−8−










目を覚ませば、見慣れた男部屋の中だった。
枕元にぽつんと灯りがついていて、昼間だか夜だか見当がつかない。
俺の傍らにチョッパーがいて、蹄を揃えたままじいっと顔を覗き込んでいた。

「・・・ちょぱ?」
「ああ、よかったサンジ。」
にししと笑って目元を擦っている。
医者の癖に泣き虫な奴だ。

「大丈夫だぞサンジ。間際にゾロは剣を引いてた。骨も神経も大丈夫だ。」
・・・ゾロ?
そうか、俺ゾロに斬られて―――――

「あの子は?あの女曹長・・・」
「多分無事だよ。あの後すぐルフィがサンジとゾロを連れ帰った。海軍は追いかけて来なかったから、
 うまく撒くことが出来たんだ。」

彼女にしてみれば悪夢みたいな一瞬だったろうと思う。
突然現れた剣士がその場にいた海兵たちを次々と斬り殺したんだ。
彼女を真っ直ぐ標的にして・・・

「ゾロは・・・?」
「あれからずっと倉庫ん中篭りっきりなんだ。食事も取ってない。」


どうやら俺が斬られてから2日ばかり経っているらしい。

「サンジ、ごめんな。これは医者として俺のミスだ。ゾロからちゃんと聞かされてたのに。
 状態を図りかねて適切な処置をしてなかった。」
うるうる目を潤ませながら青い鼻を啜る。
よくわからないがお前のせいじゃねえよと言いたい。

「ゾロが時々おかしくなるってのは、俺はわかってた。それにあん時は特別だった。多分、彼女に原因がある。」
それが慰めの言葉になるかどうかは分からないが、俺はチョッパーの帽子を軽く叩いた。
「肝心のゾロが何も言わないんじゃわからないな。次はこんなことねえように、俺らで考えようぜ。」
しゃくりあげながら、チョッパーはシーツに顔を擦りつけた。
何度か頷いて顔を上げる。

「サンジに、サンジにだけは・・・ちゃんと言っとくから。」
ずっと鼻を啜って、それでも俺の目を真っ直ぐ見据えた。

「――――ゾロは、薬物依存症だ。」




「・・・え?」

思わぬ言葉に俺は手を止めた。
沈黙が流れる。

・・・それってつまり・・・

「あのー・・・あれか?ヤク中?」
こくんとチョッパーが頷く。


・・・マジかよ・・・

感覚の無い背中に冷たい汗が流れた気がした。
















――――あれは、禁断症状だったのか。
なんとなく納得して、俺は枕に頭を預けた。
チョッパーはまだ鼻を啜っている。

「あのよ、海軍が来る前の晩に、俺倉庫の中で様子のおかしいゾロを見てんだ。」
「うん。」
こくん、と糸の切れた人形みたいにチョッパーは力なく頷く。

「ゾロがクスリをやめてからもう5年は経ってる。だから治療期間は終わってるけど、後遺症ってのは完全に
 なくならないんだ。何かの拍子にフラッシュバックが起こったり、皮膚の下を虫が這いずり回るような嫌悪感が
 突然現れたりする。」
うわあ。
想像しただけで虫唾が走る。

「不眠や幻覚症状も現れる。けどゾロは今までそれをたった一人で乗り越えてきた。」
「・・・そんなこと、できんのか?」
それこそ化け物並みじゃねえか。

チョッパーは枕もとのテーブルから水差しを取ってコップに注いでくれた。
それを一口飲むと、ひやりとした感触が嘘みたいな話の中から現実に引き戻してくれる。

「これはロビンに聞いたんだけど。ゾロの故郷のカムンチュってとこは内戦が酷くて、ゲリラの活動が活発だった
 らしい。村を襲っては子供だけを浚って兵士として育ててた。」
俺は驚いてチョッパーの顔を見た。
そんな話は、確かに人伝えに聞いたことはあったけど…

「まだ年端も行かない子供が剣や銃を片手に戦場に送り込まれる。その時恐怖を感じないように麻薬を
 打たれるんだ。」
俺はただ声も出なくて、馬鹿みたいに口を開けていた。
「そうして駆り出された少年兵はそのまま戦場で散っていく。運良く生き延びて戦線から離脱できたとしても、
 幼い頃から打たれ続けた麻薬の禁断症状からは逃れられない。」
だから、ゾロみたいな例は稀だと、チョッパーは言う。
「並みの精神力じゃない。普通は禁断症状に耐え切れず再び薬に手を出して、廃人になる。ここまで生きて
 これただけでも奇跡に近いんだよ。・・・だから、ゾロを許してやってくれ。」

