四方山話  -2-


枕が替わっても平気で眠れるのはゾロの長所だと思われる。
サンジもまた、久しぶりの古巣だったからかぐっすりと眠った。
いつもの温もりに包まれてだから尚のことだ。
久しぶりの街巡りで人混みに疲れたせいもあるのか、珍しく朝寝坊までしてしまった。
寝坊と言っても、9時を少し過ぎたくらいなのだけれど。

「おはよう」
慌てて着替え顔を洗い台所に入ると、ゼフはまだパジャマ姿だった。
「なんだ、もう起きやがったのか」
「ジジイ、まだそんな格好してやがんのか?年寄りは朝早えんじゃねえのか」
「言ってろ、てめえが出てってから俺は休みの日はゆっくり寝てんだよ」
朝からやかましいと、ブツブツ言いながら新聞を広げている。
ゼフと二人で暮らしていた時は、休日だろうとまるで争うみたいにお互いに早起きを繰り返していた。
寝起きにゼフの小言を聞くのが嫌だから意地でも早起きしていたけれど、なんだか拍子抜けする。
「・・・まだ寝てんのか」
「ああ、起こして来るよ」
「別に起こさんでいい、鬱陶しい」
なら言わなきゃいいのにと、サンジは横を向いて噴き出した。
「どっちにしろ、起こさないといつまでも寝てんだ」
「勝手にしろ」
新聞を広げたまま横を向いているゼフを置いて、サンジは軽やかな足取りで階段を登った。

「ぞ〜ろ、朝だぞ〜」
シモツキでなら、休みの日は昼までゆっくりするのも珍しくはないが、一応ゼフの手前起きておいた方がいいだろう。
そう判断して、気持ちよさそうに寝息を立てているゾロを揺り起こす。
それくらいで起きないはずのゾロが、フガフガ鼻を鳴らしながらも瞼を開けた。
「お、朝か」
「まだ早いんだけどな」
遠慮がちなサンジに、いいやと半眼のまま腕を上げた。
「起きる」
わしわしとサンジの髪を掻き混ぜて、勢いで胸に抱きこもうとした。
「だーかーらー、それすっと俺までまた寝ちまうっての」
クスクス笑いながら、それでもサンジは抵抗せずその腕に飛び込んだ。

しばらく布団の中でじゃれ合って、結局階段を下りたのは20分後だ。
「おはようございます」
「おはよう」
猫が顔を洗うみたいに適当に洗顔したゾロが台所に入ると、食卓にはすでに朝食の準備ができていた。
焼きたてのクロワッサンや薄く切ったパン、オムレツ、ポテトサラダにポタージュスープ、たっぷりのカフェオレとホテル並みだ。
ゼフは服を着替えてこざっぱりしている。
「あ、久しぶりのジジイの朝飯だ」
「上げ膳据え膳で極楽だろうが」
ぱっと顔を輝かせたサンジの笑顔が、次第にニヤニヤ顔に変わる。
いくら起こすのに少々時間が掛かったとは言え、あれからゼフがすぐに取り掛かったとしてもここまでは準備できない。
多分、冷蔵庫や鍋の中にすでに朝食の仕込みが済ませてあったのだ。
それでいてわざとパジャマのままでいた。
なんだかゼフが、可愛く思える。
「ありがてえ、いただきます」
「いただきます」
二人畏まって手を合わせると、ゼフはうむと鷹揚に頷いた。

ゼフと二人で暮らしていた時も、それなりに優しさや気遣いがあっただろうに、そんなことに気付く余裕がサンジにはなかった。
とにかく早く大人になりたくて、ゼフに認められたくて。
背伸びばかりして意地を張って、憎まれ口しか叩けなかった。
けど今はなんだか違う。
どんなことでも、ほんの少し素直になれる。

「美味いな」
ゾロが、思わずといった風に呟いた。
いつもサンジの飯が最高だと心の底から思っていたが、ゼフの味はまた違う意味で格別だった。
「だろ?」
サンジもやけに誇らしげに同意し、それに反してゼフの眉間の皺がますます深くなった。
褒められると逆に不機嫌な顔付きになるのは遺伝なのかと訝りつつ、最近のサンジにはそれがないなと気付いて思わず知らず笑みが浮かぶ。
「やっぱ美味いもん食うと、笑顔になるよな」
ゾロの笑みをそう解釈してサンジはご機嫌だ。
「このタルティーヌにサーモンとかクリームチーズとか、レバーペーストとかもすげえ合うぜ」
サンジはゾロの分までさっさと作って、甲斐甲斐しく皿に乗せていく。
ゼフの苦虫がますます苦味を増したようだが、余計な口は挟まなかった。


