ゾロと一緒 中なす編 -3-




午後の面会時間に、ゼフが顔を出した。
「どんな調子だ」
「あ、もうすっかりいいです」
昼食を食べ終えて爆睡していたゾロは、寝ぼけ眼で返事をする。
「いいから、そのまま寝そべってろ」
起き上がろうとするのを制し、ゼフは持ってきた紙袋をサイドテーブルに置いた。
いい匂いがするから、多分焼き菓子でも持ってきてくれたのだろう。
ゾロの病室はいつも美味しそうな匂いがすると、看護師の間でも評判だ。

「あいつは浮かねえ顔をしながら、それでも学校に行ったぞ」
「そうですか」
ゆっくりと身体を起こすゾロの前で、ゼフはパイプ椅子に腰かけた。
「なんか知らんが、一人でグダグダ考えてやがったあいつの尻を、叩いてくれたんだろ」
サンジは恐らく、ゼフに事情を説明していない。
それでも、なにがしか様子がおかしいことくらいゼフにはお見通しだ。
ゼフの性格では表立って心配などできそうにないし、サンジもきっとそれを一番嫌がるだろう。
そういう意味では、ゾロは仲介的な役割が担える。
「一人で考えててもろくなことにならないから、とりあえず学校行けと言っただけです」
「あんたが言ってくれてよかった。俺が言ったって、あいつは反発するばかりだからな」
それも、想定内だ。
そんな風でいて、サンジが一番心を許し甘えているのはゼフなのだともわかっている。

ゾロは白いシーツに置いた手をじっと見つめ、思い詰めた表情でゼフを見た。
「俺は、偉そうに言える立場じゃねえんですけど」
「ん?」
持参したポットからハーブティーを注いでいたゼフは、しかめっ面のまま振り返った。
「俺の逃げ場はあんたが作ってくれたのに、そんな俺が逃げるななんて、どの面下げて言えるかって」
自嘲に顔を歪めるゾロを、ゼフは目を眇めて見据えた。
「逃げたつもりだったのか?」
「…ええ」
ふっと太い息を吐き、ゼフは病室にそぐわない可憐なティーカップを差し出した。
「今回の事故は新聞にも載ったからな」
「――― …」
「大丈夫かと電話があった。事情だけ説明して、見舞いは遠慮してもらった」
「ありがとうございます」
ゾロはティーカップを膝に置き、深々と頭を下げる。
こういったことが、ゼフの元に逃げ込んだという自覚と守られていると思える所以だ。
ゼフ自身は、さほど考えてはいないのかもしれないが。

「お前ももう、成人した大人だ。親と言えども独立した子どもに干渉することもねえだろうし、俺だって特に保護者面するつもりはねえ」
「いつまでも、ご迷惑をお掛けします」
「迷惑なんざあるか、大体てめえのそういう物言いは気に入らねえ。縁があってうちの家族になったんだから、今じゃあちらさんのが他人感覚だろ。切り離して考えな」
ゼフの言葉に、ゾロは虚を突かれた顔をした。
「…いいんでしょうか」
「ああ、いいんだ。確かに、ちびなすのこたあ言えねえな。てめえもよっぽどぐるぐる考えてやがる。くだらねえことに気ぃ回してると、あいつみてえに眉毛が巻いちまうぞ」
ゼフの軽口にぷっと噴きだして、表情を緩める。
「そうですね、大事なのは俺の家族です」
「それだけわかってりゃ、充分だ」
ゾロは頷いて、ティーカップに口を付けた。



そろそろ仕込みに戻ると病室を出て行ったゼフと入れ替わるようにして、サンジが入ってきた。
学校帰りのようで、頬を上気させ荒く息を吐きながらマフラーを外す。
「はあ、寒かった。ただいま」
「おかえり、走って来たのか」
「うん」
戸口で手を消毒したのにもう一度洗面所で手を洗い、サンジは「あったか〜い」と言いながらゾロのベッドに腰掛けた。
シーツの下に手を差し入れて、怪我をしていない方の手を握る。
「お、冷えてんな」
「はーあったけー」
ゾロは体温が高いらしく、いつでも掌が温かい。
夏場は暑苦しいと避けられるが、この時期には随分と重宝される。
ちょうどゾロの誕生日辺りが節目で、やたらとサンジがくっ付いてくる季節の到来だ。
夜、ベッドの中にサンジが潜り込んで来るのもこれが目当てだろう。

