−6−










「最近、少しメニューが変わったわね。」
ロビンちゃんにさらりと指摘されて、心臓がオーバーに跳ねてしまった。
なるだけ平静を装って返事する。
「こないだの島で結構買い込んじゃって・・・ほら今ヘルシーブームだし。」
「そうよね、私こんな献立も好きよ。誰かさんはもっと気に入ってるみたいだけど。」
ナミさんの口撃に危うく撃沈されそうになった。
渇いた笑いで応えて俺は料理に専念する。

まだかまだかと欠食児童達が囲むテーブルには、頻繁に米の飯が乗るようになっていた。
パスタの時だって、ちょっと醤油を隠し味に垂らしたりしてやるとゾロが黙々と食っている。
食いながら首を傾げどっか分からないところを見てることが多いのは、何か思い出している時だ。
それがいいことか悪いことか俺にはわからないが、なんとなくゾロが喜んでるみたいに思えるから
ついつい俺も腕を奮っちまう。
身に染み付いちまったサービス精神ってのは仕方がねえと自分に言い訳してみたり。


ゾロがこの船に乗ったその日に海賊が襲って来て以来、ロクに襲撃を受けていない。
だから、ゾロはまともに俺の足技を見たことがないからか、俺の力を計りかねてる感じだ。
あれから何度か不埒な行動に出ようとする度俺は、絶妙のタイミングで奴を床に沈めてやった。
一度なんで俺に手出そうとしやがるんだと聞いてやったら「締まりがよさそうだから。」と真顔で答え
やがったから、視界で捉えられないくらい遠くまで蹴り飛ばしてやったっけ。
必死こいて泳いで帰ってくる奴を見るのも結構面白かったなあ。

ウソップ達の間では、いつ俺が奴に処女を奪われるか賭けをしてるみてえだが、生憎そう簡単にやられる
俺じゃねえっての。
こんなじゃれ合いみたいな攻防も、今度の島に着く時までだ。
上陸して発散したら、もう俺なんて見向きもしなくなるだろうし。











いつものごとく手早く後片付けを済ませて、仕込みも終える。
一息ついて振り返ったが、いつもイスに腰掛けて一人で酒を煽っているうざったいクソ野郎の姿がない。
居たら居たで鬱陶しいが、居ないとなんだか物足りなくて、俺は手持ち無沙汰なまま煙草を吹かした。

――――小麦粉、補充しとくか。


寝静まった廊下に明るい月明かりが差し込んで、俺の長い影が伸びている。
足音を忍ばせて俺は倉庫の扉を軽く押した。
が、開かない。

「?」
もう一度押してみるが何かに当たってるのかどうにも開きにくい。
俺は扉の下部分を強めに蹴ってみた。
向こうでからんと音がする。
何かつっかい棒でもしてたのか?
重い扉をぎいと押しやれば、足元からかすかな光が差し込んでいく。
暗い倉庫の隅、ジャガイモの袋やら木箱やらが詰まれた影に、誰かが蹲っていた。





一瞬、マスかいてるとこに乱入したかと思ったが、差し込んだ月明かりでそれがゾロだと知れた。

「・・・閉めろ。」
くぐもった声に、反射的に扉を閉めた。
ついうっかり俺が中に入った形で。

「・・・光を、入れるな。」
きっちり閉ざされた倉庫の暗闇で、俺は自分の迂闊さに舌打ちした。
なんで出てって閉めなかったんだ。
これじゃ出て行くために扉を開けたら光が入ってちまうじゃねえか。
・・・って、なんで光が、ダメなんだ。

闇の中で耳を澄ませば、まるで獣の息遣いみたいに忙しなく荒い呼吸音が響いている。
ゾロだ。

「――――おい?」
俺は無意識に声を潜めてゾロがいた辺りにそっと近づいた。
尋常じゃない雰囲気だが、なぜだかゾロが苦しんでるのが分かる。
息遣いを頼りに膝をついて身を屈めた。
ゾロの固い髪が掌に触れる。
そっと辿れば額の辺りがべっとりと汗で濡れていた。
首筋まで汗まみれで熱い。

「・・・熱があんのか?」
なぜだか俺はこのときゾロを怖いとは思わなかった。
いつも無表情で、感情どころか痛みすらも顔に出さないゾロが苦しんでいる。
そのことが酷く不安で、ガラにもなく動揺していた。

「おい?」
闇に目が慣れてきて、うっすらと輪郭が見えてくる。
肩を上下させて忙しなく続く呼吸は鼻から出ていた。
ゾロの口元はいつも腕に嵌めている黒いバンダナをがっちりと噛み締めている。
そして両手と両足はそれぞれ手首足首のところで縄を巻いて、外れないように自ら握り締めていた。
誰かに縛られたものじゃない。
自分で仕掛けた戒め。

「・・・ホモの上に、こっちの趣味かよ。」
場違いな冗談は闇の中に沈んでしまった。
俺はどうしていいかわからなくて、ただゾロの正面に跪いた。
「・・・チョッパーを、呼んでくるぞ。」
初めて、ゾロが頭を振って俺に反応を示した。
本当はそうすることすら、耐えられないほど苦しいのだろう。
「呼んじゃ、ダメなのか。」
時折痙攣するように身体を震わせ、ゾロが声を絞り出す。

