ゾロと一緒 大なす編 -1-



日曜日にだけときたま現れる隻眼のウェイターは、バラティエの密かな名物になっていた。
服の上からでもよくわかる、鍛えられ引き締まった体躯に黒のギャルソンエプロンを付け、慣れた様子でホールを仕切っている。
緑髪の短髪に精悍な顔立ちだけでも目を引くが、そこへ持ってきて左目に大きな傷が入って瞼が閉じていた。
着流しを着たら時代劇にこういうキャラ出て来るよねと思わずにいられない、まさしく「映画から抜け出てきたような」外見なのに、小さなフレンチレストランでウェイターをしているというのがまた格好の話題となっている。

「今日ロロノアさんいる、ラッキー」
「当たりだ、写メりたい」
「黙ってやっちゃダメよ、犯罪。第一ロロノアさんはみんなのものだから」
常連客に勝手に「モノ」扱いされているゾロだが、本職はサラリーマンだ。
赤髪会計事務所でも中堅どころとなり、肩書が付き部下が増え、責任も重くなった。
その分やりがいも増え、充実した毎日だ。
相変わらず、仕事がない休日はこうしてバラティエを手伝っている。
サンジがいなくなった今も、この習慣はずっと続けていた。

「ありがとうございました」
ランチタイム最後の客を見送り、表のプレートを「CLOSE」に変える。
これからしばらくアイドルタイムだ。
「お疲れさん、賄いできてっぞ」
「はい、いただきます」
厨房の隅でスタッフと一緒に遅い昼食をとるため中に入る。
古株のパティは、はあと大げさな溜め息を吐いた。
「しかしあれだな、あんたはいつまで経っても変わらねえなあ」
「…?」
無言で見返すゾロの片目を、どこか痛ましそうに目を瞬かせながら見返す。
「オーナーんちに来たときは、まだ高校生になりたてくらいだったじゃねえか。そりゃちっさいガキとは言えなかったが、子どもにしちゃ随分礼儀正しい落ち着いた子だとは思ってたな」
「そうだな、懐かしいなあ」
同じく古株のカルネが、丸いグラサンの向こうで目を細める。
「言っちゃあなんだが恩人って立場のオーナーに敬語を使うのも、まあ当然っちゃあ当然で好ましい態度だとは思うぜ。だが俺達にまで、いつまでもそう鯱ばってなくていいだろ」
「――――・・・」
「そうそう、都合付く時だけとはいえ、何年一緒に働いてるって思ってんだよ。そんじょそこらのスタッフより要領よくって役に立ってっじゃねえか。もっとこう堂々と・・・いや、いつも堂々とはしてるな。けど、どっか一歩引いてんだよなあ」
「オーナーの家族みてえに暮らしてるのに、やっぱ遠慮が先に立つものかね」
「仕方ねえことだろうし、厚かましくなって我が物顔で振る舞えばそりゃあ他人事でもこっちも面白くねえけどな。けど、こんだけ他人行儀な態度が変わらねえのも、どうかと思うぞ」
付き合いが長いだけあって、パティ達は歯に衣着せない勢いで好き放題言う。
それにゾロが気分を害していないことは、口にせずとも伝わってはいるようだ。
実際、これらの軽口にゾロもポンポン言い返せればいいのだが、いかんせんゾロは口があまり達者ではない。
仕事上ならばいくらでも話すことができるが、プライベートではほぼ無口・・・と言うか、あまり考えてないので言いたこともさほど多くはない。
常に言われっぱなしだ。

「くだらねえことグダグダ食っちゃべってねえで、とっとと休め」
奥からのっそりと出てきたゼフに、パティ達はうへえと首を竦めて賄いを掻き込んだ。
ゾロは聞きながら箸を動かしていたので、すでに食べ終えている。
ごちそうさまでしたと手を合わせ、所定の位置に器を下げた。
ここから先は、プロの領分だ。

「表の掃除してきます」
「後でいい、お前ももっと休め」
ゼフに労われ、ゾロは口端だけ上げて見せた。
ぱっと見冷笑しているように見えるが、これは照れているのだと長い付き合いのパティ達にはわかる。
「俺が休むと、寝ちまいますが」
「掃除、行って来い」
苦笑と共に追い出され、ゾロは勝手口から外に出た。


「あいつ、幾つになりやした?」
カルネの囁くような声に、ゼフが太い眉を顰める。
「さて、そろそろ三十路だったか…」
「明日、誕生日ですよね。またみんなで祝いますか」
「野郎ばっかに祝われたって、浮かばれねえだろ」
「それを言うなら嬉しかねえだろ、殺すなよ」
軽口を叩きながら、パティはふうと太い息を吐いた。
「あいつがオーナーんちに来て、もう12・・・いや、13年になるんすか」
「つい昨日のことみてえだな」
「年寄り臭えこと言うなよ」
ふへへと低く笑い、窓の外に見え隠れする緑頭を眺める。
「チビなすと一緒にこの店で働き始めたのも、ついこないだのことだと思ったのになあ」
「愛想のねえ目つきの悪い野郎が、あんな人相になっちまって。どうなることかと思ったが、なかなかどうしてたいした人気じゃねえか」
「女ってのはちょい悪に惹かれるもんだ」
「ちょい悪どころじゃねえだろ、思い切り悪人面だろ」
好き放題言っているが、パティ達の瞳は和んでいる。