手を握り合ってじっとしていると、サンジが落ち着きなく視線を彷徨わせた。
けれどゾロは、そんな様子を黙ってじっと見つめている。
「ん…、あのな、あのな」
なにも聞かないゾロに焦れたか、サンジの方から口を開いた。
「学校、行ってきた」
「ん、どうだった」
「うん、よかった」
そう言って、ほうと息を吐く。
「行ってよかった。もう、行くまでドキドキバクバクしてて、みんなにどんな顔して会ったらいいのかとか、なんか言われるんじゃないかとか、いっぱいいっぱい考えてパンクしそうだった」
そう言って、ふわわ〜と片手で自分の顔をごしごし擦る。
「だってさ、なんか新聞にも載ったんだって。あ、ロロノア・ゾロさんが怪我したってこと。んで、クラスの奴とかでもそれが俺のゾロだって知ってる子は知ってるし、大丈夫だった?大変だったねとか言われると、それが単純にゾロが怪我したことを心配してくれてるのか、俺が嵌められてその場所にいたことまで知っててそう言ってくるのか、わかんないじゃね。なんか、わかんないから俺が…勝手にそう思っちゃう?疑っちゃう?そんなん、なったりするのいやじゃね?」
少々支離滅裂な物言いに、ゾロが言い添える。
「何も知らない友人も、全部事情を知ってんじゃないかとか、グルなんじゃないかとか、邪推しちまうのが嫌だってことだな」
「そうそう、それ」
うんそうそうと、大きく頷く。
「なんか、被害妄想じゃねえけど、俺はどこまで人に嫌われてたのかとか、そんなことまで考えるとサッカー部関係ない奴まで疑いの目で見ちゃいそうで、すっごくやだったんだ。もう信じられないとか、そんな大袈裟なもんじゃねえけど、なんか、気持ち悪いじゃねえかそう言うの」
「疑心暗鬼になるんだな」
「そうそう、それ」
再び布団の中に手を突っ込んで、ゾロの手を両手で握った。
「だからさ、そんなこといろいろ考えてたらますます学校行くの億劫になって、もういっそ学校なんて行かなくていいや〜とかまで思ってたんだけどさ。今日、ゾロに言われて、とにかく行かなきゃーって思い切って行くだけ行ったらさ、みんな普通でさ。もちろん、ゾロのこと知ってる子は心配とかしてくれたけど、なんであの場所にいたんだとか聞かれなくて。んで、サッカー部の奴が実は…って自分から言い出して、クラスのみんなでそれ酷い―とかなって、すっげえあれこれ言って…」
「かなりオープンに話し合えたんだな」
「そうそう、そうなんだ」
教師立会いの下で儀礼的に詫びられるより、子ども同士で責める者もあり庇う者もあり、それで片を付けたのだろう。
「そりゃ、よかったな」
「うん、よかった。変に疑ったり被害者ぶったりしなくて済んで、本当に良かった」
サンジはしみじみとそう言って、ゾロの手を握ったまま布団から出した。
両手を添えて祈るように、自分の額に付ける。
「ほんとによかった、今日学校行ってよかった。ゾロ、ありがとう」
ひやりと冷たい額に手の甲を押し当て、それからゾロは掌を伸ばして頭を撫でた。
小さいころから、この丸くてつるりとした手触りの旋毛を撫でて来たものだ。
ずいぶん大きくなったけれど、この触感は全然変わらない。
「よく行ったな、偉かった」
「えへへ…」
ゾロに頭をポンポンと軽くたたかれ、サンジは表情を蕩けさせる。
けれどすぐに、赤くなった鼻の頭を擦った。

