緑のマリモと黄色いあひる -1-



今ではない時、ここではない場所に、マリモの妖精がいました。

マリモはずっと前、もう思い出せないぐらい昔に『俺の居場所はここじゃねぇ』と、マリモの群生地を離れて旅をし始めたのです。

見かけは幼児ですが、中身は一人前の妖精です。
マリモそっくりの腹巻き一つでずんずん歩きました。

あてのない旅です。

黒い瞳の猿や長い鼻の馬やオレンジ色の猫や狸みたいなトナカイにも会いましたが、それでも旅は終わりません。

変な帽子の鳥と戦いになって死にかけたこともありましたが、やっぱり旅を続けました。

もう群生地がどこだったかも思い出せません。

どんどんどんどん旅をして…、やがて森に囲まれた美しい池にたどり着きました。

秋の草花が咲き乱れ、昆虫や動物が楽しそうに戯れる池…。

そのほとりに、金色の小さな生き物がいました。

ずんずん近づいていくと、その生き物が振り返りました。
金色の頭に真っ青な瞳、ぐるぐるまゆげに真っ白な肌、背中には小さなパタパタする羽根、それから金色ぽわぽわの…



『…おむつ?』

途端に生き物が蹴り掛かってきました。

『誰がオムツだ〜っ!これはパンツだっ!この池の妖精になる時のお祝いに、妖精王のジジィがくれた、お手製パンツなんだぞっ!』

『…誰だ』

マリモはあまりお利口さんでなかったので、ずっと前に一度会ったきりの妖精王など覚えていませんでした。

『お前こそ、変な…変な…。…それ、何?』

金色の生き物が首を傾げます。

『腹巻きだ』

『ぷ〜っ!腹巻きだって〜!パンツより腹巻きの方が変だよ〜っ!』

生き物は腹を抱えて笑いました。げらげら笑われましたが、本当に楽しそうに笑うので、嫌な気持ちにはなりませんでした。

『ここはどこだ。お前は誰だ』

『ここはあひるが池!俺はここの妖精だ!』

あひるの妖精はぴょこんと跳ねました。

『お前こそ誰だ?どっから来たんだ?』

『俺はマリモが池から来た、マリモの妖精だ』

『お前、マリモなのか』

ん?とあひるが首を傾げます。

『お前、仕事は?』

『仕事?』

『お前の仕事だよ。俺達妖精は、集まって来る生き物を幸せにすることだろう?草花の手入れをしたり、レディ達に素敵な恋をプロデュースしてさしあげたり。見てみろ、俺の仕事っぷりを!』

確かに、あひるの仕事は完璧でした。
ゴミ一つなく、美しく咲き誇る草花。
終わった花はきちんと摘んであります。
池の回りにいる生き物達はみんな番いで恋を語らっていました。

『こうやって、みんなのお世話をしてあげるのが仕事であり、生きがいってもんだ』

誇らしげに胸を張るあひるに、マリモは淡々と言いました。

『俺の居た池は、寒すぎて草がちょぼちょぼしか生えねぇ。生き物はマリモしかいねぇ。マリモは勝手に増えたりフワフワしたりしてる』

『…おぉう。そりゃあ手間いらずな池だな。じゃあお前、仕事を探しに来たのか?』

『いや、違う』

『なんだよ、じゃあ何しに来たんだ』

『居場所を探して旅してるんだ』

『居場所?』

あひるは目をぱちくりしました。

『居場所ってなんだ?生まれた所…は出てきたんだよな。仕事場…は、放棄したと。えぇと…そうか、素敵なレディの腕の中か!』

突然あひるはイキイキし始めました。

『なんだ早く言えよ、ここには美しいレディがよりどりみどりだぜ。お前にぴったりのお相手が必ず見つかる!蝶々のお嬢さんは素敵だし、狐のお姉様もとっても魅惑的だ。てんとう虫のレディは愛嬌があって、鴨のマドモワゼルは…』

