終夜  -7-


「だってそうだろう?幾つだったかは知らないが、幼いサンジは目の前で恐ろしい光景を見たんだ。幻だってあるだろうし、後から補完された記憶だってあるだろうし、それとももしかしたら真実を見たかもしれない。それは誰にも、サンジ自身にだってわからない。けど、その後でdaddyに疑いを持ったのだとしたら、それはdaddyのせいだ」
あっさりと言ってのけたペローナに、サンジの方が慌てた。
「いいや違うよペローナちゃん、全部俺の思い過ごしだったんだ。勘違いだったんだ」
「そうとは言い切れまい。その真犯人とやらだって、真実を明かさぬまま、獄中で死んだんだろ?」
「…けど、十中八九、実行犯だろうって」
「実行犯かもしれんが、真犯人と決まった訳ではない」
ペローナが何を言おうとしているのかわからず、サンジは首を傾げた。
「例えば、daddyから依頼されて殺人を実行したとしたらどうする?いわゆる…ショクタク殺人というやつだ」
「ペローナちゃん?!」
なんだってそんな難しい単語知ってるんだ?
と言うより、よりによってなんてことを…
「ダメだよペローナちゃん、お父さんのことをそんな風に言っちゃ」
「なぜだ。私は単に可能性の話をしているだけだぞ。それに、そんな風に私が疑う根拠だってちゃんとある」
どきりとした。
ペローナは、サンジが知らない父の一面を知っているとでも言うのか。
「それは、どんな根拠?」
「サンジがdaddyを疑ったということだ」
「ええ?」
それじゃダメだ。
それはまさに堂々巡りで、結局すべてサンジの過ちから始まっている。

「だからそれは、俺の勘違いで、一方的な思い込みで、間違いだったんだって」
「そもそも、なぜそのような思い込みをしたのか。幼いサンジが、幼いからこそ感じ取ったものだってあっただろう。例えば、サンジのmammyとdaddyは仲の良い夫婦だったか?心底愛し合って、信頼し合っていたか?」
サンジはうっと詰まった。
そう突き詰められると、なんと答えていいかわからず目を逸らすしかできない。
「そもそもサンジが疑いを持った結果には、ちゃんと原因があったはずだ。そして、よしんば本当の勘違いであってもOedipus complexの現れだったとしても、そのような疑いを抱かれた時点でなぜdaddyは身の潔白を証明しようとしなかった?」
「――――・・・」
絶句したサンジに、ペローナは念押しするようにずいっと顔を近付けた。
「証明しようと、しなかったんだろ?もしdaddyがちゃんと弁明していたら、サンジはいつまでもそんな疑念を抱かなかったはずだ」
「それは…」
自分が、ちゃんと父と向き合って話をしようとしなかったから。

「俺は、逃げたんだ」
サンジは肩を落として、懺悔するようにペローナに告白した。
「父さんがもしかしたら…って考え始めたら切りがなくて、そんなこと考える自分自身が嫌で。結局俺は、父さんから逃げたんだ。部屋に閉じこもって、ろくに顔も合わさず話もせず、食事すら拒否して逃げた」
「それは、サンジがいくつの時だ?」
「中学…15か、4…だったかな」
「だったら、まだまだ子どもだ」
まだ10歳の子どもに、断じられてしまった。
「親は、子どもを育てる義務がある。一方的に疑われたとしても、それなら子どもの心の霧を晴らすために親は努力しなければならない。Daddyは努力したか?サンジが閉じこもった原因を突き止めようとして、話ができるように説得して、扉を壊してでもその手を取って部屋から連れ出そうとはしなかったか」
――――しなかった。
父さんは、サンジに対してなんの行動も示さなかった。

「それこそが根拠だ。子どもらしい妄想や、記憶の改竄で虚実を真実と思い込むこともあろう。だが、それに気付き共に考えよく話し合い、鬱屈を晴らしてやるのが大人の、親の務めだ。だがdaddyはそうしようとしなかった。閉じこもったサンジを放置して、疑念を積もらせたままでいた。ならば、daddyが悪い」
「ペローナちゃん」
いつの間にか、サンジは正座して畏まって聞いていた。
我が妹ながら、もはや只者ではない。
綺麗にカールした巻き髪の後ろから、後光が差してさえ見える。
「私はdaddyが大好きだった。陽気なところも、それとわからぬようさり気なく人に気遣うところも、とても紳士的な態度も。けれど半面、調子に乗って安請け合いしたり、面倒事からすぐに逃げるような姿勢も見せた。基本的に、無責任な男だったと思う」
「…ペローナちゃん」
「女から見れば、ああいうタイプはまた可愛いものだ。それもよく理解できるし、mammyが選んだのなら最高の男の部類に入るだろう。ただ、傷付いた息子を捨ててきたのは私から見れば最低だ。私達に腹違いの兄の存在を最後まで明かせなかったのも、後ろめたさの表れだったんだ」

