緑のマリモと黄色いあひる -2-



あひるはぴょ〜んとベッドに飛び乗り、ぽいんぽいんと跳ねました。

マリモもよじよじ這い登って、試しに寝てみました。
『…ほぅ』

想像以上にふわっふわです。
羽毛が柔らかく顔に当たり、その下の藁が暖かく、しっかりと身体を支えます。

コロコロコロ。
『どうだ?』

転がってきたあひるがマリモの顔を覗きこみます。

『いいな』

『だろう?』

えへへ、と得意げにあひるが笑いました。

ベッドと羽毛とあひる。
なんかこう…

『…いいな』

『えへへへへへ、そぉんなに褒められると照れるぜ〜♪』

ケラケラ笑いながら、あひるはまたもやコロコロ転がりました。

それを目で追いかけていると、また胸がキュッとなった気がしました。

なんでしょう?
旅の疲れが心の臓にきたのでしょうか?

思わず胸をさすると、またあひるがコロコロ近寄ってきました。

『どうしたんだ?』

『いや…なんか、時々胸がキュッとするんだ』

『ええっ!シンキンコウソクとかいうやつか?』

『なんだそれは』

『よくは知らねぇが、時々城の奴らがジジィを心配していう言葉だ』

(あひるの愛らしさに、時々妖精王の胸が射ぬかれてるのはここだけの話です)

あひるはぐる眉をへにゃりん、と下げてマリモを見つめます。

『苦しいか?』

『いや、時々なるだけだ。もう平気だ』

『ひとっ走り、城のやつらを呼んでこようか』

『…それには及ばねぇ』

このベッドから叩き出されるのは間違いないでしょう。

『でも…』

あひるはまだ迷っているようでしたが、急に顔を輝かせました。

『そ〜だ!』

きゅっ。

『こ〜やって、手を繋いで寝ようぜ!そしたらしんどくなってもすぐ分かる。なっ!』

にこっ。
あひるが微笑んで、マリモの手を握りました。
そのまま擦り寄ってきます。

ぎゅくんっ!
あからさまに心臓が跳ねました。

『………〜っ!』

変です。
今までどんなに暴れても、こんな風に胸が苦しくなったことは無かったのに。
なんだか顔がほてって脂汗もにじんできました。

『おい、なんだか具合悪そうだ。熱、あるのか?』

あひるは心配そうに、おでこにおでこを当ててきました。

トットットットットットットットッ。

心臓が口から飛び出そうです。

近けぇ。
顔が近けぇよ。

『なんか熱いぞ?』

『…休みゃあ治る。俺はもう冬眠する』

そう、心静かに休めば良くなるでしょう。

マリモはあひるの手を離し、仰向けに寝直しました。

す〜は〜す〜は〜す〜は〜。

深呼吸して寝ようとするマリモの腕に、いそいそとあひるがくっつきました。


『…』


がばちょ、とマリモは身体を起こします。

『なんでくっつくんだ』

『なんでって…離れて寝たら、具合悪くなっても気づかないかもしれないじゃないか』

あひるは目をぱちくりさせました。

『それに、俺は看病のタツジンなんだぜ。俺がくっついて寝たら、いっつも風邪なんかすぐ治っちゃうんだ』

『…ジジィの風邪か』

『おうそうだ』

だからお前もすぐ治るよ。

にこっ、と微笑まれて、くらり、と視界がブレた気がしました。

『…よし、そうしよう』

なんだ急に素直だな〜と笑うあひるの両手を両手で包み、おでこをくっつけて言いました。

『お休み』
『お休み』

そうして二人、同時に目をつむりました。






どれぐらいたったでしょう。
なんだかいい匂いがします。
花の甘い匂いのような、森の爽やかな匂いのような、暖かい日だまりのような…。

なんだ?

マリモは目を閉じたままくんかくんかしました。
どうやら顔に当たっている、柔らかでフワフワの何かからいい匂いがするようです。
するとそのフワフワがモゾモゾ動きました。
モゾモゾ、モゾモゾ、モゾモゾ。

…なんなんだ?

マリモは目を開けました。

辺りはほの暗くてよく見えず、物の輪郭ぐらいしか分かりません。
身じろぎすると、目の前でモゾモゾしてたのが、ぴたりと動きを止めました。

『…マリモ?』
『…あひるか。どうした?』
『ん…なんか、パンツがきついんだ…』
そう言われれば腹巻きもきつい気がします。
『…脱いじまえ。俺も脱ぐ』
『ん…』
ふたりしてゴソゴソ脱ぐと、腹回りが楽になりました。

『お休み…』
『おぅ』

そうして、再び眠りに落ちていきました。






また、どれぐらいの時間がたったでしょう。

なんだか顔にぺちぺち当たっている気がして、ふるふる顔を振りました。

『あ、起きたか』

誰かの声がしました。
聞いた事のない声ですが、特に警戒が必要だという気もしません。

大きく溜め息をつくと、また寝にかかりました。

『…〜っ!起きろってんだろ!!!』

ドグッ!

『…ふっぐぅ!』

腹部にものすごい衝撃を受けて、身体を折るように上半身を起こしました。

『起きたか?』

目を見開くと、そこは明るい森の中でした。
目の前には池があります。
どっかで見たような…。

『どこだ、ここ』

『い〜かげんっ、しゃっきり起きやがれ〜っ!!!』

ふぉん!!!

