やさしい手を持ってる 4

ホテルから歩いて30分の近所の鍛冶屋に出かけたゾロは、ほぼ丸1日掛けて帰って来た。
小さな街中を何度もうろついた挙句、昼食も食いっぱぐれて腹の虫が鳴っている。
すっかり陽も落ちて暖かな街灯の灯る大通りから路地を抜けて、見覚えのある玄関に辿り着いた。
知らず、ほッと息をつく。
扉を開けると奥のラウンジから賑やかな笑い声が響いてきた。





「本当ですか。ウソップさん。」
「おう、本当だとも。そのとき俺様キャプテーンウソップは・・・あ、」
「あ、お帰りゾロ」
チョッパーの声に、腰掛けていたラアナが慌てて立ち上がる。

「ああ、おかえりなさいゾロさん。お疲れでしょう。」
「あーいいのいいの、ラアナちゃんは座ってて。おら腹巻、飯だ。手洗って来い。」
ゾロの為にとっておいた料理がテーブルに並べられる。
「・・・なんでお前が飯作ってんだ。」
「ああ、今日から俺はここの専属シェフ兼マネージャーだ。宿泊客獲得の為、お前らも協力しろよ。」
ゾロとサンジの間で、ラアナがおろおろしながら頭を下げる。
「すみません、サンジさんがあんまりお料理が上手で習ってて・・・それに今日私を助けてくださったんです。」
主人がゾロ用の酒を運んできて、娘と同じように身を縮こませた。
「本当に助かりました。あいつらも脅すだけで手荒な真似はしないと思うんですが、なかなか厄介で・・・」

サンジはゾロをイスに座らせて、手馴れた手つきで温めた食事を置いていき、ウソップ達にも飲み物をサーブする。
「このホテルはダリオって野郎に借金をしてるんだってよ。まあこの客の入りじゃあ借金は膨れる一方だし。
 そのダリオってのが悪い奴でラアナちゃんを借金のカタに取ろう寸法らしい。それであれこれ嫌がらせしやがるんだな。」
「もともとこの土地を買い取って違う建物を作るつもりだったらしいんです。それを先に私が譲り受けたもので、
 目をつけられてたんですねえ。」
宿の主人は肩を落として頭を掻いた。
「最初に融資の申込みがあったときに、うまい話だから気を付けなきゃならんかったのに、つい話に乗ってしまったんです。
 けどそれから幽霊騒ぎが起こるわお客は入らないわで借金ばかりが増え続けて・・・」
「それでラアナちゃんを取るか、立ち退きを取るか迫られてるって訳だ。」

ウソップはなにやら書いていた手を止めて「できた!」と叫んだ。
「どーだこのポスター、イケてるだろ。」
「まあ。」
「お、やっぱすげ―なウソップ、お前はよ。」
そこには『イーストブルー、海上レストラン「バラティエ」の副料理長お料理教室』の文字がとバラティエの船をもじった
イラストともに大きく書かれていた。

「昼間ホテルの空いている時間に主婦を呼んで、会費制で教室を開けば結構臨時収入になるじゃねえか。
 宣伝頼むぞ、ウソップ。」
「まかせとけ!」
「私もお手伝いさせていただきますね、サンジさん。」
「そりゃ、どうも。」
ジルが豊満な胸を押し付けるように身を寄せるのに、サンジはなんともそっけない。
ゾロがウソップに視線を送ると、ウソップは小さく肩をすくめて見せた。









