誘発
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彼に愛されるのはどんな人だろうと、整った横顔を眺めながら考えた。


見てくれだけはいいものの、中身は野獣…いや、野猿みたいなものだ。
好きな時に食って好きな時に寝て、気まぐれに身体を鍛えて、酒があればあるだけ飲み干す。
怠惰なのかストイックなのかわからない、サンジから見れば『いい加減』なライフスタイルの男だ。
ただ、見てくれはいい。
自分ほどではないが、そこそこいい。
だから、街に降りれば女性達は放っておかない。
手配書が出回っているから、なおさらか。

今だって、可憐な少女は頬を染めて彼が歩く姿をひっそりと盗み見る。
あるいは通り過ぎた後、きゃっきゃと声を潜めてさんざめく。
妖艶なお姉様方は臆することなく呼び止めて、その豊満な身体を押し付けた。
なのに、彼は素知らぬ顔で通り過ぎ、寂れた酒屋に入り込んで常連客のおっさん達と飲み比べに興じる様だ。
何をしてるんだろうと思う。
そんな彼の後をずっと尾けて、観察している自分もなんなんだろうかと思う。

ただ、興味があるだけだ。
あの、不愛想で無骨で横柄で俺様で唐変木な朴念仁が愛する人は、一体どんなレディなのだろうかと。
そして彼はどんな風に、人を愛するのだろう。



ダン、と空のジョッキをテーブルに置いたのと同時に、向いの男が椅子ごと真後ろにひっくり返った。
「俺の勝ちだな」
ゾロはにやりと笑い、口端を手の甲で拭う。
黙って立ち上がると、賭けの勝ち分を貯めた袋を鷲掴んだ。
尋常でない量の酒を腹に納めケロッとして見えるが、普段より少しばかり目が座っている。
「貰ってくぞ」
どこからも異論は出ず、ゾロは悔しさと感嘆が入り混じった視線の中を堂々と通り抜けた。
すれ違いざま、壁際に立った女性が艶めいた声でからかう。
「そんなに飲んだら、役に立たないんじゃないの?」
ゾロは足を止め、一つしかない目でチラリと流し見る。
「試してみっか?」
「・・・ぁふン」
野次馬の中から、変な声が漏れた。

蕩けそうな眼差しで見返す女性の前を通り過ぎ、なぜかゾロはまっすぐこっちに向かってくる。
「おい」
「ふぁっ?!」
すっかり傍観者を決め込んでいたのに、注目の的のゾロに話しかけられたお蔭でいきなり公衆の面前に引きずり出された気分だ。
サンジは煙草を銜えたまま、顔を顰める。
「なんだよ」
「宿、もう決めてあんのか」
「当たり前だろ、宿無しでフラフラしてっと泊まりそびれる」
早めに安宿を押さえておかないと、吹っ掛けられるのがオチだ。

「だったら、もう帰るぞ」
帰るって、どこへ。
呆気にとられている間に、肘を掴まれ無理やり立たされた。
そのまま引きずられそうになって、慌てて腕を振りほどく。
「帰るって、なに人の部屋に転がりこもうとしてんの」
「悪いか」
「悪いも何も、一言断ってから言えよ」
「泊まる」
「言えばいいってもんじゃねえ!」
ガツンと脹脛を狙って蹴ったが、痛がりもしない。
宿の場所も知らないのに前に立ってサクサク歩くゾロを引っ張り、サンジは仕方なくチェックインを済ませた宿に戻った。



部屋に入って早々、ゾロはまず冷蔵庫に足を向けた。
中から酒を取り出そうとするのを、後頭部を蹴り飛ばして止める。
「さっき浴びるほど飲んだだろうが、そもそも宿の酒は高ェんだよ!」
「うっせえな」
ゾロは後頭部を擦りながら、一つしかないベッドに腰掛けようとした。
それも横腹を蹴り飛ばして阻止する。
「人の部屋に押し掛けといて、勝手にベッド使おうとするな!まず風呂入れ、てめえ臭ェんだよ!」
足の先を使って、汚いものでも除けるようにして風呂場に追いやった。
たらふく酒を飲んで満足しているせいか、ゾロは差して抵抗するでもなく風呂場へと消える。

「ったくもう、脱いだら脱ぎっぱなしで・・・」
ゾロは、放っておいたら一週間ぐらい風呂に入らない。
波飛沫を受けても顔を拭うだけだし、海に飛び込んでも濡れた服を絞る程度でそのまま着ていて、潮を吹いても平気だ。
海王類を刀で切り捨てて返り血を浴びても知らん顔だし、常に生臭く獣っぽい。
「ちゃんと、耳の後ろまで洗えよー」
ガラスの扉越しに声を掛けながら、サンジはゾロの服を籠に入れた。

