夢の途中 1

きっかけは、新聞の片隅に小さく載せられた記事だった。
「幻のオールブルー、発見か?!」
サウスブルーのとある企業に雇われた探検家が、多種多様な生物が生息する海域を見つけたと、書いてある。
ルフィやウソップは場所はどこだと大騒ぎし、ナミはほんとかしらと眉を顰め、チョッパーはサンジを気遣い、
ロビンは首を傾げた。

煙草を咥えて、思ったより暢気に記事を読むサンジの背後からゾロがぼそりと呟いた。
「ぼやぼやしてっから先越されるんじゃねえか。」

それが、サンジの逆鱗に触れたらしい。

















「サンジぃ、思い直してくれよぉ。」
チョッパーが半泣きでウロウロしている。
「そうだぞ早まるな。まだ本物と決まったわけじゃねえし。焦って船降りてどうやって行くってんだ。」
大げさな身振りでなんとかサンジの荷造りを阻止しようとするウソップをキッチンから蹴り出して、
サンジは鞄をドンとテーブルに置いた。

「簡単なレシピはこのノートに書いてあるから、素人でも大丈夫だぞ。次のコックが見つかるまでの場繋ぎに
 なるだろう。買出しの定番リストはこっち。次の航海予定日数で掛ければ大体の数量はわかる。」
てきぱきと動く手を止めて、特に怒った素振りを見せず笑みさえ浮かべて振り返る。
底知れぬ不気味さを感じて、チョッパーは無意識におびえた。
「何がどこにあるか、誰にでもわかるように整理しといたからな。」




次の島で、サンジは船を降りると言う。
突然の宣言は青天の霹靂の如くクルーを震撼させた。
ウソップとチョッパーは慌てふためき、宥めて脅してすかして、最後は泣き落としで引きとめようとした。
半分冗談だろうと高を括っていたナミも、自分の言葉に従わないサンジは初めてで、戸惑っている。


「ったく、サンジ君たら意地になっちゃってるのかしら。」
ナミは風で乱れる髪を押さえて、水平線を眺めた。
「もうそろそろ島影だって見えてきちゃうわよ。」
「ゾロせいだぞ!」
「そーだ、ゾロが悪い!」
甲板に呆然と立つクルー達の目が一斉にゾロに注がれる。
船縁に凭れて腕を組むゾロは、気まずそうに首を回して空を見上げた。

「・・・で、俺にどうしろってんだ。」
「謝まんなさい。どう考えても、あんたの一言がサンジ君の背中を押しちゃったのよ。」
「そうだよ、大体ゾロは無神経だよな。」
「オールブルーはサンジの夢だぞ。あんなこと言われてじっとしてられる訳ないじゃないか。」
いつもは弱気なウソップにまで責められて、さすがにカチンと来る。
「謝らなきゃならねえようなことは言ってねえぞ。ぼやぼやしてっから先越されたって、事実を言ったまでだろが。」
「そう言うとこが、無神経だっつーの!」
ウソップの反論にも鼻の頭に皺を作っただけで言い返せない。

顎に手を当てて考えていたロビンが口を開いた。
「確かに、コックさんが船を降りる動機にしては、弱いわね。」
「そうなのよ。ゾロが無神経なのは今に始まったことじゃないし、サンジ君が自棄を起して船を降りるって
 言ってる訳じゃないみたいだし。」

はあ…と深く溜息をつく。
「だから余計戸惑っちゃうんじゃない。サンジ君は本気で、私達に別れを告げて自分の夢に一直線に進んで
 行っちゃうんじゃないかって。」
もしそうならば、誰もサンジを引き止めることなどできない。
深く沈んでしまったクルー達を横目にゾロは甲板を後にした。

実は、心当たりがないことも、ない。













少し前に海賊船とやりあった時、珍しく傷を負った。
太ももを切った程度だが、下手をすれば動脈が切れていたとサンジはひどく怒って怒鳴る。
「大体てめえ、相手が弱いのわかってて深追いした結果がこれじゃねえか。チンケな海賊の小競り合いだと
 思って舐めてんじゃねーぞ。」
手痛い指摘にムカっときて、返事も待たずに引き倒す。
「って、何考えてんだ!怪我人は大人しく寝てろ。」
「うっせー、どうせ眠れねえよ。相手しろ。」
シャツを引き抜いて薄い腹に手を這わせるとサンジはぎゃあぎゃあ喚き始めた。
「傷縫ったとこだってのに暴れんじゃねー、返り血ついたまま触るなっ、ちゃんと食って薬飲め!!」
他の仲間たちは戦闘に疲れて早々に眠ってしまったとは言え、辺りを憚って小声で抗議する。
それでも足が出ないのは、ケガを気遣っているのだと、ゾロはわかっているから始末が悪い。

「こんの、色ボケ剣豪・・・なんでそんなに無茶ばっかするんだよ――――」
抗っていた手をいつの間にか背中にまわして、ゾロの頭を抱えるようにかき抱く。
仰け反った首筋に軽く歯を立てて舌でなぞった。
青白く浮いた血管がぴくぴく動く感触を楽しんで、顔を上げる。
「俺にゃ、立ち止まってる暇はねえんだ。」
一つでも多く闘って打ち勝って、いつ鷹の目に出くわしてもいいように。

