四方山話  -1-


玄関に人影が映る度に、パティはひょいと短い首を伸ばして身体を傾ける。
「・・・いらっしゃいやせ!」
一拍遅れて出迎える声に、客達は小さく会釈しながら店内に入った。
今日もバラティエは満員御礼だ。

「そう一々太え首伸ばすなっての。チビなすが来んのは夜だぜ」
「そうそう、今日は一日都会でデートだろうが」
「前もってそう連絡あんだから、ソワソワすんな」
古参のスタッフに冷やかされ、パティは丸太より太い腕をぶんぶん振り回しながらスープを乱暴に掻き混ぜた。
「誰が待ってなんぞいるもんかい、お客様を笑顔でお出迎えしてなにが悪い」
「あれ、笑顔だったか?」
「コブダイみたいだよな」
「やかましいっ」
コツン、と背後で音がした。
「やかましいのはてめえらだっ、無駄口叩いてねえでとっとと働けっ!」
「へい!オーナー!」
一喝されて蜘蛛の子を散らすように厨房内が慌しくなった。
ゼフはふんと大きく鼻息を吐いて、睨みを利かせる。
「ったく、どいつもこいつも浮かれやがって」
今日は、久しぶりにサンジが帰ってくる。



営業中は忙しいだろうからと、閉店を待って帰ってくると言っていた。
夕食は済ませるだろうが、賄い食ぐらい残しておいてやろう。
まだまだ食べ盛りの二人のはずだ。
特にツレの男はなんでも食べそうだから、残りはするまい。
そう踏んで、カルネが賄いを多めに作っているのも知っている。
パティは先ほどから何度も首を伸ばして外を窺っているし、他のスタッフ達もなにやら浮ついていて落ち着きがない。
―――嫁に出した娘が帰ってくる訳でもねえのによ
脳内に自然に浮かんだ台詞とは言え、例えがよくねえとゼフは苦虫でも噛み潰したような顔をした。
大体、チビなすが帰ってくんなら裏口だろうが。
表から客のつもりで帰る訳があるめえ。
裏口なら厨房直結だし、出迎えなくても否が応でも顔を合わせる。
そんなに待ち遠しい面しなくったっていいものを。
スタッフ達の浮かれ具合が苛立たしいようなそこはかとなく嬉しいような、妙な居心地でもって味見をしていると、勝手口が開いた。

「ただいま〜」
ややトーンを落とし気味に、囁くような声がする。
ゼフが振り向くより先に、パティは包丁を振り上げて叫んだ。
「チビなす!」
「チビなす言うなっ」
ほぼ条件反射で言い返すサンジの前に、他のスタッフ達も駆け寄った。
「お帰り、早かったな」
「なんだ、ゆっくりしてくんじゃなかったのか?」
「元気そうじゃねえか」
でへへと屈託なく笑うサンジの後ろから、遠慮がちにゾロが顔を出した。
「こんばんは」
「おう、らっしゃい!」
「お前んちじゃねえぞ」
からかわれるパティを押し退けて、ゼフがずいっと前に出た。
「ジジイ、ただいま」
「ご無沙汰しています」
改まって頭を下げるゾロに、ゼフも小さく会釈を返す。
「こっちこそな。先に荷物が届いた、いつもありがとうよ」
「不出来なものですが」
「あれ、もう届いたんだ」
どれどれ〜と厨房の中を探すサンジに、台所に置いてあるとゼフは渋面を作って言った。
「ともかく部屋に上がれ、飯はどうする」
「夕飯は食ってねえ。でも夕方にケーキ食ったからそんだけ腹減ってねえけど」
それじゃあと、カルネが提案した。
「賄飯作ってやるから、後で一緒に食おう」
「マジ?やりぃ」
「てめえら仕事中だぞ。とっとと持ち場に戻れ!」
ゼフはうるさそうにスタッフ達を追い払って、荷物を持ったまま突っ立っているゾロに一歩近付いた。
「うるせえとこだが、まあゆっくり休んでってくれ」
「はい、ありがとうございます」
「ゾローこっちだこっち〜」
先に台所へ上がってしまったサンジが呼んでいる。
ゼフとゾロは一旦顔を見合わせ、どちらともなく苦笑した。



