誘発
-2-


サンジは咄嗟に顎を引き、額を突き出した。
ガツッと鈍い音がして、目から火花が散る。
「いって~っ!」
「…つっ」
ゾロは顔を顰めて、バスローブの襟首を掴み上げた。
「なにすんだてめえ!」
「こっちの台詞だ、てめえがなにしてやがんだ、クソ野郎!」
あまりの痛さに、涙目で叫び返す。
そのつもりはなかったが、渾身の頭突きを嚙ましてしまった上、ダメージがゾロよりでかい。
「この期に及んで、半端なことすんな」
「どっちがだ!」
ゾロの腹に膝を打ち付けた。
が、あまりに近過ぎるのと直前に腰を引かれたせいで、手応えがない。
しかもそのまま膝裏に手を回され、押し倒された。
安物のベッドが、二人分の体重を受けてぎしりと撓る。

「―――――ま…」
今度は抗う隙もなく、唇を塞がれた。
両足をばたつかせてもがいたせいで、バスローブがはだけて素足が剝き出しになってしまっている。
その間にゾロの身体が密着して、完全に仰向きで大開脚だ。
「ん~~~~~~~~~っ」
なにか文句を言おうにもがっちりと口を塞がれて、うめき声しか出せない。
しかも、押し付けられた股間が何やらぐりぐりと熱くて硬かった。
「む――――――っ」
サンジは目をぎゅっと摘むって、身を固くした。
誤解でも思い違いでもなんでもなく、まさしく身の危機だ。
だって、ゾロにキスされている。
というか、口を噛まれている。
噛みちぎられそうな勢いで唇を食まれ、舌を吸われた。
これ、やっぱキスじゃないんじゃね?
俺、食われるんじゃね?

「ふぉあ、ふぁがっ、ふぁ…」
何度か口内を舌で弄られた後、合わせた唇がずらされた。
新鮮な空気を求め、首を捻りながら喘ぐ。
その間にも、ゾロはサンジの口端や頬、耳元に音を立てて唇を付けた。
先ほどまでの取って食うような勢いではなく、これぞ「キスの雨」と表現したいような甘い仕草だ。
「…なんで~~~」
サンジは混乱して、もはや抵抗する気にもなれなかった。
ゾロの行動が理解できない。
瞼を開けて顔を正面に向けたら、見下ろすゾロと目が合った。
薄闇の中、片方だけの瞳がそれ自体が発光するかのように爛々と光っている。
白目がギラついて、若干色素の薄い黒目は中央が針のように細くなっていた。
獲物を前にした獣そのものだ。

ぞくぞくっと、快感に似た震えがサンジの背中を駆け上る。
恐怖や嫌悪ではない、明らかに興奮を誘う動悸に、自然と息遣いが荒くなった。
「…お前、なんか、やらしー…」
「はあ?てめえがだろ」
ゾロはそう言って、サンジの唇を舌でべろりと舐めた。
動物めいた仕草なのに、やけに生真面目な表情で唇を付けてくる。
なんだかおかしくなって、サンジもお返しにゾロの唇を舐めた。
お互いに舌を出し合って、競うように舐め合う。
「変、だぞ」
「そうか?」
無意識に息が上がり、はっはと獣じみた声を漏らした。
触れている素肌が熱くて、バクバクと高鳴る心臓は口から飛び出そうだ。

ゾロはバスローブの間に手を差し込んで、裸の背中をするりと抱き上げた。
ごつごつと傷が浮いた胸を押し当てられ、ぎゅっと抱き締められる。
熱の塊みたいな筋肉の束を、サンジも抱き返した。
むさ苦しい野郎のゴツい身体なのに、なぜだか愛しくてたまらない。
「変、だぞ」
「そうか?」
変なのは、俺だ。





ゾロは一体、どんな風にレディを抱くのだろう。

ふと湧いた疑問が、ずっと胸の奥底に淀んでいた。
それを見透かされたようで、悔しくも気恥ずかしい。
「…んっ、ん…っ」
思いのほかすんなりと身の内に収まったゾロの熱を感じながら、サンジは手の甲を口元に押し当てた。
だがゾロが動く度に、鼻から息とともに声が漏れ出てしまう。
耳を疑うほどに甘ったるい、艶めいた音だ。
「おい」
荒く息を吐きながら、ゾロはサンジが口元に当てている手を引っ張った。
「よ、せ」
「うっせえ」
動作は乱暴だし表情は凶悪なのに、ここに至るまでの過程は思っていたより…いや、欠片も想像できなかったほど丁寧だった。
もしかして、レディに対してはとんでもねえジェントルマン?と思ってから、いやいやいやと脳内で打ち消す。
だって俺、レディじゃねえし。
俺に対してだってこんなに優しい…うわあ、優しいんだ、マジでうわあ。
ありえない単語の出現に一人で身もだえしていたら、「おい」と顎を掴まれた。
「他所事考えるたァ、余裕だな」
額に青筋が立っている。
怒っているのに、実際怒りの形相なのに、動きは乱暴ではない。

