終夜  -4-


最初から感情の発露があったのは、よかったんじゃないかとゾロは思った。
不条理ともいえる怒りをゾロにぶつけ、土下座する勢いで泣き詫びた後、放心したように黙りこくる。
この繰り返しが、ずっと続いている。
サンジに八つ当たりされるのなんて可愛いものだし、自分の殻に閉じこもり感情を削ぎ落としてなにも話さず泣きも喚きもしないより、よほどいい。
だからゾロは、サンジの言動に根気よく付き合った。

繁忙期もそろそろ落ち着く頃だが、それでも仕事は休めない。
サンジが眠っている早朝から作業に取り掛かり、昼間はほとんど家にいて、事務仕事などはサンジが眠った夜にこなす。
サンジは、ワーカーホリック気味だったのが嘘のように、終始寝てばかりいた。
あれこれと考え込むには、気持ちがついて行かないのだろう。
無意識の自己防衛か、気が付けば眠っている。
眠っている時だけは、子どものように安らかな表情をしているので、ゾロも安心だ。
このまま、精神的に子どもに帰ってしまう可能性もあるかもしれない。
もう二度と、以前のサンジに戻れないのかと思うと寂しく悲しく切ないが、どうなっても受け入れる覚悟はあった。
万が一にも、このままずっと眠り続けたとしても。
ゾロは生涯、この安らかな寝顔を守るために生き続けて行けるだろう。

サンジの精神が安定するのがいつなのか、皆目見当は付かないが当面の対処として今週のレストランは休業することにした。
和々や駅に臨時休業の張り紙をし、サイトでも告知してそれとなく仲間にも呼び掛ける。
サンジの具合が悪いのかと心配されたが、風邪を引いたらしいと誤魔化した。
狭い村だ。
一日でも、サンジの姿を見かけないと誰彼ともなく心配して声を掛けてくれる。
お隣のおばちゃんは早速お裾分けを持ってきて縁側から声を掛けてきたが、ゾロは自分の身幅までしか雨戸を開けないで応対し、丁寧にお礼を言って受け取った。

感情の起伏が激しく、後はほぼ寝てばかりいるサンジを見ていて一番深刻だと思ったのが、食事をとらないことだった。
以前、ゼフがサンジを引き取るまでのひきこもり期間も、きっとこんなだったのだろう。
いくら悲しくとも辛くとも、ショックを受けたことがあっても、時が経てば自然と腹は減るものだとゾロは思っていた。
だが、サンジは違う。
食欲と言うものをまったく見せないで、食べ物にも無関心だ。
下手をすれば水分も採らないから、ゾロは時折気を付けてサンジに白湯や温かい茶を飲ませた。
ゾロが薦めれば、申し訳程度に唇を開き喉を潤す。
けれど食べ物を差し出すと唇を真一文字に引き結び、下を向くばかりだ。
食べることを、頑なに拒否してしまう。

初夏とは言え、ここ数日は夏のように気温が高い日が続いている。
あまりに食事をとらないようなら、せめて脱水症状にならないようチョッパーに連絡して点滴を打ってもらおうかと考え始めた頃だった。
「こんにちはー」
玄関から、可愛らしい声が届いた。
眠るサンジの傍で新聞を読んでいたゾロは、はっとして顔を上げた。
これは、ちょうどいいタイミングかもしれない。
「ドクター」
「突然ごめん、サンジの調子はどう?」
チョッパーはピンク色の帽子をちょこんとかぶり、白衣を羽織って玄関に立っていた。
大きな図体に似合わない可愛らしい声と、つぶらな瞳が親しみを増してくれる。
「誰かから、聞いたのか?」
「うん、サンジに弁当貰えなくてさ」
「あ!」
すっかり忘れていた。
そう言えばサンジは、和々のケーキだけでなくチョッパーも弁当も作って配達していたのだ。
「すまん、連絡すんの忘れてた」
「いやいいよ、いま往診の帰りなんだけど、ちょっと様子を見に来たんだ」
上がっても?と聞かれて、ゾロは遅まきながらどうぞと身体を引いた。

