やさしい手を持ってる 9

「うええ〜ん、ラアナちゃあん・・・うええ〜」

波をかき分けて洋々と進む船の上で、サンジはまだメランコリックに泣いている。
甲板で寛ぐクルー達はやれやれと肩を竦めた。

「あ〜勿体ねえ、あんなに可愛い子だったのに、なんでチュウの一つもできなかったんだ、俺の馬鹿!」
「なんだよ、あんなにべったり一緒にいて、ラブコック形無しだなあ。」
「うっせえ長っ鼻!ああ畜生〜」
がしがし頭を掻いて、また鼻をすする。
「なんでか全然そっちの気になんなかったんだよ。あ〜今ならあーんなこともこーんなこともできたのに、ああ畜生!
 あんな可愛い子が俺の胸に飛び込んで、目閉じてたんだぜ。畜生―!!なんでオデコにちゅーなんだよ、俺の馬鹿!」
「あたし達から見てても、サンジ君そんなに変わった風でもなかったわねえ、ロビン。」
「ええ、すっかりあの子とラブラブなんだと思ってたわ。」
「ああ、違うんですよおナミさんロビンちゃんv勿論ぼかぁあなた達一筋で・・・」
「二人相手に一筋もねえだろ。」
ゾロの冷静な突っ込みに、くわっと歯を剥いて威嚇する。

「ああ、そう言やあてめえの後ろにずっと黒髪の女がくっついてたな。」
そう言やあってなんだよ。
その場に居た全員が心中で突っ込んだが、言葉には出さなかった。
「黒髪って、レティシアちゃんだろ。」
「いんや、もうちょい年食ってた。顔立ちはラアナに似てたぞ。」
「それって、お母さんじゃないのか。」
「そっかー。」
チョッパーがぽんと手を叩いた。
「サンジがラアナを可愛い可愛いって言ってたの、お母さんじゃないのかな。」
一瞬間を置いて、全員がその場で笑い転げた。

「そうか、母性愛なのねサンジ君!。」
「は、腹が痛い・・・サンジの母性愛、そうか親の愛でラアナを包んでたんだ!」
「そりゃあ見捨てられねえ筈だよなあ。」
サンジは顔を真っ赤にして口をパクパクさせたが、うまい反論は出ないようだ。
ウソップは笑いながらサンジの肩をバンバン叩く。
「長っ鼻、俺に触るなってんだ。いっぱい聞こえて鬱陶しいぞてめえ!」



今回の幽霊騒ぎの弊害はもう一つあった。
何故かサンジに接触した部分から相手の感情が流れ込んでくるのだ。
「なんだ、なんかわかったか俺のこと。」
「お前は今、俺を思いっきりバカにしてた。」
「そりゃわかるだろ普通。」
ビヨンと伸びて、ルフィが抱きつく。
「サンジ、俺はわかるか。」
「てめえ腹減ったって言ってるぜ。」
「それなら俺もわかるって!」
笑いの発作がおさまらなくて、皆甲板に突っ伏して震えている。

「ああ、ほんとに珍しいものを見せてくれた島だったわ。」
「そうね。慌てふためく剣士さんとか。」
ロビンの言葉に、今度はゾロとサンジを除く全員が腹を抱えて引っくり返った。
「なんだよ、それ。」
「いんやー、アレは見事だったぜ。上を見上げてオロオロしてよ。サンジーって叫ぶんだもんよ。」
「うっせえ!」
きらりと閃光が走って、ゾロが真剣を抜いた。
「わーゾロ、止めろ、ストップ!」
「いいぞーゾロ!やれ!」
「わー馬鹿、止めろゾロ!!」
青い空に悲鳴と歓声がこだまする。







とりあえず、サンジは接触禁止令を出した。
触れられる度に腹が減っただのゾロが怖いだの訳のわからない情報がなだれ込むのは鬱陶しい。
特にレディは謎のままの方が良いから、極力近づかないようにしている。

「いつまでそのままなんだ。」
「わかんねえけど、もうそろそろ消えると思う。なんか最近声が遠いし。」
「なんだ、誰か触って確かめてんのか。」
「うん・・・まあ定期的にな。」
ごにょごにょと言葉を濁して、サンジは煙草を吹かしながら見張り台へと登った。
今夜の不寝番のゾロがちゃんと起きているか、差し入れついでに確認するつもりだ。

ゾロはマストに凭れて、降るような星空を眺めていた。
サンジの姿に目を細める。
あからさまに柔らかくなる表情に、サンジの方が照れて仏頂面になった。
「ほい夜食だ。ありがたく食え。」
差し出された皿ごとサンジを引き寄せて、膝に座らせた。
サンジの腰に手を廻して抱えるようにして、空いた手で肴を摘む。
いいように扱われているように見えるが、サンジは抵抗もしない。
それより触れ合った部分から流れ込んでくるゾロの感情を少しでも多く読み取りたくて、息を潜めて身を委ねた。

「やっぱだいぶ遠くなっててきたなあ。」
あの時、ゾロに抱えられて病院を抜け出したとき、一気にゾロの気持ちが流れ込んできた。
それはあまりに単純でストレートで、サンジの胸に直接ガツンと響いてしまって。
以来、サンジはゾロに腹を立てることはない。
毎晩こうやって身体を寄せて、知る筈もなかった想いを全身で受け止めるのが心地よかった。

「どうやって伝わってるんだ、声になってんのか。」
「いんや、声って訳じゃねえけどわかる。それにあったけえ。」
ゾロはサンジに感情が知られるのを特段嫌がらない。
知られて気まずいような嫉妬心にさえ、自身は気づいていないのだろう。

サンジはゾロにだけ言わせてるのが悪い気がして、それでもそっぽを向いたままもごもごと口の中で呟いた。
「・・・俺も、だぞ。」
「ああ。」
「知ってたのか。」
「うーん、そうだな。」
「それにしちゃ、嬉しそうだぞ。」
「まあな。」

サンジは、自分の腰に廻したゾロの手を両手で持ち上げた。
節くれ立って分厚くて、指先が丸まった大きな手。
傷だらけだけど暖かい。

「聞こえなくなんのは、寂しいな。」
「そんときゃ、口で言ってやる。」

びっくりして振り返った。
間近で、ゾロが笑っている。

サンジも微笑んでゾロの手にキスを落とした。




なにより寡黙で雄弁な、このやさしい手に―――


END

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