終夜  -8-



ペローナの従兄、クマシーから連絡があったのは水曜日のことだった。
「いやだ、私はまだ帰らないぞ」
携帯に向かい、英語で散々文句をぶつけていたペローナはふくれっ面でサンジを振り返った。
「まだレストランで食事もしていない。もっとサンジとお話ししたい」
「クマシーとやらの仕事の都合もあるんだろ?つか、お前確か、仕事で日本にやってくる従兄に無理やりついて来たって言ってたよな」
だったらクマシー優先に決まってっだろとゾロに突っ込まれ、ペローナは地団太を踏んで悔しがった。
「うるさい、日本に来てしまえばこっちのものだ。クマシーに都合があるなら、私にだって都合がある」
「ペローナちゃん」
サンジは芋の皮を剥く手を止めて、身体ごとペローナに向き直った。
「レテルニテは、週末に店を開けるんだ。間に合うなら金曜日に、クマシーさんと一緒に食べていってよ」
「そうなのか?」
「いいのか?」
ペローナとゾロは同時に言い、お互いに顔を見合わせてそっぽを向いた。
「店、開けられるのか?」
ゾロの言葉に、サンジはハハッと笑って見せた。
「別に、身体壊してた訳じゃねえからな。…それに、俺なんかが作ったもんでもペローナちゃんは喜んでくれたし。作っても、いいかなあと思って―――」
やや自虐めいた呟きに、ペローナは身を乗り出してうんうんと頷いた。
「ぜひ作ってくれ、私はサンジの店で食事するために日本に来たんだ」
「うん、ありがとう」
ゾロは表情を明るくして、読んでいた新聞を畳んだ。
「そうと決まりゃあ、仕入れに行った方がいいんじゃねえか。魚市場も、先週休んでっだろ」
「うん、直接行って週末の取り置き頼んどこうかな。ペローナちゃんも行く?」
「もちろんだ」
「だったら店の掃除も手伝えよ。あと、庭の草むしり」
「いいけど、お前に言われるとなんか腹立つから却下」
不毛な言い争いをする二人に微笑みながら、サンジは手を洗ってエプロンを外した。



「今週は、店開けるって?」
和々で情報を聞き付けたらしいウソップが、レストランまで来てくれた。
「一週間使ってなかっただけで、なんか寂しい雰囲気になってるな」
「気のせいかもしれねえけど、そんな感じなんだよなあ」
折角だからと、ウソップはいろいろ小物を持って来て店内を飾り付けてくれる。
「今週は“母の日フェア”するんだろ。生のカーネーションは高いから、切り紙で作ってやったぜ」
「凄い、細かくて上手だな。さすがウソップ」
ペローナはすっかりウソップに懐いていた。
「カヤとカクはどうした」
「いま、家で昼寝してる」
「また遊びに行きたいな」
「いつでも来いよ。ってか、店の片付け終わったらうちにおいで」
「やた!行く!」
喜んで飛び跳ねるペローナの後ろで、モップを動かしながらゾロが声を掛けた。
「悪いなウソップ、我がまま娘の世話させて」
「誰が我がまま娘だ」
「お前しかいねえだろうが」
「否定はしないが、お前に言われると腹が立つんだ」
言い合いを始めた二人を見て、ウソップは苦笑しながらカウンターに近付いた。
「あの二人、いいコンビだな」
「だろ?すっげえ気が合うみたいだ。真逆の方向で」
応えるサンジも、どことなく嬉しそうに目を細める。
一週間姿を見なかっただけだが、サンジは酷く痩せて窶れていた。
これでも随分ましになった方だとゾロからあらかじめ聞かされていたが、それでもついぎょっとしてしまった。
ショックなことがあって食断ちをしていたとも聞いたが、単に食事が摂れなかっただけでなく相当にストレスがあったんだろう。
それでも、今はペローナの一言一句に笑ったり驚いたりしている。
詳しくは知らないのに、良い方向だと感じ取れてほっとした。