「飯食ったらとっとと行けよ」
「えーそんなに急いで行かなくてもいいじゃねえかよ」
「馬鹿野郎、墓参りってのは午前中にするもんだ」
「え、そうなの?」
サンジに顔を向けられて、ゾロは頷いた。
「まあ昔からそう言うな。田舎と違ってこっち辺りだとそう寂れた場所でもないだろうが、早めに行く方がいいかもしれん」
「じゃあ、支度しねえとな」
「そう急がんでいい」
「どっちだよ」
「てめえは極端でいけねえ、飯食ったらと言っただろうが。まずはゆっくり飯を食え」
へいへいと不満そうに口を尖らせながら、サンジはゾロの世話を焼くのをほどほどにして自分の食事に専念する。
「後片付けは俺がするからな」
「いや、俺がする」
まだ食ってる途中でとゼフは顔を顰めたが、別に異論はないようだ。
「それなら、チビなすはあっちに持って帰る荷物を先にまとめとけ」
「荷物って、服とかか?」
「それもあるが食材だ。香辛料は好きなだけ持ってっていいし、次に使いてえもんがあったら注文書に印つけときゃいい」
「あ、そっか」
そりゃ助かると顔を綻ばせて、それから急に表情を改めた。
「いつもすげえ助かってる」
「なんだ改まって」
手を止めて身体の向きを変えたサンジに、ゼフは警戒するように身を引いた。
「俺のレストランが順調にここまで来れたのも、ジジイの・・・」
「うっせえな、どうもてめえは辛気臭くていけねえ」
サンジの言葉を遮ってゼフは勢いよくカフェオレを飲み干すと、ゾロに向かって「お代わり」と差し出した。



「じゃあ、厨房行って来る」
朝食を綺麗に平らげて後片付けをゾロに任せ、サンジはさっさと席を離れた。
老眼鏡を掛けて再び新聞に目を通しながら、ゼフはぼそりと呟いた。
「クマとか、どうなんでえ」
「ああ、深刻です」
ゼフに背を向けて皿を洗いながら、ゾロはその話題に乗った。
「毎日、新聞に目撃情報が出ますし村内放送でも流れてますが、実際注意のしようがないのが現状で」
「やっぱりあれか、食うもんがなくて下りてきやがんのか」
「そうですね。夏の暑さは半端なかったですからドングリとか木の実ができなかったってのもあるんですが、一番の原因は人間が怖くなくなったからでしょうね」
昔ほど人が山に立ち入らなくなった。
猟師も数が減っており、人の恐ろしさを知らぬまま平気で里に下りて来る。
「そんなもんかい」
「そういう意味で、昔のような共存はできなくなってます。里に下りて庭の果実や畑の野菜を食うようになったら、当然そちらの方で味を占める。そうでなくとも今年は何もかも出来が悪いのに、踏んだりけったりですよ」
「米も、あんまり出来がよくねえんだろ?」
「ええ、見た目に劣るだけで味はそう変わらないんですが、個別補償の件も絡んでかなり安く買い叩かれてます」
「しんどいんじゃねえのか」
「農業だけじゃやってけないのが現実です、冬にバイトしたり副業を持ったりしないと。そういう意味ではレストランを始めてくれたお陰で、相当助かってます」
「・・・ちったあ役に立ってるか」
「そりゃあもう」
ゾロに背を向けて、ゼフはほんの少し表情を緩めた。
誰も見ていないのにすぐに厳しい顔を作って新聞を捲る。
「毎年異常気象ってえと、どれが異常だかわからなくなるよなあ」
「本当に、特に農業は毎年毎年が勉強なんで“例年”ってもんが掴めなくて難しいです」
片付け終えて手を拭きながら振り返ると、ゼフは熱い緑茶を淹れてくれていた。
「まあ、新聞でも読みな」
「ありがとうございます」
隣に座り、茶を一口啜ってほっと息を吐く。
「野菜や米だけじゃなく、獣害が広がってるのも異常気象に繋がってるのかもしれません」
「山に食うもんがなくなって、下りて来てるだけじゃねえのか」
「気温が高いために降雪量が減って、冬越えが楽になったってのもあるみたいですね。繁殖能力も高くなって、鹿を捕らえて腹裂いてみたら普通は1頭しかいないはずの小鹿が2頭入ってたって話も聞きます」
ゼフはほうと感心してから、ふと顔を顰めた。
「・・・そういう話、あれには・・・」
「あ、してないですよ」
そう言ってから、ゾロはもう一度言い直した。
「そういう話題は、あいつには振りません」
だから安心してくださいと、言外に匂わす。
ゼフはあからさまにホッとしてから、まるで取り繕うように背筋を伸ばした。
「そういう話題ってこたあ、あれからなんか聞いてるのか」
「いえ、なにも」
本題をぼかして話すから、どうもとぼけた会話になる。
ゾロはなんだかもどかしくなって、ゼフと少しでも距離を縮めるために空になった湯飲みを横に退けた。

