ゾロと一緒 中なす編 -2-



目が覚めたら病院だった。
なんか、前もこんなことがあったようなと思いつつ、ゾロは仰向いたままぱちくりと瞬きをした。
酷く違和感がある。
顔の左側が熱いような冷たいような、妙な感覚でとても重い。
瞬きもできないくらい、重くて熱い。

「ロロノアさん、大丈夫ですか?」
声を潜めて呼びかけるのは、女の声だ。
ぼやけた視界に薄いピンク色の白衣が映り、甲斐甲斐しい仕種で手を取られた。
「ここは病院です、安心してください。いま、ご家族の方を呼んできますね」
家族―――――
一瞬、高校生の時の記憶が蘇った。
呼びこまれた家族は、奇異なものでも見るような目でゾロを見た。
また、あの“家族”が自分の目の前に現れるのだろうか。

ほんの少しの危惧を抱く間もなく、病室に現れたのはゼフとサンジだった。
ゼフは苦虫を百匹くらい噛み潰したみたいなしかめっ面で、サンジはと言えばとんでもない顔をしていた。
窶れきって髪はボサボサで、目が赤い。
目玉が蕩けるんじゃないかと心配になるほど、ぼろぼろと涙を零している。
「…ぞ、ろぉ…」
そう言って、布団の上に手を置いてにじり寄ってきた。
その姿はまるで、ゾロがどこかに行っちゃったと泣いてすがったあの夜の小さなサンジだ。
心配を掛けないように頭を撫でてやりたいが、ゾロの手にはたくさんの管が刺さっていてうまく動かせない。
「動かないでくださいね、お話しできますか?」
「ぁあ、はい」
ゾロは自分でも驚くほどしゃがれた声を出し、サンジに微笑みかけた。
「…あんだその面、なにベソ掻いてやがる」
「掻いてねえっ、泣いてねえっ」
言ってる傍から嗚咽が漏れて、ぽろぽろと涙の粒が転げ落ちた。
上気した頬に白い絆創膏が貼ってあるが、ざっと見たところ身体は無事のようだ。
ほっとして、表情を和ませる。
「なんとも、ないか?」
「…は、あ?」
サンジは声を裏返らせて、睨みつけるように目を怒らせた。
「お前、怪我はないか」
「―――――っ!」
ぎりっと唇を噛み締め、再び涙を溢れさせる。
しゃくりあげて話せなくなったサンジの代わりに、ゼフが口を開いた。
「こいつはただのかすり傷だ。お前さん、車に勝負挑みやがったんだ」
「…勝ったんですか?」
「引き分けってところだろうよ」
ゼフは面白くもなさそうに、ふんと鼻息を漏らした。

ゾロを跳ねた車は居眠り運転だったが、それも無呼吸症候群だかなんだかで、それなりの理由はあったらしい。
ともかく暴走車で、危うく歩道を歩いていたサンジと親子連れが跳ね飛ばされるところだった。
そこに飛び込んだゾロが身体を張って軌道を変えたお陰で親子連れに怪我はなく、サンジもかすり傷程度で済んだ。
事故の一部始終を目撃していた同僚が通報し、集まった通行人たちの応急処置でゾロも事なきを得たと言う。
「丈夫な野郎だ、あんだけの事故で左腕とアバラ2本の骨折だとよ」
「はあ…」
左側ががっちりと固定してある。
「それと、目だ」
「―――― …」
「左目、痛えか?」
ゼフの目に、憐憫の色が見える。
それが事態の深刻さを物語っていて、続いて話し出した医者の説明でゾロは大体の事情を把握した。
どうやら左目は、失明してしまったらしい。