この島でログが溜まるのに五日かかる。
一つ宿に長逗留するつもりで、家電付の部屋を借りた。
洗濯機も備え付けだから、これを機に洗い放題だ。
――――こいつ、着替え持って歩かねえからな。
上着ぐらい、自分のを貸してやるかなとも思う。
肩がきついだのボタンが合わないだのと文句は言うだろうが、どうせちゃんと着こなせない野蛮人だ。
それに、明日は昼まで寝ているだろうし。
その間に服も乾く――――

そこまで考えて、むっと眉間に皺を寄せた。
何考えてんだ俺。
なんで、陸に降りてまで汗臭いマリモと一緒に過ごさなきゃなんねえんだ。
明日には絶対追い出すぞ。
着る服の心配なんざ、してやる義理もねえ。

一人百面相をしていたら、風呂からゾロが上がってきた。
きっと振り返り、声を荒げる。
「ちゃんと洗ったのかよ、烏の行水にもほどがあるぞ!」
「うっせえな」
ゾロが顔を顰めて、タオルで耳の穴を拭いた。
一応、石鹸の匂いはしている。
「ああ、ちゃんと拭いてから出て来い。ここは船じゃねえんだから、床が濡れる」
ゾロが腰に巻いていたバスタオルを取って広げたので、サンジはくるりと回れ右した。
「汚いモン見せんじゃねえ!」
「お前が拭けと言ったんだろうが!それに洗ってきた」
「野郎の裸なんざ、目が腐るわ!」
ああ、ナミさんの幸せパンチが恋しい。
破産するのは目に見えているが、せめて月一で幸せパンチを食らいたい。

現実逃避している間に、ゾロは大股でサンジの横を通り過ぎて部屋に戻った。
入れ替わりに風呂に入ろうとして、がっくりと肩を落とす。
多分、このままいくと俺が風呂に入っている間にゾロは勝手にベッドで寝落ちるパターンだ。
俺が部屋を取ったのに、なんで寝床を奪われなきゃなんねえんだ。
しかも、蹴り飛ばして奪い返す気にもならない。
野郎が寝たベッドに入るなんて、ごめん被る。

せめてソファ付きの部屋にすればよかったかなあと後悔しながら、サンジは風呂に入った。




予想に反して、ゾロは窓辺に腰かけていた。
明かりを落とした室内は、窓から差し込む月明りでほんのりと青白い。
てっきりベッドの中で高鼾だと思っていたから、思わずポカンとして立ち尽くした。
「…なんだ」
「あ、いや…」
それに、冷蔵庫から勝手に酒を取り出して飲んでもいない。
予想外の行動が、却って不気味で油断できない。
「てめえ、なにしてんだよ」
「は?俺ァなにもしてねえぞ」
「だからだよ、なんでなにもしてねえんだよ」
我ながら、理不尽な物言いだと思う。
ゾロじゃなくとも「何言ってんだこいつ?」と思うだろう。
「なんだ、なにかしてほしいのか」
ゾロはそう言って、なぜか薄笑いを浮かべた。
月の光のせいで、陰影が深く見える。
「お前、ものすげえ邪悪っぽい」
「なに言ってんだ」

通りに面した窓からは、かすかに外の喧騒が聞こえてくる。
それに反して、室内は静かだ。
冴え冴えとした月明りと、時折点滅する夜の灯りが半裸のゾロを照らし出す。
サンジはふっと顔を背けて、椅子の背に掛けたままの上着に近づいた。
一服でもして落ち着こうとしたのに、伸ばした手首をゾロに掴まれる。
「…あんだよ」
振り返ったら、思いの外近くにゾロの顔があった。
というか、近すぎる。
「なにっー――」
後ずさろうとして、できなかった。
がっちりと手首を掴まれているし、それにいつの間にか腰にももう片方の手が添えられていた。
というか、ほとんど抱きかかえられている。
「ちょ…」
「お前」
ゾロはぐいっと、サンジの肩を抱きよせた。
鼻にかかる息は、酒臭い。
ここに至ってサンジは初めて、ゾロが「酔っている」と気づいた。

「物欲しそうな面して俺を見る、てめえが悪い」
そう言って、顔ごとぶつかってきた。



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