サンジの存在を、なかったことにしたかったのだろうか。
サンジはふと父の気持ちについて考えてみた。
自分に疑いを持ち、拒否して部屋に閉じこもり、骨と皮までに痩せ細った息子。
もはや自分の声など届かないと思って、見捨てたのだろうか。
そうなる前に、父はサンジに対してなにかできることがなかったんだろうか。

考え込んだサンジの頭を、ペローナは膝立ちで伸び上がりぽんぽんと叩いた。
「突き詰めて考えれば考えるほど、答えなんて出なくて苦しいだろう。でも、残された私達は考えることしかできない。それが正解か真実かなんて、誰にもわからない。でも、考えることでdaddyのことを想い出してもらえれば、私はとても嬉しい」
「…ペローナちゃん」
「大好きなdaddyのことを、大好きなサンジが想い出してくれていると思うと、嬉しいよ」
そう言って、まるで天使のように邪気のない笑顔を向けた。
「サンジはなに一つ悪くない。Daddyが例え、恐ろしい殺人を企てた真犯人だったとしても、私がdaddyを好きな気持ちも変わらない。ただ、サンジは大好きで大切なmammyを亡くしている。そのことがとても哀しいし、深く同情する」
そう言って、フリルがたくさん付いた胸元にそっとサンジの頭を押し当て、抱きしめてくれた。





ゾロが仕事から帰ってくると、風太は元気だったが颯太がぐったりとしていた。
どうやら、ペローナが散歩に連れて行ってくれたらしい。
二匹に言葉掛けして労ってから、家の中に入る。
玄関には、煮炊きをする匂いが漂っていない。
サンジはまだ、台所に立てないのだろうか。
念のためスーパーで惣菜を買ってきてよかったと、上り框にビニール袋を置いたらパタパタとスリッパの音がした。

「おかえり」
「ただいま、世話になったな」
ペローナが家に居てくれると思うだけで心強く、仕事に集中することができた。
その点は素直にありがたいと思う。
「おやつは食べたが、腹がペコペコだ」
「サンジはどうした、寝てるのか」
「ああ、よく寝てる」
ペローナがいても寝てしまうのかと、若干意気消沈しながら靴を脱ぐ。
「一人で退屈だっただろ」
「いいや、サンジとずっと話してたんだ。夕方くらいから熱を出してな」
「は?」
立ち止まり、ペローナを振り返った。
「熱?」
「ああ、熱を出して、いま寝ている」


早足で居間に向かうと、なるほどサンジは赤い顔をして布団に横になり目を閉じていた。
額には濡れた布巾が乗せてあるが、絞りが足らないのか枕までビショビショに濡れてしまっている。
「濡れ布巾はちゃんと絞れ」
「冷たくないだろうが」
「頭まで濡れて、却って風邪を引く」
ゾロは小言を言いながら、冷たい水で布巾を絞り直しサンジの額に乗せた。
「ちょっとは頭を冷やした方がいいんだ、風邪じゃないと思うぞ」
「…だろうな」
そりゃわかってんだけどよ・・・と内心で呟きつつ、ゾロはちらりとペローナの顔を見た。
「色々、話をしたのか?」
「ああ」
「んで、熱を出したと」
「知恵熱ってやつかな」
ペローナはしれっとそう言うと、とにかく腹が減ったと立ち上がった。

「明日はどうすんだ」
「なんにも予定はない。サンジを見ててもいいが、寝てばかりなら退屈だな」
スーパーのコロッケを齧るペローナの前で、ゾロは喉を鳴らしてビールを飲んだ。
「俺達の友人が、よかったら村の中を案内するって言ってるが、明日どうだ?」
ペローナは丸い目をキョロリと上げて、咀嚼しながら頷いた。
「いいぞ、退屈しのぎになる」
「俺は仕事もあるからいけないが」
「別に、お前は来なくていい」
「だと思ってよ。まあ、最初に和々で会ったたしぎも一緒だし、なんとかなるだろ」
「よろしくお願いしますと伝えておいてくれ」
人見知りしないタイプでよかったよと、ゾロは笑いながらフライを摘まんだ。





