終夜  -6-


ペローナの旺盛な食欲に釣られたか、サンジもうどんを三本食べた。
水すら口にしなかった昼までとは雲泥の差で、嬉しさのあまりゾロの食まで進む。
久しぶりに賑やかな食卓となった。

ユニットバスで一騒ぎしたペローナは、これまたリボンやフリルがたくさん付いたドレスのような寝巻に着替え大きなぬいぐるみを抱えて居間に戻ってくる。
一応客用の布団を敷いたが、なにせ一間しかないからその隣にサンジが寝ていた布団も並べてあった。
「おお、これが煎餅蒲団だな!」
「悪かったな」
薄い、跳ねないと喜んでいるペローナの前に、サンジは膝でにじり寄る。
「ゾロは朝が早いから、もう休まないといけないんだ」
明日の月曜日は和々の定休日で普段なら作業も休んでのんびり過ごす日だが、ゾロは先週仕事を抜け出た時間が多かったから休業日返上で励む予定だ。
「でも、サンジはずっと寝てたんだろ?眠くないだろ?」
ペローナにそう言われ、サンジは困ったように笑った。
いくら寝ても寝たりないほど眠る毎日だったが、そう言われると眠くないような気もしてくる。
「まだ時差ボケが治らないんだ。せっかくだから、ちょっとお喋りに付き合え」
「・・・そうだね」
ゾロの邪魔にならないようにと、ゾロの布団を縁側ギリギリまで引っ張って引き直し、ペローナとサンジは客用布団に寝転んでコソコソと声を低め会話している。
これではまるで仲間外れじゃないかとゾロは憤慨したが、悲しいサガで布団に寝転んで5秒で眠りに落ちてしまった。



翌朝、アラームが鳴る直前に目覚めいつものように腕を伸ばしてスイッチを切る。
寝ぼけ眼で時刻を確認すると、4時5分前だ。
部屋の中はまだ薄暗く、傍らにサンジはいない。
80センチほど離して敷かれた布団の上で、仲良く眠るサンジとペローナがいた。
二人とも同じような姿勢で丸くなって、額を付き合わせるようにして目を閉じている。
サンジもペローナも、おそらくはお互いの母親似なのだろう。
まったく似ていない顔立ちなのに、こうして目を閉じた横顔はどことなく似通って見えた。

ゾロはひとしきり二人の寝顔を眺めた後、ペローナの額に軽くデコピンして、サンジの頬には優しく口付けてから仕事に出かけた。





昼食をとるべく駅前食堂に顔を出したら、フランキーとウソップが先に食事をしていた。
「サンジの妹が来てんだって?」
さすが田舎の連絡網。
一晩ですでに知れ渡っている。
「すんげえエキセントリックで、可愛い子らしいじゃねえか」
「―――――・・・そうだな」
「なんだよその間」
焼肉定食を頼み、ウソップの前の席に腰を下ろす。
「サンジはどうだ?妹さんが来て、ちょっとは元気出たか」
「ああ」
「具合悪くても、ゆっくり寝てられねえんじゃねえか?」
「いや、その方がいいみてえだな、気も紛れるし」
「そんならよかった」

こんな風に、和やかに会話すること自体が久しぶりのような気がする。
ウソップのみならず、コビーやヘルメッポでさえも、ゾロに対してまるで腫れ物にでも触るようにどこか遠慮がちだった。
サンジは単純に風邪で臥せっていると言うことになっていたはずなのに、やはりゾロ自身が纏う雰囲気が排他的だったのかもしれない。
「妹さんがついててくれるなら、お前も安心して働けるな」
「まったくだ」
それは確かに、その通りだ。
こうして仕事に出ていても、外で飯を食っていても。
サンジが一人じゃないと思うだけで、随分と気が楽に思える。





「ベリーのパンケーキに、ホットショコラをどうぞ」
縁側に置いた卓袱台に薄いピンクのランチョンマットを敷いて、庭に咲く赤い薔薇を飾った。
食器とカトラリーは白。
たっぷりと絞った生クリームの上から散らした、果実とソースの赤が際立つ。
「美味―い」
ペローナは大喜びで、鼻の下にクリームを付けながらパンケーキを頬張った。
「ふわっふわでもっちもちだな。ショコラも濃厚ですごく美味いぞ」
「そう?よかった」
「小汚い田舎の家だと思ったが、こうしてみると景色も抜群だ」
そう言って、ペローナは縁側から投げ出した足を軽く跳ねさせた。
昨夜の内に、少し雨が降ったのだろう。
晴れた日差しの下で、庭の新緑がより鮮やかさを増して風に揺れている。
風太は、ペローナの一挙手一投足に興味津々だが、颯太は最初からガン無視で小屋の中でふて寝状態だ。
さっき散歩と称して引きずり回されたのが、よほど堪えたのだろう。
「サンジのおやつも最高だが、やはり店でちゃんと食事もしてみたい」
「ありがとう、そうだね」
美味そうに頬張るペローナに目を細め、サンジは傍らに正座して両手を膝の上で組んだ。