「クマシーは、金曜日の午前中に村に着くそうだ」
可愛らしいポシェットに携帯を仕舞い、ペローナは不服そうな顔でスツールに腰掛けた。
足先をぶらぶらとさせ、憤懣やる方ないと言ったように頬杖を付く。
「ここでランチを食べたら、私を連れて東京に帰るんだと」
「ちょうどいいじゃねえか、ゆっくり食ってとっとと行け」
「ゾーロ」
窘めるサンジと一緒に、ウソップもひらひらと手を振る。
「お客さんのうちにゆっくり味わった方がいいぞ。ここに長くいると、いつの間にか戦力として扱き使われる羽目になる」
「そうそう、ウソップみたいに」
「いつの間にか、スタッフ状態に」
ペローナは澄まし顔で、からかう大人たちを見上げた。
「私はそれでいいぞ、ここでウェイトレスをする。可愛い私がいれば、客のウケもいいだろう」
「…なんかこう、阿漕な雰囲気がビシバシ伝わってきた」
「児童労働は禁止されている」
「ペローナちゃんがいてくれたら、お客さん倍増なんだけどなあ」
ペローナは、うっとりと夢みるみたいに目を細めた。
「ほんとに、ここに住めたらいいなあ」
「いっそ引っ越してくるか。イギリス行くの止めにして」
ゾロが真顔で言ったから、ウソップは驚いて目を丸くした。
「えーと、ペローナちゃんはアメリカから来たんだっけ。んで、イギリスに引っ越すのか」
「家庭の事情でな。でも新婚のmammyの邪魔をするのも気が引けるし、ここに残るか」
「ああ〜そ、か〜〜〜」
事情のおおよそを察して、ウソップは目を瞬かせ頷いた。
その隣で、ゾロがむっと眉間に皺を寄せる。
「やっぱお前、ここに残るな。とっとと帰れ」
「酷い言いざまだな、お前らはもはや新婚でもないくせに」
「お前がいたお陰で、ここんとこどんだけご無沙汰だと―――」
パコーンと、いっそ爽快な音を立ててゾロの後頭部にトレイが振り下ろされた。
カウンターに突っ伏したゾロの後ろで、サンジは張り付いたような笑みを浮かべている。
「まあ、嫌がらせも面白いがそろそろ潮時ではあるな」
「お前ら、こんな子どもがいる前でも…」
「んな訳ねえよ、ってか、なに言い出すのペローナちゃん!」
「やっぱり、わかってて居座ってやがったな」
「お前は黙ってろ!」
再びパコーンと軽い音がして、ゾロはカウンターに撃沈した。
「教育上、よろしくないな」
渋い顔で腕を組むウソップに、ペローナはホロホロホロと独特の笑い声を立てる。
「日本の田舎は閉鎖的と聞いてはいたが、少なくともここはとてもオープンで居心地がいい。私は大好きだ」
「…ありがとう」
自分が住む土地を褒められて、嬉しくない訳がない。
ゾロもサンジも、ウソップさえどこか照れたように笑い返した。

「私は、少し変わっているだろう?」
「…少し、か?」
「少し、かな」
「お前ら」
パコンパコンと2連続で二人の頭にトレイを打ち込むサンジを、ペローナは頬杖を付いたまま見上げた。
「わかっている。私は“変わった子”だとよく言われるし、そう言われる度に“変わっている”んだなと私も思った。自覚するのと認識するのとでは違うが、相対的に人が私を見る目がどういう種類のものかは、理解している」
「ペローナちゃん」
気遣わしげなサンジの視線を、ペローナは臆することなく受け止めた。
「そのせいで、学校でも地域でも浮いた存在だったのは否めない。かと言って、周囲に合わせようとは毛頭思わないし、その必要性も感じない。ただ、寂しいときはあるし哀しい時もあるし、私なりに傷つくこともある」
「――――・・・」
「だが、ここはいいな。この場所がと言うより、サンジを取り巻く人々が“いい”のだろう。私が少し“変わっている”子でも、誰も気にしない」
「そりゃそうさ」
ウソップは明るい口調で言った。
「ここは本来ど田舎で、閉鎖的なとこもあるし封建的かつ窮屈な面もいっぱいあるだろう。たまたま、ゾロもサンジも、そして俺もよそから移り住んで来て“よそ者”だから寛大なだけだ」
でもよ、と言葉を続ける。
「そんな“よそ者”の俺も、地域のみんなによくして貰ってる。ちょっと変わった部分なんて、みんながみんなそれぞれ持ってるもんだ。そんなものにとらわれないことこそが成熟さってやつだろうな」
うん、俺いいこと言ったと一人で頷くウソップを、ゾロがからかった。
「お前も鼻が長いしな」
「お前ら、男同士なのにデキてるしな」
パコンパコンと、再び二人の頭にトレイが振り下ろされた。
苦り切った顔のサンジに、ペローナがホロホロと笑う。
「私もお前達が大好きだよ。ここに来てよかった。サンジだけでなく、大好きな人達がたくさん増えて私は嬉しい」
そう言って、スツールから飛び降りる。
「さ、支度は済んだしもう一つの私のお気に入り、和風パフェを食べたいぞ」
「お、いいな。和々に寄ってからうち来るか」
「うん」
「そう言えば、おすゑちゃんが会いたがってたぞ」
「おすゑちゃんって、誰だ?」
「和々の看板娘さ。今日はいるかな…」

