妖精ちゃんの憂鬱 6

大嫌い。

お兄様なんて、大嫌い。




カヤの言葉が頭の中をぐるぐる回る。
大嫌いって…

指に挟んだタバコから、ぽとりと灰が落ちるのにも気付かない。
ゾロは灰皿を差し出すと、サンジの指からタバコを外して揉み消した。
うっかり火事にでもなりそうだ。

サンジはキッチンのテーブルの上で、さっきから同じポーズでずっと呆然としている。
愛する妹に大嫌いと言われたのがよほど堪えたのだろう。

「まあ、今回はてめえに非があるな。」
ゾロの言葉にはじめて反応した。
「あんだよ、てめえに何が…」
眉を顰めて睨みつける顔は、充分凶悪だ。
「いつまでも可愛い妹じゃねえってこったよ。あの子は鼻の長いのに惹かれてっぞ。」
「冗談じゃねえ!」
ばんと机を叩いて立ち上った。
「そうでなくてもカヤは世間知らずな温室の花なんだ。あんな得体の知れねえその辺の男が話しかける
 ことすら許されねえ高嶺の花なんだよ。それをあの野郎は、口ばっかりうまく回りやがって…」
世間知らずはてめえだろうと、内心突っ込むゾロに、サンジははっと視線を合わせた。

「そう言えばてめえ、さっきまた来てるのかっつったな。あいつ前から来てたのか?」
「ああ、てめえが買い物に行ってるときとか、俺らが中にいるときなんかな。」
こいつも世間を憚る身なら用心しろよ。
「ますます油断のならねえ野郎だ、今度来たらボコボコにしてやる。」
「けど、カヤは嬉しそうだったぞ。」
「カヤにとったら珍獣見てえなもんだ。そりゃ見てりゃ楽しいだろうよ!」
あんまりな言い草だ。
「お前も大概にして置け。」
ゾロはやや固い口調で言った。
「大体カヤのどの辺がどう、弱いんだ?心臓が悪いだと?だが日常生活には支障がねえじゃねえか。
 定期健診だって半年に1度だろうが。もっとあの子の世界を広げてやれ。」
「冗談じゃねえ、あんな可愛い子を世間に出してみろ、悪い虫どころか狼まで寄ってきちまう。」
ゾロは盛大にため息をついて見せた。
「てめえは自分が臆病なだけだ。妹に理由をつけるな。」
「なんだと!」
カッとサンジの頭に血が上った。
「いつまでもガキ同志肩寄せあって生きていけるわけじゃねんだよ。なにが妖精だ。何が一生処女だ。
 妹に恋くらいさせてやれ。」
「けど、心臓が…」
「それを決めるのはカヤ自身だ。てめえじゃねえ。妹を自分の所有物なんて、思うな…」
みなまで言わさず、サンジはゾロに掴みかかった。
がたん、と派手に椅子を倒して、床に転がる。
ゾロの上に馬乗りになって横っ面を張り飛ばしたが、ゾロはサンジを見上げたまま首を傾けもしない。

「てめえに、なにがわかる。カヤは、生まれてきたときから逆子で、臍の緒を首に巻いてて、
 半分死んで生まれてきたんだ。ちいちゃな身体で、保育器の中で精一杯手足伸ばして生きてきたんだ。
 お兄ちゃん、お兄ちゃんって…俺のあとばかり追い掛け回して…」
ぐずぐずとサンジは泣き出した。
泣きながら、ゾロの頬を打つ。
「小学校の朝礼で貧血起こして倒れてばかりだった。両親が死んだとき、本当に心臓が止まりかけたんだ。
 俺が守ってやるんだ、これまでも、これからも…俺がっ…」
ゾロの顔を両手で挟みこんで、えっえとしゃくり上げた。
何度殴っても自分の手が痛いだけだから、もう諦めたようだ。