「このままではかなり深い傷が残りますが、義眼を嵌めてある程度整形することは可能です」
「いや、そこまではいいです」
ゾロはそう言い、それからふと思い直した。
自分の顔の美醜などどうでもいいが、この先傷跡を見る度にサンジが自責の念に駆られるかもしれない。
その可能性があるなら、極力傷跡はなくしてしまった方がいいだろうか。
そこまで考えて、ゾロは足元に縋り付いているサンジに目を向けた。
「…顔、治した方がいいか?」
そのぞんざいな物言いに、サンジは泣き笑いの表情を作る。
それから、ふるりと首を振った。
「整形って、また手術とかするんだろ?ゾロ、それ以上痛い思いしなくて、いいよ」
「このままでもいいか?」
「ゾロは、どんなんでもカッコいい」
ゾロとしては、何度手術を重ねようが痛いのやら面倒臭いのやらは気にならない。
ただ、どうすればサンジが心を痛めることを減らせるのか、ついでに経費や休養の日数が減らせるのかを最優先したかった。
「なら、このままでいいです。どうせ胸にもでかい傷が残ってるから、顔もそのままで」
それが俺だ。
そう思っていたら、サンジが先に口に出した。
「ゾロは、ゾロだよ」
本当に、そう思う。




思わぬ事故で休職を余儀なくされたが、見舞いに飛んで来てくれた所長はゆっくり休業するように言ってくれた。
「いやあゾロのお陰だってんで、事務所に菓子折り持って挨拶に来てくれたんだよ」
どうやら、ゾロがついでに助けた親子連れは、事務所が入っているビルのオーナーの孫だったらしい。
ゾロがいなければ親子共々どうなっていたことかと、所長に見舞いを託けてくれていた。
「そういう訳だから、大手を振ってゆっくり養生しなよ。なあに、まだ若いんだからすぐによくなるさ」
所長自身、若い頃に不慮の事故で片腕を失くしていた。
箇所は違えど、同じような境遇にある人の言葉には勇気づけられる。
「いやーしかし肝潰したよ。俺の位置からは、まっすぐ車が突っ込んで来るの見えたからさ。ゾロはまあ大丈夫だろうけど、サンちゃんが心配で…」
今まで面識がなかったくせに、もう「サンちゃん」呼ばわりだ。
「エース、すっげえ声出したよな」
「何事かって、みんな外に飛び出したよな」
「いや実際、声出るぞあの光景は。俺しばらく夢に見てるし」
「後で見てもビビったぜ俺は」
個室なのを幸いに、見舞いに来た先輩たちが賑やかに話している。
そこに、サンジが顔を出した。
「こんにちは、いつもお世話になってます」
行儀よく挨拶してぺこりと頭を下げるから、ごついオッサン連中は蕩けるように表情を崩した。
「いえいえ、こちらこそゾロがお世話になってます」
「でかしたぞゾロ、初々しい若妻と赤ちゃんのみならず、こんな可愛い子を暴走車から守ったんだから」
「そうだ、お前は本当に偉い」
「褒めるポイント、そこですか」
ガッハッハと地鳴りのような笑い声が響く中、サンジは手際よく持参してきた紙皿を取りだした。
「あの、甘いものとかお口に合わないかもしれないんですが、よかったら皆さんで」
ポットにコーヒーも用意して差し出すと、オッサン達は低くどよめく。
「いやいや、なんでもいただきますよ」
「さあサンちゃんも座った座った。学校帰り?毎日偉いねえ」
昼休みの時間にみんなで見舞いに押し寄せているのに、学校帰りも何もないだろう。
ゾロはそう思いつつも、黙ってサンジが出してくれたおやつを口に運ぶ。
「内臓は大丈夫だったから、腹減って仕方ないんじゃないか?」
「そう思って、足りない分はお弁当で差し入れちゃってるんです」
「こりゃまた参ったね、なんて気が付く子なんだろう」
「さすがゼフの秘蔵っ子だね」
「ゾロ、入院中の方が血色いいじゃねえか」
「寝て食ってばっかりいると太るぞ」
好き勝手にからかって、サンジが持参したおやつは全部食べ尽くしてオッサン達は嵐のように去っていった。
また来るよーとサンジに手を振っているのに、ゾロはベッドの中で「もう来なくていいです」と呟いている。