話しながら店を出て行くウソップとペローナを見送って、ゾロは店の戸締りをしながらそれとなくサンジを見やった。
「ほんとに大丈夫か?」
「ん?」
「店を再開させるの、少し早すぎないか?」
ペローナが来てサンジが元気を取り戻したとはいえ、まだきちんと食事を摂れていない。
喉を通るのはゾロが作るうどんか、おじやくらいだ。
気力は戻っても、体力はかなり衰えているだろう。
「ペローナちゃんが俺の料理を楽しみにしてくれてんだ、ここで再開させなきゃいつやるんだっての」
サンジはそう言って、綺麗に磨かれたカウンターを愛しげに撫でた。
「それに俺にはこの店があって、お客さん達が待っててくれるんだって、こんな大事なこと、今頃思い出した」
――――俺は、馬鹿だなあ…
しみじみとそう呟き、火を点けていない煙草を咥えたまま自嘲する。
「俺って、結局自分のことだけで手いっぱいになって、挙句にお前まで巻き込んで。ほんとに身勝手で馬鹿で最悪だ」
「わかってんじゃねーか」
ゾロの返事に、え?と思って振り返る。
「自分の痛みは自分でしか抱えられねえんだ。身勝手上等、馬鹿なのは元からだし、それでもてめえは最高だぞ」
「…ば、馬鹿で悪かったな」
辛うじて憎まれ口を返してから、サンジはふにゃんと表情を崩した。
「なんか、こういうのも久しぶり…」
「ホロホロ娘の影響だろ」
二人きりでいた時は、サンジを気遣い優しい言葉ばかり掛けていたゾロだ。
いま客観的に振り返ると、なんともこっ恥ずかしい想いが二人を包む。

「…ともかく、営業に向けて体調整えろ」
「おう」
なんとなく気まずくも甘酸っぱい、微妙な空気を醸し出しながら店の片付けを終了した。





「初めまして、クマシーと申します」
大きな身体に汗を掻き掻き、ペローナの従兄は両手を揃えてきっちりとした仕種で名刺を差し出した。
「初めまして」
なんと自己紹介していいかわからず、とりあえずゾロは名刺だけ受け取る。
「この度は、ペローナが大変ご迷惑をお掛けしました。いきなり押し掛けて、さぞかしご面倒をお掛けしたと…」
「もういい。お前は喋るなクマシー、可愛くない」
バッサリとペローナに切られ、クマシーは大きな身体を小さく丸めて片手を顔に当てている。
「わざわざ迎えに来てくれたんだ、横着なことを言うな」
「来てくれと頼んでいない。仕事があるなら、あっちでゆっくり片づけてくればいいんだ」
「大急ぎで片付けて来たんだよ。…待たせてごめんね」
クマシーに謝られ、ペローナはこれ以上不機嫌な態度を取るのも難しいと考えたのだろう。
いいよ、と小さく答えてクマシーの腕に手を回した。
「突然置いていくから、心細かったんだからな」
「ごめん。本当にごめんなさい」
――――デレた。
ツンホロ娘が、デレた。
声にならない突っ込みを共鳴させながら、スタッフとして働いているウソップとヘルメッポがチラチラとこっちを見ている。

「ともかく座れ。こちらへどうぞ」
ゾロは改めてお辞儀をし、片手を差し出して店内を案内する。
その後ろについて歩きながら、ペローナはふふんと鼻を鳴らした。
「なんだ?」
「そういうの、馬子にも衣装と言うのだろう?」
黒いギャルソンエプロン姿のゾロは、「ああん?」と額に皺を寄せねめつける。
「客商売でその顔は止せ。せっかくの男前が台無しだ」
「お褒めに預かり、どうも」
テーブルに着くときさり気なく椅子を引いてやったら、ペローナは淑女のようなしとやかさで腰を下ろした。