「ああ、送った新米もう使ってくれてんだ」
台所に置かれた箱の中身が明けられているのに気付いて、サンジは弾んだ声を上げた。
「今日の賄い飯用に炊いたぞ」
「美味えだろ?」
子どもみたいに得意そうな顔をして振り向くから、ゼフはますます仏頂面になる。
「炊き方が上手えんだよ」
「言ってろ」
厨房からカルネがいかつい顔を出した。
「飯、すんげえ美味えぞ。これに見合う美味えおかずも作ってやる」
「楽しみにしてんぜ、なあゾロ」
な?と全開の笑顔をゾロに向けるから、厨房から覗いていたスタッフ達はああああと嫌みったらしく首を竦めた。
「ったく、やってらんねえぜ」
「あ〜痒い痒い」
「早く飯作れカルネ、とっとと食わせて追いやっちまえ」
「お前らこそ、とっとと仕事しろ!」
サンジに檄を飛ばされて、ニヤニヤしながら持ち場に戻っている。
「おめえらがいるとあいつら仕事しやしねえ。部屋行ってろ」
ゼフに追い出され、仕方なさそうに二人で仲良く階段を昇った。


「なんとまあ、しばらく見ねえ内に随分可愛くなったもんだ」
「おうよ。この前帰ったときは一人だったからわからんかったが、なんだあの顔」
「あんでも十分丸くなったなと思ってたんだが、なんだありゃ。もうグニャグニャじゃねえか」
「グニャグニャのフナフナだな。緑の旦那も、前より鼻の下伸びてんじゃねえのか」
「やってらんねえなあ」
「やってらんねえよ」
口ではブツブツと文句を唱えながらも、手はテキパキと要領よく動く。
いつも通りハイペースで仕事をこなしながら、いつもよりちょっぴり上等の賄い飯もすぐに出来上がった。

「おい、二人を呼んでこい」
「え?誰がだ、俺かよ」
「行って来いよ」
「やだよ、お前が行けよ」
「俺は忙しいんだよ、てめえ行って来い」
「えー、俺っすかあ」
ウダウダと押し付け合いを始めた横で、ゼフは無言で住居入り口へと向かい半端な姿勢で身を乗り出した。
「飯だ!」
一言吼えるように叫べば、すぐに上から応えがあった。
「最初からこうすりゃいいんだ」
吐き捨てるように言って通り過ぎるゼフに、カルネ達は苦笑いしながら声を潜める。
「まさか、チビなす相手にこんな気を遣う日が来るたあなあ」


厨房の片隅に陣取って、当番制で賄い食を掻き込む。
忙しない中にあって、ゾロとサンジだけがのんびり腰を落ち着けて料理を味わっていた。
「相変わらず、カルネの賄いは美味えなあ」
「よせやい、褒めたってなんもでねえぞ」
「あっち言ってから褒め上手になったな」
「誰かさんの教育のお陰だろ」
「ああ?なんだって?」
眉を顰め凄んでみせるサンジなんて、可愛らし過ぎて直視できない。
コック達はそれぞれ不自然に視線を逸らせながら、口の中でモゴモゴと各自の本音を飲み下している。

