山笑う -3-



主役のサンジを着席させたままで、ウソップとゾロでケーキを取りに行った。
冷蔵庫から運び出されたのは、予想に違わず巨大なケーキだった。
スクエア型で、春らしいピンク色のムースとスポンジが層になった上に苺がたっぷりと飾り付けられている。
サンジは一目見て、ハッとした顔になった。
酒に酔った以上に高潮した頬で、目の前に下ろされるケーキを凝視している。
ウソップが苺の間にろうそくを年の数だけ手早く刺して、ゾロが片っ端からそれに火を点けていった。

「はっぴばーすでいつーゆー・・・」
照明を落とした薄暗い店内で、ろうそくの光だけが揺らめく。
歌の間中、サンジは膝に手を置き肩に力を入れたまま、じっと固まっていた。
どうリアクションをとっていいのかわからない、そんな感じだ。
祝福の歌が終わり万雷の拍手の中でようやくぎこちなく動き出し、ろうそくに息を吹きかける。
「おめでとう」
「おめでとう、サンジ君」
拍手と歓声に包まれながら火はすべて吹き消され、抜群のタイミングで照明が点く。
勢いよく吹き消し過ぎて肩で息をしながら、サンジは感極まったように顔をくしゃくしゃにしていた。

「・・・このケーキ・・・」
「ん?」
「このケーキ、俺が初めて自分で考えて作ったケーキなんだ」
感慨深げにため息を吐きながら、サンジはそっとケーキにナイフを入れる。
「バラティエで、春向けに何か考えてみろって言われて、スポンジとかムースとか色々組み合わせて一生懸命考えて、初めて店で採用されたケーキなんだ」
まだ20歳にもならない頃、指名されたことが嬉しくて夢中になった。
毎晩遅くまで厨房に残って試行錯誤を繰り返した、サンジにとって思い出深いケーキだ。
「今でもバラティエの春の定番デザートで使ってくれてる・・・よ、な?」
最後の方は自信なさ気な声音だったけれど、ゼフは鷹揚に頷き返す。
「春らしい、可愛いケーキですね」
「名前とか付いてるの?」
ナミの素朴な問いに、サンジはやや気恥ずかしそうに呟いた。
「・・・プリマヴェーラと」
「あら可愛い」
「サンジさんらしいですね」
口々に誉めそやされ、いやあそれほどでもと照れている。
「美味いなこれ」
「ああ、甘みと酸味がちょうどいいって感じで」
待ちきれず、先にモグモグ食べている男性陣の評判もいい。
「ホワイトチョコとチーズのバランスが絶妙ね」
「ふーん、なるほど」
「美味いのはわかるぞ」
「俺も」

たしぎは美味しいと頬を緩めた後、サンジに向き直った。
「これ、和々でも定番スイーツにしてもらえないかしら」
サンジは一旦動きを止めて、いいのかなとゼフに視線を移した。
「一応、バラティエでの看板スイーツとして考えたものだから・・・」
「構わねえに決まってっだろうが、てめえが考えたモンだ。どっちで使おうが両方使おうが、食うもんが美味いと思えばそれでいい」
ゼフはぶっきら棒に言い放って、大口でケーキを頬張る。
「チーズはこっちから仕入れて、また送ってやる」
何度も試行錯誤を重ねて作ったこのケーキに使用しているチーズは輸入物だ。
和々やレテルニテ程度の店では採算が合わないから端から作るのを諦めていた。
バラティエへの遠慮があったのも確かで。
けれどゼフは、今日のこの日にこのケーキを持って来てくれることで、サンジの中にいつまでも残る水臭さをすべて吹き飛ばしてしまった。

「今までの食材と一緒に、送ってやる」
「じゃあ、来月からの便に一緒にしてくれよ。できたらここでは、ゾロのハウスで採れた苺を使いたいんだ」
ゾロの苺は粒も小さいし酸味も強いけれど、きっともっとこのケーキに合う味が引き出せる。
「ここいらは気温が低いせいか、苺の旬の時期は遅いんだ。けどやっぱり俺は、地元の旬を大事にしたい」
「勝手にしろ」
「サンジ、お代わり」
均等に切り分けられたケーキで満足するようなルフィではない。
それを見越して、サンジは待ってろとカウンターの奥から新たな皿を取り出した。
そこにはドーナツやスコーンやカヌレが山盛りになっている。
「これでも食って、なんとか凌げ」
「ひゃっほう〜」
ルフィほどではないが、今日集まっているのは働き盛りの食べ盛りばかりだ。
ゾロが煎れるコーヒーのお代わりを楽しみながら、みんな心行くまで飲んで騒いで食べ尽くした。





