やさしい手を持ってる 7

「なに?」
割れた窓からきな臭い匂いが吹き込む。
「!」
「火事か!」
窓辺に駆け寄って、下を覗き込んだ。
階下からちらちらと赤い光が揺れている。
ゾロは刀を携えて、部屋を飛び出した。
サンジも慌てて服を身につける。
「何をしている、お前ら!」
ゾロの怒号に、侵入した男達が動きを止めた。
ガソリンを撒いたのか、とんでもない勢いで玄関から燃え広がっている。

「火事だー!!」
ゾロは一声吠えて刀を振るった。
一瞬風圧で火が消えるが、直ぐにまた炎に包まれる。
「何事?」
「うわ、火事じゃねーか!」
皆が着の身着のままで飛び出してきた。
ゾロは逃げる男達を追って外へと飛び出す。

「早く水を!」
「消火器は?」
「ダメだ、火の回りが早過ぎる!」
サンジはナミとロビンの無事を確かめて、ラアナの姿がないことに気づいた。
「おっさん、ラアナちゃんは?」
「あああ、あの子は屋根裏部屋だ。」
「どこだ!」
「あんたたちの部屋の真上・・・」
サンジは燃えさかる階段を駆け上った。



開け放たれた玄関から吹き付ける風で、炎は勢いよく上へと昇ってくる。
煙に煽られるように3階まで上ると、明かりの漏れた部屋の扉を蹴り開けた。
亜麻色の髪が、ベッドに突っ伏している。

「ラアナちゃん、大丈夫?」
「サンジさん!」
振り向いたラアナは、腰が抜けたのか動かない。
「ラアナちゃん、こっちへ」
「ダメなの。足が、動かなくて・・・」
跪いて投げ出されたラアナの右足を白い女の手ががっちりと掴んでいた。
手首からありえないほど長く伸びて、その腕は壁から生えている。
「ロビンちゃん、じゃねえな・・・」
サンジはラアナに顔を伏せさせると、腕が生えた辺りの壁を蹴り砕いた。
ガラガラと乾いた音を立てて壁が難なく崩れる。
ぽかりと空いた空洞から長い黒髪がばさりと落ちた。
ひゅうとラアナが息を呑む気配がする。

「――――いやああああ!!!」
一呼吸置いて絶叫した。



ラアナを掴んでいた腕はいつの間にか消えて、部屋の中に黒煙が立ち込めた。
サンジはシーツで口元を覆い、部屋の外を伺ったが、階段は焼け落ちて煙と熱気で出ることもできない。
窓の外から呼び声が聞こえた。
「クソコック!」
ゾロの声を認めて、サンジは窓辺に走り寄った。
「ラアナちゃん、こっから飛ぶんだ!」
まだかくかくと震えているラアナの身体を抱きかかえる。
「でも、私・・・」
「大丈夫、下にはクソ剣豪がいる。あいつはちゃんと受け止める。」
「でも、サンジさんは?」
「俺も後から直ぐに行く、さあ!」
促されてラアナは暗い路地を見下ろした。
立ち昇る黒煙の間に、確かにゾロの姿が見える。
急がなければならないのはわかったが、身体が竦んで動かない。

「大丈夫、奴の手は血まみれでも、あったけえんだ。」
サンジは背中からラアナを抱きしめて、優しく突き落とした。
「ゾロ頼む!」
絹を裂くようなラアナの悲鳴が闇に落ちていった。






轟々と燃え盛る炎は天井を舐めて部屋全体を包み込んでいく。
サンジは半分砕けた壁に向かい、慎重に蹴り落とした。
むき出しの骨組みの間から、膝を抱えるように押し込められたミイラが現れる。
落ち窪んだ眼窩は何も映さず、そこだけ黒々と流れる髪が半分を覆い隠していた。
サンジは手で残った壁をどけると、そっとその骸を抱き上げた。
「可哀想に。こんなとこで、一人で・・・」
こびりついた皮膚がボロボロと剥がれ落ち、床からは異臭が漂った。
ミイラを抱いたまま振り返ると、立ち込めた煙で右も左もわからない。
四方から吹き上げる炎に翻弄されてサンジはよろめいた。
クソ!窓はどっちだ。
うっかり吸い込んだ熱で喉がひりひりする。
身を屈めても足元すら見えない。

「サンジ!」

唐突に声が届いた。
聞き慣れない、愛しい呼び声。

「サンジ、どこだ!」
声を頼りに闇雲に歩く。
壁が途切れて開けた空間を見つけた。

「サンジぃ!!」

「ゾロ!!」

サンジは絶叫して、骸を抱いたまま声のする方に身を投げた。

















好きよ。
大好き。
あなたが好き。
ずっと側に居て欲しい。
どこにも行かないで。



哀しくて切なくて幸せで泣きたくなって、サンジは目を覚ました。
最初に映ったのは白い天井。
それから、目を真っ赤にして覗き込む、ラアナの白い顔。

「サンジさん、良かった・・・」
鼻の先からぽつんと涙を落として、ラアナはサンジの首に抱きついた。
途端に流れ込んでくる苦しいまでの想い。
サンジは甘い激情に圧倒されながら、静かに息をついた。



「ここは?」
「病院だよ。ラアナ、あんまりくっついちゃサンジさんが苦しい。離れなさい。」
主人にたしなめられて、ラアナは涙を拭きながら顔を赤らめて身体を起した。
「全員無事ですよ。ホテルは丸焼けになっちまったが、あんた達のお仲間も傷一つない。お陰でラアナも助かった。本当にありがとう。」
深々と親子揃って頭を下げる。
サンジはうまく身体を起せなくて、仰向いたまま首だけ傾けた。
「あいつらは?」
「それが、火事になって直ぐ警察がきたもんで、凄い勢いで逃げてったよ。また迎えにくると言ってた。」
なるほど、それは賢明だ。
サンジはシーツの下で手を動かしてみた。
皮膚がぴりぴりするが大丈夫、手はちゃんと動く。
「サンジさんは煙を吸い込んだから喉と、あと手足に少し火傷をしてるそうです。でもたいしたことないってお医者様が。」
ラアナはサンジが身体を起すのを手伝って、水差しの水を含ませてくれた。

「起きて早々に悪いんだが、あんたが目を覚ましたら呼んでくれと待ってる人がいるんだ。呼んでもいいかな。」
サンジの身体を気遣いながら、主人が躊躇いがちに聞いてくる。
サンジは黙ってこくんと頷いた。

next