四方山話  -3-


墓地の最寄り駅にはろくな花屋がねえぞと予めゼフに教えられていたから、電車に乗る前にサンジが見知っている花屋に寄る。
バラティエにも卸しているという花屋はサンジの顔を見て懐かしがり、飛び切りの花束を奮発してくれた。
白を基調にトルコ桔梗や香りの少ない百合をふんだんに使い、青い小花をところどころ散らすように形作る。
シックな濃紺のリボンで飾られた花束は、華やかだがどこか憂いを秘めた高貴さを漂わせていた。

顔が隠れてしまうくらい大きな花束を胸に抱えたサンジは、案の定電車の中で目立っていた。
空いた車内でも席には着かず、戸口に張り付くようにして立っているのになにやら居心地が悪い。
さすがのサンジも視線を感じたか、ちょっとお前持ってみろとゾロに花束を押し付けてきた。
花束を持つなんて、先輩が寿退社する時くらいしか経験がないからどう持っていいかわからず、仕方なく花首を下に向けてだらりと腕を下げた。
花越しに見るサンジの顔が綺麗だったから、少し残念だ。


「西口から出ると、目の前に看板が・・・あった」
本当にまったく覚えていないらしく、いかにも初めての場所に来たように覚束ない足取りで、サンジはきょろきょろしながらゾロを先導している。
こんな住宅街に?と不思議に思いながらついて行くと、瀟洒な洋館が立ち並ぶ中に小さな教会が現れ、その門は自由に出入りできるよう開け放たれていた。
「やっぱ、受付時間は夕方4時まで大丈夫だ」
注意書きを確認しながら門を潜り、霊園の事務所らしき窓口を見つけ中に座る人に会釈した。
促されるまま出入記録表に記名してから、まるで裏庭のような墓地へと進む。
こんなところにこんな場所がと驚くほど、広々とした緑地が現れた。
「すげーこんなとこだったんだ・・・」
「まるで映画に出てきそうなとこだな」
ゾロの率直な感想に云々と頷きながら、サンジは先に立って歩いた。
裏手の山を切り開いたのか、広大な芝生が広がっている。
そこにポツリポツリと立つ墓標は、日本の墓石や卒塔婆などではなく白い石のプレートや十字架を象ったものが多い。
緑の中に点在する白い墓石は見た目にも美しく、背後に広がる森と青い空、墓地を囲う白い柵や手向けられた花々の色彩が一枚の絵のように美しかった。
「綺麗なとこだなあ」
サンジはうっとりと目を細め、ほうと溜め息を吐いた。
「こんな綺麗なとこなら、よかったなあ」
それからゼフに書いて貰ったメモを見て、目的の墓を探す。
シンプルな白のプレートに凛と立つような十字架が刻まれた墓石は、すぐに見つかった。
「これが・・・」
墓の前に立ち、サンジはまるで初めて見るように感慨深げにマジマジと見つめた。
実際、彼にとっては初めてなのだろう。
殺されたと言う母と、向き合うことは。

「手を合わせて、いいもんか?」
ゾロが間抜けな問いをしたからサンジはぷっと噴き出して、そうだなと笑った。
「俺もよくわかんねえや。でも手を合わせた方が自然だと思う」
そう言いながら跪き、持ってきた花束をプレートの上にそっと乗せる。
手入れが行き届いているのだろう。
墓石には苔も生しておらず、目だった雑草も生えていない。
ゾロもその場にしゃがんで、玉砂利の間から申し訳程度に生えた草を丁寧な手つきで引き抜いた。
そうしてから、懐から数珠を取り出し手を合わせる。
ゾロの仕種に倣って、サンジも手を合わせ目を閉じた。


