やや飲み過ぎたとひと寝入りして目を覚ましたら、小一時間ほど経っていた。
まだぼんやりとする頭を擡げて、目を瞬かせる。
部屋の中は相変わらずストーブが赤々と燃えて温かい。
喉の渇きを覚えて台所に立つと、玄関の戸が開いてゾロが湯気を纏うように白い息を吐きながら入ってきた。
「おう、起きたか」
そう言いながら被っていた帽子を脱ぎ肩を払うと、雪がどさどさと足元に落ちる。
「すげえ、雪まるけだな」
「やっと降るのが止んだぞ。空が見え始めてる」
鼻の頭が赤くなっているから、サンジははっとして踵を返した。
「今、熱いコーヒーでも煎れてやる。雪をちゃんと払ってから入れよ」
「おう」
俄かにバタつきながら、コーヒー粉を取り出した。
ストーブの上でシュンシュン湧いてる湯は残り少なくなっていて、取っ手までチリチリだ。
「雪除けしてたのか」
「ああ、取り敢えず道までは除けたけど、除雪車が通った後に雪の壁になって、それがカチコチに凍ってたから
難儀したぜ」
無造作に頭を払いながら上がってくる。
廊下に雪の塊が落ちていて、サンジはコラと注意した。
「廊下に足跡がついてんぞ、靴下も濡れてんじゃねえか」
「まあな」
「洗面所行って、ちゃんとタオルで水分取って来い。霜焼けになる」
どこのお母さんかと揶揄したくなる台詞だが、ゾロは素直に従った。
口やかましく小言を言われるのがこんなに心地よいものだったとは、今まで知らなかった。
「ゆっくり寝させてくれたから、酔いが醒めた」
いつの間に作ったのか、焼きたての餅ピザがテーブルに並んでいる。
「冷蔵庫の中に葉物が全然なかったから、彩りがなくて悪い」
「いや、畑に出ればいつでも採れるから油断してた。今採ろうと思うと、雪から掘り返さなくちゃならん」
「雪掘りのキャベツは、美味いだろうなあ」
日が暮れる前にある程度掘り出すと約束して、ゾロはピザにかぶりついた。
「初めてかもしれんな、こんな恵まれた正月は」
大げさなとサンジは笑いながら、コーヒーカップを両手で抱くようにして肘を着いた。
「正月も実家に帰らないのか?」
お盆は収穫で忙しいと言う理由があるだろうが、正月くらい帰省してもいいんじゃないかと思う。
ゾロは口端から溶けたチーズを垂らしながら、うんと頷く。
「うちは親戚が多くてな、親父もお袋も異様に兄弟が多い。うちが本家だから正月ともなると集団で移動して
くるからえらい人数になるんだ。俺が末っ子で兄姉は全部家庭持ちだから、その子ども・・・俺の甥とか姪とかが
ごちゃごちゃして、実家継いでる兄貴の子どもだけでも4人いるのに、他の兄弟も2〜3人ずつ子どもがいるから
それが全部揃ってみろ」
「・・・うわあ」
サンジにとっては、大変だろうと思うよりどこか胸躍る光景だ。
「しかもお袋の兄妹とか従姉妹とかまで挨拶に来るから、そりゃあ混雑するぞ。おちおち寝てもいられねえし、
ここで一人で転がってる方がよほど楽だ」
「寒いけどな」
サンジの茶々に、まったくだと顔を綻ばせる。
「だから帰省のピークが過ぎた頃にそ〜っと帰るんだ。なにも混んでる時にわざわざ行かなくてもいい」
「なるほどなあ」
サンジはどこか夢見心地で、チーズを長く伸ばしながら食んだ。
「俺からは想像できねえな。うちはじじいと二人暮らしだし、親戚はじじいの母国フランスにしかいねえしよ。
もっと小さい頃はバカンスつって一緒に帰ったりしてたけど、最近は一人でゴロゴロする寝正月が多かったなあ」
「へえ、フランスとか行った事ねえな」
「なんもねえ、田舎の方だけどな」
