やさしい手を持ってる 3

食堂からは賑やかな声が響いていた。
ウソップもチョッパーも既に食事を終えて雑談に興じているようだ。
遅れて来たゾロとサンジの為に、ラアナがパンを温め直してくれている。

「おはようございます。良く眠れましたか。」
こぼれるような笑みを向けられて、サンジの胸がきゅんと鳴った。
な、なんて可愛いんだあ!
可愛いと言うか、いとおしい。
誰も見ていなければこのまま抱きしめて頬擦りしたいくらいだ。
何なんだこの愛しさは!
思わず伸びそうになる手を止めるのに必死で、いつもの女性を賞賛する言葉すら出てこなかった。
「どうしたサンジ、具合悪いのか。」
チョッパーが心配そうにその手首を掴む。
「うん、脈が少し速いな。サンジが寝坊するなんて俺はじめて見たから気になるぞ。それとも昨夜、なんか出た?」
途端に心配そうな顔になったラアナに、慌ててぶんぶんと首を振った。
「とんでもない!そりゃもうすんごいよく眠れたよ。変な現象なんてなんにも起きなかったしって、てめえらもそうだろが。」
いきなり話を向けられて、ウソップは身を仰け反らせる。
「そりゃあ静かで快適な夜だったぜ。さすがの地縛霊も俺様の前には姿を現し難いらしい。何せ俺は村では
 ゴーストバスターと呼ばれ・・・・」
いつものホラ話にチョッパーが目を輝かせて聞き入る横をすり抜けて、サンジもテーブルについた。

「ほんとに心配しないでラアナちゃん。久しぶりの陸だから気が揺るんだのか、ぐっすり寝ちゃったんだ。」
サンジの言葉にホッとするラアナは例えようもなく可憐だ。
有無を言わさずがばりと抱きつきたくなる。
どうしたってんだ、俺は。
行動よりまず口が先のサンジが、内心の衝動を抑えるのに必死になっている。
そのとき、玄関の扉が軽やかに開いた。

「おはようございます。あらお客様なのね。」
赤毛を思い切りショートにした女性が顔を覗かせる。
ロビンと同じくらいの年だろうか。
メリハリのついた肉感的なボディを見せ付けるように揺らしながら入ってきた。
ゾロはちらりと視線を送ったが興味なさそうに目を逸らし、ウソップは頬を赤くして黙ってしまう。
ラアナは駆け寄って、サンジ達に手で示した。
「この人は住み込みでうちを手伝ってくださってるジルさんです。夕べは御用があってお留守だったの。
 ジルさん、久しぶりのお客様よ。2週間もいてくださるの。」
「まあ、勇気あるのね。ふふふ、いらっしゃいませ。」
にこりと笑う赤い唇が魅惑的だ。
だがなぜか、一番反応を示すはずのサンジが眉一つ動かさずに食事を続けている。

「サンジ、どうしたんだ。やっぱり具合が悪いのか。」
血相変えて額に手を当てるチョッパーにサンジは目をぱちくりさせた。
「なんだ、俺はなんともねえぞ。何焦ってんだチョッパー。」
チョッパーが耳元に口を寄せて小声で囁く。
「だって、サンジはメス見ると誰でもかれでも飛びついておべんちゃら言うじゃないか。しかもアレも凄い美人なんだろ。
 ウソップとか見てみろよ。なんでそんな知らん顔してんだよ。」
メスだのおべんちゃらだの引っかかる単語はいくつもあったが、チョッパーに言われてはじめてサンジは気がついた。
そう言えば確かにすんごい美人だ。
俺、どうしちまったんだろう。
何故だかあの女を見た途端、胸が暗くなったのだ。
いや暗いというか、重いというか・・・鬱陶しい?
そう、そんな感じ。
何でだ。
この世の女性すべてを女神と例える自分にはありえない。
サンジは少し青褪めて、キッチンでラアナと話すジルを見る。
出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる、魅惑的なプロポーション。
目鼻立ちのはっきりした美女。
なのにちっともときめかない。
隣のラアナといえば、ストレートの髪が首を傾げる度に素直に流れる。
小作りな顔に、バラ色の唇。
健康的な肌の色。
「ラアナちゃん、かわいいなあ。」
口に出して相好を崩した。
ダメだこりゃと、ウソップが横で肩をすくめている。