静けさが、二人を包んだ。
自分達以外誰もいない墓地では鳥さえも囀らず、風は樹々の間を黙って通り過ぎていく。
すぐにサンジは顔を上げ、まだ目を閉じて祈っているゾロの横顔を見て困ったように首を傾けた。
「なに、祈ってんだ」
「うん?」
ゾロは数珠を鳴らしながら顔を上げた。
「なに、祈ればいいんだろう」
サンジは真剣だ。
真剣な顔をして、戸惑っている。
「家内安全とか、商売繁盛とか?」
「それはお参りだろう」
笑っていいのか不謹慎だと咎めていいのかわからず、ゾロの方が困惑している。
「祈るって、冥福を祈るって奴かな。成仏してくださいとか?でも今更だし、なんて言えばいいのか・・・」
「俺は挨拶したぞ」
「挨拶?」
もう一度墓に向いて、手を合わせて見せる。
「俺はロロノア・ゾロと言います。サンジと一緒に暮らしています。毎日とても幸せです。サンジを生んでくれてありがとうございます」
声に出して祈り始めた。
サンジの方があわわと赤くなっている。
「貴女のお陰でサンジと巡り会えました。感謝しています。これからもずっとサンジを大事にします。ずっと幸せに暮らします。どうか見守っていてください」
「わ、わかった」
ゾロを黙らせるように首を掴んで揺さぶってから、サンジは改めて墓に向き直った。
「ええと、久しぶりです。ご無沙汰してすみません」
「いや、お前は口にしなくていいから」
ゾロに言われて、今度は黙ったまま目を閉じている。
「―――」
なにやら一所懸命祈っているのだろうが、口元がかすかに動いてなにを言ってるのか少しわかった。
――――ゾロと会えて嬉しい、生んでくれてありがとう。ずっと見守っていてください。
ずっと―――

不意に顔を上げ、サンジはまた真剣な顔でゾロを振り返った。
「見守っててってことは、幽霊になるのかな」
「そうとは、限らねえだろうが」
今までそんな免疫がなかったせいか、サンジはシモツキで暮らし始めてからやたらと幽霊に拘るようになった気がする。
りよさんが現れてしまったから、余計なのかもしれないけれど。
「幽霊って、半透明でその辺にふわふわ漂ってたりずっと傍に憑いてたりするもんだろう?今もこの場所に、母さんいるのかな」
「いや待て、見守ってるって幽霊がいつも傍にいるとは限らねえだろ」
ゾロだってオカルト話は得意ではない。
だがサンジの話は極論の気がして、つい訂正してしまった。
「例えばりよさんが帰ってきたのはお盆だったからだ。四六時中村にいる訳じゃねえし、あの息子の見張りしてる訳でもねえだろ。もしそうだったら、お前になんか言った時にりよさんが頭の一つも引っ叩いてたはずだ」
実に具体的な例に、サンジの方が噴き出した。
「お母さんだって同じことだろ。この場所に来て、お母さんに向かって祈ったり言葉を送ったりするのはここに幽霊がいるからじゃねえ。生きた証として墓石は残っているけどもう成仏して天国ってとこにいるんじゃねえのか。んでもってそこは、こっちから話しかけたり祈ったりした時だけ言葉が届くんじゃねえのか」
「そうなのか」
「俺はそうだと思う」
厳密に言うとまったくわからないのだが、サンジにはややこしい話よりゾロの考え方をそのまま伝えた方がいいような気がした。
「だから、ここでお前がお母さんに向けて祈った言葉はきっと届いてる。傍に幽霊がいるんじゃなくて、遠くでお母さんは聞いてんだよ。んで見守っててくれっつってもだからって幽霊になって傍に来る訳じゃねえ。どっちかってえとこっちの気持ちの問題だ。いつだってお母さんが見守ってくれている。そう思うと、生活していても安心したり気が引き締まったりするだろう」
「・・・ん?」
いまいち、サンジにはピンと来ないようだ。
「俺らんとこでは、昔からご先祖さんが見てるって言ったからな。仏壇に供えられた饅頭勝手に食ったらいけねえとか、道端にモノ捨てちゃいけねえとか、風呂場でションベンしちゃいけねえとか。誰も見てなくったってご先祖さんが見てる。そう思うとやっちゃいけねえことは誰が見てるとも見てないとも限らずにしちゃなんねえって思うんだ」
バチが当たるってあるだろう?
そう聞くと、サンジはうーんと曖昧に返事した。
「見守ってるってのはそういうことだ。生きてる側が意識して、誰に見られていても恥ずかしくない行動を取ればいい。お母さんの分まで幸せになると思えば、そう生きればいい。誰に羞じることもなく後ろめたくも思うことなく、ただ堂々とお前の人生を全うする姿を天国のお母さんに伝えればそれでいいんだ」
サンジは神妙な顔でこくりと頷いた。
ゾロだってそんな殊勝な考えで今まで生きてきた訳じゃないが、言葉にして説明したことで己の人生も一瞬だが省みた。
ご先祖様に顔向けができないような生き方は今のところしていないと思うが、伴侶としてサンジを得たことはちょっと自慢したいとか思う。
どうだじいちゃん、俺すげえだろう(注:まだご存命です)