「てめえみてえに悠長に夢が叶うのを待ってる訳じゃねえんだよ。」


ほんの軽口のつもりだった。
戦いで傷付いて少し気も立っていた。
興奮が収まらなかった。
図星を指されてむかついてもいた。

だが、サンジは一瞬目を見開いてゾロの顔を凝視した後、ぎゅっと目を固く瞑り、それきり
終わるまで開くことはなかった。












やや乱暴にキッチンのドアを開けると、部屋の主だった男は背を向けたままシンクの下に顔を突っ込んでいる。
足音でゾロだとわかっただろうに振り向きもしない。
「船を降りて、どこへ行くってんだ。」
ごそごそと忙しなく手を動かす痩躯は、ゾロの声に反応を示さない。
「ガセネタかもしんねえ、その方が確立は高えぞ。今ごろのこのこ行ったって無駄足だ。」
ひょいと頭を抜いて、身体を起した。手にいくつか箱を抱えてシンクに置く。
「意地張ってねーで前言撤回しろ。てめえの大好きなナミだって困ってんじゃねーか。」
くるりと方向を変えて、ゾロを見た。
取り澄ました顔からは何の表情も見えない。
「お前それで、引き止めてるつもりか?」
声に笑いさえ含んでポケットを弄った。
煙草を取り出し火をつける。
「大方チョッパー辺りに泣きつかれて渋々ここに来たんだろ。ご苦労だな。」
これにはゾロもカチンときた。
「ガキみてえに拗ねたこと言ってんじゃねえ。本気でもねえのに廻りの反応を試すような真似しやがって・・・」
「生憎だが俺は本気だぜ。この船を降りてオールブルーを探しに行く。」
ふうと煙を吐き出して横を向いた。
「ガセネタでも自分の目で確かめねえとな。外れならまた次に行くさ。別にこの船じゃなくても探せねえことはねえ。
 ここに拘る理由もねえさ。」
ろくに吸わないまま灰皿で揉み消した。
今度はシンクの上の棚を整理し始める。

「・・・怒ってやがんのか。俺の言ったことに。」
「関係ねえっつったろ。俺が夢を叶えるのにこの船も、ルフィたちも、てめえも、なんの関係もねえんだよ。」
パタンと扉を閉めて、ゾロの目を見ずに口元だけで笑う。
「わかったら出てってくれ。作業の邪魔だ。」
頑なな態度に、これ以上は今は何を言っても無駄だと思いゾロは大人しく引き下がった。







「島が見えてんぞ。ナミ、上陸しないのか〜?」
「馬鹿ね、島に降りたらサンジ君は船を降りるって言ってんのよ。上陸できるわけないじゃない。
 とりあえず沖で停泊して、明日の朝までにサンジ君を説得しましょ。」
甲板から島を眺める仲間の元にゾロが戻ってきた。
「お、ゾロどうだ?ちゃんと誤ったか。」
「サンジ、機嫌直してくれたか?」
とことこ足元に寄ってきたチョッパーにウルウルした目で見上げられて、ゾロは苦い顔を返した。

「・・・俺の言うことなんか、なんも耳貸さねえぞ。」
「あんだよ、役にたたねえなあ。」
尋常でない事態のせいか、ウソップは普段では考えられないような暴言を吐いている。
「まあゾロが役立たずなのは今に始まったことじゃないし、いいわ。今夜私の幸せパンチを一発・・・ううん、
 二発ほどお見舞すれば、サンジ君も気を変えるでしょ。」
「そりゃあ・・・効きそうだな。」
「頼むぞ、ナミ。」
ウソップとチョッパーの期待を一身に受けてナミは余裕で笑って見せた。


しかしその夜―――――

豪勢な夕食を食卓に準備して、緊急避難用のボートと共に、サンジはGM号から忽然と姿を消した。



「今からなら、まだ間に合うぞ。追いつけるから、早く島に着けようぜ。」
「参ったわね。こう暗くちゃ、あんな小さなボートなんか見つけられないわ。」

慌しく入港準備をするクルー達をルフィが暢気な声で止める。
「明日の朝にすりゃあいいじゃねえか。それよりあったけえうちに飯を食うぞ。みんな座れ。」
「馬鹿言ってんじゃないわよ!ルフィ、わかってんの?サンジ君船降りちゃったのよ。もう帰って来ないかも
 しれないのよ。」
「サンジは帰ってくる。俺に何も言わずに出てく訳ねえ。」
きっぱり言い切って食事をはじめる。

ルフィの根拠のない断言は不思議と焦る気持ちを宥めてくれた。
「それに、せっかくサンジが用意してくれた飯だ。美味く食べなきゃ叱られっぞ。」
ルフィが落ち着いているなら、多分大丈夫だろう。
きっとこのままルフィに断りもなくサンジが消えたりはしない。
なんとなく、皆そんな気になってきた。
「そうだな、・・・食うか。」
「仕方ないわね。腹が減っては戦はできぬ、よ。」
「コックさんにも何か考えがあるんでしょう。明日手分けして探しましょうか。」