ゾロのせいじゃないんだと。
そんなことは、最初からわかってる。
多分、俺はわかってた。
だから俺はチョッパーの毛並みを撫でて、ベッドから身体を起こした。

「・・・!ダメだよ。まだ寝てなきゃ。」
「でも骨にも神経にも影響ねえんだろ。それに、俺が行かねえと多分ゾロは倉庫から出てこねえぞ。」
俺の言葉に、チョッパーは詰まってしまった。
それでもなんとか俺の身体を押し留めようとする。

「でもダメだ。サンジの背中はでっかい袈裟懸けの傷がついてんだから。」
「へえ、カッコいいじゃねえか。」
俺はそう嘯いて男部屋を出た。













外は月夜。
どうやら真夜中だったらしい。

この間みたいに足音を忍ばせて倉庫の前まで来た。
そっと開けようとしたが開かない。
下の部分をガンと蹴る。
衝撃で死ぬほど背中が痛かった。

なんとか壁に張り付いて痛みを堪え、息を整えて扉を開ける。




隅っこに亡霊みたいに蹲ってるのは、哀れなゾロだ。

ロープやバンダナで拘束したりはしてなかったけど、でかい身体をちぢこませて、膝を抱えたガキみたいな
姿でそこにいる。


「・・・よお。」

俺の声に見上げた瞳は、いつかみたいな色のない眼だ。
またどっかイっちゃってるのかな。

俺はゆっくりと歩いて、上体を傾けないように膝を着いた。
ちょっとの動作でも傷に響く。
それでも顔に出さないで、ゾロの横に座ると煙草を取り出して一服吸った。
少し心を落ち着けてみる。

2,3度吹かして煙を吐いて、俺はゾロの顔を見た。
視線は俺の方にあるが、相変わらず「なんだこいつ?」ってな顔だ。


「やってくれたなクソ腹巻。生憎俺はピンピンしてっぜ。」
ゾロは何も言わない。
得意のオウム返しさえ出ないのか。

「それから、俺の前でレディに乱暴働いたりすんなよ。問答無用で俺がてめえを成敗すっぞ。それだけは
 覚えとけよな。」
ゾロの目は俺の輪郭を辿るように動いて、頭の辺りで止まった。
「聞いてっか?つうか、何見てる?」
子供を諭すみたいに優しく言ってやれば、ゾロはようやく口を開いた。

「きんいろ・・・」
「あ?」
「金色だ。そんな色が広がっている。」
・・・ああ、またなんか思い出してんだな。

ゾロの手が俺の髪に触れる。
好きなようにさせてやった。

このまままた発作が出て髪を引っこ抜かれようが、首絞めて殺されようがもうかまわねえや。





−9−










ゾロは何度も何度も俺の髪を梳いて、目を細めた。

「稲だ・・・稲穂。米ができる。」
「ああ、聞いたことがあるぞ。米の元の稲ってやつだろ。」

見たことは無いがバラティエで教えてもらったことがある。
イーストブルー独特の黄金の風景。

「でかい夕陽に向かってくいなが逃げるから、俺は追いかけた。」
独り言を呟くゾロの頬がこけている。
この2日間何も食わず、寝てないんだろう。

「稲を踏み倒してこっぴどく叱られた。」
「いい、思い出だな。」
俺の言葉に、ゾロが手を止める。
「・・・幸せ、だったんだろう?」
その手で俺の頬を撫でて、顔を寄せた。

「毎日泥んこになるまで遊んで、闘って負けて・・・そうしたら夜中に火事になった。燃え盛る火の中から俺と
 くいなは連れ出された。足元には、血塗れのおばさんが転がってた。」
少しずつ、ゾロは言葉を辿る。
頭の中の映像をなぞるように。
「くいなとも離されて、俺は同じような奴らの中に押し込められた。剣の腕には自信があったから、別に
 嫌だとも思わなかった。」
目を瞬かせても、どこを見てるのかわからないままだ。
「はじめて人を殺した時のことなんて、覚えていない。どうやったらより多く殺せるか、そればかり考えていた。
 確実に仕留められる急所、返り血の少ない角度、男も女も、子供も関係なくて―――――」

それ以上聞いていられなくて、俺はゾロの首を抱えて引き寄せた。
背中がめちゃくちゃ痛いが知ったこっちゃねえ。
俺の首筋に顔を埋めてそれでもゾロは呟きつづける。

「村の端っこに慰安所があって、いつでも女を抱きに行けた。新しくできた房を覗いたら、くいなが足を開いてた。」
思わず身を固くする。
息を詰めてゾロの様子を窺った。

「あんだけ強かったくいなが、一度も勝てなかったくいなが、ガリガリに痩せて寝そべって笑ってた。
 俺はそんとき――――」
俺はゾロを抱く腕に力を込めた。
このままゾロが泣けばいいと思う。

