終夜  -5-


ゾロが軽トラを飛ばして事務所に到着すると、隣接する和々は営業時間を過ぎているにも関わらずまだ明かりが点いていた。
たしぎの他に、看板娘のお梅ちゃんとおすゑちゃんも居残ってくれている。
そして、カウンターに座っていた少女が口にスプーンを咥えたまま振り返った。
「遅いぞ、なにをモタモタしていた」
甲高い声で開口一番にそう叫ばれ、ゾロは驚いて足を止めた。
なるほど、10歳くらいの少女だ。
明るいピンク色の髪を二つに分けてまとめ、あちこちにリボンがついたフリフリぴらぴらした服を着ている。
実に、個性的な格好だ。
「サンジはどうした、お前は誰だ」
「お前こそ誰だ」
ゾロはむっとして応えた。
たしぎが、とりなすように「まあまあ」とカウンターから出てくる。
「サンジさんの妹のペローナちゃんですって。ペローナちゃん、こちらはロロノア・ゾロさん。サンジさんの同居人よ」
「妹?!」
思わぬ人物の登場に、ゾロは再び目を丸くした。
そう言えば…と記憶の糸を辿り、アメリカに腹違いの妹がいたとかどうとか、聞いていたことを思い出す。
「なんということだ。サンジは私の存在を話していないのか。あんまりだ」
若干イントネーションが怪しく、ところどころ棒読みな日本語でペローナは盛大に嘆いてみせる。
演技している訳ではないだろうが、実にたどたどしい。
「日本語、上手だな」
「お世辞など言わなくていい。いつも兄がお世話になっております」
ちぐはぐなことを言いながら、丁寧に腰を折ってお辞儀をする。
お梅ちゃんが、目を細めて笑った。
「サンジちゃんにこんな可愛い妹さんがいたなんてねえ、しかもわざわざアメリカから来たっていうじゃない。もう驚いちゃって」
「一人でか?!」
「そんな訳なかろう、従兄弟がビジネスで日本に行くと言うから無理を言って着いて来たのだ。それが先程、急いで東京に戻らねばならないと言い出して…」
「なら、お前も帰りゃいいじゃねえか」
「なんと非道なことを言うのか!このヒトデナシめ。私はせっかくわざわざ、サンジに会いに来たというのに」
つまり、この我儘娘が自我を押し通して一人で居残ったという訳か。

「一応、従兄弟さんには私にお任せくださいと言ったので、よかったらペローナちゃんは私が見ますよ」
たしぎが言い添え、お梅ちゃんとおすゑちゃんもうんうんと頷く。
「妹って言っても、男所帯に預ける訳にはいかないからねえ。うちに来てもいいのよ」
「そうそう、たしぎちゃんにはパウちゃんがいるし身重だし」
ゾロもそう思った。
サンジの身内のことでたしぎやお梅ちゃん、おすゑちゃんに迷惑を掛けるわけには行かない。
思案気にペローナを見たら、なぜか憤然として睨み返してきた。
「なにを躊躇うことがあろう。私をサンジの元に連れていけ。男所帯だのなんだの言ったが、お前はサンジの恋人だろうが。私が行くことに、なんの問題がある」
「ひえっ」
たしぎが、変な声を出した。
「え、あの、ペローナちゃん、いきなりなにを…」
なぜか一人で赤くなって慌てふためく。
「サンジがくれたクリスマスカードに、いま大好きな人と暮らしていると書いてあったぞ。お前が同居人なら大好きな人ということだ。それとも単なるサンジの片想いで、お前は女にも興味があるロリコンか」
ズバリと問われ、ゾロも正面から生真面目に返答する。
「あいつ以外、誰にも興味などないしロリコンでもない」
「なら問題ないではないか」
「そうだな」
ゾロは、なんとなくこの妹≠フことが気に入ってしまった。
口の利き方を知らず実に生意気だが、頭がよく話が早い。