「どんなふうに具合悪いの?熱は?」
「熱はねえんだが・・・」
二人で話しながら廊下を歩き、サンジが眠る居間に通す。
横たわるサンジを見て、チョッパーは足を止めた。
表情を厳しくして、静かな動作で枕元に膝を着いた。
額に手を当て、頸動脈に触れる。
深く眠るサンジの瞼をじっと見つめてから、ゾロを振り仰いだ。
「いつから?」
「寝てるのは、3時頃からだ。ここんとこずっと、寝たり起きたりだな」
「原因に心当たりは?」
「ある」
ゾロは冷蔵庫から麦茶を出して、チョッパーの前に置いた。
「改めて相談に行こうと思ってたんだが、いま時間いいか?」
「ああ、ほんとはそのつもりで家に寄ったんだ」
チョッパーはそう言って、少しだけ表情を和らげた。



「詳しくは話せないが、幼少時のトラウマで精神的に不安定になることがある。今回、決定打みてえなことがあってものすごいショックを受けた」
「うん」
「俺に八つ当たりみてえに怒ったり、かと思うと泣いて謝ったり。それからどこ見てるかわかんねえ顔してぼーっとしての繰り返しだ。その合間にこうやって、寝てる」
「食事は?」
「まったく食ってねえ」
説明しながら、どんどん眉間の皺を深くしていくチョッパーを窺った。
なんでもっと早く医者に見せないんだと怒られるかと思ったのに、思いのほかチョッパーは冷静で落ち着いている。
「さすがに、飯を食わねえのはまずいだろ。そろそろ点滴でも頼もうかと思ってたところだ」
「うん、それでゾロは?」
「あ?」
「ゾロは、どうしてたの」
自分のことを聞かれるとは思っておらず、ゾロは面食らいながらも訥々と説明する。

「俺は、仕事が休めねえからなるべくこいつが寝てる間に作業に出てる。だが、やっぱ心配でな。仲間には無理言って早めに上がらせてもらって、作業分担も考えて貰った。とは言え、この状態がいつまで続くかわからんから、いつまでも融通利かせて貰う訳にいかねえんだが」
「それで、ほとんどサンジにつきっきりで?」
「ああ」
チョッパーはしばらく黙って考えてから、うんと一人頷いて顔を上げた。
「心の問題で原因がわかってるというなら、ちゃんとカウンセリングを受けた方がいい」
言葉は柔らかいが、キッパリとした口調で言う。
「もう第一線から退いた人だけど、俺がこの世で一番尊敬している医師を紹介するよ」
「精神科とかの専門なのか?」
「専門は外科だけど、なんでもござれの女医さんさ」
――――女医か、それはいいかもしれねえ。
思案気に黙ったゾロに、もう一押しとばかりに言い添える。
「口が悪くて乱暴だけど、とても優しくて面倒見のいい人だよ」
「そうか、まるでこいつみてえだな」
ゾロは、紙のように白い顔で眠るサンジに顎をしゃくった。
チョッパーはそうだねと頷いてから、気遣わしげな目をゾロに向ける。
「そう言ってくれてホッとしたよ。俺は、ゾロの方が心配だ」
「…俺が?」
なんのことだと訝しむゾロに、チョッパーはゆるく頭を振って見せた。
「ゾロ。もしかしたらゾロはこの事態を想定してて、だから冷静に対処してるのかもしれないけど。ちょっと、やっぱ異常だよ」
「そうだろうな」
こんな風に、大の男が眠り込むなんて異常事態だ。
「サンジじゃなくて、ゾロが」
「俺が?」
驚いて目を瞠るのに、チョッパーは真剣な顔で頷く。