「ああすごかった、楽しい人ばっかりだな」
「まあな」
やれやれと肩を竦めたゾロに、サンジは熱いお茶を煎れてやった。
まったく、至れり尽くせりだ。
「所長とは面識あるんだろ」
「うん、あの赤髪のおっさんは店にもよく食べに来てくれてる。俺はまだディナータイムは手伝わせてもらえねえけど、ランチタイムでも時々来てくれるよ。その度に一緒に来る女性が違うんだけどさ」
サンジは子どもっぽく口を尖らせた。
「ゾロの事務所って、おっさんばっかりなの?」
「いや、一人女性がいるけど多分留守番だろ、事務所開けるわけには行かないし」
「それでも総出でお見舞いに来てくれたんだ、いい人たちだね」
本当にそうだなと、ゾロもありがたく思う。
「みんなに迷惑かけるから、俺も早いとこ治さないとな」
そう言うと、サンジが目に見えてしゅんとした。
まだ責任を感じているかと気遣いつつも、いつまでもこうではいけないだろうと腹を括る。

「あのな、俺が怪我したのはお前のせいじゃないからな」
「…わかってるよ」
「なら、そんな顔すんな」
「こんな顔なんて、生まれつきだよ」
生意気に口答えする唇を、軽く摘まんで引っ張ってやった。
止めろよと、頭を後ろに下げながらもサンジの顔に笑顔が戻る。
「ところで、学校はどうした」
「―――― …」
途端に、また表情が消えた。
今度は、先ほどまでのしょげた顔ではなく暗い影を落としていて、ゾロの眉間の皺がぐっと寄る。
「昨日もずっとここにいたじゃねえか。お前が怪我した訳じゃねえんだから、いつまでも休んでられねえだろ」
ゾロが事故に遭ったのは土曜日で、今日は火曜日だ。
月曜くらいは家庭がバタバタしているからと言い訳も立つだろうが、火曜になっても登校しないのはさすがにまずい。

「なんか、あったのか?」
サンジの雰囲気に、ゾロは問い詰めないように気を付けながらも聞いてみた。
ゼフは店があるから、もしかしたらサンジが登校していないことに気付いていないかもしれない。
「そもそも、なんで試合の会場が違ってたんだ?」
ゾロの言葉に、サンジは観念したようにほっと息を吐いた。
パイプ椅子に掛け直して、長い脚を組む。
「あのさ、俺土曜日にサッカーの試合あるって言ったじゃん」
「うん」
「それ、コーチに直接頼まれてさ。前にもあったから、俺気軽に引き受けたんだけど…」
そこまで行って、一端言いよどんだ。
黙って先を促すゾロに、渋々口を開く。
「その、部活にも入ってないのに試合だけ出る俺のこと、よく思ってなかったんだな、みんな」
―――――ああ、そうか。
それでかと、ゾロも納得した。
「確かにさ、俺も逆の立場だったら面白くないと思う。みんな毎日部活で居残りして、一生懸命練習して。そういうの全然なくて、試合の時だけいいとこ取りしてさ。そりゃムカつくよな。俺、そういうの全然気づいてなくて…」
サンジにすれば、頼まれたのだから引き受けた。
良かれと思ってやっていたことだ。
そんなことをいちいち気にしていては、息が詰まるだろう。
「それで、みんなで共謀してLINEで会場変更になったって嘘吐いたんだ。俺騙そうって、別にそれでドタキャンさせようってとこまでじゃなくて、遅刻でもすればいいなとかその程度。あと、それで俺が、遠回しにでもみんなに嫌がられてるって、気付けばいいなって」
ゾロは声に出さずに息を吐いた。
子どもらしい浅はかな共謀だが、その分陰湿だ。
「事故があって、そもそもなんで俺がそこにいたのかってことが問題になって、それでLINEで嘘流したって白状して。日曜日に部員全員集まってみんなで話したんだけど、なんか、大ごとになってて…」
LINEだから、個人が騙したということにはならない。
みんながみんな、サンジに対して会場変更の通知をされたことを知っていて、黙っていたのだ。
全員が共犯だとモロにわかる。
「そしたら、いじめだとかなんとか、先生がキレちゃって。でもそう言うつもりじゃなかったってみんな…部のみんなはそう言ってて、泣いちゃった奴もいて。俺もう、どうしたらいいか…」