「よし、じゃあうちに来い。どうもご迷惑をお掛けして、すみませんでした」
後の方はお梅ちゃんやおすゑちゃんに向かっていい、頭を下げる。
「いいのよう、でも大丈夫?サンジちゃん、具合悪いんでしょ」
「風邪がうつるようなら、うちで預かりますよ」
たしぎの申し出に、ゾロは緩く首を振った。
「感染症とかじゃないから、大丈夫だ。それに多分、サンジは喜ぶ」
「当たり前だ、可愛い妹がわざわざ訪ねて来てやったんだぞ」
ペローナの口ぶりに、おすゑちゃんがおかしそうに笑い堪えている。

「それじゃ、私らはそろそろ…」
「あ、遅くまですみませんでした」
「じゃあペローナちゃん、またね」
「ありがとうございました、お世話になりました」
礼儀は弁えているのか、ぴょんと姿勢を正して深々と頭を下げている。
それから椅子に座り直し、抹茶パフェの残りを急いで食べた。

「ご馳走様でした、とても美味しかった。よし、では行くぞ」
空になったグラスをたしぎに差し出し、また勢いよくスツールから立ち上がった。
先端が大きく丸く、とんでもない厚底靴なので、立ち上がるとゾロの胸元くらいまでの高さがある。
そのまま先に立って店を出て行くから、ゾロは呆れながら振り返った。
「遅くまで悪かったな。それに仕事の方も、色々任せてて済まねえ」
「お互い様ですよ。サンジさんにお大事にと伝えてください」
たしぎに礼を言って、和々を出る。
表に停められた軽トラを見て、ペローナが歓声を上げていた。
「なんと可愛いのだ!これがデコトラかと言うのか?なぜもっと可愛く飾らない!?」
「デコトラじゃねえよ、ともかく乗れ」
助手席に乗るのでさえ高いだの硬いだの狭いだの、散々文句を言いつつも楽しそうだ。

「もう真っ暗だな、街が小さいな」
「舗装してねえ道を通るから、乗り心地は悪いぞ。喋ってて舌噛むな」
とっぷりと日の暮れた田圃道をひた走り、自宅へと帰りついた。



ゾロが首を捻りながらともかく和々へと急いで出て行ったので、サンジも気になったのだろう。
サンジは風太と颯太に両脇を囲まれた状態で、玄関先に座って待っていた。
助手席から降りてきたペローナを見て、驚きに目を丸くする。
「ペローナちゃん!?」
「サンジ?!一体どうしたのだサンジ!!」
ペローナはそう叫ぶと、靴をどたどたと鳴らしながら駆け寄った。
風太は喜んで飛び上がり、颯太は怯ええ犬小屋に引っ込む。
「どうしたサンジ、なんだその死にそうな顔は。こんなにも痩せて、いまにも倒れそうではないか」
ペローナは伸び上がってサンジの顔を両手で挟み込み、真剣な眼差しで見上げる。
迎えたサンジは、驚きながらもペローナの細い腰を抱き止めた。
「一体どうして…」
「これはなにごとか、ロロノア・ゾロ!」
ペローナはきっと表情をきつくして、後からやってきたゾロを振り返る。
「サンジにこのような顔をさせるなど、なんと酷い男か。domestic violenceではあるまいな」
「違う、違うんだよペローナちゃん」
サンジはおろおろしながら、ゾロに食って掛かろうとするペローナを押し留めた。
こんな風に声を出したり、即座に反応するサンジを見るのは久しぶりで、ゾロは食って掛かるペローナなど二の次でサンジを凝視してしまう。
やはり、ペローナの出現はありがたいハプニングだ。