「いらっしゃいませ」
白いコックコート姿のサンジが、オープンキッチンから出て直接メニュー表を持ってきた。
「お世話になってます。兄のサンジです」
「こちらこそ、大変お世話になりました」
クマシーが立ち上がりしゃちほこばって挨拶すると、まるで商談の場のようになる。
それを手で制して、どうかごゆっくりと短く挨拶を切り上げた。
「サンちゃん、また男ぶりが上がったね」
「あんまり無理しないようにね。休み休みしなね」
テーブルを縫って歩くと、お客さんから次々と声が掛かった。
一目見て痩せたのがわかるが、キッチンで立ち働く姿はゾロの目から見てもしゃきっとして、以前と変わら手際のよさだった。
窶れた分だけ、精悍さが加わっている。
「自分の体調も整えられんもんが、無理すっとろくなことにならんど」
りよさんの息子の口の悪さにペローナが目を吊り上げたが、サンジは微笑んで会釈した。
心配の裏返しだと、もうわかっている。
返事はすべて料理に込めるとばかりに、手際よく次々と調理しゾロ達が各テーブルへと運んでいく。
変わらぬ味に満足して、常連客達は一週間ぶりのレテルニテを満喫した。



「ご馳走様でした」
ペローナがきっちりと両手を合わせると、クマシーも追随して拝むように手を合わせた。
「とても美味しかったです。さすが、ペローナが自慢するお兄さんだけありますね」
「お粗末様です、こうして召し上がっていただけてよかった」
オーダーストップを迎え客もあらかた引いた頃、サンジはフロアまで出てきた。
会計をするクマシーに、ペローナは甘えるように大きな背中に手を当てる。
「なあなあ、クマシーも美味しかったよなあ。もうちょっと、ゆっくり味わいたいよなあ」
なにを言い出すかと怯えながら振り返るクマシーに、ペローナは邪悪さが滲み出た笑みを向けた。
「せっかくだから、クマシーももうしばらくここにいたらどうだ。帰国するのは来週だろ?」
「どこに泊まる気だ」
「うち、2組しか布団ないだろ。クマシーさんと一緒だと、ペローナちゃん寝る場所ないんじゃあ」
「クマシーは風太達の小屋でいいぞ」
「風太と颯太が可哀想だろうが」
「…あ、あの、その」
風太と颯太がなになのかはわからぬまま、クマシーは汗を掻き掻き会話に割って入った。
「ペローナは、まだ東京で遊んでないじゃないか」
その一言に、ペローナの動きがピタッと止まる。
「色々行きたいとこがあるって言ってただろ。渋谷・原宿・六本木」
「―――・・・渋谷、原宿」
「新宿・浅草・スカイツリー」
「渋谷と原宿が、私を待っている!」
俄然、目の輝きを増したペローナが両手を突き上げた。
「よし!そろそろ行くぞクマシー!サンジまたな」
あまりの変わり身の早さに、ウソップとヘルメッポは古典的にずっこけた。
サンジは呆気にとられ、ゾロが腹を抱えて後ろを向いている。
「ペ、ペローナちゃん気を付けて…」
「ああ、サンジも元気で」
跳ねるようにしてサンジに飛びつき、ぎゅっと抱きしめてから身体を離す。
次に、まだ後ろを向いて笑っているゾロの背中にもしがみついた。
「サンジを頼むぞ」
「―――・・・」
ゾロは身を捩り、ペローナの頭に軽く手を置いた。
「おう、任せとけ」
それから首の後ろと背中に手を回し、きゅっと抱きしめる。
「よく来てくれたな、ありがとう」
ペローナは目を閉じてゾロの腹に頬をくっ付けてから、身体を離した。
「じゃあまたな、皆さんお世話になりました」
改めて行儀よく頭を下げると、ヘルメッポとウソップが笑顔で手を振る。
「また来いよ」
「またな」
ホロホロホロ…と笑いながら、クマシーが用意したレンタカーに飛び乗って助手席の窓を開ける。
「元気でな。メールするぞ」
「たしぎちゃんとカヤちゃんと、お梅ちゃんとお松ちゃんとおすゑちゃんにもよろしく。あとお隣のおばちゃんも――――」
くるんとカールした髪をなびかせながら、ペローナを乗せた車はゆっくりと遠ざかって行った。


