やさしい手を持ってる 5

夜中のキッチンに甘い匂いが立ち込めた。
サンジは一人一人に熱い飲み物をサーブして、ケーキを切り分ける。
およそ尋問に似つかわしくない真夜中のお茶タイムだが、囲まれたジルは毛布を被って震えるばかりだ。

「はい、ジルちゃんもどうぞ。クソゴムが驚かせてごめんな。」
サンジはその両手に、程よく冷めた紅茶をそっと手渡した。
最初にジルに感じたような嫌悪感は消えていて、今は純粋に怯える彼女を宥めたいと思う。
「・・・ま、まさか腕が伸びるなんて・・・」
「ああ驚いただろうねえ。こいつは悪魔の実の能力者だから自在に腕が伸びたりするんだよ。」
「腕だけじゃねーぞお。足も顔も首もー」
「ひえええええ!」
「脅かすなっつってんだろ!」
ビヨンと轆轤首の如く伸びた頭を蹴り倒して、サンジはイスに座った。

「で、今までの幽霊騒ぎはジルちゃんの仕業だったのかな。」
煙草を取り出して火をつける。
ちょっと尋問らしくなってきたかなと思ったりする。
「ジルさん、どうして?」
ラアナはカップを抱いたジルの手に両手を添えて、顔を近づけた。
覗き込むような視線から顔を背けて、ジルはきょときょとと落ち着きなく視線を彷徨わせる。
「個人的な嫌がらせって訳じゃねえんだろ。それにしちゃ手が混んでる。まあ住み込みなら排水溝に髪の毛仕込んだり、
 窓からぶら下がって脅して見せたりできんだろうが、誰に頼まれた?」
サンジはふうっと煙を吐いてから、首を傾けてジルを覗き込んだ。
ジルは頑なに口を閉ざしたままだ。
「大方ダリオが絡んでるんだろう。ジルさん、このまま警察で洗いざらい話しちゃくれねえか。そうすっと、あいつらがうちに
 嫌がらせしてたことも訴えることができる。」
主人が頼むように頭を下げた。
「ジルさん、私からもお願い。このホテルを助けると思って。」
親子の視線から逃れるように、ジルは横を向いたまま紅茶を置いて胸を反らせた。

「冗談じゃないわよ。あたしはあんたたちが気に入らないから嫌がらせしてただけ。後は何にも関係ないわ。あんたたちが
 アタフタしてんのを見るのが楽しかっただけよ。」
ふん、と鼻で笑って、サンジから煙草を取り上げた。
深く吸い込んで、ラアナの顔に向かって吹き付ける。
「たいした甘ちゃんのあんた達をからかうのが楽しかったのよ。警察にでもなんでも言えばいいわ。こんなホテルこっちから
 やめてやる!」
「ジルさん!」
ラアナは口元を手で覆った。

サンジが何か言う前に、ゾロの腕が伸びる。
ジルの顎に手をかけて無理に振り向かせ、触れるぎりぎりまで顔を近づけた。
「なんならあんたの身体に聞いてやってもいいんだぜ。ついでにふた目と見られねえ面にしてやってもいい。」
底光りする目でにやりと笑う。
低い声で囁かれて、ジルの顔から血の気が引いた。
ゾロの本質を知っているはずのサンジでさえ、一瞬ぞっとする。
「止めてください!ジルさん、もういいです。」
本気で怯えたラアナが、果敢にもゾロとジルの間に割って入った。
主人も腰を浮かせて立ち上がる。
「ジルさん、あんたには本当によくしてもらった。ここに引っ越してきたばかりで、右も左もわからないわしらに店を
 紹介してくれたり、色々手配してくれたのはあんただ。どんなつもりがあったとしても、わしらはあんたに感謝してるよ。」
ジルの白い頬にさっと赤味が差した。
「冗談じゃないよ、どこまでも甘ちゃんだね!」
ジルはイスを蹴って立ち上がると身を翻して戸口へと飛び出した。
「もうあんた達とは金輪際会わないよ。これでさよならだ。」
言い捨てて、走り去った。

「追いかけなくていいのかい。」
気遣わしげに振り向くサンジに、ラアナは静かに首を振る。
「このまま警察に訴えたとしても、まともに取り合ってはくれないと思います。」
「ダリオ一家はぐんぐん勢力を伸ばしてる。俺らみたいな他所モンの言うことなんか、聞いちゃあくれませんよ。」
主人は頭を掻いて、どかりと腰を下ろした。
「ジルさんは、本当によくしてくださったんです。全部が全部演技だったなんて、私は思いません。」
「ラアナちゃん。」
サンジはうるうると目を潤ませて、ぐしっと袖で目元を拭いた。
「よし、こうなったら全力で俺達がこのホテルをサポートしてやる、なあ野郎ども!」
「おう!!」

「・・・なんで俺達、なんだよ。」
ノリで手を振り上げているルフィやチョッパーは置いといて、ゾロは一人大きなため息をついた。








「だからって、何で俺らがこんなことせにゃならんのだ。」
「まあそういわず手伝ってやれよ。どうせお前は陸に居ても寝てるばっかだろ。荷物運びも鍛錬のうちだぜ。」
ウソップがまるでサンジみたいな口を利くので、ゾロは益々面白くなさそうに、むうと口を歪めた。

