終夜  -2-


ゾロの家に親しく立ち寄るようになってから、サンジが羨ましいなと思うのは仏壇だった。
ロロノア家にはそれはもうたくさんのご先祖様たちがいるし、それは座敷に飾られた写真の数だけでも一目瞭然なのだけれど、とにかく仏壇に手を合わせて挨拶するという行為がなぜか他人のはずのサンジでも心休まるのだ。
法要をすることで死者を慰め語らい、偲ぶ。
リンを鳴らして手を合わせ、その日起きた出来事を心の中で報告するのが、おかあさんの日課だとも聞いたことがある。
もしうちにも仏壇があったなら、サンジだってもしかしたら亡き母のことをもっと近しく感じることができたかもしれない。

母の事件を担当してくれてたヤマさんは、捜査本部が縮小された今も命日の前後に顔を出してくれていた。
仏壇にお参りする代わりに、ゼフの煎れたコーヒーと茶菓子を摘まんで世間話をして帰る。
こんな風に気にかけてくれているだけで、ありがたいことだとゼフは言っていた。
そのヤマさんが、命日でもないのにわざわざ足を運んでくれたということは、なにかあったのだ。

「ヤマさん、なんの話だったんだ?」
そう尋ねると、ゼフは一瞬逡巡するように口を閉じた。
まっすぐに見つめるサンジの目を見返して、表情を和らげる。
「確証がないことだからお前に話そうかどうか迷ったが、お前ももうガキじゃねえからな」
「当たり前だろ、俺をいくつだと思ってんだ。もう三十路だぞ」
口を尖らせて言い返す様は、子どもの頃とまったく変わらない。
ゼフは目を細め、冷めたコーヒーをコクリと飲んだ。

「なんでも、他の事件で服役中の男が別の犯行をほのめかしたらしい」
サンジは、無意識に拳をぎゅっと握った。
「それって・・・」
「ヤマさんがそれを聞きつけたのは偶然だったそうだ。その男と同じ房にいた元服役囚が、社会復帰の挨拶に来た時に世間話で口にしたらしい。もしやと思って確認に行ったが、男は病を患っていて入院中だった」
「囚人なのに、病院に?」
「結局、直接対面できず供述を取れないまま、男は病院で死んだそうだ」
「――――・・・」
サンジはなんと言っていいかわからず、口を半開きにしたまま固まった。
「本人から事情聴取はできなかったが、ヤマさんはその男の足取りを調べ直した。その男の罪状は強盗殺人。逮捕されたのは10年前だ。それ以前にも住処を転々としていて、余罪が複数ある。25年前は、お前たちの家の近くに住んでいた」
ゼフの目が気遣わし気にサンジを見つめる。
サンジはと言えば、呆けたような表情で固まったままだ。
「証拠がないから、その男の名前も写真も知らせることはできないと、ヤマさんは言っていた。俺も、それはそうだろうと思う」
結果的に、謎は謎のままなのだ。
その男が犯人なのか、それとも違うのか。
なんの確証もないのに、それでもヤマさんはゼフに報告に来た。

「だが、服役中に他の囚人達に語った話の裏は取れている。証言者は複数いる。恐らく、ほぼ本ボシで間違いないだろうと言っていた。これはあくまでヤマさんの勘だ。証拠はない、裏付けも取れてない」
それでも、おそらくは犯人だろうとヤマさんは思った。
「どちらにしろ、すでに時効は過ぎている。民事で訴えようにも、犯人はあの世に行っちまった。もはやどうしようもねえ。どうしようもねえ話だが、それでもヤマさんは報告に来てくれた」
その気持ちを汲んじゃあくれねえか、とゼフは言った。
「お前の母親を殺した犯人は、塀の中でおっ死んだ。それを、認めてやれねえか」

サンジは、ぱちりと瞬きをした。
それから徐々に首を動かし、ぎこちない動きで俯く。
頷いて見えて、ゼフもうむと顎を引いた。
「それをお前に、知らせなければと思った。お前を呼び付けたのは、このことだ」
「――――・・・」
サンジからの応えはない。
俯くと、長い前髪が目元を隠してしまって表情は窺えなかった。
だが、それも無理はあるまいと、ゼフは思う。

幼い頃に、目の前で母を亡くしたのだ。
恐らくは犯人の姿も見ているだろうが、しっかりと覚えてはいない。
覚えていない方が幸いだったと思う。
このまま事件は迷宮入りかと一度は諦めたが、ヤマさんのお蔭で犯人の目星だけは付いた。
娘を殺した男が今ものうのうとどこかで暮らしているのかと、腸が煮えくり返るような思いをすることはもうない。
ゼフにとっては、一つの区切りがついた。
サンジもきっと、そうだろう。

俯いたまま動かないサンジの旋毛をしばし見つめてから、ゼフはふっと息を吐いて腕組みを解いた。
「今日は、泊まってくか?」
何気なしに聞いたが、サンジからの返事はない。
微動だにせず、じっとうつむいている。
さすがに様子がおかしいと、ゼフはテーブルに肘を着いて身を乗り出した。
「おい、チビなす」
「――――・・・」
「しゃきっとしねえか!」
手を伸ばし、軽く肩を叩いた。
振動で、サンジの身体が揺れる。
そこで初めて、サンジはオズオズと顔を上げ始めた。