それきり、黙って咀嚼する。
いいとこだぜーとか話を振ってくれれば乗り様もあるのだが、ぷつんと会話が途切れた感じで話の接ぎ穂が
見つからなかった。
そもそもサンジの外見から生粋の日本人ではないと気付いていたが(むしろ純粋な白人にしか見えない)、家族の
話はあの店のオーナーたる「じじい」のことしか出てこない。
ゾロも敢えてそれ以上、突っ込んで聞くことはなかったから、話題を他に切り替える。
「店も閉まってて長い年末年始じゃ、退屈だっただろ」
「おうよ、ナミさんはお仕事で海外に行ってたし、ずーっとレンタルDVD三昧で・・・」
そこまで言って、はっとしてからむっとした。
自分の言葉で我に返ったらしいが、なんとも忙しい男だ。
「一応、休暇中に勝手にあちこち食べ歩いたり料理の試作とかしてたんだぜ、なんせ俺は勉強熱心だから」
「食べ歩きって、一人でか」
「しょうがねえだろ、年末年始なんてレディ達はみなお忙しくて・・・」
そこまで言って、またはっとしてからむっとした。
「うるせえ、俺のことはいいんだよ」
一人でムキーと怒っている。
見ていて飽きない。
「いや、俺も似たようなもんだ。大体ここで寝正月、もっと雪が多い時は三箇日一歩も外に出なかったこともある。
今回、餌やりを引き受けたから外にでなきゃいかんと思うだけで、そうでなかったら寝るばっかりだ」
「なんつう不健康な」
サンジは心底呆れたような声を出した。
「折角の正月なんだ、それにお盆みたいに仕事があって抜けられないわけじゃなかったらちゃんと里帰りとかした
方がいいんじゃね?みんな揃うのに勿体ない」
「そうだな、来年は帰るかな」
ゾロはコーヒーを飲み干してから、大きく息をついた。
「お前も一緒に来るか?」
「え」
心持ち緊張して、テーブルの上で軽く拳を作る。
大丈夫、声の調子はさりげなさを保っている。
「賑やかな正月とか、経験ねえんだろ。珍しいものでも見にうちに来るといい」
すごく驚くから。
そう続けると、サンジは小さく瞬きを繰り返してから綻ぶように笑った。
「なに?なにに驚くんだ。なんでもいいけど行って見たい。つか、行ってもいいかな」
「おう、どうせ隣近所も年始の挨拶に回ってうちで休んでいくんだ。親戚だけとか関係ねえからよ。一人や二人
混じってたって絶対にバレねえ。どうせなら年末からうちで過ごすといい、一緒に紅白見て年越しソバ食おうぜ」
「うん」
サンジは勢い込んで頷いてから、えへへと肩を竦めた。
「ほんとにいいのかな、そんな賑やかな場所に、俺行ったことねえから」
「賑やかだから紛れんだよ、こっちでなおらいとか行くじゃねえか、始終あんな感じ。最初からテンション高いから
吃驚すっかもな」
よし、来年はうちで正月だと声に出して言って、ゾロは内心でガッツポーズした。
「なんか、新年初日から来年が楽しみってどうよ、でもなんか楽しみだ」
まだ酔いが覚めきらないのか、サンジはぽやんとした表情のままだ。
「今年の暮れからの計画だから、鬼は笑わねえよ」
ゾロはそう言って、ご馳走様でしたと手を合わせた。
「そうだ、お前が寝てる間にお隣さんがお重持って来てくれたぞ」
「え、そうなの?俺挨拶してねえよ」
重箱がなかったから気付かなかったと言うから、ゾロは冷蔵庫を指差した。
「なんか、お返しとか言って重箱ん中にアイスクリーム入ってたから、そのまま冷凍庫に入れた」
「いや、そこはお重から出して入れろ」
サンジは慌てて冷凍庫を開け、重箱が凍っていると唸った。