あれから慌しい日々が続いている。
主にサンジが中心となってホテル再建計画は着々と進められていた。

今日は目玉ともなる料理教室の日で、ゾロとウソップは買出しを言いつけられた。
大量の荷物を抱えてホテルまで戻ると、玄関でナミとロビンが手を振っている。
「どうしたんだあ、お前ら。」
「ふふ、サンジ君に駆り出されたのよ。」
「サクラですって。せっかく料理教室に近所のマダムが集まるんだから、宿泊客が普通に居るように見せかけた方がいいって。」
「なるほどなあ。」



料理教室はなかなか盛況だった。
バラティエの名はそこそこ知られていたらしく、ウソップのポスターも目を引いたみたいだ。
宿の主人がホテル組合の女将さん達に直接掛け合った努力も報われたようだ。

「ここでとっておきの隠し味をお教えしまーす。」
軽いテンションながら、鮮やかな手つきでサンジが実践して見せると、集まった主婦達は見ているだけで随分満足したようだ。
「流石ですわねえ。盛り付け一つも参考になるわ。」
「ありきたりの材料なのに、なんて美味しくなるのかしら。」
いろんな香水や食べ物の匂い、それにマダムたちの華やかな装いで、実に賑やかだ。
「初めてじゃないかな、うちのホテルにこんなに人が入るの。」
主人は目を潤ませて鼻を啜っている。
「ぼやっとしてんなオッサン、湯沸いたか?」
「はいはいただ今!」
慌てて動く主人に、マダム達は笑いさざめいた。

「まるで水を得た魚だな。」
ゾロは邪魔にならないように追いやられて、ラウンジの隅っこで踏ん反りかえっている。
コックコートを着たウソップがその横に立って腕を組んだ。
「いーんじゃねえの。サンジは根っからのコックだし、こういうの性に合ってんだよ。案外こうやって陸で暮らすのも奴には
 合うんじゃねえかなあ。」
女共に囲まれて調子よく口と手を動かすサンジの隣には、エプロンをつけたラアナがぴたりと寄り添ってサポートしている。
「確かにお似合いだけど・・・俺達は海賊だよなあ。」
ウソップの目がすうと眇められた。
「あんまのめり込むと、傷つくのはあの子の方だな。」
「ああ。」
ゾロはその光景から目を逸らせて、眠りに入った。



「このホテル、幽霊話が絶えなかったけど、ちゃんとお客居るじゃないの。」
「ほんと。お嬢さんが二人、珍しそうに見てらっしゃるわよ。」
踊り場から覗き込んでいたナミは、見上げて目が合った婦人に軽く会釈して顔を引っ込めた。
「さすがサンジ君、やるわね。」
「航海士さん、あなたここが幽霊ホテルだと知って、彼らを泊まらせたのね。」
「まあね、だって安かったんですもの。」
サクラ代として今日の宿泊費はタダよと言って、ナミは先に部屋に戻った。







その日、夕食は一段と賑やかだった。
僅かとは言え現金を手にすることができて、宿の主人も上機嫌で酒を振舞っている。
「いやありがとう。あんた方のお陰で、今日は大成功だった。」
「おやっさん、あんまり調子にのってっと今日の売上分全部こいつらに飲み食いされるぜ。」
「そうよ、言っとくけどこいつらはホテルに住んでたお化けより、タチが悪くて怖いわよ。」
ナミの言葉にどっと沸く。
「いやあ俺は嬉しいんだ。あんなにこのホテルに人が入ったのを見たのは初めてだったし、今だってこんなに賑やかな
 食卓だ。俺はこんなホテルにしたかったんだあ・・・」
酒が回ったのか主人はおいおいと泣き出した。
「まあ、今日の催しは随分宣伝になったようだから、これからお客も増えるといいわね。」
「そうだよなあ。サンジがいたからできたんだから、これからはホテル業でちゃんと稼ぐ方法を考えねえと。」
ウソップの言葉に、主人はほろほろ涙を流しながら、真っ赤な鼻を擦って何度も頷く。
「まあ俺が居る間は精一杯手伝うからよ。大丈夫、そのうち借金もなくなるって。」
ニコニコ笑って大皿を置くサンジの顔を、主人は潤んだ目でじっと見上げた。
すんと鼻をすする。
「・・・あんたは、行っちまうんだなあ。」
ラアナは酒を運ぶ手を止めて、咎めるように父親の肩に手を置いた。
「いやわかってっけどな。あんたたちは旅の人だ。行き過ぎちまう人達だ。こんな商売やってたら、それにも慣れなきゃなんねえ。」
へへへと笑って、酒をぐびりとあおった。
このペースじゃつぶれるのも早いだろう。
「まあ今のうちにナミにでも金儲けの方法を伝授してもらえよ、な、オッサン。」
「あら航海士さんのは、まともにお金を稼ぐ方法じゃないわよ。」
「ちょっとなによロビン、人聞き悪いわね。」
違えねえ、とまたどっと笑う。
賑やかな宴は夜遅くまで続いた。

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