ゾロと一緒 中なす編 -1-



木枯らしが足元で渦を巻いて通り過ぎる中を、ゾロは早足で歩いていた。
すっかり日が暮れるのが早くなり、オレンジ色の光を放つ外灯が晩秋の物寂しさを感じさせる。
けれど、ゾロの首には大判のマフラーが巻き付いていて暖かだ。
先週のゾロの誕生日にサンジがプレゼントしてくれたもので、重宝している。
ゾロは11月生まれだから防寒具ばかりになるなと照れながらも、去年は手袋、その前は帽子と、毎年サンジからの贈り物が増えて行くのが単純に嬉しい。

小さな子どもだったサンジも、もう中学2年になった。
ゾロは高卒の資格を取り、2駅離れた街の会計事務所で働いている。
特に資格を持たないので主に事務と下働きだが、所長は面倒見のいい人で仕事の合間に勉強時間を与えてくれている。
働きながらいくつかの試験をクリアするといいと、将来に向けてのアドバイスもしてくれた。
ゼフの紹介で勤め始めた会社だが、いい人に巡り合えたとしみじみ感謝している。
これもゼフの人となりのお陰だろう。


「ただいま」
「おかえりー、寒かっただろう」
サンジがキッチンから顔だけ出して、出迎えてくれる。
中学校から帰ってすぐ、着替えだけ済ませ家事に取り掛かるのが常だ。
ゾロの帰宅時間までには夕食の支度を終えて、風呂も沸かして待ってくれている。
まるで主婦の鑑のようだが、まだ中学生男子なのにこんなに早く所帯じみてしまっていいものかと、ゾロは少し案じてもいた。
「すぐ食えるけど、風呂先に入る?」
「いや、食ってから入る。腹減った」
「りょーかい」

ゾロは廊下を歩きながらマフラーを外し、上着を脱いで居間のソファに放り投げ、洗面所に向かった。
手洗いと嗽を済ませて戻るときには、上着もマフラーもちゃんとハンガーに掛けてある。
一体どこの良妻かと思わないでもないが、つい癖で任せてしまっている状態だ。

「今日はがっつりビーフシチューな。ゾロは、ご飯のがいいんだよな」
自分用のバゲットを切り、ゾロの分だけ白米を大盛りよそってくれていた。
「おう、さんきゅ」
カバンから弁当殻と水筒を取り出しシンクに置いて、食卓に着く。
「いただきます」
「いただきます」
二人で手を合わせて、ゆっくりと食事を摂る。
これが日常だ。

ゼフは、週1回の定休日以外は夜11時まで帰ってこない。
ゾロの帰宅が7時だから、サンジは学校が終わるとまっすぐ家に帰って家事の全般をこなしている。
中学校に上がったのだから部活に入ったり友人との付き合いもあるだろうとゾロは気遣うが、サンジは別に構わないと素っ気なく言い、ずっとこの生活ペースだ。
「ダチとどっか行く時は行くし、部活も誘いがあったら参加したりするよ。基本フリーで、やりたいようにやってるだけだ」
実際スポーツ万能なサンジは、休日の試合などに助っ人として駆り出されることもある。
気さくで器用だから重宝されるのだろう。
「ゾロがいてくれなきゃ、俺ずっと一人で留守番ばっかりだったんだからさ。ゾロの帰りを待ちながら準備できるのって、すごく楽しい」
サンジにあっけらかんとそう言われると、ゾロも悪い気はしない。
実際、ゾロが来るまでは一人で夜を過ごしていたし、不用心な部分もあっただろう。
ゾロが住み込むようになって、ゼフは安心して仕事に専念できると喜んでいた。
サンジはサンジで自分の部屋にずっとゾロを住まわせ、中学に上がるのを機に部屋を別にしたが、いまでも時々ゾロの部屋に泊まりに来たりする。
そんな面は、いつまでたっても子どものままだ。

「あのさ、今度の土曜サッカーの試合になった」
「そうか、俺も仕事が立て込んでるから土曜は仕事に行く」
「じゃあちょうどよかったな」
土日は大抵、予定がなければ二人でバラティエを手伝っている。
中学に上がってから、休日の昼間だけ手伝いを許してもらえるようになった。
サンジは厨房の手伝いをしたいようだが、それはまだ許されておらずホールスタッフだ。
まずは高校を卒業して、大学なり専門学校に進むなりして資格を取ってからでないとゼフは修行もさせてくれそうにない。
それでも店を手伝えることが嬉しくてならないサンジは、できる限り都合を付けて店の手伝いに励んでいた。
特に示し合わせてはいないが、できれば二人一緒に働きたいとサンジは思っているようで、こうしてサンジから都合を聞かされればゾロもそれに合わせるのが日課になっていた。

「じゃあ日曜日は店に出ようか、ジジイにはそう言っとく」
「ああ、俺のが先に会ったら伝えておく」
中学生にもなって随分とべったりした関係だと思うが、ゾロはこの心地よさを手放したくはなかった。
どうせ、もう少しすれば難しい年頃になるのだ。
こうして屈託なく話しかけてくれることも少なくなるだろうし、一緒にいられる時間はそう多くないだろう。
まるで子離れ間近の親のような心境で、ゾロはサンジのなすがままに任せている。





