終夜  -1-


好天続きのゴールデンウィークを終え、どこかまったりとした空気が漂う。
田植え作業はまだこれからで、ゾロは今日も日の出とともに仕事に出て、日の入りと一緒に真っ黒になって帰って来た。
先に風太と颯太の散歩を済ませておいたサンジは、汗みどろのゾロを風呂場に入れ鼻歌交じりで夕食の支度を続ける。
途中、振り向いた目の端でピカピカ光る携帯に気付いた。
作業をしていて、鳴っていたことに気付かなかったようだ。

「珍しい、ジジイだ」
独り言を言って、掛け直した。
ディナーの準備で忙しい時間帯かとも思ったが、コール2回で携帯に出る。
『チビなすか』
『チビなす言うな、なにか用?』
『用があるから掛けてんだ』
相変わらず口が減らねえなあと苦笑しつつ、その場に腰を下ろして胡坐を掻く。
『てめえに話がある。近いうちにこっち来れねえか』
『ん、いいけど。近い方がいい?』
『ああ』
『じゃあ明日、バラティエ定休日だよな』
『そうだ』
『じゃ、明日』
『おう』
短い会話で通話は切れた。
相変わらず愛想もクソもねえなあと、お互い様なことを考えながら携帯を置く。
それにしても、話ってのはなんだろう。
大概のことなら電話で用が済むだろうに、わざわざサンジを呼び付けるなんてただことではない。
しかも、多分サンジだけなのだ。
ゾロも一緒にとは言い出さなかったし、サンジも提案しなかった。
「―――まあ、ゾロは仕事忙しいからな」
サンジはひとりごちて、再びキッチンに向かった。




「急だけど明日、実家帰ってくる」
夕飯の席でそう切り出すと、ゾロは美味そうにビールを飲み干してから、ぷはっと息を吐いた。
「おう、一人でか?」
「うん、なんかジジイが、用があるから来いって。お前、仕事忙しいだろ」
「まあな、ずっと予定が入ってる」
ゾロはカツオのたたきを口に運んで、幸せそうに表情を緩めた。
新しい缶を開けて、喉を鳴らしながら飲む。
「話があるってことだから、俺だけ行けばいいみたいだ」
「泊まりになるか?」
「わかんね、話にもよるかも」
泊まってくるつもりはなかったが、そう言われるとその可能性もあるかもしれないと思い始めた。
ジジイから詳しい説明を受けず、いきなり呼び付けられたのは初めてのことだ。
「せっかくだからゆっくりして来い。帰るか泊まるか、わかったら連絡くれ」
「うん、そうする」
ゾロを一人置いてサンジだけがよそに出かけるなんて、滅多にないことだ。
一人なら一人で、夕食は駅裏の赤ちょうちんで済ませたりするのだろう。
たまにはそういう日があっても、いいかもしれない。
サンジの留守中に羽を伸ばすゾロとか、想像してみて笑みが零れた。

「なんだ」
「んーなんでもねえ」
サンジはにやんと笑うと、缶ビールを口元に当てた。





「じゃ、風太と颯太の散歩よろしくな」
「おう、じいさんによろしく」
ちょっとそこまで、と言った風に身軽な格好でサンジは駅の改札を抜けた。
和々には明日も留守するかも、とは事前に言ってある。
喫茶は、もうたしぎやお梅ちゃん達に任せておけば大丈夫だ。
そろそろ暑い日が続いていて、夏物のさっぱりひんやりメニューが売れている。

昼間の時間帯は一両しかない車両に乗り込み、端っこの席に座った。
思えば、一人でこの電車に乗ること自体初めてかと思い至る。
どこに行くのでも、いつでもゾロと一緒だった。
遠出なら軽トラか、スモーカーに借りた車で。
それか、二人で並んで電車に揺られ近隣の駅めぐりで食べ歩き。
サンジの想い出はいつも、ゾロと共にある。
―――別に、いつもピッタリ一緒って拘ってるつもりもねえけど。
地域の人には、一括りにされている自覚はある。
パートナーであることは知らぬ内に浸透していたようで、夫婦とはまた違う捉え方でセット扱いされていた。
ありがたいと思いこそすれ、不服などない。
けど、たまには一人の行動もまあいいものだ。
すぐに寂しくなるだろうけど。