「真冬にあったかい部屋の中でアイスクリーム食うって、贅沢だよな」
言いながらバータイプのアイスを一つ投げて寄越した。
片手で受け取り、まったくだと包みを開ける、
「帰りに寄って、挨拶するか」
「おう、でもなんで帰りなんだ?」
行きに寄ればいいのにと素朴な疑問を口にすれば、ゾロはアイスを咥えたまま首を振った。
「行きに挨拶に寄ったら、そのままもう出かけられなくなるかもしれない」
「・・・そんなもんなの」
「そんなものだ」
なるほどと納得して、サンジもアイスを咥えながらコートーを羽織った。
冷たさのお陰で、随分酔いが醒めた気がする。
ふと思いついて、ポケットに財布があるか確かめた。
「前にカーテン買った店あっただろ、あそこ正月だから開いてないかな」
「開いてるぞ、年中無休だし確か広告が入ってた」
「じゃあ、ちょっと遠回りしてそっちにも寄って貰えるかな。買いたいものがある」
「いいぜ」
先ずは腹を空かせたケモノが先だと、再び凍りつき始めた玄関戸を勢いよく開けて外へと出た。
「綺麗だな〜」
サンジは軽トラの窓越しに空を見上げて感嘆の声を上げた。
「木の枝に雪がついてて、まるで満開の花みたいだ」
「散々降るだけ降って今度は凍り付いてんだよ。陽が差すとちったあ溶けるだろうが、このまま夕方を迎えたら
道に積もった分もカチコチになって除けるのがきつくなるな」
言ってる側から、雲に切れ間ができて日が差し込んだ。
時折覗く青い空に、白い花がよく映える。
「おおう、晴れるといいなあ。雪の山から、湯気が出て、るぞっと」
「喋ってると舌噛むぞ」
いきなりのドカ雪で早朝に除雪機が通って以降、2回目の除雪は行われてはいないらしい。
雪道はガタガタで轍が数本できて、時折ハンドルが取られて横揺れがした。
道の両側に雪の壁ができているから転落や脱輪の心配はないが、結構激しく車体がずれる。
「元旦だから、仕方ないよな」
ところでと、サンジは窓際についている手すりに掴まりながら、ゾロを振り返った。
「お前、なんでそんなに笑顔なんだ」
ゾロは前を向いて運転しつつ、終始笑顔を浮かべていた。
はっきり言って不気味だ。
「そりゃあ、アレだ」
雪のせいでいつもより道幅が狭くなっている農道なのに、前から軽トラがやってきた。
ギリギリすれ違いできるかどうかという距離なのに、お互いに大きく揺れながら接近してくる。
「ちわっす」
ゾロは窓も開けないで笑顔のまま会釈した。
ただし身体が上下に揺れているから、礼なのか単に揺れているのか判別つかないだろう。
相手のおっさんも丸顔に笑顔を浮かべて何か叫び、会釈をしたような気がした。
よくわからないのはあちらも上下に揺れているからだ。
「こんだけ足元悪いと、元旦から止まってゆっくり挨拶もできねえからな。なんせ一旦止まったら発信できなくなる
恐れがある。どこで誰に会っても大丈夫なように、常に笑顔で安全運転だ」
「なるほど」
走り出した勢いのまま、やや強引過ぎるほどの馬力で農道を走り抜け、やっと除雪が行き届いた公道へと
辿り着いた。
施設にたどり着くまでに、相当時間と労力がかかるだろうと想定して、取り敢えずスコップとスノーダンプを荷台に
積んで到着してみれば、驚いたことに公道から駐車場まで人の歩く幅程度に除雪してあった。
雪山の向こうで、大量の雪を吹き上げているから、二人は急ぎ足で雪道を進む。
「おめでとうございます!」
背後から大きな声を掛ければ、アノラックを着たおっさんが、咥えタバコのまま振り返った。
