ゾロと一緒 大なす編 -3-



「あれ?今日ロロノアさんの誕生日じゃないっすか?」
向かいに座る後輩がだしぬけにそう呟いて、顔を上げた。
「おめでとうございます」
「どうも」
真顔で礼を返してから、卓上カレンダーに目をやった。
「よく覚えてるな」
「そりゃ、一度聞いたら忘れませんよ。11月11日ゾロ目の日」
「そう言えばそうね、めでたく三十路突入おめでとう」
「お、ロロノアもいよいよ三十路か」
狭いフロアだから一気に広まって、所長が嬉しそうに両手を擦り合せた。
「こりゃあいっちょ、お祝いしないとね」
「やったあ」
「あ、俺予約しますね」
「待ってくれ」
あまりにもフットワークが軽すぎる後輩を手で制し、ゾロは所長に向き直った。
「せっかくですが今夜は、予定がありますので」
「え?!いよいよロロノアにも春到来?」
「マジっすか?」
「ええ〜なんだかショックー」
いちいち明快なリアクションを返す同僚達に、ゾロは淡々と言葉を継いだ。
「家に帰るだけです」
「―――――へ?」
所長はこの世の終わりみたいな顔つきになった。
それに触発されて、同僚達も一気にお通夜モードになる。
この事務所のノリの良さは異常だ。
「ロロノア…まさかオーナーと二人きりでバースディパーティーとか、そんな…」
「早まるな!世を儚むな!」
「なんでそうなるんですか。サンジが帰って来たんです」
「ほんと?!」
所長がデスクに手を着いてその場でピョンと飛び跳ねた。
一体幾つだ、この人は。

「え、サンジってどなたです?」
「ゾロの弟分だよ。フランスに料理の修行に行ってんだよな」
「それが昨日、突然帰ってきて」
そりゃあよかったと、所長は満面の笑みで立ち上がった。
「早速俺も挨拶に行かなきゃ、そうかサンちゃん帰って来たかあ、いつまで?」
「修行は終わったとかで、もうずっといるみたいです。何の連絡もなしにいきなり帰って来たから驚いたんですが」
「うわあよかったねえ。サンジ君、大きくなったでしょう」
同僚のナミは、思い出し笑いをしながら聞く。
なんせガキの頃から女に目がなかったサンジは、ナミが店に現れる度に大袈裟なリアクションで褒め称えていたのだ。
結婚して1児の母になった今でも、きっとサンジにとってナミは女神に等しく映るだろう。

「じゃあ、サンジ君はこれからバラティエで働くの?」
「昨日、帰って早々働いていたな」
「大きくなったんじゃないか?」
「20歳です」
「え、20歳?そんな年で海外に修行に出てたんですか?すげえっ」
素直に感嘆する後輩に、事務所のみんなはなぜか我がことのように自慢げにサンジを語った。
「なんせフレンチレストラン・バラティエの跡取りだからな。子どもの時からの気構えが違うって」
「サンちゃんを、そんじょそこらのガキと一緒にするんじゃねえぞ。根性が半端ねえぞ」
「あー早く会いたいなあ」
「じゃあ今晩、ロロノアの誕生会を兼ねてバラティエでディナーってどうだ?」
賛成!とスタンディングオベレーション状態の中、ゾロだけが冷静な声を出した。
「却下」
「なんでー」
「だから、今夜はマジ勘弁してください」
苦々しい顔のゾロに、所長自ら口笛を吹いた。
「そっかーせっかくサンちゃんがいるんだから、そりゃゆっくりお祝いされたいよねえ」
「そうよね、久しぶりの水入らずなのね」
「そりゃどうもお邪魔様でしたー」
ノリが良くて物わかりも良すぎる職場というのも、ちょっと怖い。
一騒ぎが済んだとばかりにファイルを揃えるゾロに、ナミは椅子ごと向き直った。
「サンジ君が帰ってきたってのに、なんだってそんな辛気臭い顔してるの」
「元からだ」
「そうだよーなんかこう、アンニュイな感じ?」
「所長は仕事してください」
素っ気ない態度のゾロに、所長は椅子ごとクルクル回って抗議する。
「つれないなあ、ここにエースがいたら、もっと突っ込んで聞いてくれるのになあ」
どこのガキだ。
ゾロは溜め息一つ吐いて、独り言のように呟いた。
「4年ってのは長いですね」
「―――・・・」
「知らない間に随分と大人びて、喜ばしいことなんですが」
「…寂しいよねえ」
「別に、そんなこともないですけど」
つっけんどんに返すゾロに、上司がしみじみと続ける。
「子どもなんて、あっという間に大きくなるから」
「手が離れてから寂しくなるんだよなあ」
「私も今のうちに、猫かわいがりしておこうっと」
話題が子育て談義に逸れたところで、懐の携帯が鳴った。
兄からの着信に、その場で席を立つ。

