロは嬉しいような困るような複雑な気持ちになる。

「じゃあ、飯食って施設行ってみるか」
「おう」
ゾロはそれ以上飲まないようにして、その代わりサンジにガンガン酒を注いだ。











睦 月

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