ゾロと一緒 大なす編 -2-



日曜に手伝いに出る時は、ゾロはいつも早上がりさせられている。
もともと無償での手伝いなのだから時間設定もないようなものだが、放っておくと閉店後まできっちりと後片付けに残るからパティ達が気を利かせて取り決めたものだ。
「それでは、お先に失礼します」
「おう、お疲れさん」
帰宅と言っても隣接された住宅に戻るだけだが、勝手口を開けたゾロの後ろからサンジもついてきた。
「んじゃ俺もお先〜」
「おお、お疲れ」
「ゆっくり休めよ」
即戦力とは言え、帰国して早々だからとサンジも早帰り組に入れられた。
バラティエの厨房にコックとして立つのは初めてのことで、サンジも軽く高揚していたが身体は疲れているに違いない。
上がっていいぞと言われた途端、生あくびをしたサンジに皆こりゃ大物だと笑った。

「疲れただろ?」
「んな訳ねえだろ…って言いたいとこだけど、さすがにちょっと眠い」
飛行機の中でしこたま寝たのになーと呟くサンジの前で、玄関の鍵を開ける。
サンジの両手は、店から持ち帰った夜食で塞がっていた。
代わりに荷物を持って、扉も開けてやる。
「どうぞ」
「ども」
サンジは澄ました顔でゾロの前を通り、暗い廊下の明かりを点けた。
「あー家の匂いがする」
「そうか?」
「ああ、懐かしい…つか、帰って来たんだなあ」
サンジはしみじみと呟きながら、キッチンやリビングを覗き洗面所に行って風呂を張ってから出てきた。
「全然変わってねえな」
「4年やそこらで、そう変わらねえよ」
とは言え、廊下や洗面所には手すりが増えた。
2階部分はゾロが一人で使っているが、サンジの部屋は時々掃除に入るぐらいで昔のままだ。
階段を上って、サンジはすぐ降りてきた。
「俺の部屋も全然変わってねえ、掃除してくれてんの」
「たまにな。帰るなら帰るって言やあ、ちゃんと掃除しておいたのに」
「へへ、悪いな」
驚かしたかったんだよーと子どもみたいなことを言って、テーブルに着く。
ゾロは緑茶を入れて、目の前に置いてやった。
「あーいい匂い。やっぱあったかいお茶はいいなあ」
差し向かいで茶を啜って、どちらともなくほうと息を吐く。

「…元気にしてたか」
「うん、ゾロも?」
「ああ」
サンジを最後に見たのは4年前、まだ16歳の頃だ。
伸び盛りだった身長に体重が追い付かなくてヒョロヒョロしていたのに、今は肩幅もがっしりしている。
けれどまだ身体に厚みが足りないのか、袖から覗く手首は骨ばっているし、マフラーを外した首もすっきりと細くてしなやかだ。
均整のとれた、綺麗な大人の体格になった。

「そだ、お茶もいいけど俺の土産」
サンジはそう言って、スーツケースから抜いておいたらしい紙包みを取り出した。
その間に、ゾロは持ち帰った夜食をテーブルに広げる。
「じゃーん、年代物だぞ」
「お」
差し出された酒瓶に、ゾロの目が喜びで見開かれる。
「そうか、もうお前も酒が飲める年か」
「あっちじゃ16歳から解禁だぜ。でも俺はちゃんと20歳になってからだけど」
グラスを用意して綺麗な仕種で注ぎ、軽く掲げる。
「乾杯」
「なにに?」
「再会に、だろ」
目元を細めて笑うサンジは、随分と綺麗になった。
髪は少し伸びて、ストレートだと思っていた毛先が軽やかに跳ねている。
灰色がかった青い瞳は昔と変わらず悪戯っぽく煌めいているけれど、顔立ちからは甘さが抜けて男らしい色香が漂う。
なにより、4年間を異国の地で、一人で切り抜けてきた自信と自負が漲っていた。