「俺さあ、幽霊っていないといいなと思ってた」
サンジは墓石の前に膝を着いたまま、誰にともなしに呟いた。
「母さんが幽霊になったらって思うと、すげえ嫌で哀しかった。俺の母さん、誰かに殺されたんだよ」
「・・・」
何も言わないゾロに振り向く。
「驚かねえの?」
「じいさんに、聞いた」
「そぅ」
興味をなくしたように、また墓へと向き直る。
「母さんなんだけど、俺から見てもすげえ綺麗でさあ。肌なんかすべすべで仕種も柔らかくていい匂いがしてさ。すっげえ自慢だった。一緒に出かける時とか嬉しかった。そんな母さんが、ひしゃげたカエルみたいにぺちゃんこになってた」
声を低めて囁くように続けた。
「足の間から色んなものいっぱい出してさ。すげえ惨めでみっともなくて汚らしかった。あんなに綺麗だった母さんが、自分があんな姿になったって知ったらどれだけ悲しむだろう。どんだけ悔しがるだろうって思うとさ、母さんは絶対に幽霊になんかなっちゃいけねえと思ったんだ」
言葉も出ないゾロを省みることなく、ただ淡々と言葉を紡ぐ。
「俺かくれんぼしてて、多分その時見てたと思うんだ。つか、見てたんだってみんなに言われた。怖そうなおっさん達・・・今思うと刑事なんだろうな。なんか愛想笑いみたいに無理して笑顔作ってさ、頭撫でたり俺の目線まで頭下げたりして覗き込むみたいにして喋るんだ。けどみんな目がすげえ怖くて、とにかく怖くて、俺は嫌だった」
サンジの瞼がすうと半分下がる。
「一人のおっさんは、白目が赤くなってて唇とか震えてた。鬼瓦みてえなゴツい面してんのに、なんかガキが泣き出す一歩手前みてえな顔してておかしかった。なんだろあれ、もしかしたら家に俺くらいの子どもがいた人かもしんねえな。後ろ向いて鼻啜って、同情したんだろうと思う。そんなんに囲まれて、それから優しそうな女の人もやって来てくれて、よくわかんない話しながらいろいろ聞いてくんだけど何一つ答えられなくて・・・答えられないのがすげえ悪くて自分が情けなくて、みんながっかりしてんじゃねえかと思うとその場にいるのも辛くてさあ・・・」
なんかもう、堪んなかったよ。
そう言って、手慰みに玉砂利を掻き混ぜた。
「なに聞かれても答えられなくてさ、そうすると余計なに言っていいのかわかんなくなんの。聞かれて答えたら、それが間違ってるみたいな気もして何も言えなくなるんだ。間違ったこと言っちゃいけねえと思うと、何が本当かわかんなくなっちまう」
訥々と話すサンジの、俯いて晒されたうなじがあんまり白くて。
ゾロはつい手を伸ばし、襟足の髪を撫でた。
「母さんの首を絞めて殺したのは、父さんだった」
ぴくと、その手が止まった。
凍りついたように動きを止めた二人の間を、風だけが黙って吹き抜けていく。

「間違ったこと言っちゃいけなかったから、誰にも言ってねえ」
けど、父さんだった。
サンジは二度そう言い、不意に顔を上げる。
「俺は何も、間違っちゃあいないだろう?」
問いかけるその顔には、なんの感情も見いだせなくて。
傍らに立つゾロを仰ぎ見る仕種でありながら、瞳は何も映さぬ虚空のままだ。
ゾロはサンジのうなじに当てた手に力をこめた。
風に晒されて冷たくなったその肌を、温めたいと思ったから。
「真実は、一つだぞ」
サンジの目に己の姿が映らないのを認識して、それでもただ伝えるために声を発する。
「本当のことは一つしかねえ。そして何が間違ってるのかは、誰にもわからねえことがある」
サンジがそれを違うと思うなら、それは間違いかもしれない。
けれど本当かもしれない。
それは誰にもわからない。
ただ真実は、残酷なほどに一つきりしかない。