「ゾロ、サンジを中心に生活してて、なにもかも抱え込むつもりでいるだろ」
「ああ」
そんなの、当たり前だ。
「俺がついててやらなきゃって、すごく献身的で自分のことなんて二の次で、サンジもそんなゾロに依存しちゃってる」
「―――――・・・」
それは、そうかもしれない。
たが、いまはそれも仕方ないとも思う。
「もちろん、俺もこのままでいいとは思っちゃいねえ。おいおい、あんたに相談するか医者に掛かるべきだとは考えていた」
「うん、そうだろうね」
ゾロの言い分を素直に肯定して、チョッパーは麦茶で喉を潤した。
「こうして俺にちゃんとサンジを見せてくれたし、俺の提案も受け入れてくれてる。だから大丈夫だとは思うけど、二人の結びつきが強ければ強いほど共依存になっちゃう心配はあったんだ」
「共依存?」
「ゾロはサンジのために甲斐甲斐しく奉仕して、サンジはそんなゾロに甘えて自分のためだけに生きなくなる。そうしてお互いがお互いに依存しちゃうんだ。もちろん、二人ともそもそも共依存になるようなタイプじゃないと思うんだけど、誰だって場合によっては陥る可能性があるものだからね」
チョッパーの言葉に、ゾロはうっすらと背筋が寒くなった。
心当たりがない、とは言い切れない。
サンジが精神的にショックを受けて尋常でない状態になったことを、もしかして心のどこかで歓迎してはいなかったか。
これでサンジは自分だけのものだと。
自分がいなければサンジはこの先生きていけないと、ちらっとでもそんな考えが頭を掠めはしなかったか。
そしてこの状態が心地よいと、一瞬でも思ったりしなかったか。

蒼褪めて黙ったゾロに、チョッパーはにかっと屈託のない笑顔を見せた。
「大丈夫だよ、ゾロ。さっきも言ったけど、ゾロは俺の訪問を歓迎してくれて、俺の提案を受け入れてくれた。二人は決して共依存状態にはない。少なくともゾロは、本当にサンジのことだけを考えて行動している。決して、自分勝手な行為じゃないよ」
「・・・そうか」
「そうだよ、俺が太鼓判を押す。おかしなことを言ってごめんね」
それから、視線を横に下げた。
「サンジも、そう思うだろ?」
「――――え?」
驚いて視線を向けると、いつのまにかサンジは目を開けていた。
相変わらず蒼白な顔で、けれど瞳はしっかりとチョッパーを見返している。
「・・・うん」
「ゾロは、サンジのことをとても心配しているよ。そして俺も、みんなも」
「うん」
頷く動きはない。
けれど、声だけは響いた。
「だからサンジ、俺の先生に会ってくれるかな?」

サンジはゆるゆると片手を動かし、肘を着いて身体を起こした。
手助けをしようとして、ゾロは動きを止める。
サンジは身体を壊している訳じゃない。
介助してやらねばならないことは、なにもないのだ。

「よろしく、お願いします」
サンジはそう言って、チョッパーの前に手を着いて頭を下げた。




とにかく、今日から少しずつでも食事をとる努力から始めると約束をして、チョッパーは帰って行った。
それでもだめなら点滴だ。
ドクターが付いていてくれると思うと、ゾロも心強い。
サンジは相変わらず黙ったままぼうっとしているが、それでも少しは思うところがあったらしい。
なんとなく、雰囲気が違う。

これで、停滞していたものが少しずつ好転するだろうか。
ともすれば二人だけの檻に入りそうだったところを、危うく助けられた形だ。
「飯、うどん作るぞ」
「・・・うん」
一本でも二本でも、なにか口に入ればいい。
そう思って立ち上がったら、懐で携帯が鳴った。
緑風舎からだ。
「はい」
『たしぎです、いまいいかしら?』
「ああ、ずっと休ませてもらってすまねえ」
話しながら、台所に入る。
『いいのよ、サンジさんの具合はどう?』
「まあまあだ」
『実は、サンジ君にお客様が見えてるの』
「あ?」

驚いて、携帯を持ったまま振り返った。
サンジは、何ごとかと言う風にこっちを見ている。
「誰だ」
『それが、お客さん?なのかしら。レテルニテにお食事しに来たのにお休みだったからってあちこち聞きまわったみたいで。連絡先がサンジさんの携帯でしょ、そうしたら連絡付かないってホームページ見て、こっちの事務所に掛かってきたの』
「お客さんってか?」
確かにレテルニテは今週臨時休業してしまったが、一応周知はできていたはずだ。
常連さんには事前に連絡したし、一見さんには諦めて貰おう。
『それで、今から事務所に来るっていうの』
「わかった、俺がそっち言って対応する。一体どういう客なんだ、男か女か」
ゾロの問いに、たしぎは躊躇ってから口を開いた。
『それが・・・10歳の女の子みたい』
「――――はあ?!」





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