「んで、今日はどこ行ってたって?」
「んー久しぶりの都会だから街歩いて、ショッピング」
「なんか買ったのか?」
「別に、見て歩くだけ。あ、でも俺ジャージ買った」
「ジャージなんてなにするんだよ」
「運動会に使うんだよ、来年の」
「運動会だあ?」
「聞けよオラ、俺凄かったんだからな」
目の前で飛び交う会話に目を細め、静かに箸を動かすゾロはゼフより好々爺然として見えた。
「てめえのレストランはどうなんでえ」
「お陰さまで大繁盛だ。ま、俺の腕なら当然のこったけどな」
「言ってろ、どうせ客は狸か狐だろ」
「サルも鹿もいるぞ」
「ひでー」
ゲラゲラ笑いながら、先に飯を掻き込んだスタッフがご馳走さんと立ち上がる。
入れ替わりに次のスタッフが腰を下ろして続きみたいに話し出した。
「向こうの暮らしにゃもう慣れたか?」
「電車が1時間に1本しかねえってほんとかよ」
「路線バスが限られてるって?」
「車がねえと生活できねえとか」
サンジは一々そうだよと、したり顔で頷いている。
「だから1件あたりの車の保有台数が半端ねえ。5人家族で3台保有とか当たり前。お隣さんちは盆暮れになると家の前の空き地に13台車が停まるぞ」
「そんだけ停められるスペースがあるってのがすげえな」
サンジとだけ話してると悪いと思うのかゾロに向かって頷くと、ゾロはそうですねと頷き返すだけだ。
サンジとスタッフ達との会話に割り込もうとはしない。
「こいつ虫とか苦手だから、迷惑掛けてんじゃねえか?」
「あー虫―」
「あるだろあるだろ」
盛り上がる中で、ゾロはニコニコと笑っている。
気の置けない仲間と夢中でおしゃべりしているサンジが可愛くて仕方ないと、その目が語っていた。
「けっ、やってらんねえぜ」
ゼフが横を向いて一人ごちても、誰も耳を貸さない。



「んじゃーまたなー」
「お疲れさん」
店の看板を下ろし、後片付けを終えた後も名残惜しく留まっていたスタッフ達が一人ずつ帰っていく。
彼らみんなを見送った後、サンジははあと緩んだ表情で息を吐いた。
「相変わらず、うるさくていかつい野郎共だぜ」
「てめえがいると輪をかけて騒々しくていけねえ」
先に風呂に入っていたゼフが、義足を外し車椅子で台所に顔を見せた。
「風呂、開いたぞ」
「おう、ゾロ先行けよ」
それじゃあと席を立って2階に着換えを取りに上がるゾロを見送ってから、ゼフは車椅子の向きを変えてテーブルに着いた。
「さっさと寝ろよ。はしゃぎすぎて熱出すんじゃねえぞ」
「どこのガキだよ」
くっくと笑いながら、サンジはゾロと一緒に飲んでいたホットワインを舐めた。
「ジジイも飲むか?」
「いらねえよ。甘ったるい匂いだけで胸糞悪い」
相変わらず口は乱暴だが、この口調がなぜだか心地よいんだよなとサンジは一人で首を傾げている。
「墓参り、行くんだって?」
「うん」
「いきなりだな」
「急に思い出した。俺、行ったことあったっけ?
ゼフの目を見ながらそう尋ねたら、ゼフはテーブルを睨んだままふんと口髭を鼻息で揺らした。
「あるぜ、一度か二度くらいだがな」
「なんで覚えてねえんだろう」
「てめえみてえなアヒル頭じゃ、そりゃ無理だろう」
ひでえなと笑いながら、またちびりとワインを舐める。
温めると喉に沁みて、酔いが回りやすい。

「地図を描いてやる。それ見て行ってみろ」
「ジジイは来ねえのか?」
「なんでてめえらと一緒に行かなきゃなんねえんだ。勝手に行け」
どこまでも素っ気無いが、きっとゼフは何度も足を運んでいるんだろうと思った。
サンジにとっての母はどこまでも希薄な印象しかないが、ゼフにとっては大切な愛しい娘だ。
「ごめん」
「ああ?」
突然のサンジの詫びに、ゼフはぎょっとして顔を上げた。