電車を乗り継いで2時間半。
充分日帰りできる距離で、懐かしい実家に着いた。

「ただいま」
玄関を開けると、懐かしい匂いがした。
家々には特有の匂いが染み付いている。
普段意識などしていないが、シモツキの家にもやっぱり特有の匂いがあるのかもしれない。
どっちかってえとあっちは、犬臭いかも。
「おう、おかえり」
コツコツと足音を立てながら、ゼフが顔を出した。
久しぶりに見ると、少し老けたような気がする。
元から色の薄い髪は白さを増して、厳めしい顔の皺は深い。
「変わりない?」
「ああ」
短く会話し、台所に入った。
キッチンは居間と兼用していて、ゼフは昼食の準備をしてくれていたようだ。
「腹具合はどうだ」
「減ってる」
キッチンをちらっと見てメニューを判断し、食器棚から食器を出す。
ゼフと並んで自宅のキッチンに立つなんて、本当に久しぶりだ。
なんだか懐かしさに、胸が締め付けられた。


なにも打ち合わせずとも阿吽の呼吸で食卓を整え、テーブルに着いた。
手を合わせ「いただきます」と唱えてから箸を持つ。
なにか話があるからサンジを呼び付けたのだろうに、ゼフから切り出さない。
もとよりせっかちな性分のゼフがこのように勿体付けるのは、何か理由があるからだろうか。
そう推し量れる程度に、サンジも落ち着いたし大人になった。
「最近、どうだ」
「ん、相変わらずだよ。こないだのゴールデンウィークは天気のいい日が多かったから、お客さんも多かった」
「あんな辺鄙な場所に来るなんざ、もの好きが多いんだな」
「お陰様で。うちは物好きなお客さんで持ってるから」
言いながら、確かにそうだよなと自分でも思う。
基本的に、車でしか立ち寄れない立地だ。
電車を使えば、駅からタクシーかレンタサイクル利用になる。
団体客なら送迎はあるが、単体客にまで対応できていない。
それでも、なんとかしてレテルニテまでたどり着いてくれるお客さん達は、本当に貴重だ。

「バラティエの方はどう?」
「相変わらずだ。ああ、パティんとこに3人目が生まれた」
「マジで?ちゃんと奥さん似だろうな」
「残念ながら、またパティに瓜二つだとよ」
「ああ〜〜〜人類の損失だ。なんで奥さんに似ないんだよう」
人んちの家庭事情を嘆きながら、食事を終えて一息吐く。
ゼフが食後のコーヒーを煎れている間に、煙草を咥えて一服した。
毎回喫煙を嗜められるが、今のところサンジは禁煙するつもりはない。

「まだ、んなもん吸ってやがんのか」
「ん、シモツキは空気がいいから格別に美味ぇぜ」
「馬鹿野郎、舌まで馬鹿になったらどうする」
「までってなんだ、までって」
くだらないことを言い合っていると、サンジの前に小さな焼き菓子が置かれた。
薫り高いコーヒーに目を細め、灰皿に吸殻を揉み消す。
「・・・んで、話って?」
痺れを切らしてサンジから切り出すと、ゼフは渋い顔をした。
眉間の皺をそのままにコーヒーを啜ってから、静かにカップを置く。


「昨日な、ヤマさんが来た」
「ヤマさん・・・」
心当たりがなく、僅かに首を傾ける。
効いたことがあるようなないような―――
「空島署の、ヤマ刑事だ」
「あ!」
思い出した。
母の事件を担当してくれていた刑事だ。
折に触れゼフを訪ねてきて、経過報告をしてくれていた。
「懐かしいな。ヤマさん、元気だった?」
「ああ。そろそろ定年だっつってたが、とてもそうは見えなかった」
「気が若いんだろうね。ずっと現場一本で出世道から外れたって、冗談で言ってたけど」
ヤマさんが来たということは、母の事件になにか進展があったのだろうか。
そこに思い当たって、サンジの胸がドクンと鳴った。



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