『楽しそうだな』

『そりゃあそうさ!』

あひるはクルクル踊りだしながら言いました。

『全てのレディはピッタリのパートナーを見つけて幸せになる権利があるんだ。俺はそのお手伝いをしてる。こぉんなに幸せなことはないぜ!』

太陽の光を受けて、金色の髪がキラキラと輝きます。

お背中の羽根もパタパタパタ。

幸せそうに一人ダンスするあひるを見て、マリモは言いました。

『お前は?』

『へ?』

ぴたり、と不自然な格好であひるが止まりました。

『お前の相手は、いないのか』

『…』

へにゃり、とぐるぐるまゆげが垂れ、あひるは肩を落としました。

『…俺のお相手のレディには、まだ出会えてねぇ…』
『そうか。一人なのか』

マリモとしては当たり前の返事をしただけでしたのに、あひるの真っ青な瞳には涙がにじみました。

みるみるそれが大きくなって、目の端でふるふる震えます。

え?なんで?
マリモはなんだか焦りましたが、自分が焦っている理由が分かりません。

とりあえず謝ってみました。
「すまん」

『…いいんだ。妖精は本当の相手に会えたら、絶対分かるってジジィが言ってた。その日が来たらきっときっと、誰かを幸せにした分、自分にも幸せがやってくるって。だ…だから、妖精はそれまで一人ぼっちでも我慢しなくちゃいけないって。本当に幸せな妖精になるために、妖精王の城を出て一人でがんばんなきゃいけないって。だから…だから、お、俺、おれっ、ジジィがそばにいなくてもっ、ジジィがっ…ジジィ…っく、えっく、うっうっうっ…』