「ゾロは、相変わらず?」
「ああ」
「事務所のみんなは元気?」
「ああ。あ、エースは独立して自分の事務所持った」
「ゾロは?」
「特に、今のままだ」
他愛のないことを話しながら、夜食を摘まむ。
サンジはぐいっとグラスを空けて、ゾロにお代わりを要求するようにグラスを突き出した。
「ゾロは、なんも変わってない?」
「ああ」
何度も同じことを聞くサンジと、同じようにしか答えられないゾロ。
話が進まないのを苛立ったか、ゾロが注いでくれた酒を一息で飲み干してグラスを置いた。
「じゃあさ、ゾロは…待っててくれた?」
「―――― …」
一瞬沈黙が流れたが、ゾロもグラスを置いてまっすぐにサンジを見た。
「ああ」
サンジの顔が、ふにゃりと蕩けるように崩れる。



4年前、いよいよ明日出立と言う夜に、サンジはゾロのベッドに潜り込んできた。
懐かしいな思いつつ、いつまでも子どもだなという呆れも伴って迎え入れたゾロを、サンジは乗り上げるように肘を立て、見下ろした。
「ゾロが、好きだ」
真剣な顔で、泣きそうな瞳で、サンジはじっとゾロを見つめている。
顔の横に付いた手は小さく震えていて、唾を飲み込む度に喉仏が大きく上下する様が緊張の度合いを伝えた。
「―――― …」
その時もなんて答えていいかわからず、ゾロは沈黙していた。
それに焦れて、サンジの方から屈みこむ。
顔ごとぶつかるようにして唇を付けると、ゾロは一拍遅れて避けるように顔を傾けた。
それを追いかけて更に唇を重ね、サンジはぎゅっと目を瞑った。
サンジの背中に回されたゾロの手が、そっと肩に触れる。
一瞬力を込めてから、引き剥がすように押し戻された。

「ダメだ」
「…ゾロ」
目に涙を溜めて唇を戦慄かせながら、サンジは悔しそうに顔を上げた。
「ダメ?俺のこと、嫌い?」
「好きだ」
「俺も、好きだよ」
再び圧し掛かろうとするサンジを制し、ゾロは起き上がってベッドに腰掛ける。
「お前のことは好きだ、けどまだお前は子どもだろ」
「子どもじゃねえよ、もうなんだって一人でできる!明日から、一人でフランス行くんだから!」
それには、ゾロだって驚いた。
あの小さな子どもだったサンジが、急に大人びて遠くへ行ってしまうようで焦りもした。
けれど、サンジが成長することを阻む権利は自分にはないし、サンジのことを思うなら黙って送り出してやるのが一番だとも考えていた。
だから、反対することも引き止めることもせず、祝福だけを送った。

「お前が、焦って急いで大人になることはない」
「…だって、ゾロはいつまでもそうして俺を、子ども扱いするじゃないか!」
サンジは、それこそ子どものようにポロポロと涙を零し、ベッドの上で駄々を捏ねるように膝を揺らした。
時折わがままを言って困らせた、子どもの時の様子そのままだ。
「俺はゾロが好きなのに!好きになったっていいだろ?自由だろ?」
「ああ」
「ゾロも俺のことが好きなら、いいじゃないか」
あまりにも真っ直ぐなサンジの想いに面食らいながらも、ゾロはどこか冷静に受け止めていた。

以前から、薄々サンジの想いには気付いていた。
時々熱が籠る目で見つめられている意味を悟って、けれど気付かないふりをしていたツケがいま回って来たのだろう。
小さい頃から傍にいて、寂しさを埋めた存在である自分は、サンジにとってはかけがえのないものになるだろうことは想像がつく。
それを“恋”と勘違いすることも。