「…すぐに、治まる。」
そう言いながら段々体が前のめりになったから慌てて支えた。
口に布を噛んでいるから余計呼吸しづらいんじゃないか。
玉のように浮いて出る汗を拭おうとバンダナを引っ張った。
俺の手の動きに誘われるように、ゾロが顔を擦り付けてくる。
――――匂いか。
気付いてその頬に手を添えた。
ゾロは目を閉じて、俺の掌に鼻をくっつけるように寄りかかってきた。
丸まった拾い背中に手を添えて、身体ごと支える。
気休めかもしれないけど、それで少しでも楽になるんなら何でもしてやりたいと思った。

だらだら滲み出る脂汗と押し殺した呼吸から、ゾロが相当辛い状況なのはわかった。
それでも、僅かに顔を顰めただけで、じっとそれに耐えている。
すぐに治まるとゾロは言った。
こんなことは、しょっちゅうなのか?
薄く目を開いたゾロは、俺の肩越しに視線を彷徨わせた。
どこを見てるかわからない、あの目だ。
叫ぶ形に開いた口が、俺の手を咥えて歯を噛み締めた。
痛みに思わず声をあげて、もう片方の手でゾロの顎を掴む。
迂闊に手を引くと噛み裂かれそうだ。
なんとか口を開けて欲しいのに、ゾロは細かく震えながら硬直している。

「・・・い、痛っ、ぞ・・・クソ」
なんとか抉じ開けようともがく俺の指に触れて、ゾロの視線が下に下がる。
ガクガク痙攣しながらも、ゾロは口を開けた。
暗くてよく見えないが、くっきり歯形がついちまったようだ。
俺の手を唇の端に引っ掛けたまま、ぜいぜい肩を揺らしている。
辛くて苦しくて、仕方ねえんだろう。

「…大丈夫か。」
だけど俺は、今更な声掛けしかできない。
ゾロは俺の手を見て、それから俺の顔を見た。
ひどくひどく苦しそうなのに、我慢している。
緩く首を振って目を瞑った。

「・・・手は、だめだな。」
独り言みたいに小さな声。
「手は・・・ダメだ。てめえのコックの、手だ・・・」
覚えてたのか。
俺の手は大事なコックの手だと、覚えてくれていた。


歯を噛み締めてゾロが耐えている。
さっき俺が取っ払っちまったバンダナは暗くてどこにあるかわからねえ。
何か噛んでた方が楽なら、俺の手でかまわねえのに。
そう言うと、やっぱり苦しそうにそれでも首を振る。

こんな風に苦しむ人間を目の前にするのは初めてじゃねえ。
それこそ瀕死の状態で呻く者や、飢えで死にかけた奴を看取ったことだってある。
だけど、苦しいのにこんなに耐えてる奴ははじめてだ。
きっと叫んで暴れ出したい位なのにゾロは耐えてる。
自分の手首に縄を食い込ませて、唇を噛み切ってでも耐えている。
それがわかったから俺は余計どうしようもない気持ちになった。

スーツの襟元とシャツを引っ張って涎まみれのゾロの口元に宛がった。
咥えやすいように押し付けて、両手で肩から頭をかき抱くように抱きしめる。
ゾロは鼻で息をしながらじっと俺の服を噛み締めていた。
時折痙攣しながらも、ずっとずっとそのままでいる。
それがゾロの助けになってるかどうかなんてさっぱりわからなかったけど、俺は身動き一つしないで
ゾロを抱きしめ続けていた。













−7−










いつの間にか呼吸のリズムが揃ってきて、上下する肩も平淡な動きに変わって来た。
俺は詰めていた息をほおと吐く。
抱えていた背中を軽く撫でてそろそろと身を起こせば、長時間同じ姿勢でいたせいか関節がぽきりと鳴った。
あちこち強張ってる手足をずらしてゾロから身体を離す。

少し歯に引っ掛かっていたシャツを引き抜くと、ゾロはごろりと床に転がった。
そのままくうくうと寝息を立てる。

「――――やっと寝たか。」


まるででかい赤ん坊を寝かしつけたみたいだ。
やれやれと首を巡らせて、足音で起こさないように静かに倉庫から出た。
空は既に白み始めていて、夜明けが近いと知れる。




甲板に出て軽く伸びをすると頭上から声が掛かった。
「おはようサンジ君。随分早いわね。」
「ああっ、ナミすわん!見張りでしたかっ」
しまった。
よりによってナミさんへの差し入れを忘れるなんて。
ナミさんはひらりとマストから飛び降りると、大きな瞳をより見開いて俺を凝視した。

「すみません、すぐ熱いコーヒーをお持ちしますからっ」
「いいえ、いいのよ。サンジ君はもう休みなさい。」
じーっと見られてからにっこりと微笑みかけられる。
・・・なんで?