「・・・帰る」
「あ?」
小さな声に眉を顰めて首を下げると、サンジは中途半端に顔を上げ呻くように言った。
「帰る」
「ああ、そうか」
今夜は泊まらないと、そう言ったと解釈したのにサンジはいきなり立ち上がった。

「帰る」
「あ?今か?」
驚くゼフを尻目に、サンジは鞄を一つ抱えそのままキッチンを飛び出した。
「おい!」
「帰る」
馬鹿みたいに「帰る」の言葉だけを繰り返して、サンジは振り返ることなく家を出てしまった。

「なんなんだ」
ゼフも後を追いかけようとしたが、追いつけるはずもない。
玄関のドアをふたたび開けたら、サンジの姿はどこにもなかった。





ゾロが午前中の作業を終え、事務所に帰ったのは12時過ぎだった。
これから2時までは一休みだ。
涼しい場所に置いてあった弁当を広げ、ついでに携帯をチェックする。
ゼフから着信があって、驚いた。
サンジは携帯を忘れでも、したのだろうか。
わいわいと会話する仲間達から距離を取り、折り返し電話する。
3回のコールの後、相手が出た。
「もしもし」
『仕事中すまねえな、今いいか?』
「はい、休憩中です」
ゾロが携帯を耳に当て、畏まって返事している様をヘルメッポが珍しげに眺めている。
たしぎはそっと口元に人差し指を当てて、皆を静かにさせた。

『チビなすがそっち帰った』
「は?」
ゼフの言葉が、よく理解できなかった。
確か、家を出たのは今朝・・・ほんの数時間前のことだ。
『あれの母親のことで、担当刑事から得た情報をアイツに話したら、帰るっつっていきなり帰りやがった』
「ちょっと、待ってください」
ゾロは携帯を耳に当てたまま、事務所を出て農機具倉庫へと場所を移動した。
むっとした空気に包まれるが、静けさは段違いだ。

電話越しなのはもどかしかったが、ゼフから大体のあらましを聞いた。
母親を殺した犯人らしき男の目処がついたこと。
その男はすでに死亡していること。
『解決とは言えねえが、俺としては一区切りついたと感じた。あいつもそうかと思ったんだが・・・』
それにしては様子がおかしいと、ゼフの声には戸惑いが滲んでいる。
ゾロは携帯を握ったまま、大きく頷いた。
気が付けば掌に、じっとりと汗を掻いている。
「わかりました。多分まっすぐこっちに帰ってくると思います。気を付けて、できれば迎えに行きます」
『そうしてくれるか。だが、何時に帰るかわからんぞ、寄り道するかもしれん』
「その辺も考えて、探してみます。連絡していただいて、ありがとうございます」
そう言って切ろうとしたら、ゼフの咳払いが聞こえた。
ふたたび携帯を耳に当てる。
『ガキでもあるまいに、くだらねえことを頼んですまん』
「いいえ」
汗で滑る手で、携帯を持ち替えた。
「本当に、連絡してくれてありがとうございます。あいつのことは、任せてください」

今度こそ通話を切り、ゾロはポケットに携帯をしまった。
一旦事務所に顔を出し、食べかけた弁当を包み直して手に提げた。
「悪いが野暮用ができた。今日はこのまま、帰ってもいいか?」
「えー、戦線離脱かよ」
「急用なんですね、大丈夫です」
真逆の反応を示すヘルメッポとコビーの後ろで、スモーカーが了解とばかりに片手を挙げている。
「すまねえ、この埋め合わせは必ずする」
ゾロはそう言うと、戸口から出かけて足を止めた。
壁に貼られたシモツキ線の時刻表を、じっと眺める。
この時間帯に丁度1本、電車が着く。
実家からトンボ帰りしたなら、多分この電車だろう。
それに乗っていなければ、次は2時間後だ。



定刻通り滑り込んだ電車を、ゾロは目を凝らし眺めた。
降り立つ客は、決して多くはない。
車両も一両だけだ。
すぐに見慣れた金髪を見つけ、安堵して息を吐いた。
上体を揺らさずゆっくりと歩くサンジの姿は、まるで幽鬼のように生気がなくどこか危うい。
顔色は悪く、目もどこか虚ろだ。
顔見知りの乗客がチラチラと見ているのにその視線にも気付かないで、ただ前だけ見て機械的に足を運んでいる。
後ろからついてきた乗客の方が、先にゾロに気付いた。
「ああ、ゾロさん。サンちゃん、なんかおかしいよ」
その声にハッとしたように、サンジが視線を上げた。
正面に立つゾロを見て、俄かに顔を強張らせる。
「こんにちは」
気遣わし気な乗客に笑顔で会釈だけ返し、ゾロはサンジの腕を掴んだ。
と思ったら、すぐに振り払われ素早い動きで踵を返す。

「――――っ!」
今出た改札を再び通り抜けようとして、寸でのところでゾロが抑えた。
大の男二人の機敏な動きに、乗客と三セクの駅員が目を丸くしている。
ゾロはサンジを抑えつけたまま、笑顔で頭を下げた。
「いやすんません、お騒がせしました」
そう言いながら、サンジを引きずるようにして駐車場まで運び軽トラの助手席に押し込んだ。
サンジの身体に覆い被さるようにしてシートベルトをしっかり嵌め、エンジンをかけ発進する。

駅前のロータリーを抜けて踏切を渡り、田圃道を走りながらゾロはようやく口を開いた。
「おかえり」
サンジからの、返事はなかった。




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