「なんでだろう。俺ずっと母さんのこと思い出さなかった。ひでえ薄情だな」
だからごめんと、潔く頭を下げる。
「なんでてめえが、俺に詫びる」
「ジジイにとっちゃ娘だろ。息子の俺がこんだけ薄情だったんだ、今更だけどそれに気付いた」
なぜ気付いた。
なにを気付いた。
お前は少しずつ、そうやって変わっていくのか。
変わって行けるのか、あいつとなら―――

ゼフはぐっと言葉を飲み込んで、鬼瓦のように不愉快そうな顔を作る。
「てめえなんざ、墓参りに行かなくったって向こうはちっとも寂しがってやしねえよ。あの世でも女王気取りでブイブイ言わせてんだろ」
「・・・?そうなのか?」
「おうよ。娘時代からそりゃあまあ、チヤホヤされて育ったからな。カルネやパティだって骨抜きだ」
「マジで?」
「知ってるもんは、みんな一度はプロポーズしてやがらあ。あいつの不思議なとこはな、どんだけ綺麗だろうがお高く止まって見せようが、高嶺の花になりきれねえとこだ」
なにがと首を傾ける仕種が、娘のそれとダブる。
「なんでかしらねえが、どんだけ不細工野郎でも朴訥な野郎でも、あいつには当たって砕けろって思わせる何かがあったらしい。普通はちょいと小奇麗で誰にでもモテてやがる女相手じゃ怖気づくだろうが。だがそうじゃねえ、なんか垣根を越えさせるような何かがあれにはあった」
「・・・?気さくだってことか」
「本人はお高く止まってるつもりだってえのに、どっか抜けてて愛嬌があんだよな。だから結局誰にでも好かれた。みんなが夢中になりやがった。鬱陶しいからって無碍に断るのに、それを逆恨みする奴あいなかったな」
「なにそれ、すげえ最強」
ケラケラとサンジが笑う。
こんな風に、母のことをゼフと話すのは初めてのことだ。
「写真で見る限り、確かにすごい美人だよな。でも高嶺の花になりきれねえんだ」
「おうよ、だからあてつけみてえに言い寄ってきた男の中で一番見目のいい野郎を選びやがった。浅はかなんだよ、あれは」
綺麗なだけで思慮が足りない。
そのことを、ゼフはずっと後悔している。
「父さん・・・」
サンジはそこまで言って、ふと片手で額を押さえた。
酔いが回りすぎただろうか。

「お先です」
そこにゾロが上がってきて、ゼフと向かい合わせに座るサンジに気付く。
「おい、飲みすぎだぞ」
「やっぱり?」
へらりと笑う顔色が、なんだかおかしい。
「風呂に入らない方がいいな。明日シャワーにしろ」
ゾロは勝手に判断して、風呂洗ってきましょうかとゼフに気を回した。
「風呂は残しときゃいい。どうせ一人暮らしだ、残り湯を使う」
とっととこの酔っ払いを連れて寝ろと急かされ、それじゃあお先にとサンジの首根っこを捕まえて立たせた。
「おやすみなさい」
「おやすみ〜じじ〜」
「おやすみ」
ゾロに支えられて階段を登る覚束無い足元を目の端に捉えながら、ゼフは一人テーブルに向かったままふんと鼻息を吐いた。



レストラン・バラティエは強固な作りだが、この住宅部分は割りと安普請だった。
1階の台所にいるゼフには、真上のサンジの部屋の音など丸聞こえだ。
最初にのっしのっしと床を踏みしめる音がして、ベッドの辺りで天井が軋んだ。
サンジを放り投げたのだろう。
ケラケラと、酔っ払い特有の砕けた笑い声がかすかに響く。
しばらく静かになって、また小さな笑い声。
静かな時は、声を潜めて話しているのだろう。
眠る気配はまだない。
けれど、時折響く笑い声以外、目だった音も響きもなかった。
「・・・やれやれか」
年寄りがこうして耳を澄ませているのも馬鹿らしい。
ゼフはとっとと見切りをつけて、自分の部屋に戻っていった。



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