「俺はお前を可愛いと思うし、お前のことだけを思って生きていくのは変わらない。今までも、これからも。だがお前は違う」
「違わないぃ」
「いや、違う。俺達は、少し離れた方がいいのかもしれない」
ゾロの言葉にショックを受けて、サンジは目と口を開いたまま固まった。
今まで紅潮していた頬が、さっと蒼褪める。
戦慄く唇をゾロはそっと指で押さえ、宥めるように撫でた。
「お前のことがずっと好きだ、多分最初に会った時から。俺の気持ちは変わらねえが、お前が俺しか見てねえことに不安がある」
「なんでっ、なんでゾロが不安に思うんだよっ」
「お前はまだ若い。ガキだってんじゃなくて、本当に年が若い」
「しょうがねえだろ、どうしたってゾロに追い付けないんだからっ」
ゾロのパジャマを握り締め、頭をぶつけるようにして胸元に縋り付くサンジの背中をそっと撫でた。
「だから、俺は寂しいけど。ほんとは嫌だけど、お前が一人でフランス行くってのも反対しなかった。ほんとは嫌なんだぞ」
「ゾロ…」
「離れたくはねえよ」
「ゾロ…ほんと?」
瞬きする度に、サンジの瞳から涙の粒が零れ落ちる。
そんなにも必死で、縋り付くような目で見られてゾロの胸はキリキリと痛んだ。
本当は、このまま抱き寄せてどこにも行くなと叫びたい。
けれど、それはしてはいけないことだ。

「じゃあ、ゾロ…約束して」
「ん?」
「俺を待ってるって、約束して。俺が、ちゃんと料理人になってここに戻ってくるまで」
「ああ」
「ほんとだよ、絶対だよ?俺が帰るまで、待っててよ」
「約束する」
サンジがいらないと言う日まで、ずっとそばにいるとゾロは決めたのだ。
サンジが待ってろと言うなら、一生待っている。

「じゃあ、約束のキスをして」
思い詰めた表情でそう言うサンジにゾロは少し困ったような顔をして、それでも優しくキスをした。
それが、サンジと過ごした最後の夜のこと。





サンジは懐から煙草を取り出し、火を点けた。
軽く吹かしてから指に挟み、横を向いて煙を吐き出す。
その慣れた仕種に改めて、大人になったんだと思い知らされた。
サンジの、少年期から大人へと成長する過程が見られなかったことが、惜しくもある。
「煙草、吸うのか」
「ん、あっちで癖になっちゃってさ」
持参したらしい携帯灰皿に灰を落とし、蠱惑的な笑みを浮かべた。
「色々経験したしね、いいコトも悪いコトも」
人間的に成長したなら、なによりだ。
ゾロはそう思って頷いたが、心の内がわずかにざらつく。
自分が知らないサンジを、目の当たりに突き付けられた感じだ。

「急いで帰って来た甲斐があったってもんだ」
「―――――?」
口端に煙草を挟み酒を注ぐサンジに、ゾロは無言で問い返した。
「ゾロの誕生日、明日だろ?急に帰ってきてはいお祝いってんじゃあ、ゾロの心の準備ができてねえだろうが」
「―――― …」
一体どういう祝いをするつもりかと訝しんだが、ゾロは何も答えずにグラスを呷った。



「なんだてめえら、まだぐずぐずしてやがるのか」
ゼフの帰宅に、現在の時刻を思い出して二人して顔を上げる。
「お疲れさんです」
「お帰り、そういや風呂張ってあるから先入って」
「風呂沸かしたまま、ぐずぐずしてやがって」
ゼフは悪態を吐きつつも、そのまま風呂場へと直行した。
久しぶりの再会で、積もる話もあるだろうと慮ってのことだ。
それならば、自分よりゼフの方が話したかろうとゾロは皿を重ねて立ち上がる。
「俺は先に休む、明日の朝シャワーを浴びてから行く」
「え、そんな時間に起きれんの?」
意外そうに聞くサンジに、ゾロは苦笑を返した。
「お前がいない状態で、何年過ごしたと思ってんだ。一人で起きれるくらい、俺も成長した」
そう言ってやれば、サンジは声を立てて笑った。
4年分の時間が一気に戻ってきたような、子どもっぽい笑顔だった。



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