夜明け前 3

ゾロは俺を担いだまま、別の宿に入っていった。
カウンター越しに受付を済ませる。
俺は指の先まで力を抜いて、死んだ振りを決め込んだ。
宿の主人は最初ギョッとしたようだったが、事務的に手早く手続きを済ませた。
さすがプロだね。
いろんな客が来るんだろうなあ。
階段を登るゾロの歩幅にあわせてゆらゆらと揺れながら、ぼんやりと考えた。



部屋に入りドアを閉めると、俺を乱暴にベッドの上に放り投げる。
こうなりゃもうヤケだ。
このまま死んだ振りを続けよう。
投げ出された体勢のまま動かない俺を仰向けにひっくり返し、ネクタイに手をかける。
何かちまちまとやっていると思ったら、いきなりブチっと音がした。
さすがにびっくりして目を開けると、眼前には無残にも引きちぎられたネクタイが揺れている。
そのままシャツに手をかけたので、俺は必死でその手首を掴んだ。
「何しやがる、この馬鹿力!」
これ以上破られたらたまらない。
「自分で脱ぐ!さわんなクソ腹巻!」
ゾロの手を振り払って両手でボタンを外し始めた。
慌てているせいか、うまくいかない。
なにやってんだろう、・・・俺。
下を向いて服を脱ぐのに手間取っている俺の髪を掴んで、ゾロが無理やり顔を向かせた。
「とっとと脱いで、その胸糞悪い匂い、落として来い」
ドスがきいている。
いつもより数段低い、めちゃくちゃ機嫌の悪い声。
―――怒ってんなあ、こいつ。
もともと直情型に加えて、またしても刺激の強いもん、見せちまったかな。
よくよくタイミングの悪い奴だ。
俺は、悪くねえ。







バスルームに入り、服を脱ぎ捨てた。
手早く身体を洗う。
ああ、マジで何やってんだろう・・・俺。
流れ行く泡と一緒にお姉さんの残り香も消えていく。
風呂上りの俺は、何の匂いもしねえ、まっさらの綺麗な身体だ。
ゾロはそんなのが、いいんだろう。
顔にシャワーの湯を浴びながら、ぱちぱちと瞬きをする。

やっぱだめだ。
俺はだめだ。
奴に抱かれるのはだめだ。
湯が目にしみる。
俺は両手で顔を覆い、しばらく動けなかった。










風呂から上がってシャツとズボンだけ身につける。
お姉さんの残り香が残っている服。
風呂入ったって同じじゃねえか。
けど、タオル1枚巻いて出て、さあどうぞって訳にもいかねえだろ。

物音を立てずに恐る恐るドアを開ける。
ゾロはこっちに背中を向けてベッドに座っていた。
俺が上がってきたのは気配でわかっているだろうに、ぴくりとも動かない。
お・ま・た・せーとでも言って、近づくとでも思ってんのか。
俺は身を隠したまましばらく逡巡した。
風呂の窓は狭くて出られねえ。
後ろ向いてる隙にコリエシュートを決めるか。
いっそそこの電気スタンドで殴り倒すか。
奴の動きは素早いから、隙が必要だな。
最初は色仕掛けで油断させて、決めるか。

シャワーの音が止んで、ずいぶん経つのに奴は振り向かない。
寝てんのか。
むきむき筋肉のついたでかい背中が、なんでか小さく見える。
いや、小さいってーか、哀愁漂ってるっていうかー・・・
結局俺は、その背中に引き寄せられるように近づいていった。
やっぱ、色仕掛けで行くか。

寝ているのかと、横から覗き込もうとして、いきなり首根っこを掴まれた。
そのまま抱え込まれて口付けられる。
予想もできない乱暴さに、思わず抵抗するが、身動きすら取れない。
足だけがバタバタと空を蹴った。
散々人の口ん中を舐めまわして、首筋に顔をうずめる。
俺が首を竦めるといきなりがばっと顔を上げた。
「ちゃんと洗ったのかてめえ、臭せえじゃねえか。」
「服についてんだよ。しかたねえだろ!」
「なんで服なんざ着るんだてめえ!」
「嫌ならするな、あほ!」
しまった、喧嘩してどうするよ、俺。
色仕掛けだろうが。

やけっぱちでがんがん噛み付いてくるゾロに気づかれないように、俺はズボンのポケットに
手を忍ばせる。
さっきお姉さんの部屋から拝借してきた果物ナイフ。
刃渡り短けえから、肺にまで達しないだろう。
もしかすっとダメージも与えねえかもしれねえ。
どうすっかな。
首にすっか。
こいつでも頚動脈切ったら、死ぬのかな。
―――ひゃっ!
いきなり耳たぶに噛み付かれた。
うーん、しっかり集中しろ、集中。
俺は狙いを定める。
とりあえず、急所は外して―――
ゾロの背中越しに刃を向けた俺の右肩に、突如激痛が走った。


がこん!

・・・いっで――――――!!
なんか鳴った、鳴ったぞ、おい!

のたうつ俺の上で、ゾロはふんと鼻を鳴らす。
「・・・てめえ、なんてことしやがる!」
「てめえこそ何てことしやがる、これはなんだ」
ゾロの手には、さっき俺が衝撃で落としたナイフが握られている。
「―――てめえ、肩を・・・」
「一瞬外しただけだ。もうはまってる。」
畜生、それにしちゃまだ痛てえじゃねえか。
なんてひどい野郎だ。

「こんなもんまで用意するたあ、よっぽど俺が嫌いらしいな。」
刃をくにゃりと曲げて、荒々しくナイフを投げ捨てる。
壁に当たって跳ね返った光が、目の端に青白く移った。
俺はのろのろと体を起こし、深く息をつく。
冷や汗をかいているのは、ようやく引いた肩の痛みのせいか。
「今ごろ気づいたか、俺は前からてめえが大嫌いだったんだ。顔見りゃむかつくし、声かけられりゃ
 虫酸が走る。同じ空気吸ってっかと思うと吐き気がすらあ。」
思いつく限りの罵詈雑言を浴びせる。
「てめえに触られただけで、鳥肌が立ってんだ。舌噛んで死にてえくれえだが、そんなことクソ
 忌々しくてできやしねえ、てめえが死ねってんだ、クソあほ!」
攻撃は最大の防御だ。
俺の迫力に気圧されてか、ゾロは一言も返さない。
眉をぴくりとも動かさず、能面のような顔をして、表情は読み取れねえ。
―――――傷ついたか、このアホ。
俺の胸はずきずき痛む。
こう見えてこいつは結構ナイーブだ。
俺も相当アホだが、アホにアホといわれりゃ、傷つきもするさ。
「―――そんなに俺のこと、嫌いだったか。」
ようやくゾロから発せられたのは乾いた、硬い声。
「さっきから言ってっだろうが、てめえにこまされるくらいなら、死んだほうがましだ。」
「・・・そうか」
ゾロの目が据わる。
「なら――――思いっきり犯しても、構わねえな。」
――――へ?

ゾロの双眸に、凶暴な光が宿った。

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