「な、あのさ…」
「ん?」
「俺は、いいけどさ。まだサッカー部のみんな全員とは話せてないけど、これからみんなとちゃんと話すからさ。先生も大ごとにはしないって言ってくれたし、もういいんだけどさ」
「うん」
「けどさ、やっぱり、ゾロはよくないじゃん」
「ん?」
サンジは下を向いたまま、きゅっとシーツを握り締める。
「よくないよ。ぜんぜんよくない。だってゾロ怪我しちゃったし」
「こんもん、たいしたことねえ。すぐ治る」
「治らないよ!…目、目がっ…」
そう言って顔を上げ、きゅうと目元を萎ませた。
「ゾロの目、片っぽ、失くなっちゃったじゃないか」
眉を顰めて口をへの字に曲げた。
泣くまいと堪えているせいか先に鼻水がたらりと垂れて、慌てて枕元のティッシュを掴んでごしごし擦る。
「問題ねえ。お前が無事なら、俺は、あとはどうだっていい」
「それが、ダメなんだ!」
サンジは丸めたティッシュをゾロに投げつけ、両手でぱんぱんとシーツを叩く。
「なんか、ゾロは怪我ばっかりしてっじゃねえか。初めて会った時も、血だらけだっただろ?俺、なんでかしんないけどあんときは、怪我した犬かなんかだと思ってたんだけど、思い出してよく考えてみるとすげえ大ごとだったじゃね?あれこそ事件だったよ。もう、ゾロにはそんな目に遭ってほしくないと思ってたのに、今度はこんな大けがして…しかも、俺のせいで」
「お前のせいじゃない」
「俺のせいだよ、俺を庇って怪我したんじゃないか」
「お前が怪我するよりいい」
「だからそれがよくないんだって」
サンジはキれて、ティッシュの箱をゾロに投げつけた。
顔に当たる前に片手で受け止め、2枚ほど引き出してサンジの鼻に当ててやる。
「落ち着け、まず鼻を噛め」
「ううう…」
素直に受け取ってチンと鼻を噛み、ちゃんとごみ箱に捨てた。
それから今度は目元を擦って、赤い目でゾロを見上げる。
「だからゾロ、もう、俺の傍にいなくていいよ」
「―――――あぁ?」
唐突なサンジの申し出に、ゾロの方が面食らう。
「なんで、そうなる?」
「だって、だってゾロは俺の傍にいると、怪我するじゃないか」
「―――― …」
ゾロはしばし考えてから、口を開いた。
「この怪我は、たまたまだ」
「けど、その胸の傷は俺と出会った時のものだろ」
「順番が違う、俺が怪我した後にお前に会った。ってえか、お前が助けてくれた」
「けど、俺を助けてゾロは目を怪我したじゃないか」
だから…と、意を決したようにサンジは続けた。
「もし、俺のことを恩人とか思ってて傍にいてくれるんなら、もうお互い恩返しは終わっただろ。お相子だろ?だから、もういいんだ」

サンジの言葉に、ゾロは軽くショックを受けた。
サンジが許してくれる限りずっとそばにいると誓ったはずだが、いざ本人に「もういらない」と言われるとさすがに堪える。
「…もう、俺がいちゃダメか?」
「ダメじゃない。だって、ゾロが自由になれない」
「俺はずっと自由だ、好きでお前の傍にいた。それじゃダメか」
「ダメじゃない。けど、この先もまた、なにがあるかわかんないし。俺のせいでゾロが痛い目に遭うのはもう嫌だ」
サンジの必死な物言いは、決して、ゾロを嫌いだから遠ざけようとしているのではないことは明確だった。
むしろ、ゾロの身を案じて敢えて言っているように見える。
その証拠に、サンジは言葉を続けるのも辛そうにしゃくりあげている。
「…俺が、疫病神、かもしれない、じゃないか。ゾロが、ゾロが酷い目に遭うの…いつも、俺がいるとき…」
「それは違う!」
思わず大きな声を出してしまった。
びくっと肩を震わせるサンジの、シーツを握り締めた手の甲にそっと掌を置く。
「だから、順番が逆だ。そもそも胸の傷はお前には関係ない」
「…だったら、なんで、何も言わない。それ、誰も知らない…じゃねえか。なんでそんな怪我したのか、誰も」
そうだ、誰も知らない。
ゾロは誰にも話さなかった。
警察にも、医師にも、教師にも、ゼフにも、両親にも。



「くだらねえ話だが、聞いてくれるか?」
ゾロの真剣な面持ちに、サンジは頤を細かく震わせながらこくりと頷いた。





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