狐の嫁入り -1- <千堂様>


サンジがそこを彷徨いていたのはお供え目当てで、その時も 墓参りに来たらしい人影を見掛けて 後について霊園に入った。
最近ではお墓に食べ物をお供えしていく人は減っているのだが、たまに美味しいお酒を持ってくる人間がいる。
故人の為にと張りこんで、これがまた美味しいものを置いていくので、一度出来心で味見して以来サンジはすっかり味を占めてしまったのだ。

誰も同行者を伴わず1人で来たその男のカジュアルな服が墓参りらしくない格好だなと少しだけ気になったサンジは、1つの墓石の前に立ち止まった彼をよく見ようと、ちょこんと墓石の上にのっかった。
腰かけるのは流石に眠るひとに失礼で、かといって固い石の上で正座は痛いから少し崩してぺたっと お尻をつけて眺めようと首を伸ばしたところで、不意に相手が身を屈めた。

「っ!?」
彼は墓の中に眠る故人に語りかけようとしたのかもしれない。
ただ、タイミングが悪かったのだ
屈めた相手の顔と首を伸ばしたサンジの顔が絶妙なタイミングで重なる。

触れたのは一瞬。

だけど確実に唇は触れ合っていて。

慌てて身を引いたせいでバランスを崩したサンジが音を立てて地面に転がり落ちる。
痛い、と思う前に 首根っこが掴まれ転げた地面から引き剥がされていた。

「なんだ、てめえ」
どこから現れた、と 胡散臭そうにジロッと睨まれたサンジは ひゃっと首を竦めて小さくなる。
(どうしよ・・・っ)
本当なら自分の姿は人間には見えないはずなのだ。
それなのに、目の前の男には見えているばかりかこうして触る事も出来て掴まれている。
サンジは身を縮こませつつも ふさふさする尻尾を背後に隠し、慌てて仕舞い込もうとした。
姿を見られるなんて考えてもいなかったから、尻尾は出しっぱなしの半端な格好をしていたのだ。
"これさえ見つからなければ 近所に住む悪戯小僧で誤魔化せる"
どこから出て来たとか食い下がられてもそれで押し通そう、人間なんて目で見たものでも自分の常識を越えたものは認めないのだからと咄嗟にそう考えたサンジは、
「ふぎゃっ!!」
姿を消す直前の尻尾を むんずと掴まれて無様な悲鳴を上げてしまった。

「なんだよ、コレ」
作り物の飾りだと思っているらしく 尻尾を掴む男の手には遠慮がない。
墓石に上るような悪戯者を懲らしめようというのか、動物の尻尾を象ったアクセサリーを取り上げようとしていた。
「わ!ふわぁっ、ゃ、やめ・・・っ」
ぐいぐいと、本当は飾りでもなんでもない生身の尻尾を容赦なく引っ張られて、サンジは堪らず男の腕から逃れようとジタバタと手足を振り回した。
なのにがっしりと掴まれている尻尾がどうしても男の手から抜けない。
「ひゃう・・・んっ」
だんだんと お腹の底に溜まってくる感覚に、びくっと身体が仰け反る。
あ、と思った時には尻尾ばかりか頭の辺りまでもがむずむずしていて、誤魔化しようのない事態になるのは避けられないとサンジは悟った。
「やめろ!あっ・・・、見ちゃ、ダメ・・・っ」
サンジを捕まえていた男は 突然激しく暴れ出した事よりも必死の大声に驚いたらしい。
パッと尻尾を掴んでいた手は離れたのだけど、その時にはもう耳の先が半分ほど飛び出しかけていた。
次いで、首の後ろを掴む男の手も離れる
身を丸めながら地面に降りたサンジは、もう隠しようのない尻尾は諦めて両手で頭上を覆う。
だが しっかりと姿を現した三角に尖る耳は サンジの手くらいでは隠しきれず、指の間からその先が飛び出している。
(だってっ!本当なら 姿が見えるはずじゃないのに!)
泣きたい気持ちで恐る恐る目を上げる
地面にしゃがんだサンジからは遙か頭上に見える男の目線は、しっかりと自分の頭の上に注がれていて、
(わぁああん、これもう、完っ全!にっ・・・バレた!)
男と目を合わせたまま硬直するサンジの目が うるうると水分を滲ませていくにつれて、目付きの悪い仏頂面が困ったように怯んだ。
探るように強かった視線が ふぃっと逸れて宙を漂う
「・・・別に取って喰いやしねぇ。捕まえて見世物にしようだとかも考えてねぇから、そんな顔すんな」
ぶっきらぼうにそう言った男の大きな手が伸びてきて、くしゃくしゃとサンジの頭を掻き混ぜる。
「立てるか? 落ちついてからでいいからてめえが何者か説明してくれると有り難い」
おまえだって正体不明の奴と会ってそのままじゃすっきりしねぇだろ?
そう言った男は、遅まきながら気が付いた様子でサンジを見た。
男の目には先程までの探るような鋭さはなく、零れかけていた涙を引っ込めてサンジも彼を見返す。
「言葉、分かるよな。 さっきなんか叫んでただろ?」
こくりと頷いたサンジと意思疎通が出来た事で 男が安心したように笑顔を見せた。