「ああサンジ、可哀想に。身体を壊して、こんなにも痩せてしまったのか」
「そんなにひどいかな?自分ではわからないんだけど」
「鏡を見よ、元から痩せていたのにもはや骨と皮ではないか」
「ともかく、お前ら家の中に入れ。颯太が怯えている」
ゾロがまとめて玄関に押し込もうとしたら、ペローナは素早くゾロの脇の下を潜り抜け、足踏みしている風太の前にしゃがみこんだ。
「可愛いな、これはshibaというやつか?」
「雑種だ」
「この臆病なのは、Samoyedであろう」
「そっちも雑種だ、ともかく入れ」
ああもうめんどくせえ、とばかりに両手にペローナとサンジを抱え、ゾロは強引に玄関に入って引き戸を閉めた。



「小さな家だな。これがTatamiか」
ペローナは物珍しそうに家の中をあちこち見回っている。
その間に、サンジは敷きっぱなしだった布団を畳んだ。
さすがに、ペローナがいる手前臥せっているつもりはないらしい。
「寝ていなくていいのかサンジ。具合が悪いのだろう?」
「ペローナちゃんが来てくれたから、すっかり元気になったよ」
顔色は相変わらず蒼白いままで、それでもにっこりと笑って見せる。
久しぶりの兄妹の再会を放っておいて、ゾロはうどんを作っていた。
この勢いなら、サンジも食べられそうだ。

「本当に驚いたよ。来るって事前に知らせてくれたら準備したのに」
「突然来て、驚かせたかったのだ」
ペローナは悪びれずにそう言ってから、チロリと小さく舌を出して見せた。
「実は私も、唐突に決めたのでな。従兄のクマシーが仕事で日本に行くと言うから、無理を言って勝手について来た」
「従兄のって、お母さんのご兄弟のだね」
「そうだ。Daddyに兄弟はいないことは、お前も知っておろうに」
ゾロは聞き耳を立てながら、冷や冷やしていた。
今まさに、サンジにとって父親の話題は地雷だろうに。
だがこれも、ある意味逆療法になるかもしれない。

「学校は、まだ夏休みじゃないだろう?」
「ああ、だが物事にはタイミングというものがあるからな」
ペローナはしたり顔でそう言って、隣に座るサンジの手を取った。
「なんとなく、サンジに会いたいと思っておったのだ。実際にサンジのことを知ったのも、顔を合わせたのもDaddyのお葬式の時だけだったし、あの時はろくに話もできなかっただろう」
「そうだね」

ペローナは悲しみにくれ、棺に取り縋ってずっと泣いていた。
その時のサンジは悲しみも寂しさも憤りもなく、心が空っぽな状態でただ粛々と執り行われる葬儀を見守っていた。
ペローナと初めてちゃんと言葉を交わしたような気分になったのは、その後クリスマスカードを交わすようになってからだ。
「サンジがレストランを経営し始めたと連絡してくれて、いつでも遊びにおいでご馳走するよっ書いてくれていたから、私ははるばるやって来たと言うのに」
「ああ、そうだったね。本当にごめんねペローナちゃん」
サンジはしゅんとして、自分の手首を掴むペローナの手の甲を包み込んだ。
本当に申し訳ないと、がっくりと肩を落として項垂れる。
「そりゃあ、社交辞令って奴だろうが」
ゾロはうどんが入ったどんぶりを、ちゃぶ台の上に置く。
「シャコージレイ?」
聞き返したペローナは、くん、と鼻を鳴らして目を細めた。
「いい匂いだな。うどんか!」
「なんだ、お前も食うか?」
「当り前だろう。もう夕食の時間だぞ」
「さっき抹茶パフェ食ってただろうが」
「貴様、another holeを知らんのか」
ポンポンと言い合う二人をサンジはポカンとして見つめ、それから声を立てて笑った。
「なんだよ二人とも、いつの間に、ンな仲良くなってんだ?」
「仲良くなんかねーよ」
「仲良くなどない!」
息ぴったりにハモりながら言い返し、げっと口を歪めながら見つめ合う。
「仲良いじゃねーか」
痩せた肩を自分で抱いて、サンジはいかにもおかしそくクックと身体を揺らして笑った。
サンジの屈託のない笑顔を久しぶりに見て、ゾロは口には出さなかったが突然のペローナの出現に心から感謝した。





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