「レディ、お買い物に付き合いますよ。よかったら代わりに買い出しをしたいくらいです。」
朝食の後片付けを済ませると承諾をもらって洗濯を終えて、サンジはラアナに申し出た。
「サンジさんはお客様なんだからゆっくりなさってください。この島には、小さいけれど観光名所もあるんですよ。」
「それなら是非ラアナちゃんとデートを兼ねて出かけたいなvなんせ俺はコックなんでね。買い物したり
 料理してんのが一番性にあってるみたいだ。」
サンジに満面の笑みで返されたラアナは耳まで赤くして、小さく頷いた。




良く晴れた大通りを案内されながら並んで歩く。
からっと晴れて気持ちのいい気候だ。
グランドラインの中でも稀な乾燥地帯に入るらしい。
サンジはラアナと世間話をしながらも通りに注意深く目を走らせた。
手配書が貼ってあれば何かと厄介だ。
もう少し裏通りも通った方がいいだろうか。

だがサンジの懸念を他所に、賞金首の手配書らしいものはない。
かわりに若い女性の色褪せた張り紙が所狭しと貼ってある。
「このレディはお尋ね者じゃあないよねえ。」
サンジは指差すと、ラアナも眉を潜めて頷いた。
「私も詳しくはわからないんですが、3年ほど前に行方知れずになった娘さんらしいです。」
“レティシア”と名の書かれたセピア色の写真の中で、快活そうな女性が笑っている。
「なんでもこの島の名士の末娘さんだそうで、それは熱心に探しておられるとか・・・」
「綺麗なレディなのに、可哀想に。」
それでも細部にまで注意を配りながら、店を回った。

「私、少し足が不自由なので荷物を持っていただけて、ほんとに助かりました。」
ゆっくり歩けばわからないが、ラアナはいつも右足を軽く引きずっている。
「お安い御用だよ。もっと重いものはマリモヘッドを使えば楽勝だしね。」
ゾロの名を出すと、ラアナの顔が少し曇る。
サンジは一瞬ためらったがストレートに聞いてみた。

「ラアナちゃん、昨日奴の手がどうとか言ってたけど、何かあるのかな?」
ラアナは弾かれたようにサンジを振り向き、それから唇をきゅっと引き結んだ。
「すみません、変なこと言ってしまって。あの方もきっとお気を悪くしたと思います。」
「いや、あいつには言ってねえよ。それに強ち外れてるとも言えねえから気になる訳だ。」
ラアナを追い詰めないように、軽い口調でそう話す。
「ゾロは見た目凶悪な面してっけど、中身も極悪なんだ。ここだけの話、お尋ね者の剣士だから、
 血まみれでも当たり前なんだよ。だから君の言ったことは正しい。」
ラアナは立ち止まって、本当にごめんなさいと頭を下げた。
「謝らなくていい、君は本当のことを言ったんだ。だけどどうしてわかったのか、そっちが気になるだけで。」
この島に着いてから、手配書はまだ見ていない。
海軍に通報するつもりなら、あんなふうに牽制とも取れる発言をするのは不自然だ。
「・・・私、小さい頃から人に見えないものが見えてしまうんです。」
おお、霊感少女か。
「口に出すと皆気味悪がるから、物心ついた時から人には言わないようにしてたんですけど。だから今回の
 幽霊騒ぎも、もしかしたら私のせいなんです。」
ほろりと、ラアナの目尻から涙がこぼれた。
サンジはぎゅうと抱きしめたい衝動を辛うじて抑えて、それでも肩に手を廻して公園のベンチに座るように促す。