「所長、午後にネフェルタリ商事との打ち合わせ入ったんで、いいですか?」
通話を終えて席に戻り、パソコンから予定表を訂正する。
「ああいいよ、シャボンティ社にはサボと行くか」
「OKです」

ゾロの兄は、今では仕事上のお得意さんだ。
高校生の時、突然家を出たゾロに不信感と蟠りを抱いていたが、3年前に仕事を介して偶然再会し、それを機に交流が再開した。
仕事以外でも月に数度、飲みに出かけている。
どんなに親しくなっても、ゾロの口から当時の怪我の原因や家出の理由など語られることはない。
兄も無理に問いただすことはなく、ほどよい大人の付き合いが続けられている。
兄の口を通して語られる、元の家族の様子も平穏で幸せそうだ。
そのことが、ゾロにはとても嬉しい。





今日はおうちでお誕生会だから、ゾロは早めに帰してあげよう。
所長の一声で、就業時間きっちりに解放された。
無理やり追い出された感も否めないが、ありがたく直帰させてもらう。

帰宅すると家に灯りがついていて、食欲をそそるいい匂いが表にまで漂ってきていた。
サンジが待っているかと心持ち声を弾ませて「ただいま」と声を掛けると、予想外に「おかえり」と返したのはゼフだった。
「チビなすは店だ」
「…そうですか」
声に落胆を滲ませないように努力したのに、ゼフは思い切り嫌そうに顔を顰めた。
「あからさまにガッカリした顔、見せんじゃねえよ」
「見せてません」
「口答えするようになったか」
無愛想な口調だが、からかわれているのがわかってゾロも苦笑いする。
ゼフには、いつまでたっても子ども扱いだ。
「風呂入ってろ、飯にするぞ」
「うっす」
結局、いつもの夕食だった。

ゼフと二人で食事をしていると、昨日サンジが帰ってきたことがまるで夢のようにも感じる。
だが、気を付けて眺めればそこここにサンジの気配が残っていて、やはり夢ではないのだと実感できた。
「なにをニヤニヤしてやがる」
決して、ゾロは表情を変えてはいなかった。
けれどなぜかゼフには心中を見破られ、観念して嘆息した。
「ニヤニヤしてません」
「減らず口叩きやがる」
ゼフが先に戻っているなら、サンジは店仕舞いまで残るだろう。
平日はこうしてすれ違い生活だったなと4年前を思い出してみて、これは特別なことではなかったと考え至る。
誕生日なのに帰ったら待っててくれてなかっただなんて、寂しがることでもないのに。
なにを期待していたんだ俺は。
表情に出さず地味に反省していたら、先に食事を食べ終えたゼフがのっそり立ち上がった。
「俺は風呂入って寝る」
「うっす」
いつも食事の支度はゼフがし、後片付けはゾロの担当だ。
黙々と洗い物を済ませ居間でビールを飲みながらテレビを見ていたら、サンジが帰ってきた。
「ただいまー」
お、とゾロは振り返り、表情に出してにんまりとした。
やっぱりいいもんだ。
サンジの声がすると言うのは。