「チビなすがいなくなってもこうして店の手伝いを続けてくれてんだ、俺らだって大助かりだよ」
「いまだに無償で、給料は受け取らねえんですかい?」
カルネの問いに、ゼフは忌々しそうに口髭を引っ張った。
「あいつが納得してやってることだ、好きにさせるさ」
「義理堅えのも、らしいっちゃらしいっすね」
「けどもう30だろ?いい加減、浮いた話の一つや二つねえと酷だろ」
「あんだけモテんのに、どうしようもねえ朴念仁だな」
「俺、こないだもロロノアさんに〜って手紙預かりましたよ、橋渡しさせられる俺らの身にもなって欲しいっす」
「いい男にはさっさと身を固めて貰いてえよなあ」
「だからって、お前に順番回るわけじゃねえと思うぜ」
「あんだとゴルア」
「お、やるか」
スタッフ同士の子どものようなじゃれ合いをうるさそうに横目で見ながら、ゼフは賄いを食べ終えてゆっくりと立ち上がった。
少しふらついて、テーブルに手を着く。
パティやカルネの気遣わしい視線は感じるが、敢えて口に出したり手助けするものはいなかった。

ゼフは自分の分の食器を下げると、そのまま奥の事務室へと戻る。
ゾロが来てから10年以上経ったように、ゼフもまた随分と年を取った。
そのことを実感する日々だ。





カサカサと乾いた音を立てて足元を舞う枯葉を、丁寧に掻き集めて袋に入れる。
すっかり掃き清めてしまっても、どこからか風が吹いてまた枯葉が飛んでくるがこれはこれで風情があるというものだ。
表に飾られた鉢植えを点検し、扉と窓を拭いて一歩下がって店を眺める。
よし、と一人頷いて箒を持ち変えると、背後から枯葉を踏む音が近付いてきた。

「緑に赤って、目に痛いほどの補色だよな」
懐かしい声にはっとして振り返る。
そこには、荷物を抱えたサンジがマフラーに顔を半分埋めて立っていた。

「―――――・・・」
「びっくりしたのはわかるけど、せめてなんか言えよ。無口にもほどがあるだろ」
口元を覆ったマフラーを引き下げて、サンジが笑う。
確かにサンジだ。
見間違いなんかじゃない。

「おま・・・帰って来たのか」
「うん、いまさっき」
ゴロゴロと大きなスーツケースを引きずるのに、ゾロは慌てて手を伸ばした。
いつの間にか、サンジの目線は自分と変わらなくなっている。
大きくなった。
そして少し、逞しくもなっている。
けれどサンジだ。
ゾロを見つめる瞳は以前と少しも変わらない、可愛いサンジだ。

「ただいまゾロ」
「おかえり」

サンジが手を伸ばして、ゾロの髪に触れた。
いつの間に付いたのか、真っ赤な紅葉がその手に握られている。
「まさか、帰って早々頭に紅葉飾ったゾロに会えるとは思わなかった」
「レアだろ?」
そう言って、どちらからともなく踵を返して店に向かう。
勝手口の扉を開ければ、中から怒涛のような歓声が響いた。





中学を卒業したら、料理人の修行をする。
サンジがそう宣言したのは、中学3年生になってからだった。
てっきり高校に進学するものだと思っていたゼフとゾロは珍しく慌て、あの手この手で説得したがサンジの決心は固かった。
――――専門学校入って、卒業したらフランスに行きたい。
早くゼフの後を継ぎたいんだと明確なビジョンを示し、自分で入学の手続きをしてしまった。
卒業後は10代でフランスへと単身旅立ち、盆正月にも戻らないでメールも途絶えがちになって4年・・・
そんなサンジが、突然帰ってきた。

「なんだ、帰るんなら帰るって言え」
ゼフも全く知らなかったらしく、目を白黒させている。
パティとカルネは飛び上がって喜び、他のスタッフたちも休憩そっちのけで歓待した。
「久しぶりだな、なんだまたでかくなったんじゃねえか」
「この野郎、生意気にチョロ髭なんざ生やしやがってチビなすのくせに」
「チビなす言うな」
もみくちゃにされながら、サンジは抱えていた袋から荷物を取り出した。
「まずはみんなに土産〜って言いたいけど、別便で後で届くから。これは香辛料とペーストとジャム、ジジイにはマムから言付かってる」

最初の2年はフランスの田舎で飛び入り修行をしては腕を磨いていたが、その後はゼフの口利きで三つ星レストランに勤め、ゼフの実家に居候していた。
そういう意味では心配していなかったが、それでも音沙汰がまったくないのは寂しいものだ。
「突然でごめんな、でももう帰ってきたから」
ゼフの後ろで黙って見つめているゾロに、サンジは笑いかけた。
「修業は終わったから、明日からここで雇ってほしい」
「藪から棒に、なんて勝手な言い草だ」
ゼフは頬を赤くしてふんと鼻息を荒くしたが、決して怒っているのではないとみんなにはわかる。
「明日からとか生易しいこと言ってんじゃねえよ、今日からだ。使いもんになるかどうか、今夜試してやる」
「そう来なくちゃ」
帰国したばかりなのにと気遣うパティを片手でいなし、サンジは生き生きとした表情で真新しいコックコートを取り出した。



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