連れて入った喫茶店で、とりあえず珈琲を頼んだゾロの目の前で ソレは食い入るようにメニュー表を見つめていた。
もともと流行ってなさそうな店の、それも暇な時間帯なせいで時間はいくらでも掛けて構わないのだが、問題はそこではない。
注文を取りに来た給仕は2人連れの客のうち、片方しか頼んでいないというのに迷っている連れを放置してさっさとカウンターに戻っていったのだ。
・・・おい、どうすんだコレ。
「別に飲み物じゃなくてもいいから早く選べ」
なんでもいいから決めろと言われて、それでも暫く迷っていた相手はちろっとゾロの方を覗いながら、これにするとメニュー表の中の写真を指さした。

「・・・チョコレートパフェひとつ」
仕方なく手を上げ もう一度呼びつけた挙げ句がこれかよと苦々しく思いながらも注文してやる。
呼ばれた給仕が意外な追加注文に目を丸くしているがそんなものは知ったこっちゃない。目下、ゾロの興味を引いているのは目の前のこの得体の知れない生き物なのだ。
因みに 先程にょっきり飛び出したどう見ても獣の耳は既にそのふさふさした姿を消していた。
耳だけでなく尻尾も出し入れ自由らしく、今は街中を連れて歩いても奇異の目で見られる事はない格好になっている。
・・・とはいえ 周囲の目を気にする必要はなさそうなのだが。
ゾロの同伴者は注文を終えると共にメニューを取り上げられた(そうしないといつまでも見入っているのだから仕方ない)後は そわそわと落ち着きなく店内を見回している。
「それで? てめえは何者だ?」
落ち着けよと話し掛けられて、びく!とゾロの方へ視線を戻した相手は、ぱくぱくと口を開閉させてから 結局彼は諦めたように白状した。
「きつね」
「狐? "稲荷狐"ってやつか?」
「違う。普通の狐」
質問には素直に答えるのだが圧倒的に説明が足りない。
まぁ、狐という種族は人間と違っておしゃべりではない生き物なのかもしれないからそこに文句を言っても仕方ない。
「普通の狐っつーのは皆てめえみたいに化けんのか。お伽噺でもなければ聞いた事ねぇぞ、そんな話」
伝承や逸話に信憑性があるっつーんなら別だがと思いながら 足りない説明を引き出すべく相手に話を振る。
質問されて ひょいとゾロを見上げた"狐"は ふるっと首を横に振ってあっさり答えた。
「俺は普通の狐だけど、ジジイが稲荷の狐だ。少しだけ術を教えてくれたから、普通の狐で変化出来るのは俺だけ」
「ジジイ?お前の親とは違うのか?」
狐はひとつの質問にひとつしか答えない。
そういうルールでもあんのかよと言いたくなるくらい、次に沸くであろう疑問は無視で きっちり聞かれた事にだけ返事を返すのを焦れったいと苦笑する思いで質問を続ける。
「知らねぇ。ジジイが見つけた時は赤ん坊の俺しか居なかったって。多分死んでんだろ。」
野生の動物の世界では珍しくはないのだろう。親代わりに育てたのが自分を拾った稲荷の狐だと言って、ゾロが黙ったのを機会に狐はまた店内へと視線を走らせる。
面白いかと聞いてみたら、外から見たことはあるけど中に入るのは初めてだからと言ってやはり珍しそうにきょろきょろと眺め回している。
そうこうする内に 頼んだ品が運ばれてきた。
予想通り、珈琲もパフェも揃ってゾロの前に置いて 何食わぬ顔で戻っていく給仕を見れば自ずと結論は導かれる。
ゾロの前にあるパフェが溶けるかという程の熱い視線を注いでいる狐は、もうパフェ以外は頭にないに違いない。
見た目通りの子供と変わんねぇよと笑って、ゾロは彼の前にパフェを滑らせてやった。
よだれでも零れそうな顔をしている狐に "これで掬って喰えよ"と念のため言葉を沿えて柄の長いスプーンを渡しながら話を続ける。
「で? 普通の狐のはずのてめえが俺にしか見えないのは何でだ」
意外にも綺麗にスプーンを持った狐は、満面の笑みでパフェに挿し込み たっぷりのクリームを掬い上げた。
そんな量が一口で食えるのかと思うほど盛り上げ、大きく口を開く
「狐の姿の時は見えるよ。俺は稲荷の狐じゃねぇから変化したって普通のひとには見えない」
最後の "い"と同時に はむっ、と口一杯に頬ぼった狐は零れ落ちそうなほど大きく目を開いて 手足を振り回した。
一瞬、冷たすぎて頭でも痛かったかと思ったが、身悶えする狐の顔はどう見ても喜びに溢れている。
(こりゃ、アレだ。ケーキ喰った時の女共と同じだ)
口に含んだ一口(と呼ぶには躊躇うほどの量だったが)を飲み込んで、文句なしの笑みの狐が目を輝かせてゾロを見る。
「何これ、すっっごい甘い!甘くて冷たくて…ッ ああ、甘いだけのもんなら俺も喰ったことあるけどさ!」
うまっ!うまっ!と感激の声を上げながら、器用にもクリームとアイスを次々と掻き込んでいる様は圧巻だった。

『野良狐、初めてのパフェ』

なんとなく そんな単語を思い浮かべながらゾロはパフェを片付けていく狐を眺めていたのだが、ひとりでに空中へ消えて行くパフェは店員の目には嘸かしシュールな絵だったことだろう。
結局、パフェの後にケーキまで食べさせてやり、甚く感動する狐と別れるまでにゾロが手にした成果は自分だけが彼の姿を見る事が出来るという事実と狐の名前がサンジだという事、それと 気味悪そうに自分を見る。
店員の胡乱な視線だった。



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