自宅のキッチンに立ったのも、サンジにとって久しぶりのことだった。
ずっと無気力状態で、ゾロが優しいのをいいことに頼りっぱなしで自分の力で立とうともしていなかった。
チョッパーに指摘されるまでもなく、心の中ではこのままじゃいけないとわかっていたのにゾロに甘えてばかりいた。
あまりに居心地が良すぎて、あの状態のまま際限なく過ごしてしまっていただろう。
思いがけずペローナが現れてくれたことは、サンジにとってもゾロにとっても救いに等しい。

「今週は、金曜日には店を開けられると思うよ」
サンジは声に力を込めて、そう言った。
ペローナがいつまでここに滞在するのかわからないが、彼女が望むなら自分の料理を、あの店で食べてもらいたい。
こんな、実の父親でさえ信じられないような人でなしの手でつくられた料理だとしても。
ペローナが望んでくれるなら―――

そんな想いが胸を過ぎり、自然と表情が暗くなる。
「サンジには無理をしないで欲しいが、せっかく来たんだからぜひ食べたい。だから適度に、無理をしてでも作ってくれ」
ペローナはさらりと無茶ぶりをして、ココアを飲み干した。
上唇に付いた茶色い跡を、舌で舐め取る。
「予定では来週頭に帰国することになってるが、クマシーの仕事とやらが終わらないと迎えに来てもらえない。でもいっそ、ずっと迎えに来なくてもいいと思うぞ」
「…えっと、ペローナちゃん学校は?」
いつ帰るのとか、今後の予定はとか。
色々と聞き辛くてまだちゃんと尋ねていなかった。
迂闊に聞くと「追い出すのか」と気分を害されかねない。

「それなんだがな、実はmammyが再婚することになった」
「え?そうなの」
驚いたが、確かにペローナの母親はまだ若い。
父とは年が離れていたし、美しい人だから引く手数多だっただろう。
「それで、新しい父の都合でイギリスに渡ることになった」
「イギリス…」
それはまた大変だねと、どう大変か理解できていないまま慰める。
言葉は同じだから、問題ないんだろうか。
でも文化が違うとか、やっぱり生まれ育った街を離れなきゃならないのは辛いだろうとか。
あれこれと気遣いつつ、うまく言葉にできない。

「イギリスに行くこと自体は、私はすごく嬉しいんだ。なんせゴーストの国だからな」
「…そうなんだ」
ペローナが喜ぶツボはいま一つわからないが、本人が喜んでいるならまあいいだろう。
「それはいいんだが、なにせ食事がな」
ペローナはげんなりとした表情で、綺麗に食べ尽くされた皿をフォークでつつく。
「元からアメリカもそう褒められたものではないが、イギリスは他の追随を許さないと聞いている。mammyの料理が上手なのは救いだが、それでもどうせ移住するならその前にサンジの美味い料理とやらを食べてみたかったんだ」
「そうだったんだ」
なんとなく複雑な気分で、サンジもペローナと同じように肩を落として俯いた。

父親が同じ兄妹なのに、父の存在がペローナの中でも薄れてしまう。
そのことを寂しいと感じてしまうなんて、とても身勝手なことだとわかってはいた。
せめてペローナの中では、父は本来の姿を保っていてもらいたい。
サンジが勝手に恐れ貶めた穴埋めを、ペローナに求めるなんて間違っているのだけれど。