「おかえり」
「遅くなって悪い」
手にした箱を冷蔵庫に仕舞い、顔半分まで覆ったマフラーを外す。
外は冷え切っているのか、鼻と頬が赤い。
「帰って早々働き詰めで、疲れただろ」
「なんてことねえよ、明日は休みだし」
熱いお茶でも煎れてやろうとゾロが立ち上がったら、ゼフが風呂から上がってきた。
「おかえり」
「ただいまー、俺続けて入るわ」
なぜか慌ただしい動きの二人を、ゾロは急須を持ったまま交互に見やった。
「じゃあおやすみ」
「おやすみなさい」
「おやすみー」
早々に部屋に引っ込んだゼフと風呂に入ったサンジを見送って、一人取り残されたゾロは再びテレビに目をやった。

そのまま横になり、少し転寝したらしい。
肩を掴んで乱暴に揺り動かされ、はっとして目が覚めた。
「起きろー」
「ん?」
寝ぼけ眼で身体を起こすと、時刻はまだ11時過ぎだ。
サンジは風呂に入ったらしく、湿った髪をタオルで包んでゾロの横にしゃがみ込んでいた。
「髪、ちゃんと乾かさねえと風邪引くぞ」
「そういうとこ、全然変わってねえな」
目を細めて笑うサンジは、以前とは少し変わった。
表情一つとってもどことなく余裕が滲み出ていて、見知らぬ他人のような感覚に陥ることもある。
いまも、起こされたゾロを優しく見守る保護者のような目で見つめている。
「時刻ギリギリで間に合ったな、誕生日おめでとう」
「おう」
ありがとうと欠伸をしながら答えると、サンジはこっちこっちとゾロの襟元を掴んで引っ張る。
「ケーキ持って帰ったんだ。今日のうちに食べようぜ」
「おう」
少し寝たら小腹が減った気がする。
テーブルに着くと、美々しく飾り付けられた小ぶりのケーキとシャンパンが用意してあった。
これぞまさしく、誕生祝いの席だ。
サンジはやはり、ゾロを祝ってくれるつもりだったらしい。

「んじゃ改めて、三十路突入おめでとう」
かんぱーいとシャンパングラスを掲げ、二人で調子を合わせて杯を空ける。
よく冷えていて美味い。
いつもならラッパ飲みするところだが、こうしてサンジと分け合って飲むのもまた格別だと、酒にばかり意識が行っている間に手際よくケーキが切り分けられていた。
昔から手指が長く仕種が優美だったが、大人になったいま、サンジの動作はそれだけで目を奪われるほどに艶やかだ。
ただ調理するだけでなく、調理の過程も“魅せる”タイプの料理人になるのだろう。
「生クリームたっぷりフルーツケーキだぜ。酒飲みの癖に甘いのも好きだよな」
「ああ」
ゾロが甘党になったのは、サンジが作ったホットケーキを食べてからだ。
甘いものが美味いと、あの時初めて知った。

頬袋を膨らませながら、ムシャムシャ食べるゾロをサンジは嬉しそうに眺めている。
シャンパンに口は付けたが、ケーキを食べないようだ。
どうしたと目で促せば、サンジは酒のせいかほんのりと目元を赤らめて俯いた。
「…後で食う」
後も何も、もう深夜だ。
「明日の朝、食うのか?」
「そうじゃなくて…」
そう言えば、夕食はちゃんと食べたのだろうか。
店で賄いを済ませてはいるだろうが、腹は減ってないのか。
ゾロばかりが食べている気がしてそう気遣うと、なぜかサンジはますます顔を赤らめた。
「それも、後で食う…」
「――――?」
唇に付いたクリームをぺろりと舐めて、ゾロは訝しげにサンジの顔を覗き込んだ。
「お祝い、したいから」
「うん」
「ゾロの部屋に、泊まる」
「――――・・・」
いくら朴念仁のゾロでも、この展開ではさすがにわかる。
シャンパングラスをぐいっと呷って、パジャマの袖口で口元を拭った。
今さらドキドキするなど、小学生かと己を叱咤する。

「お祝い…、しよ?」
「…おう」
気を抜いたら、甘い甘いゲップが出た。


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