「私が赤ん坊の頃馬車が暴走する事故があって、そのとき母は私を庇ってなくなりました。この足もその時から
 です。それから父と二人で暮らしてきて、今のホテルに最近引っ越してきたんですが・・・」
「え、ちょっと待って。あのホテル最近始めたところなの?」
「ええ、別の町でこつこつ働いて貯めたお金で、やっとあのホテルを買い取ったんです。」
「それまでホテル経営の経験は?」
「ありません。父が放浪して泊まり歩いたくらいで・・・」
なるほど。
サンジは納得した。
いくら気のいい主人とは言え、客と飲んで先につぶれるなどあるまじきことだ。
しかも若い男ばかりの宿泊客で、年頃の娘を置いてだ。
こりゃあ、あのオヤジの教育から始めたほうがよさそうだ。
このままでは幽霊騒ぎがなくても遅かれ早かれあのホテルはつぶれる。
「あのホテルに引っ越して直ぐ、私黒髪の女の人を見たんです。」
とくりとサンジの胸が小さく鳴る。
黒髪?
やっぱり?
「私の死んだ母が、黒髪の女性だったと聞いています。顔は覚えていないんですけど、もしかしたらお母さんが一緒に
 きてくれたんじゃないかと思って。」
あれはラアナちゃんの母親なんだろうか。
ゾロの上に圧し掛かっていた、後ろ姿だけの女性。
「開業して間なしに幽霊騒ぎが起こって、黒髪の女の人が窓から覗いてるとか、浴槽に髪の毛が浮かんでるとか、
 お客さんが騒ぎ出して・・・」
んじゃやっぱり昨夜のアレは、本物?
「そのー…ラアナちゃん、幽霊と会話とかできないの?あなたは誰とか。」
「いえ、できません。ほんとにちらっと断片的に見えるだけで確かめることはできないんです。」
それはそれで気味悪いし不便だろう。
「ちなみに、ゾロはどう見えたの。」
「そのままです。あの人の両手が一瞬ですが、血まみれでした。だから・・・生き物を殺したことのある人なのかと、思って・・・」
すみません、と頭を下げてまた詫びる。
「いや謝んなくていいって。所詮あいつは賞金首の人殺しだ。ラアナちゃんみたいな女の子が怯えるのも当たり前だよ。」
この際ゾロはどうでもいい。
それよりも―――
「俺って、なんか見える?」
恐る恐る、ラアナに顔を寄せる。
途端にラアナは頬を赤らめて、身を引いた。
「サンジさんは何にも、それよりも私なんだか驚いてしまって・・・」
「驚くって何が?」
ラアナは益々顔を赤くした。
亜麻色の髪から覗く耳まで真っ赤だ。
「小さい頃絵本で読んだ、王子様みたいだなって。こんな見事な金髪見たことなかったし、瞳だって吸い込まれそうなほど
 綺麗な青だし・・・」
話しながら、落ち着かなく小さな手を合わせる。
爪の先まで桜色で、可愛らしい指だ。
「そう、やっぱりわかっちゃうもんなんだね。」
サンジはさらりと髪を掻き上げて、ラアナに向き合った。
「実は俺はノースブルーのプリンスなんだ。こうして旅をしながら素敵なレディを探して・・・」

「よおよおよお。見せつけてくれるじゃねえか。」
突然ベタなダミ声が乱入してきた。
真っ昼間だというのに、よろしくない風袋のチンピラが3人ばかりニヤニヤしながら近寄って来る。
「可愛い姉ちゃんとすかした面した兄ちゃんだな。俺らも暇なんだ。ちょいと付き合ってくれよ。」
サンジより先にラアナが立ち上がる。
「この方はお客様です。ご用件があるなら私に言ってください。」
とてもさっきまで弱音を吐いていたとは思えない、凛とした声。
「顔に似合わず気の強い嬢ちゃんだ。かわまねえよ。そっちの兄ちゃんにはお寝んねしてもらって、お嬢さんとお話しようか。」
一歩後退るラアナに、サンジは素早く耳打ちした。
「こいつら心当たりあるの?のしちゃってもいいかな。」
「えっ、あ、はい。」
「んじゃ、遠慮なく。」
言い終わるか終わらないかの内に、男達が宙を待った。
ラアナには何が起こったかわからない。
気が付けば屈強な男達が倒れ付して呻いている。
「どうしよ。足でも折っとく?」
涼しい顔のサンジにラアナは慌てて首を振った。
「いいえ!もう充分です。行きましょうサンジさん。」
荷物を持って早足でホテルに向かった。



「サンジさんって、お強いんですね。」
ラアナが息を切らしながら笑った。
「ああ、俺は戦うコックさんだからね。」
「私、こんなに走ったの生まれて初めて・・・」
足を引きずるみっともない動きも、今なら恥ずかしくはない。
サンジがラアナの手を握って引っ張ってくれているから。


next