肩を落として食卓につく皆を眺めながら、ゾロはひどく腹を立てていた。
自分の言ったことが原因なら、その場で言い返せばいいだけのことだ。
黙ってそ知らぬふりをして、あてつけみたいに姿を消すなんて性質が悪いにも程がある。

「ゾロ、あんたも座って食べなさい。今更オロオロしたってしょうがないわよ。」
「誰がオロオロなんざするか。大体なんで奴を探さなきゃならねえんだ。勝手にどっか行ったんだろうが。
 ほっとけばいい。」
乱暴に腰掛けると、イスがギシリと悲鳴を上げた。
「放っときゃいいって、あんた本気で思ってんの。」
ナミの目が座っている。
「おうよ、あいつがどこ行こうが俺の知ったこっちゃねえ。」
「それを、あんたが言うの。」


不穏な空気にウソップ達は食べかけた手を止めた。
気にせずに食事を続けているのはルフィくらいだ。

「・・・何が言いてえ?」
「言ってもいいの?ここで。」
ゾロは胸を反らした。
「構わねえぜ。隠し事しなきゃならねえことも、隠すこともしてねえからな。」
「そう…」
ナミは静かにフォークを置いた。

「船のコックが出て行ったってことじゃなくて、あんたの大事な恋人があんたに黙って姿を消したってのに、
 放っといちゃだめだって言ってんの!」
ガチャン、と派手な音を立てて、ウソップの手からフォークが落ちた。
アワアワと口を開け閉めしながら、ゾロとナミの顔を交互に見比べている。
ゾロは否定も肯定もせずに腕を組んでナミを睨むだけだ。

「こ、こここここ恋人って・・・」
ウソップは喉に何かを詰めながら蒼くなったり赤くなったりしている。
「違うかしら。私にはそう見えてたんだけど。少なくとも単なる処理目的のセフレって訳じゃなかったでしょ?」
しれっと言葉を綴りながらも挑発するような目でソロを見る。
「だからこそ、今回のサンジ君の行動はあんたが原因だと思うのよ。普通に考えたらいくらオールブルーが
 絡んでるからってこんな無責任な行動をするとは思えないわ。心当たりは、ないの?」

「・・・ある。」
コケっとウソップの肘が滑った。
あるんかよ!と小声で突っ込む。

「ならあんたがさっさと追いかけなさい。私達がいくらバタバタしたって無駄なのよ。サンジ君がこの船に
 帰ってくるかどうかは、あんた次第よゾロ。」
びしっと指差されてゾロは眉を上げた。
じっと見つめる全員の顔を順繰りに眺めてコキリと首を鳴らすと、静かに立ち上がる。

「じゃ、ちょっくら行ってくる。」
「おう、ゾロ頼むぞ。」
ルフィは口一杯に食べ物をほうばったまま暢気に手を振った。
その頭にナミの拳骨が落ちる。
「食べてる場合じゃないわよ。船、入り江に着けるからみんな準備して。」
食卓をそのままに、慌しく動き出す。



「しっかし驚いたなー・・・まさかゾロとサンジが・・・あ、いや・・・」
思わず口にしてからゾロの顔を見てウソップが首を竦める。
「人間はオス同士でも番になるのか。」
チョッパーの素朴な疑問が帰って生々しくて嫌そうな顔をした。
「けど、こうやって探しに行くってことは・・・サンジのこと本気なんだな。」
かなり動揺していたウソップだが一瞬真顔でゾロを見る。

「伊達や酔狂で仲間に手え出したりしねえよ。」
見つめ返されて、鼻の先まで真っ赤になった。
「んんん、ならいい!頼むぞ!」

刀を背負って暗い浅瀬に飛び降りる。
「・・・問題は、ゾロがサンジ君を見つけられるかどうかね。」
「それだけは確かに心配だわ。下手をすると二人とも行方不明になるわよ。」
「おいおいロビン、これ以上不安にさせるなよ。俺はもういっぱいいっぱいだ。」
「さー、食事の続き、しようぜえ!」
「まだ食うんかい!!!」

仲間達の喧騒を尻目に、波を蹴る音が闇に紛れて遠のいていった。














さて、どうするか。

勢いで飛び出しては見たものの、サンジの居そうな場所などさっぱり見当もつかない。
大体なんで船を降りるなんて言い出したのかすら、さっぱり理解できないでいる。

――――ナミの言うことは一理あるんだがな。

普段のサンジの行動から見て、確かに今回のことは説明がつかない。
原因は自分の無神経な発言にあるんだろう。
――――悠長に待ってたとかぼやぼやしてたとか…そんなにキツかったのかよ。
獄潰しだの寝腐れマリモだの本人は言いたい放題なのに、ちょっと言っただけでへこむなんざ鍛え方が
足りねえんじゃねえか。
どうしても不条理な仕打ちを受けているとしか思えなくて、腹の虫が収まらない。

―――あの野郎、見つけたらとっつかまえて思い知らせてやる。
自分にどう非があったのかとか、そんなことは頭から消えて、違う方向に熱くなった。

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