ナミさんの視線の先は自分の胸元。
辿るように下を向いて仰天した。
白いシャツの襟元はぐしゃぐしゃでボタンが取れていて、しかも涎まみれで所々に血まで滲んでいる。

「う、あ・・・ち、違うんですっ、これはっ」
慌てて抑えた手にも痛みを感じて見れば、手の甲にくっきりと歯形がついて、しかも滲んだ血がどす黒く
渇いてこびりついていた。
「・・・想像以上に、激しいプレイみたいね。」
「ち、違うんです――――っ!」
「あーいいのいいの。早くシャワーしてらっしゃい。」
ナミさんはまるで犬でも追っ払うかのように、そっぽを向いて手だけでしっしと振って見せる。
言い訳しようにもどこから話せばいいのかわからなくて、ともかくこれ以上誤解が広がるのを防ぐ為、
俺は着替えに走った。







得体の知れないクソ腹巻の発作のせいで、とんだ目に遭った。

軽くシャワーを浴びて着替えを済ませ慌ててキッチンに駆け込むと、もう殆どのクルーが朝食を待っていた。
ルフィは廊下にまで聞こえるような声で「メシメシ!」とうるさい。
「だめよルフィ。サンジ君にも都合ってもんがあるんだから。」
「ナミさ〜〜〜ん・・・」
クルーの手前、俺は下手に言い訳も出来なくて、途方に暮れながらただひたすらに手を動かしつづけた。

さすがにゾロはまだ寝ているのだろう。
結局、朝食を終えた頃にも、起きてこなかった。
ナミさんにからかわれたらこっそり釈明するつもりだったけど、思わせぶりに笑ってるだけでそれ以上
突っ込んでこないし、ルフィたちはいつもと変わらぬ能天気ぶりだし、とうとう説明する機会を失ってしまった。
チョッパーにはなぜか俺から言い出すのは憚られて、なるべく手の創に気付かれないように気を遣う始末だ。




「まだ雨は降りそうも無いわね。」
手すりに肘をついてぼうと眺めるナミさんに、こっそり言い訳しておこうかなとお茶を持って近づくと、
見張り台のウソップが大声を上げた。
「海軍だっ、こっちへ来るぞ!!」
慌てて示す方向を見ると、とんでもないスピードでこっちへ近づいてくる。

「大変、逃げるわよ!」
「やっつけねえのか?」
「馬鹿!海軍相手じゃ逃げるが勝ちよ!」









「麦藁海賊団!大人しくなさい。」

一際通る女性の声が響いた。
この声は、いつぞやの島でやり合わせたメガネのレディ。
もしかして、煙のおっさんもいるのか。

「うえ〜、煙のおっさんもいるのかぁ?」
ルフィも同じことを考えたらしい。
首を伸ばして確認している。
「ルフィ、適当にガトリング叩き込んで足止めさせろ。その隙に逃げる!」
バタついている時に、ようやうくゾロが現れた。
まだ寝ぼけ眼で生欠伸をしている。

「ゾロ手伝え!逃げっぞ!」
「ああ?逃げる?」
ぼりぼりと頭を掻きながら海軍を振り返ったゾロは、そのまま動きを止めた。





「ガトリング〜〜〜っ」

ルフィの威力で甲板に出ていた海兵達が海に落ちていく。
あの女曹長は怒り心頭で躍起になって追いかけてきた。
「お待ちなさい!許しませんよ!!大佐がいらっしゃらないと思って馬鹿にしないで!!」
「あーいないんだ。」
なら楽勝かも。
なんて思っていたら、あろうことかゾロが刀を抜いて海軍船へ飛び移ろうとする。

「・・・!何やってんだっ!!」
俺は怒鳴りながら慌ててその後を追った。






ゾロはまっしぐらに海軍の甲板を目指している。
途中行く手を阻んだ海兵たちを横薙ぎに斬り倒した。
ただならぬ気迫にルフィ達も緊張する。

「馬鹿、なにやってんのゾロ!!逃げるのよっ」
ナミさんの悲鳴みたいな声に混じって、ゾロの呟きが俺に届いた。

「・・・くいなっ」
その先にはメガネのレディ。

俺は咄嗟にゾロが彼女を斬ると思った。
斬らせちゃいけないとも、思った。

そして奇跡的に、俺はゾロを追い越したんだ。








――――――ざんっ・・・


鈍い、肉を斬る音を背中で聞いて、それでも俺はレディの肩を押し退けた。
膝の力が抜けて、そのまま床に崩れ落ちる。
レディは刀を構えたまま、その勢いで尻餅を着いた。

叩きつけられた衝撃だけで、痛みなんかは感じない。
ただ、燃えるように背中が熱い――――――

辛うじて肘を着いて、俺は顔を上げた。
ゾロが斬った海兵達で辺りは血の海になっている。
その中には、多分俺が流した血も混じってるんだろう。

座り込んだレディは俺の頭上辺りに視線を留めたまま、ガタガタと震えている。
多分背後にゾロがいて・・・
止めを刺そうとしてるんだろうか。

どうか、ゾロ・・・その人を殺さないで。
俺は喉が絡んでうまく出来ない息の下で、必至に声を絞り出した。

「・・・ゾロ、殺しちゃダメだ。」






その声は、届いただろうか。


それから後のことは、まったく覚えていない―――――