夕焼けに染まる坂道に、長く伸びる影が落ちた。
大きいのと小さいの。
一緒に並んで歩いていたはずなのに、大きい影はより大きく長くなって、サンジの一歩前を行く。
追い付こうとして足を速めても、歩いたら歩いた分だけ、影はもっと先に進んだ。
――――お父さん。
何度か、そう呼んで足を速めた。
お父さん。
お父さん。
親父。
なあ。
おい。

パパ――――

どんな風に呼び名を変えても、影は振り返りもせずズンズンと前に進む。
どこかに行こうとするのではなく、ただサンジから一歩でも遠くへと離れてしまいたがっているように。
振り返りもせず、顔を背け、背中だけを向けて。
サンジがどれだけ呼んでも、泣いて縋って喚いて、その手を力いっぱい引いたとしても。
父の影は、一度も振り返ることなく遠ざかって行った。



ぎゅっと握った手が、汗ばんでいる。
そう気づいたと同時に、すうっと意識が戻った。
カーテンの隙間から覗くガラス窓に、夕暮れの気配が見て取れた。
しばらく眺めてから、握っていた手の方に視線を移す。
ゾロが、枕元に座ってサンジの手を取っていた。

夢の中で父を追い掛けた。
どれだけ追いかけても名前を呼んでも、父は一度も振り返ってくれなかった。
けれど、泣きながら後を追うサンジは一人じゃなかった。
誰かがずっと、こうして手を握ってくれていた。

「…お前だったか」
「ん?」
寝惚けて、魘されていたのかもしれない。
瞬きをすると目尻が冷たく濡れた。
ゾロが、硬く絞った布巾で頬と首元を拭ってくれる。
冷たくて気持ちがいい。

「熱は下がったみてえだな」
「熱…おれ、熱出してたのか?」
「ああ、たいしたこたねえが」
丸一日寝ていたぞと、用意していたグラスに水を汲んで差し出した。
「丸一日…ペローナちゃんは?」
ゆっくりと肘を立てながら身体を起こす。
ゾロに背中を支えてもらって、水を飲んだ。
「遊びに行って、まだ帰って来てねえ。ウソップ達が村ん中、案内してくれてんだ」
「…そうか」
「たしぎやカヤも、子どもらも一緒だから大丈夫だろ」
「うん」
サンジは目を閉じて、ほうと息を吐いた。
「ありがてえな」
「そうだな」

ゾロに凭れかかり、サンジは自分でグラスを持ってもう一度水を飲む。
「熱出るほど、なに話してたんだ」
「ん?」
まるで睦言のように甘い囁き声に擽ったそうに身を捩りながら、サンジはゾロの顎に頬を摺り寄せた。
「ペローナが、色々話したと言ってたぞ」
「うん、色々話した。いっぱい話して考えた」
それこそ、熱が出るほど考えた。

サンジはふと、ゾロの顔を仰ぎ見た。
ゾロとペローナは、根本の部分がよく似ている。
どちらもリアリストで、情に厚い部分と冷淡な部分が混在している。
ペローナが指摘した嘱託殺人・父真犯人説だって、もしかしたらゾロも思い当たっていたかもしれない。
けれど、ゾロはそんなことを思い付いたとしても、決して口に出したりしないだろう。
同じ考えであっても、赤の他人のゾロと身内のペローナとでは、意味合いがまったく違ってくるからだ。
ゾロは多分、そのこともよく考慮して、敢えて沈黙を守りサンジを見守ることだけに徹してくれていた。
それはまるで出口の見えないトンネルの中にいるような、お互いに暗闇に浸るだけの生産性のない行為だったとしても。
ゾロはずっと、サンジの傍にいてくれていた。
そのありがたさを、いまサンジは改めてひしひしと感じ取っている。

「どうした?」
じっと見つめるサンジの目を、ゾロはなんとなくバツが悪そうな表情で見返している。
夕暮れの影が長く伸びて、吹く風も少し冷たい。
そろそろ散歩の時間だと、いつもならキュンキュン鳴いて催促するはずの風太や颯太も、息を飲んで見守ってくれているように静かだ。
「ゾロ…」
「ん?」
握り合った手の汗ばみは、もう引いている。
けれどより深く指を絡めて、ゾロの腰に腕を回した。
ゾロもサンジの背中を抱いて、目を閉じながら顔を近付ける。

ワフン!っと風太が鳴いた。
颯太も鎖をジャラジャラ鳴らしながら、犬小屋から飛び出る気配がする。
それと同時にエンジン音が近付いて、間もなくバンとドアが閉まる音がした。
「…お帰りだな」
「だな…」
苦笑して二人が離れるのとほぼ同じタイミングで、玄関の引き戸が開いた。
「ただいまー!」
賑やかな、ペローナの帰還だ。




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