と、すごい勢いで何かが顎を掠めました。

反射的に避けていなかったら骨が砕けていたでしょう。

とっさに反撃体制を取りつつそちらをふり向くと、どろっどろの生き物が座っていました。

ニンゲンの大人のようです。

全身泥まみれですが、泥の下から垣間見えているのは、金髪に青い瞳、ぐる眉に白い肌に、は…ね…?

『あ、ひる…なのか?』

『やあぁっと起きたのかよ〜』

あひる(?)はぐったりと肩を落としました。

『てめぇ、俺は朝日と一緒に冬眠から目覚めてんだぜ?今は夕方なわけよ。ず〜っと起こし続けてやってたのに、ありがとうの一つぐらい言え』

『もう春なのか』

そういえば、回りの景色が変わっています。
秋の花が終わりを告げる頃だったはずなのに、辺りはは一面の春の野花。
池にはほとりに咲く山桜がハラハラと花びらをこぼしています。

何もかもが様変わりしている中、一番変化したのは…。

『なんかでかくなったな』
マリモはあひるを見ながら頭を傾げます。

『成体になったんだっつの。俺もでかくなったけど、てめぇだってでかくなってんぜ』

『あ?』

改めて手足を見てみれば、確かに今までの自分の手足とは比べものにならない大きさです。そういえば成体になったあひるとも同じ目線でした。
マリモも成体とやらになったのでしょう。

『ジジィがゆってたんだけど、妖精はなんかのきっかけで一冬で成体になることがあるんだって。目ぇ覚めてびっくりしたけど、横で寝てるてめぇ見てもっとびっくり。おまけに昼過ぎても起きねぇでやんの。ガーガーいびきかいてて、揺すっても叩いても起きねぇし、これはもうパティの言うノウイッケツって病気かと…』

誰だ。

それに病気にしては手荒く扱われていた気がします。

『仕方ねぇからとりあえず外に出ようと思ってよ、穴の入口掘って広げて、てめぇ引きずって一緒に出てな。どろんこになっちまったから池で洗おうと思ってここまで来たってわけ』

溜め息をつきながら言うあひるの声は低く気だるげです。

『そりゃあ世話になったな』

マリモの声も低くなったようです。成体とやらになると、こんなところまで違ってくるのでしょうか。

『ま、いいや。とりあえず池に入って汚れ落とさねぇ?どろどろで気色わりぃよ』

『俺は別に気にならねぇ』
『俺が気になるっつの!』

とっとと洗え!とどなられて、しぶしぶ池を覗き込みました。

透明度の高い静かな池を覗き込むと、そこには緑の髪で眉をひそめた大人の妖精―見慣れない自分が写っています。

ホントに成体になったんだなぁ…。

何年もあちこちを旅していたのに、どうして今急に成体になったのでしょうか?

やっぱりちゃんと冬眠するってのが大事なのか?

顔をばしゃばしゃ洗って、やっぱり面倒になり頭から飛び込みました。

一泳ぎすれば汚れも落ちるでしょう。

そのままザカザカ泳いで、対岸にたどり着きました。
ぷわっ!と水から顔を上げて、犬のように顔を振って水を飛ばしました。

小さな森が抱えているような、そう広くはない池ですから、振り返ると元来た岸で、あひるが水浴びしているのが見えました。

水に浸かってあちこちをこすっている内に、泥が落ちて本来の色味が戻ってきたのが遠目にも分かります。

金色の髪、白い肌。
腰まで水に浸かっているので、まるで人魚のようです。

ぱしゃり、と水を使う音が聞こえます。

とくん、とマリモの胸が痛くなりました。



もっと近くで見たい。



マリモは音を立てないよう、そうっと近づきました。





背中の羽根は、ほんの飾りほどだった以前とは違い、背中全体を美しく覆っています。

羽根は自分で動かせるらしく、時折パタパタとはためかせて水を落とし、その度に水滴がキラキラと散りました。

翼から落ちた水滴はあひるの髪にかかり、絹糸のような金髪は雫のティアラを付けたようにきらめきます。


人魚っつ〜か、天使みてぇだ…。



もう手が届く、と思った瞬間に、あひるがちゃぷん、と振り返りました。



金色の頭に真っ青な瞳、ぐるぐるまゆげに真っ白な肌、背中にはパタパタする羽根。






これはあひるだ。
喧嘩したり冬眠したりした、さっきまでずっと一緒にいた、泥んこで笑ってたあひるだ。



なのに、なんて。






「てめぇ、キレイだなぁ…」



咄嗟にマリモは自分の口を押さえました。

自分の想いが口から出てしまったのかと思ったのです。

しかし、同時にあひるも口を押さえました。

しかも顔が真っ赤です。

どうやらさっきの言葉はあひるの口から出たようです。

「…〜っっっ!」

口を押さえてプルプルしているあひるを見ていると、マリモは逆に落ち着いてきました。

「恥ずかしがらねぇでもいい」

「だっ!恥ずかしがってなんかっ…」

「俺も、おんなじこと思ってた」

言葉の途中に言葉を被せてやると、口を開けたままあひるが固まりました。

そっとあひるの頬に手を当てて、唇を水に濡れた親指でなぞってやりました。

あひるは小さく身震いして目を伏せ、もっと紅くなりました。

「もっと触りてぇ。いいか?」

「…ぉ、おれ…も…」

マリモはあひるに、あひるはマリモに、怖ず怖ずと近づき、互いにそっと抱きしめあいました。



『…オレの居場所は、ここだったんだな』

『オレの相手は、てめぇだったんだな』

二人は抱きしめあったままそう呟いて、そっと口づけを交わしました。

そしてマリモとあひるは、それからずっと一緒に生きていくことを決めたのでした。



   * * *



next