「新しいお父さんは、どんな人?」
「身体がでかくて顔が怖い。真面目であんまり喋らないぞ。なに考えてるかさっぱりわからん」
「そんなの、大丈夫なの?」
「でも、でかいクマの置物だと思うと可愛く見えなくもない。それに、表情に出ないだけで私のことを可愛がってくれているようだ。そういうのは、なんとなくわかる」
聡いペローナのことだ。
この子ならきっとうまく、大人の事情とも付き合って行けるのだろう。
「daddyとは全然違うタイプだぞ。dadd陽気でお喋りでちょっといい加減で、mammy以外の女とも喋るのが大好きだったから」
「…あー、…そう、なんだ」
恐れてはいたことだが、自分の天性の女好きは父親からの遺伝だったかと、忸怩たる思いが過る。
「サンジは?サンジはdaddyのことどう思ってたんだ?全然話してくれないけど」
いきなりズバリと、核心を突いて来た。
サンジはなんでもないことのように、努めて冷静を装って応える。
「そう、だね。普通だよ」
「daddyからも、サンジのことを聞いたことなかった。mammyも、daddyに息子がいることなんて知らなかったってショックを受けていたもの」
「そうだったね、ほんとに申し訳ない」
父が亡くなってから、遺言状でサンジの存在を知ったのだ。
どれほど仰天したことだろう。
「なぜサンジが謝る。悪いのは黙っていたdaddyだ。サンジはdaddyに隠されていたことになるぞ、酷い話だ」
憤慨するペローナに、サンジは力なく首を振った。
「いいんだ、父に、隠されても俺は仕方ないんだ。…俺は、酷い息子だったから」
「どうして?サンジはとってもいい子だぞ」
なにを言い出すのかと、ペローナは丸い目できょとんとしてサンジを見た。

まだ10歳の子どもなのに、ペローナはどこか達観して物事を見ている。
生意気な口調や大人びた行動につい錯覚してしまうのかもしれないが、ともすれば年上の女性のようにすべてのことを受け止めてくれそうな寛大さがあった。
だからつい、サンジも本音が漏れそうになる。
「俺のね、俺と父とはいい別れ方じゃなかったんだよ。俺がね、一方的に父を拒絶して遠ざけた。だから、俺が悪いんだ」
「…サンジのmammyは?」
ペローナは、辛そうなサンジの顔をじっと見つめながら静かに問うた。
「早くに亡くなったと、お葬式では言っていたな」
こくりと、無言のまま頷く。
「なんで死んだ?病気か?事故か?」

あくまで、あどけない風を装ってペローナは切り込んできた。
応えなければ許してもらえない。
そんな雰囲気だ。

サンジは迷った末、諦めて息を吐いた。
「殺されたんだ」
「え?」
「俺が小さい頃、家で」
こんな話題、本来なら子どもに振っていい話ではない。
だがペローナは、なぜか目を爛々と輝かせ身を乗り出した。
「もしかして、サンジは目撃してしまったのか?」
ペローナの勢いに押され、若干後退りしながらも頷き返す。
「よく無事だったな、でもショックだっただろう」
「あまりよく、覚えてない」
「それは仕方ない」
「犯人の顔も、ろくに見てないんだ」
「それがいい、そんなもの見てはならない」
「でもそのせいで、犯人は捕まらなかった…」
サンジはそう言って、いつの間にか小刻みに震えはじめていた拳をぎゅっと握った。

自分は、なにを話すつもりだ。
妹とは言えまだ10歳の子どもに。
ゾロ以外の人間に、懺悔をするつもりなのか。

「未だに、犯人はわからないのか?」
ペローナの問いに、ゆっくりと頭を振る。
「確証はないけれど、そうじゃないかと思われる人間はわかった」
「そうなのか?」
「でももう、死んでた。別の罪で、服役中に」
「…そうか」
ペローナはなんとも言えぬ痛ましい表情をして、サンジの肩に手を置いた。
そうしてゆっくりと、痩せて尖った肩を撫でる。

「それはもしかして、最近の話か?」
「――――・・・」
「サンジが心を痛めていたのは、それだったんだな」

ゆっくりゆっくり、ペローナの手が肩を撫で首の後ろを擦り、背中を叩いてくれた。
小さな手の拙い動きが、サンジの強張った心をゆっくりと解いていってくれる。
「白か黒かは判明しないのだろうが、それでもよかった。よかったな」
「…よくなんか、ない」
思わず、サンジは吐露していた。
相手はゾロじゃないのに。
剥き出しの心で、甘えていい相手じゃないのに。

「よくなんか、ないよ。だって俺はずっと父さんを疑ってたんだ。父さんが犯人じゃないかと、ずっと」
口に出してしまってから、はっとする。
よりによって、実の妹にとんでもないことを言ってしまった。
ペローナが大好きな父親を、殺人犯と疑っていただなんて。

真っ青になって口元を抑えたサンジを、ペローナは正面からじっと見つめて生真面目な顔で頷いた。
「そうか、それは仕方ないな」
「――――へ」
思いがけない反応に、サンジの方が固まってしまう。



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