些細な嘘だった。
ちょっとした意趣返しで、思い知らせてやろうと軽い気持ちで吐いた嘘だった。
それが、思いがけない事故で大ごとになり、全員の立場がなくなってしまった。
「個人で付き合ってる分には、みんないい奴なんだ。友達なんだ、俺の。だから、嘘吐かれたのは腹立つけど怒ったりしないよ、憎んだりもしない。だって、そう言って貰えたら俺だって気持ちわかるもん。むしろ、今まで気付かなかった俺の無神経さに腹立つもん。俺がバカだったんだ。そうわかるのに――――」
サンジの気持ちを蔑ろにして、事態は動いた。
部活動は停止になり、キャプテンが指導を受けている。
「もう、俺どうしたらいいか、わかんなくて…」
サンジの家族が事故に遭ったと、その事実と一緒に部活動でのいざこざも表に出てしまった。
それで、サッカー部だけでなく今までサンジが助っ人してきた多くの運動部にまで、影響が及んでいる。
うちはそんなつもりないとか、大歓迎だからとか。
前からウザいと思ってたんだとか、面倒を起こしやがるとか。
いろんな意見がないまぜになってサンジの耳に届いて、居た堪れなくなった。

「それで…学校、行きたくなくて」
「そうか」
ゾロは右手で、サンジの頭をポンポンと叩いた。
自分が事故に遭ってしまったせいで、とんだ問題にまで発展してしまった。
だがこれは、誰が悪い訳でもない。
強いて言うなら、タイミングが悪かっただけだ。

「それで、学校行くの嫌だからっていつまで行かねえつもりだ」
「でも、だって、まだゾロは入院してるし」
「ここは完全看護だから付添はいらねえぞ。それにお前は中学生なんだから、義務教育は受けるべきだ」
きっぱりと言い切るゾロに、サンジはきゅうと瞳を萎ませる。
「せめて、せめてゾロが治るまで」
「ダメだ」
ゾロは心を鬼にした。
「そうやって嫌なことから逃げてても仕方ねえだろ。お前がいじめじゃない思うんだったら、そう言えばいい。そう言えるのは、当事者のお前しかいねえじゃねえか。嘘吐いた奴らにちょっとでも『ざまあみろ』って気持ちがあるんなら、そう言わないが」
「そんなん、ない!」
そこは言い切った。
ゾロはよしと、大きく頷く。
「なら、ちゃんと学校行ってもっかいみんなと関係を修復して来い」
「―――― …わかったよ」
ゾロに言われると、サンジは逆えない。
自分より年長でしっかりしていて、誰よりもサンジ自身のことを思ってくれているゾロの言葉は絶対なのだとわかっているから。
「明日から、行くよ」
「ダメだ」
「ええ?!」
これには仰天した。
「いますぐ行け。明日、とか今度、とか。ずるずる先延ばしにすればするほど行き辛くなる」
「だって、もう昼すぎたよ。今日5限目までだから、時間ないよ」
「でも授業してんだろ、大遅刻でいいからいけ」
「でも…」
ゾロはサンジの頬に手を添えた。
決して力を入れずに、そうっと自分の顔へと近付けさせる。
「お前は昔っから、一人でぐるぐる考える癖付いてるだろ。なんでも我慢して、自分の中で消化して。平気な顔して振る舞う癖が付いてる。けど、しんどかったらしんどいって言えばいい。嫌だったら嫌だと言えばいい。けど、考えに逃げるな。まず行動しろ」
不安に揺れるサンジの瞳を、じっと見つめた。
「いますぐ学校に行け。んで、部の子でもクラスの子でも、誰でもいいからいっぱい話しろ。そして、どんな話になったか、みんなどうなったか、またここに帰って来て俺に聞かせてくれ。今日のこと、学校のことを俺に報告してくれ」
「―――ゾロ」
「お前が学校に行って、帰ってくるのを俺は待ってる」

サンジはゾロの手にそっと手を添えた。
驚くほど冷たかったが、力強くギュッと甲を握る。
「わかった、行ってくる」
「おう」
「じゃ、俺行くな」
「行って来い」
意を決したように頬を紅潮させたサンジは、振り返ることなく病室を出て行った。





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