「マリモ、てめえ外で遊んで来ねえのか。」
部屋に戻ってまた飲み直すゾロにサンジは机に向かったまま声をかける。
「お前がいると酒代がもたねえ。外で飲んで来い。」
広げたノートにペンを走らせながら、サンジは熱心に何か考えている。
「お前こそ、何してんだ。」
「んー、明日ウソップと交代してルフィが来るんだぞ。今から食料の配分考えとかねえと、もたねえじゃねえか。
 それに料理教室のレシピもな・・・」
銜えていた煙草を揉み消して、ノートを眺めながらうーんと唸る。
「随分、熱心だな。」
ゾロはなんだか機嫌が悪い。
怒りのオーラをびんびん感じるが、サンジは敢えて無視した。
「仕方ねえだろ。ほっとけねえもん。オヤジはお人好しだしラアナちゃんは可愛いし。」
「けっ」
ゾロはベッドサイドに乱暴に瓶を置くとサンジの背後に立った。
「俺あ忙しいんだ。邪魔だな。」
サンジは振り返らない。背けた背中で拒絶している。
「外でお姉さんと遊んで来い。金なら貸してやる。」
その肩に手を掛けようとして、隣から響いた悲鳴に動きを止めた。





「んぎょえ――――!!!」

ウソップだかチョッパーだか判別つかない絶叫とともに、どたばたと駆け回る足音が響いた。
「なんだ?」
扉を開けるとほぼ同時に二人が隣室から廊下へ飛び出す。
「女!女が窓の外にいる!!」
「2階なのに、浮いて見てるううう!!」

ゾロはずかずかと部屋に入り窓を乱暴に開け放した。
無論、誰もいない。
路地を隔てて隣の庭木が揺れているだけだ。
「見間違いじゃねえのか?」
胡散臭そうに振り向くと、ウソップとチョッパーが怖々部屋を覗き込んだ。
「いんや、確かに俺は見た!黒い長い髪をした女が窓の外に・・・」
「お、俺も見たぞ!すんげえ顔で睨んでたああああ」

黒い髪、ねえ―――
ドアを開け放してあるから筒抜けの会話を聞きながらサンジはトントンとノートを鉛筆で叩いた。
今は黒髪の死美人より金儲けが先決だ。
ああ、こんなときナミさんがいて下さったら・・・
どこかで優雅に過ごしている心の恋人に想いを馳せた。

結局、その夜は一晩中幽霊騒ぎが収まらなかった。









「隣の、誰もいないはずの部屋からノックが聞こえるんだよお。」
「風呂張ってたら、いつの間にか浴槽に黒い毛が浮いてて・・・」
「風もないのに窓ががたがた揺れるんだ。」
「蛇口を締めた筈なのに、ぽたぽたと音がするんだよ。」

すっかり憔悴した様子でウソップとチョッパーはもそもそ朝食のパンを齧っている。
叫び声を聞く度に駆けつけていたゾロも、途中で面倒くさくなって眠ってしまった。
サンジは結局レシピに夢中になって構ってやっていない。

「俺はもうルフィと交替するから、チョッパー後は頑張れよ。」
「ええ、嫌だよ俺。」
「大丈夫、なんせ相手はルフィだ。幽霊なんて食っちまうさ。」
救いの朝を迎えて、ウソップはすっかり他人事だ。
怯えるチョッパーにラアナは申し訳なさそうにミルクを運んだ。
「すみません。そんなに悪い人には見えなかったんですが・・・」
「な、なにがああ!」
過剰に反応した二人に慌てて首を振る。

「まあまあ、幽霊っつっても所詮か弱いレディだぜ。できたらこっちからお願いしたいくらいだなあ。」
ハート型の煙をくゆらして、サンジが割って入った。
「ウソップ、てめえは船に帰る前に料理教室をよーく宣伝しておいてくれ。チョッパーも手伝えよ。ホテル再建計画の始動だv」
熱いコーヒーを入れたカップをチンと合わせた。







ウソップと入れ替わりにやってきたルフィは幽霊話に目を輝かせた。
「なんだ、すげーなあ。女のお化けかあ。浮いてんのか。人魂とかついてんのかあ。」
にししと笑って手を合わせた。
「そいつ強えかなあ。あー戦いてえ。」
「ルフィ・・・物は壊すなよ。」
普通に会話を交わしつつ止まないルフィの食欲に、ラアナ親子は目を白黒させている。
「・・・随分たくさん、入って・・・大きくなるんですね。お腹・・・・」
「ああー破産だ。うちは破産だ・・・」
頭を抱えるオヤジを元気付けるようにサンジ大げさな身振りで弁解する。
「まあ、ちょっと特殊な事情がありまして、・・・おい、ルフィその辺で止めとけ。後で特大ケーキ持ってってやる。」
「何、ほんとか!ならこの辺でやめとくぞ。腹八分目って言うからな。」
にししと笑ってフォークを置いたルフィに言葉も出ない。
「すまねえな。うちの船長はああなんで、俺が何とか責任とるから心配しないでね。」