「それもやっぱり、逝っちまった者達のモンじゃねえ。生きてるこちら側の気持ちの問題だ」
すべてを有耶無耶にしてしまうのも一つの道だろう。
避けて通ることは“逃げ”ではない。
サンジが無意識でもそれを望むなら、ゾロが敢えて「真実と向き合え」と諌めることはない。
「ただ、お前の中のお母さんに羞じない生き方をしろ」


すうと、サンジの瞳にゾロの姿が映った。
自分でも呆れるほど、間の抜けた顔をしている。
それに気付いてふと笑ったら、サンジの瞳もつられるように笑んだ。
「そうだな」
パンパンと膝に着いた土を払いながら、ゆっくりと立ち上がる。
「母さんが天国から見守ってるって、そういうことなんだ」
どこまでわかったのかわからない。
取り乱しもせず感情を露わにしないサンジの反応は、捉えがたくて不気味でもある。
けれどゾロの言葉は確かに届いた。
それだけはわかる。

「俺もさ、母さんに自慢してえよ。てめえのこと」
そう言って照れたように首を竦め、懐から煙草を取り出した。
「俺がさ、煙草吸うなんて知ったら驚くかなあ」
二、三度噴かして墓前に供える。
サンジの母も、時折吸っていたのだろうか。
ゆっくりと立ち昇る紫煙は、途中で風に掻き消された。
しばらくは二人無言で、美しい墓を見下ろしていた。
白い花びらが儚げに揺れている。
ゾロは写真でしか見たことがないけれど、この花束に負けないほど美しい人だった。


「母さんは、なんで死んだんだろう」
子どもがふと思いついた他愛無い疑問のように、するりと口から滑り出た。
あまりに単純で幼い問いに、ゾロはぎょっとして目を瞠る。

なぜ死んだのか。
殺されたから。
なぜ殺されたのか。
殺される、理由があったから?
例えば、不倫をしていたとか。
美しさを鼻にかけた高慢な性格だったからとか。
ストーカーの逆恨みがあったとか。
恨みを買うような無神経な振る舞いをしていたとか。
何がしかの理由をつけて、人は殺人の動機を探すだろう。
そうして、殺されても仕方がない理由があったと結論付けて安心するのだ。
彼女だから殺された。
私は大丈夫。
そんな風に、死んでしまったことへの理由を、その答えを。
勝手に導き出してもいいのか。
大切な人を奪われ残された者に、そう伝えていいのか。
―――答えは、NOだ。

「なぜ死んだのか、それは誰にもわからねえ」
ゾロはきっぱりと言った。
「彼女が死ななきゃならねえ理由なんて、本当はどこにもねえのかもしれねえ。そればっかりはわかんねえよ」
生きている者が勝手に推察していいことではない。
彼女は死んだ。
誰かが殺した。
それだけが、確かな真実。

「わかんなくて、いいのか」
「いいんだ」
いいんだと、もう一度言って大きく頷く。
今度はサンジは笑わずに、無表情のまま頷き返した。
「なら、いいな」
んじゃ行こうかと、あっさりと踵を返す。
それ以降サンジは一度も振り返らず、真っ直ぐに墓地を後にした。
ゾロは一度だけ振り向いて、供えられた煙草が風に吹かれて燃え尽きたのを確認した。




「昼前だぜ、どうする?」
「帰って飯作らなくていいのか」
「どうせだからどっかでランチ食おうぜ。折角の街だし」
来た時とは打って変わって手ぶらで歩ける気楽さが嬉しいようだ。
サンジはポケットに手を突っ込んで新しい煙草を取り出すと、ゾロの前で踊るようにターンした。
「飯食ったら家帰って、荷物送って帰ろうぜ。シモツキに」
「もっとゆっくりしてもいいんだぜ」
「やだ、俺は早く帰りたい」
早くシモツキに帰りたい。
俺達の家で晩御飯食べたい。
子どもがダダを捏ねるようにそう言って、夕飯に食うもんはジジイに貰って帰ろうと現金な提案までする。

誰もいない駅までの道を、はしゃぐサンジの手を取ってそっと自分のポケットの中に仕舞った。
秋風に晒されて冷えた掌は、すぐにゾロの熱とポケットのぬくもりで温まる。
駅の改札口に駅員の姿を見つけるまで、ずっと手を繋いだままだった。



END



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