「カヤは、綺麗なものしか見たことねえんだ。美味い物だけ食って、優しいものに囲まれて…
 それで一生暮らしていくんだ。それがカヤの幸せだ。」
「てめえが決めるな。それから泣くな。」
ゾロは手を伸ばして、サンジの小さな頭を抱えた。
「妹の幸せを望みながら、なんで泣く。泣くってことは、自分でも間違ってるって思ってんだろ。
 認めろよ。」
「うっせえ…」
「カヤは、てめえじゃなくても充分幸せになれんだよ。強えぞあの子は。てめえより強えかもな。」
「うっせ―…」
えぐえぐとしゃくり続けるサンジの身体をゾロは横たわったまま抱き寄せた。

「妖精になり損ねて、てめえは変わったか?」
柔らかな髪を撫でて、ゾロが問いかける。
「俺に犯されて穢されてよ、それでてめえの何かが変わったか?」
サンジはゾロの胸の上で顔を上げる。
涙で濡れた頬に金糸が張り付いて、幼児のようだ。
「もう、綺麗なものを綺麗だと思わなくなったか?愛するものを失いそうか?自分が弱くなったと
 思うか?」
鳶色の目に真正面から見据えられて、サンジはおずおずと首を振った。
「変わらねえだろう。変わらねえはずだ。お前はお前だ。」
あやすように背を撫でる。
身体の上で震えるサンジの鼓動がゆっくりになっていく。

「本当に妹を愛してるなら、好きにさせてやれ。自分の道を歩ませてやれ。てめえは後ろから
 ずっと見てて、サポートしてやればそれでいいんだ。」
なあ、お兄様。
そう揶揄すると、サンジは口元を歪めて、それでもちょっと笑った。










涙を拭いて、顔を洗って、夕食の支度をしようとエプロンを身に着ける。
その前にカヤに詫びておかなければと、階段に向かった。
不意に玄関の呼び鈴が鳴って振り返る。
ゾロはソファに寝っ転がったまま片目だけ開けた。
こんな時間に、誰だろう。
訝しく思いながらインターホン越しに問いかけた。
「すみません、ウソップです。」
サンジは聞こえるように舌打ちしたが、門のロックを外した。
庭から忍び込んでこないだけマシというものだ。

玄関の扉を開けると、ウソップのほかに数人の男たちが後ろに続いている。
ゾロはソファから身を起こした。
だが立ち上がらない。
「警察の者です。」
目の前に写真入の手帳を翳されて、サンジははじめて事態に気付いた。
立ち竦んだサンジの両脇を男たちがすり抜けて、キッチンへと入った。
ゾロの前に立ち、本人か確認している。
ゾロも、さして抵抗もせず認め、促されるままに立ち上がった。

「…ゾロ」
あまりにあっけない、幕切れだ。
刑事に両脇から抱えられる格好で、ゾロはサンジの横を通り過ぎる。
一瞬何かを言いたそうに振り返ったが、何も言わずそのまま背を向けた。




「ゾロ!」

サンジの叫びにも歩みを止めず、その後ろ姿は外へと消えた。。
ウソップはゾロとサンジを交互に見て、それから刑事に頭を下げた。


「お兄様。」
カヤが、階段から静かに下りてくる。
だが混乱したサンジはその声に反応することもできない。
「お兄様、ごめんなさい。」














通報したのはカヤだった。
ウソップを通じて、踏み込むタイミングも見計っていたらしい。
「ゾロさんが、いい人だということは私もわかっていました。でも、罪はきちんと清算されなければ
 なりません。」
きっぱりと言い切るカヤを、サンジは眩しそうに見つめ返した。
ああ、やっぱりゾロの言ったとおりだ。
この子はとても強い。

「お兄様…」
「大丈夫、大丈夫だよ。カヤ」
サンジはそう言って笑って、それでもカヤを抱きしめた。

昔よりずっと背が伸びている。
柔らかな脹らみは弾力があるし、匂いだってとても甘い。
いつまでも俺のリトルレディじゃないんだね。
サンジはカヤの額にキスをすると、隣でぼうっと見蕩れていたウソップを腹立ち紛れに蹴り飛ばした。

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