約束した夜食用にと豪快にベーキングパウダーを入れて手早くかき混ぜる。
これくらいしないと、あの腹は納まらない。
キッチンに居座って昼も夜も立ち働くサンジの側には、いつもラアナがついていた。

「どうして、サンジさんはこんなに親切にしてくださるんですか。」
「そりゃあ、ラアナちゃんが可愛いからだよ。」
歌うように話しながらもサンジの手は軽やかに動く。
「凄いわ。まるで魔法の手みたい。それにとても綺麗な手。」
「綺麗?とんでもない。あちこち創だらけで火傷もしてるよ。」
「いいえ、とっても綺麗。みんな喜んでる。」
ラアナには、サンジの目に映らない違うモノが映ってるんだろうか。
少し照れくさくなって、サンジはケーキをオーブンに放り込むと手早く手を洗った。

「俺は料理人だぜラアナちゃん。お菓子やパスタばっかり作ってる訳じゃない。獣も捌くし魚もオロス。
 それこそ俺の手の方が、血塗れなんじゃねえのかなあ。」
サンジは今まで数限りなく獣や魚を殺してきた。
喉を割いて血を抜いて、手早く捌いて調理してきた身だ。
ゾロが人殺しの手なら、さしずめ自分は屠殺人の手だろう。
ラアナにそう言うと、サンジの手をじっと見つめてから顔を上げて首を振る。
「やっぱりサンジさんの手にそんなものは見えないわ。血よりなんだか暖かいもの。喜びとか、そんな感じ。」
思えば獣や魚に憎しみの感情が明確にある訳ではないだろう。
それよりも
「活かされてるって喜びが残ってるんじゃないかしら。」
ただ食べ散らかすだけの手じゃないことを、その色が証明しているとラアナは言った。
「サンジさんの手は、やっぱりとても綺麗。」
長い指に手を添えて、ラアナはおずおずと、掌に走る筋を辿る。
その桜色の爪先をそっと包み込むように指を動かしたとき―――

だん、と戸口で何か当たる音がして、二人して弾かれたように振り向いた。
普段より3割増しな仏頂面で、ゾロが立っている。
半眼で見下すように顎を上げて、「酒」と言った。
「なんだなんだこのアル中マリモ。ラアナちゃんとのラブラブタイムを邪魔すんじゃねーよ。ほら、お小遣いやるから外で
 飲んで来い、な。」
ポケットから財布を取り出して投げて寄越すと、ゾロは一旦受け取って床に投げ捨てた。
「なにしやがんだてめえ!」
「そっちこそバカにすんなよ!」
一触即発の状態で睨み合う。
そのとき、ガラスの割れる音がした。

「きゃあああああ!!!」
続く女の悲鳴。
「なんだ!」
「ルフィ?」
慌てて音のした方に走る。
階段を上ると扉を派手に開けてチョッパーが飛び出してきた。

「ルフィが、お化け捕まえたア!」
「ええっ!」
見れば、ルフィは腕をぐるぐるに伸ばして白い塊を抱えている。
枠ごと破壊されてガラスの飛び散った窓から風が吹き込んで、カーテンがバタバタとはためいていた。
「にしし、つーかまえたっとv」
うにょんと伸びた腕の中にはくったりとした黒髪の女。
その長い髪がずるりと落ちた。
現れたのは、鮮やかな赤毛。
「ああ!」
「ジルさん!」
ルフィの腕に絡めとられた状態で、ジルが白目を剥いてノビていた。

next