とうとう大粒の涙が零れ出しました。

察するに、辺境のマリモが池育ちのマリモとは違い、あひるは妖精王ジジィとやらの城で育ち、一人立ちするためにこの池にやってきたのでしょう。

城というからには、きっとたくさんの妖精がいただろうし、にぎやかに囲まれて暮らしていたはずです。

それが、仕事とはいえ、突然一人ぼっち、あまつさえ自分以外はみんなパートナーがいるところにずっといることになったのです。

しかもそれがいつまで続くか分からない。
本当にお相手とやらにあえる確証などないのです。

一人が苦にならないマリモと違い、人懐っこいあひるにとって、どんなに寂しいことだったでしょう。

次から次へ溢れてくる涙を必死にこすっているあひるを見ていると、マリモは急に胸の辺りがおかしな感じになりました。

きゅうっと掴まれたような、苦しいようなこちょばいような変な気持ちです。

こいつが泣いてるから良くないんだな。

マリモはぶっきらぼうに言いました。

『泣くな』

『泣いてねぇっ!』

あひるは擦って赤くなった目でキッと睨みました。

『泣いてるだろ』

『泣いてねぇっつってんだろ!』

『じゃあ、その、目から出てるのはなんなんだ』

『こっ、これはあれだ、あの…花粉だ花粉、花粉症なんだっ!』

『お前妖精じゃないのか』

『うるさいこの馬鹿マリモ〜!』

うわぁあん!とあひるが蹴りかかってきました。
本気の蹴りです。
マリモはその辺にあった棒っきれを掴むと応戦しました。

あひるは強いのでした。
最初はがむしゃらに蹴りが飛んできただけでしたが、どんどん技が洗練されていきます。
まるで舞を舞うような、鮮やかな攻撃が続きます。

気を緩めるとやられてしまいそうです。
マリモは懸命に応じながら、その戦いぶりに思わず見とれました。

あひるも戦うことに集中したおかげか、いつの間にか涙が乾いていました。

そうして何時間がたったでしょう。

精も根も尽き果ててマリモが大地に倒れ込めば、あひるもひっくり返りました。
『て…てめぇ…なかなか…やる…じゃねぇか…』
『…お前こそな』

二人とも息も絶え絶えです。

空はもう茜色を通り越し、そろそろ星が光りだしていました。

動物達もいつの間にか姿を消し、すすきを渡る風が急に涼し過ぎる音を奏でます。

『…っ、へっぷち!』

あひるが跳ね起きました。
『さみ〜。なんか急に寒くね?』

そういえば、そろそろ晩秋なのでした。

汗をかいて泥だらけのまま地面にねっころがっていれば、冷えてくしゃみの一つもするでしょう。
お互いにパンツ一枚の腹巻き一丁なのですし。

『もうすぐ冬が来るんだな』

そう呟やけば、あひるが腕を擦りながらいいました。

『そういや、お前冬眠どうすんだ?』

『冬眠ってなんだ』

『うそだろ、お前冬眠しらないのか?』

あひるが目を真ん丸にして擦っていた手を止めました。

『妖精は寒さに弱いから、冬が来る前に土の中に潜って、春が来るまで眠るんだよ。それが冬眠。…ってか、お前今まで一人旅してたんだろ?冬眠しないでどうやってたんだ』

『眠くなったとこで寝た』
今思えば、なんだか寒いな〜と思うと、やたら眠くはなっていました。
眠たくなったら、土の上だろうと雪の中だろうと寝ていたのです。
目が覚めたら犬やイタチに食べられる直前で、持っていた棒で撃退したこともよくありました。
むしろ食べられる直前でないと気がつかなかったのかもしれません。

『そうか、あれが冬眠か』
『違う、それは行き倒れだ』

あひるにばっさり否定されてしまいました。

『俺は今まで城にいたから、ジジィが毎年作ってくれるベッドで冬眠してたんだけどよ、今年は自分で寝床を作ったんだ』

あひるはぴょこんと立ち上がると、こっち来い、とマリモを手招きしました。

ついていくと、森で一番大きな樫の木に着きました。
木の根元には、小さな妖精がやっと入れるような穴があり、藁を詰めて蓋をしてあります。

あひるはその藁をうんせっ!と引っ張って取ると、おいでおいでをして先に入ってしまいました。

マリモが後に続いて入ると、そこには、予想外にほの明るく、暖かな空間が広がっていました。

根っこの天井がいい感じに広がり、床には一面に藁が敷いてあります。
床の真ん中には特に分厚く藁が積み上げられた部分があり、そこには真っ白な羽毛がふわふわと敷き詰められています。

『すっげえだろ〜!?』

あひるが胸を張ります。

『冬眠場所探してたら、たまたま見つけたんだ。ここなら広いし、暖かだし、静かだし、光苔がいっぱい生えてるから暗くなくて、寝てても怖くないんだぜ!』

『…ほぅ』

『最初から床に藁も敷いてあったし、こんなに広くて居心地がいいなんて、きっと前に熊のマダムが一家で冬眠する為にお造りになったものに違いないぜ。ああ〜なんて優しくて有能なマダムなんだろう〜♪あ、でもベッドに羽毛敷いたのは俺のアイディアな。白鳥のお嬢さん方に分けていただいたんだ。お優しいお嬢さん方だ〜♪』

クルクル踊るあひるを横目に、マリモは冷静に考えます。

例え森1番の巨木とはいえ、その身のうちに熊が何頭も入るような空間を抱えることはできません。

これは空間に干渉してある…いわゆる魔法です。

恐らく妖精王とやらが、可愛い秘蔵っ子の為に、わざわざ用意したものでしょう。
初めての冬眠だというし、暖かそうな藁を敷き詰め、一人でも怖くないようにほの柔らかな光の苔をところどころに配置して…。
地下だというのに、さりげなく安眠を誘うラベンダーも生えています。

…過保護すぎじゃねぇか?

だいたい入口があんなに妖精サイズだったのに、どうしてこのあひるはそれに気づかないのでしょうか?

そうか、あひる頭だからか。

マリモが一人ウンウン頷いていると、あひるがパッと振り返りました。

『そうだ!てめぇも一緒に冬眠しねぇか?』

『俺も?』

『そうだよそれがいい!ベッドは俺達なら10人は寝っ転がれる位広いし、てめぇも行き倒れになんなくて済むぜ』

確かに、柔らかそうで暖かそうで、雪の上で寝てしまうよりずうっといいです。
しかし、あひるの為に作られたベッドで、マリモが冬眠しても良いものでしょうか?

マリモがためらっていると俯いたあひるが小さい声で呟きました。

『…俺も一人で冬眠しなくて済むし』

『ここで寝る』

即答すると、あひるの顔がぱあっと輝きました。

…ちくしょう可愛いじゃねぇか。

ジジィとやらが甘やかしてしまう気持ちもよく分かります。

『そうと決まったら寝心地試してみよ〜ぜっ!』




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