金曜日の夜、事務所で飲み会があり少し遅い時間にゾロは帰ってきた。
すでにサンジには連絡してあったから、待っていることもない。
先に帰ったゼフが風呂に入っていたから、キッチンで勉強するサンジの向かいに座った。
「なんか食う?」
「いやいらね、たらふく食ってきた」
まだ新人だからと会費は最安でありながら、誰よりも飲んでしまった自覚はある。
元々酒には強いから、顔にも出ない。
飲みすぎだろと、サンジに叱られることもあまりない。
「明日試合だろ、そろそろ休んだ方がいいぞ」
「ん、ここまで進んだら寝る」
風呂から上がって随分経つらしいサンジの髪は、すっかり乾いて毛先が跳ねていた。
きちんと乾かして櫛で撫で付けないと明日の朝こんがらがるだろうにと、ゾロは一生懸命机に向かっているサンジの頭を、洗面所から持ってきたブラシで梳いてやる。
「まだちょっと根元、湿気てんぞ」
「んー…」
指先に少し力を込めて地肌を乾いたタオルで擦ってやると、サンジは気持ちよさげに目を細めた。
そうしている内に、ゼフが車椅子を操ってキッチンに入ってくる。
「お先」
「ただいま帰りました」
ゾロはがしがしとサンジの頭をタオルで拭いて、風呂に入るべく立ち上がった。
サンジのスマホが振動し、LINE画面が表示される。
「あれー明日の試合会場、変更になったって。急だな」
サンジは不審げにメッセージを読み上げた。
「西口のドラムスタジアムって、どこだっけ?」
「ああ、西口ならうちの事務所の近くじゃねえか」
ゾロは引き返してきてスマホを覗いた。
「そういや裏手に、でかいスタジアムあったな」
「ゾロの事務所は西口?赤髪会計事務所だっけ」
「ああ、駅前ビルのテナント4Fだ」
「ついでに寄ってみようかなあ」
「止せよ」
ゾロも本気で嫌がらず、笑ってサンジの髪をくしゃりと撫で付け風呂に向かった。



土曜日は曇り空だったが、天気予報では雨の心配はなさそうだ。
サッカーは雨でも雪でも嵐でも試合はあるから、どうせなら少しでも気温が高ければいいなとゾロは思う。
つい過保護になりがちで、もうずいぶんと背も伸びて少年らしくなったサンジだが、未だに風邪でも引かないかと心配する有様だ。
―――― 昼休みにでも、試合観に行くか。
事務所には同じく休日出勤してきたスタッフが何人かいて、ゾロは平日と同じように事務をこなしていた。
昼前にトイレに立ち、廊下の窓からスタジアムを見下ろす。
―――― あれ?
確かにスタジアムではサッカーが行われていたが、走り回っている姿は随分と小さく見えた。
中学生じゃない、どう見ても小学生同士の試合だ。
ゾロは目を凝らして、駐車場の方へと視線を移す。
何台か停めてあるバスの案内板で、1台だけ大きな文字で書いてあるのが読み取れた。
「小学校じゃねえか」
小学校同士の対抗試合だ。
どういうことだ?
サンジは、小学校の助っ人に頼まれたのか?

もしや会場を間違えたかと、ゾロは懐から携帯を取り出した。
サンジは正午に集合と言っていたはずだ。
もう家は出てしまっているだろうがせっかく来て間違いでは可哀想だし、道中でも友人に確認できるだろう。
「どしたの?」
外出先から戻ってきた同僚が、声を掛けてくる。
「いえ、そこのスタジアムで試合があるって聞いたんですが、どうも違うみたいで」
まったく要領を得ない答えだが、聡明な同僚は呆れもせずににこやかに頷いた。
「ああ、弟みたいな同居人がスタジアムで試合するのにやってくるんだ。でも、違うってどういうこと?」
「あいつは、中学生なんです」
ゾロの言葉に同僚はスタジアムに目を向け、なるほど〜と呟いた。
「どう見ても小学生だねえ」
「多分、連絡間違いだと思うんですが…」
「弟もどき君ってどんな子?目立つ?」
「はい、目立ちます。細くて足が長くて金髪で」
「じゃあ、あの子とか?」
同僚が指し示す先に、サンジがいた。
駅からスタジアムに向けてスポーツバッグを肩に掛け、少し猫背で歩道を歩いている。
「あ、あれです!」
「もう、めんどくさいから直接行って教えてやったら?休憩なんて適当に取ったらいいから」
「はい」
ゾロはいい返事をして、その場でダッシュした。

階段を駆け下り、自動ドアが開くのももどかしく外に飛び出す。
今さら急いだって仕方のないことだが、サンジに会えると思うと自然に足取りが軽くなった。
一緒に暮らして家ではいつも傍にいるのに、顔を合わせることがこんなにも嬉しい。

「おい!」
遠い場所から少し大きな声を張り上げたら、サンジは驚いたように顔を上げすぐに破顔した。
「ゾロ、そこが職場?」
そう言って足を早めるサンジの後方から、尋常でないスピードを出した車が蛇行して来るのが見えた。
咄嗟に駆け出したゾロを不思議そうに見ながら、サンジは前から歩いてきたベビーカーの親子連れに道を譲るべく歩道から車道に降りる。
危ないとの誰かの叫びに振り向いたら、目の前に車がいた。
「――――― っ!!!」

まるでスローモーションのように、景色がゆっくりと流れる。
驚愕に目を見開いたままのサンジを突き飛ばし、ゾロは運転席を睨み付けた。
ハンドルに凭れ前のめりに倒れたままの運転手は、意識がないのか居眠りなのか。
どっちだろうなと、やけに暢気なことを考えたことまでは覚えている。



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