もっとこう、想像の中でのゾロはがつがつしていた。
レディのたおやかな肩を押さえつけ、豊満な胸に目もくれないでひたすらカクカク腰を振る、大変身勝手で乱暴な真似をすると思っていたのに。
偏見に満ちた推測を申し訳ないと詫びたいほどに、実際のゾロは慎重だった。
ほんとにこれ、ゾロだよな。
思わず疑いの眼差しでじっと見つめてしまったら、ゾロは挑発するように口端を上げて見せる。
「なんだ、物足りねえって面だな」
その挑発には、乗ってやろう。
「ああ、かったりィんだよ」
サンジはそう言って、ゾロの髪を鷲掴んだ。
引き寄せて、睨みつけながら口付ける。
そうして目を閉じたら、それを合図にしたかのようにゾロの律動が始まった。

ゾロとのセックスは、想像していたよりもずっとずっと、悪くなかった。






―――――そもそも、想像していたっけ。
ぱちりと目を覚ましてから、昨夜の思考の続きがいきなり浮かび上がった。
そうそう、ゾロが愛する人はどんな女性だろうかと、考えたのはそれが最初だ。
それがどこをどうしたら、自分が抱かれてみた感じ…になってしまったのだろう。
そんなこと、一ミリだって望んじゃいなかったのに。
本当に?
本当に。

まだ夢うつつの状態で、自問しながら寝返りを打つ。
カーテンから差し込む光の高さが、とっくに昼近いと告げている。
窓が少し空いているのか、外の喧騒が賑やかだ。
煮炊きをする、料理の匂いも鼻孔を擽る。
日中に微睡むことなどほぼないからこその、この贅沢感が溜まらない。

「…って、え?」
日差しを受けて眩い窓を背に、ゾロが座っていた。
その目が、自分を見つめている。
サンジは思わずがばりと身を起こし、まだ体内に残る違和感に背を丸めた。
「うぉっと」
「…おう」
「おうじゃねえよ、バカ野郎!」
起き抜けに怒鳴られ、ゾロは目を瞬かせる。
「なんだ、やばいのか?」
「べ、別になんもやばかねえよ、問題ねえよクソ野郎」
一人で慌てたのがみっともなくて、サンジは片手を伸ばして椅子の背に掛けられたままの上着のポケットを探った。
煙草とライターを取り出し、とりあえずは火を点ける。

「…んだよ」
「あ?」
「なんで、お前が起きてんだよ」
いつもは、暇さえあれば寝ているくせに、まさかゾロが先に起きているとは思わなかった。
しかも何もせずに、ただ黙って座って、こっちを見ていただなんて。
「なに、してたんだよ」
サンジはそっぽを向きながら煙草を吹かす。
「別に、なにも」
「いつ起きたんだよ」
「さあ」
要領を得ないゾロに、サンジはイライラと髪を掻き混ぜる。
「なんで、見てんだよ」
「ああ、間抜けた面だなあと」
「なんだと!」
目を怒らせて振り返ると、ゾロは「ははっ」と笑った。
どうにも、余裕に差がありそうで分が悪い。
喧嘩を吹っかけても、まともに取り合ってもらえそうにない。
「野郎の寝顔なんか、見てても面白くねえだろ」
「そうでもねえ、どんだけ見ても飽きねえもんだ」
さらりと口にされる言葉が、いちいちサンジの心臓を跳ねさせる。
いいように踊らされている気分で、居たたまれない。

「てめえ、いつもそんなんか?」
サンジは短くなった煙草を、灰皿に押し付けた。
ゾロの方を見ないで、少し俯いて呟く。
「なにが」
「…その、そういう…」
具体的に言えなくて、横を向いたまま吸殻をもてあそぶ。
「島でレディをナンパして、こういう形で、朝を迎えたら」
そうしたらゾロはやっぱり、相手の女性の寝顔を眺めて微笑むのだろうか。
今みたいに、まるで愛しい人のように柔らかなまなざしで。

「んな訳、ねえだろ」
ゾロはそう言って、サンジの髪をくしゃりと撫でた。
そのまま乱暴に鷲掴んで、引き寄せる。
「物欲しそうな目で見る、てめえが悪い」
強引で、身勝手で、野蛮な行為のはずなのに。
ゾロの口付けは、やっぱりとても甘かった。


ゾロはいったいどんなふうに、人を愛するのだろう。
そしてゾロに愛される人は、いったいどんな人なのだろう。

その答えを手にしたことを、いまだ認めがたいサンジだった。



End


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