「・・・気がついたら、俺の周りは血塗れだった。男に折り重なるように、くいなも血塗れで死んでいた。
 俺は多分叫びながら走り出して、走って、走って・・・」

村を出て逃げ出したのだという。

「追っ手がいたかもしれねえ。何度も死にかけたかもしれねえ。けど俺は覚えてない。なにも、なにも・・・
 あれから俺は、空っぽのままだ。」
ゾロの首根っこを掴んで顔を覗き込めば、相変わらずの無表情だ。
なんで――――

「俺のが、泣いてんだよ。」
顎から伝い落ちた涙がゾロの手の甲を濡らして、ゾロは初めて気づいたように顔を上げた。

泣き顔を見られるのは恥ずかしいが、顔を伏せることはできない。
俺はしゃくりあげながら、ゾロの顔を見返した。

「…もしかして、海軍のレディ、そのくいなって子に、似てたのか?」
小さく瞬いて視線をずらす。
「・・・そうだな。似ていた。だけど違うな。」
それからまた俺の顔に視線を戻した。
「お前も違う。金色だけど稲穂じゃねえ。いい匂いがするけどおばさんじゃねえ。」
ゾロは俺の目を正面から見つめて、不思議そうな顔をした。

「青だ。海の青か?空の青か?」
額がくっ付くほど顔を近づけて覗き込んでくるから、俺はその口に唇を合わせた。

軽く押し付けて離れる。
数度瞬いて、眉間に皺を寄せた。

「なんだ、今のは。」
「キスだよ。しらねーのか、野蛮人。」

動かないゾロにもう一度口付ける。
今度は少し長めに触れてまた離れた。
その動きを逃がさないかのように、ゾロの手が背中に廻る。
痛みに顔を顰めた俺に構わずゾロは噛み付いてきた。
唇ごと咥えて舐めてくる。
そりゃ、違うだろう。

「はほ、ひてえ、ほあ!」
甘噛みされて、唇を合わせたままゾロが「あ?」と問い掛ける。
「・・・痛えっての。てめえにやられた傷が、痛い。」
そう言われて始めて、ゾロは俺から離れた。
触れていた手もおずおずと下げる。

「・・・俺に斬られたのに、死んでねえな。」
「まあな、俺は丈夫だから。」
まるで珍しいものでも見たようにじろじろ眺めて、ゾロはぽつりと呟いた。

「・・・死なねえって、嬉しいのな。」
そのすっとぼけた台詞に、俺は思わず笑ってしまった。











倉庫の外でウロウロしていたチョッパーにドクターストップを掛けられて、俺は男部屋に戻った。
ともかく安静にして、早く傷を治してキッチンに立ちたい。
ゾロだけじゃなくて皆に飯を食わせたい。
それでもこれからは、ちょこっとゾロを贔屓にして、あいつの喜びそうなメニューを頻繁に出すんだろうな。
まるで他人事みたいにそう考えながら、俺は眠りについた。











「もうすぐ入り江に入るわよー、上陸の準備はいい?」
「はーい、ナミすわんv」
久しぶりの陸に皆わくわくしている。
俺だって嬉しいけど、今回の上陸はちょっと複雑な気分だ。
相変わらず馬鹿力で錨を下ろしているゾロの背中をそっと伺い見た。


あれから2週間。
俺の背中の傷もすっかり癒えて、ほとんど元通りの生活に戻っている。
ルフィは腹減ったってうるさいし、レディたちは綺麗だし、ウソップもチョッパーも無駄に騒ぎながら
バタバタしていた。
ゾロは、食事も昼寝も再開して、暇さえあれば錘を振っている。
ウソップが作ったときより更に錘が2個も増えた鉄串が同じリズムで上下に揺れている様は、GM号の日常の
風景になっていた。

あれからゾロは、俺に声を掛けてこない。
なにがきっかけだか分からないが、そう言う対象から外れてくれたのかなとも思う。
それは大変喜ばしいことなのに、いまいち素直に喜べない自分がいるのは、なんでだろう。

―――――よかったじゃねえか、俺。
そう思おうとするのになんか胸にぽっかり穴が空いたみたいで物足りない。
ゾロのぼけーが移ったんだろうか。



「じゃあ船番はサンジ君で、あとは自主解散ね。明後日の昼には全員船に帰ってくんのよ。」
はーいと返事もよろしく一斉に駆け出す。
「ウソップ!明後日の朝には帰ってくんのよ!サンジ君、買出しがあるんだから!!」
わかってるーと遠くから返事する声に、ナミは苦笑した。

「さて、じゃあ私も行くわね。サンジ君はゆっくり身体を休めてて頂戴。」
「ええ。のんびりさせてもらいますよ。ナミさんも楽しんできてね。」
「のんびり・・・ねえ。まあ頑張ってね。」

意味ありげな視線を受けて振り返れば、真後ろにゾロが立っている。
「えっ、おま・・・降りねえの?」

うろたえる俺を尻目に、ナミさんは軽やかに船から降り立つ。
「え、あの・・・ナミさんっ?ええ?」
ナミさんは振り返りもせず行ってしまった。