「おお、おめでとうさん」
「すんません、除けてくれたんですね」
「いやあ、ついてだあ。かみさんが、酔い醒ましに運動して来い言いよる」
小型の除雪機のエンジンを止めて、おっさんは照れ臭そうに鼻をすすった。
ゾロの背後でぺこりと頭を下げたサンジに気付き、「お」と相好を崩す。
「あんたが“さんちゃん”かあ、大晦日に来て雪降られて大変だったっしょ」
「はい?」
なんで知ってるんだろう。
「年越し蕎麦ん時、とうべいが言っとった」
「ああ」
ゾロはわかったらしく、サンジに小声で説明する。
「毎年、大晦日から元旦にかけて神社で年越し蕎麦が振る舞われるんだ。あの雪でもみんな行ったらしいな。
んで、とうべいさんはお隣さん」
そうか、お隣さんはとうべいさんと言うのか。
「おたくら来たんら、俺はあ帰るよ」
おっさんはそう言って、除雪機をくるんと方向転換させた。
「はい、助かりました。ありがとうございます!」
直立不動で礼をするゾロに倣って、サンジも深々と頭を下げた。
実際、ものすごく助かった。
農舎まで後少しだし、また雲行きが悪くなって来て雪が振り出しそうだ。
「今の人は?」
「この近くの人だ。すげえ助かったな、ありがてえ」
ゾロはそう言って、持って来たスコップを雪山に突き刺した。
「さて、俺らも頑張るぞ」
「オッケー」
サンジにとって初めての除雪体験となるが、見よう見まねでサクサクと雪を退けていく。
水分が多く湿った雪は固くて重いが、真っ白な雪の中にスコップを刺すのは楽しかった。
「なんでだろ、雪って白いのに、割れ目とか隙間とかがほんのり蒼い」
「よく見るとそうだな、アイスブルーだ」
お前の目の色に似てるなと言い掛けて、ゾロは危うく止めた。
寒さ倍増で遭難しそうだ。
黙々と除雪に励んだお陰で、半時間もしない内に農舎にたどり着いた。
軒下から猫が表を覗き込み、また引っ込む。
「みんな元気にしてたか?」
先にサンジが入って、喜んだ犬に飛び掛かられた。
ウサギ小屋にはウサギが固まって小山のようになっているし、チャボはあちこち忙しなく歩き回っている。
「ポニーは?」
「あれはさすがに、農家に預けたとよ」
隅っこから大きな黒い影がぬっと現れて、サンジがぎゃっと悲鳴を上げた。
「なんで?なんでダチョウ?」
「去年増えたんだ」
慌ててゾロの背後に隠れるのに、ダチョウは大股でワッサワッサと飛ぶように近付いて来る。
「収穫祭ん時はいなかったのに」
「その後もらったらしい」
ダチョウに怯えるサンジに表の鶏小屋までの除雪を依頼して、ゾロは順次餌をやりはじめた。
「あ〜なんか参った」
サンジは髪を撫で付けながら、また降り出した雪の中をぽふぽふ歩く。
「なんであのダチョウ、俺の頭ばかり突つくんだ」
「旨そうなんだろ」
ゾロの茶々にぷうと口元を尖らせてから、前を向いて「あ」と声を上げた。
「さっきより、広くなってね?」
「そうだな」
おっさんが帰り道に、ゾロの軽トラの周りをもう一度除雪し直してくれたのだろう。
バックで出るしかないと思っていたのに、Uターンできる広さにまで除けてある。
「ありがてえなあ」
「なんか、お礼したいな」
サンジが言うと、ゾロは首を振った。
「別にいらん。俺が同じようなことをする時に、こんな風に気付けばいいんだ」
荷台にスコップとスノーダンプを載せて、素早く車に乗り込んだ。
サンジはそうかなあと迷いながらも助手席に座り、冷えた車内の空気にふるりと身を震わせる。
手も足も寒さで冷えきってしまったが、心はポカポカと暖かだ。