「俺は日々の生活の中で、必要なことしかあいつと話してない気がします。だから、あいつの過去とかなんか抱えてそうな問題とか・・・そういうのはなんとなく“感じる”程度にしかわからない。その程度なのに俺が勝手に気ィ遣って回避したりしてます。一体何があったと面と向かって聞くつもりもないですが、それもどうかなと思うのが正直なところです」
自分で話していて、よくわからなくなった。
要領を得ていないとも思うが、うまく言い表せない。
「このままでいいんだと思うんですが、このままじゃいけねえとも思います。どう、思われますか」
端的だが、ゾロが言いたいことはゼフにはよく伝わった。
うむと頷き、熱い茶を淹れ直す。
「今日墓参りに行くあれの母親は、誰かに殺された。殺人事件の被害者だ」
はっとゾロは息を飲んだ。
何か重い過去を背負っているとは感じていたが、そこまでとは想像していなかった。
「犯人はまだ捕まってねえ。永久に捕まらねえかもしれねえ、もう時効は超えたしな。ガキだったあいつは現場に居合わせて、おそらくは犯人を見てる」
ゾロの息がさらに詰まる。
これはもう、重いなんてもんじゃない。
「だがあんまり幼すぎたかショック過ぎたのか、あれは覚えてねえんだ。トラウマとかってえのは、無意識下に何か潜んでたり夢で魘されたり・・・なんてえんだ、いきなりその場面が浮かんだりとかするらしいが、それさえもねえくらい根が深い。キレイさっぱり忘れてやがる。なにもなかったくれえ、不自然で歪んだままの記憶しかあれには残ってねえ」
それは、ゾロには理解できた。
ところどころ欠けたままで、ひどく不安定で不確かな過去をサンジはそれが当たり前みたいに受け入れている。
どこかおかしいとかそれはなぜなのかとか、疑問も気づきもないまま限られた囲いの中で生きてきた。
負の側面に背を向けたまま。

「それがどうだ、あれは自分で母親のことを思い出し、急にとはいえ墓参りに行きたいと言い出しやがった。てめえの仕業じゃねえんだろ?」
「ええ」
強いて言うならモグラの仕業だ。
「なんで母親が死んだのか、ずっと墓参りに行かなかったのはなぜなのか。まだそこまであいつは自分に問い掛けられねえだろう。だが母親のことは思い出した。それはすげえ進歩だと、俺は思う」
ジジ馬鹿だがなと自嘲するゼフに、ゾロは「いいえ」と強く頭を振った。
「俺もそう思います。詳しい事情は知らなかったけれど、それでもわかりました」
サンジは前に進んでいる。
優しい人に囲まれ、守られるだけの場所から一歩踏み出し今まさに過去を振り返ろうとしている。
そのサンジに寄り添いたいと、ゾロは思った。
そう思っていると、ゼフに伝えたかった。
「だから俺は―――」
「ジジイー注文のだけ後便で頼めるか?」
厨房の方からサンジが声を張り上げた。
バタバタと駆け足で台所に飛び込んで来る。
「秋冬用の着替えは香辛料と一緒に今日送るしよ、またまとめて送ってくんねえ」
「わかった、ったく騒がしい野郎だ」
「急がなきゃだろ。ゾロ、片付け終わったか?」
「ああ終わった、行くか」
ゾロは茶を飲み干すと、ゼフの湯飲みの分まで手を伸ばす。
「これは俺が片付けとく。とにかくとっとと行きやがれ」
皺ぶいた手がしっしと追い払う仕種を見せるのに、ゾロは微笑んでそれじゃあと会釈した。
ゼフもしっかりとゾロに視線を合わせ、意味ありげに頷いた。
大丈夫、言葉にしなくともすべてはきちんと伝わっている。
そう確信できて、ゾロの胸は自然と熱くなった。

「なんだ、なんか嬉しそうだな」
「茶まで美味かったんだ」
上機嫌なゾロに首を傾げつつ、サンジも弾む足取りでゼフに「行って来ます」と告げた。






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