「まるで台風みてえな娘だったな」
「さすがサンジの妹」
「え、似てねえだろ」
「似てねえけど、可愛いじゃねえか」
「え?」
「え?」






久しぶりの営業で、週末は目まぐるしく過ぎた。
ペローナが去ってしまった寂しさを感じるゆとりもなかったが、日曜の夜にはどっと疲れが押し寄せたのか、サンジは家につくなり畳に寝転がって動かない。
ゾロは風太と颯太の散歩を済ませ、風呂を沸かしてから夕食を用意する。
冷蔵庫から冷たいビールを取り出して、まだ横倒しになっているサンジに近づいたら、長い手足を投げ出してぼんやりと目を開いていた。
「おい」
「――――う〜〜〜」
「どうした」
しゃがんで、冷えたビールを頬に押し付けてやる。
ひゃあ、と間抜けな声を出して身体を起こし、それからまた「ううううう」と唸った。
「…寂しい」
「ああ」
「ペローナちゃん、もう日本を発つ頃かなあ」
東京に行って、遊び倒しているのだろう。
予定では、そろそろ帰国するはずだ。
世界は狭いとはいえ、そう簡単に行き来できる距離でもない。
「店やってる時は必死だったけど、終わったらなんか気が抜けた」
「お疲れさん」
よく頑張ったと、プルトップを開けて手渡してやる。
サンジはビールを一口飲んで、きゅうっと顔を顰めた。
「あー…腹に沁みる」
「酔っぱらっていいぞ」
「ん…」
まだ酔いも回っていないのに、サンジはゾロに懐くように胸に額を押し付けて両手を背中に回した。
甘えて来るのに任せ、ゾロもビールを飲みながら片手で背中を擦ってやる。
「寂しいか」
「寂しい」
「うるせえばっかだったろ」
「うるさくなんかない、めちゃくちゃ可愛かった」
可愛くて賢くて、優しくて温かかった。
「…俺、ペローナちゃんに救われた」
「そうだな」

嫉妬しないと言えば嘘になるが、ペローナが来てくれなかったらサンジはここまで回復できなかっただろう。
赤の他人のゾロでは、なんの役にも立てなかった。
悔しいが、認めざるを得ない。
「じいさんに、釘刺されてたのにな」
「え?」
いきなりゼフの話題が出て、サンジはびっくりして顔を上げる。
「お前を囲い込み過ぎるな、大事にしすぎるなと言われてたんだが」
「そうなのか?」
「ダメだな、俺ァ、まだまだだ」

ともすれば、一緒に堕ちてしまいそうだった。
傷付き悩み誰にも目を向けず、ひたすらに嘆き悲しむサンジを囲い込むことは、ゾロにとって至福の時だった。
サンジの痛みを感じ取れるのは己だけだと、暗い喜びにも似た満足感を覚えていたことは否定しない。
あれは“愛”ではなく、ただの身勝手な束縛だった。
わかっていてなお、あの日々を思い出すと苦みを伴った甘さがじんわりと胸に蘇る。
「…お前は、苦しんでいたのにな」
ゾロの後悔を滲ませた呟きに、サンジはゆっくりと頭を振った。
「お前がいてくれたからだよ。だから俺は、安心して堕ちてられた。ペローナちゃんが来てくれなかったら、もっとずっと時間はかかっただろう。けどきっと、お前がいてくれたからいつか俺は、立ち直れたよ」
いまも――――
そう言って、そっとゾロの唇に口付ける。
「俺はまだ、お前と一緒にもがいてる」
「俺と――――」
「お前となら、二人だけで世界が閉じてもいいなんて。本気で思える相手と巡り合えたってことは、なんて幸せなんだろうな」

まっすぐに、ゾロを見つめるサンジの瞳には迷いも曇りもなかった。
まだ癒えぬ悲しみと、消えることのない悔いと痛みを滲ませてなお、その瞳は澄んでいた。

「チョッパーから連絡が来たんだ。俺、来週からカウンセリングに通うよ」
「ああ」
「治る、もんじゃねえかもしれねえけど。でも、俺の中できちんとすべてを受け止められるよう、もっともっと考えてみる」
「ああ、それがいい」

焦らなくてもいい。
急がなくていい。
誰かを待たせてもいないし、今なお傷付けてもいない。
ただゆっくりゆっくりと、己と向き合い、ゾロと語り、過去を見つめ直していくだけだ。
時間はたっぷりとあるのだから。

「今夜は、夜通し語り合おうぜ。これからのことを」
ゾロの言葉に、サンジはこっくりと頷いた。



End




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