「雪の夜ってやっぱり素敵ね、ムードがあるわ」
いつの間にか吹雪になっている外を眺めながら、ナミは満足そうに溜め息を吐いた。
「安全で温かい場所にいて、ブリザードみたいな吹雪を眺められるなんて、なんて贅沢」
「寒い家に帰らなきゃなんねえ身としては、辛いよな」
「そうそう、廊下なんて氷みたいに冷たいし。家は真っ暗だし」
それぞれ一人暮らしをしているヘルメッポとコビーは、早くも帰宅した時のことを考えて身震いしている。
「私たちはホテルだから、もう至れり尽くせりよね」
ねーと顔を見合わせるナミとカヤに、たしぎがあーあと溜め息を吐いた。
「いいなあ、私も一緒に泊まりたい」
「泊まればいいんじゃないの?」
「そうですね、一緒に泊まりましょう」
平日の夜だから、部屋はいくらでも空いていそうだ。
「せっかくだから女の子同士で泊まりましょうよ」
「あ、それいいですね」
きゃっきゃと盛り上がる女子の横で、ルフィとウソップは顔を見合わせた。

「別に俺らはいいけどなあ」
「どうする?スモーカー」
女性陣はすぐに打ち解けるとして、男性陣は微妙なところだ。
特にルフィとウソップの間にスモーカーは、違和感がなくもない。
「まあ、ホテルに泊まることくらいやぶさかじゃねえが、俺がお前らと一緒に寝泊りは気詰まりじゃねえか」
「そそそ、そんなこたあねえぞ」
微妙にウソップの顔が引き攣っている。
「なんなら俺らも泊まるか、なあコビー」
「楽しそうですね」
「一応おしゃれなプチホテルだから、雑魚寝部屋ってあるかしら」
「ナミひでえ」

若い者同士盛り上がっている中で、サンジもワクワクした表情で目を輝かせていた。
「ジジイはうちに泊まるんだろ?」
途端、ウソップがぶはっとコーヒーを噴いた。
カヤが慌ててお絞りを渡す。
「ちょうど客用の布団もあるんだ、部屋はストーブとエアコン両方使うとすぐにあったまるぜ」
「いや待て、ちょっと待て」
なぜかウソップが割り込んで手刀を切るように腕を振っている。
「客用の布団っつったって、お前らまたいつも通り寝るんだろうが。爺さんの隣で」
「そうだけど」
さも当たり前のように頷くサンジの隣で、ゾロが顔半分を手のひらで隠して苦笑している。
「いや〜それはどうかな〜って、俺思うんだけど」
「そうか?」
そうかなと隣に顔を向けると、ゾロは神妙な顔付きを作りながら頷いた。
「いつも通りって?」
「いつも一つのお布団で寝てらっしゃるんですよね」
ナミの疑問に、ゾロの代わりになぜかカヤがどことなく誇らしげに答える。
「素敵ですわ」
「まあ、見習うべきでしょうけど」
「うちはダメ、寝相が・・・」
たしぎとナミは違う方面で感心している。
コビーとヘルメッポは無言でドン引きだ。

「どっちみち布団は2組しかねえんだから、泊まって貰うとすると俺は台所でいいぞ」
「なんでだよ、だったら俺だって毛布一枚でいいんだからな」
ほとんどイチャついてるとしか思えない言い合いに、ナミが割って入った。
「いっそ籤引きか何かにしたら。どちらのお布団で寝るかどうか、運で決めるの」
「面白そうだなあ」
気軽に乗りそうなサンジに、さすがのゾロも顔色を変える。
「ちょっと待て、確かにお前はどっちでもいいだろ。俺と寝ようが爺さんと寝ようが。だがしかし、お前が一人で寝て俺と爺さんが二人で・・・って可能性も同じくらいあるんだぞ」
途端、店内は爆笑に包まれた。
「それすげえ・・・」
「どんな罰ゲーム」
「いや、一番辛いの爺さんだと思うけど」
「確かに、狭すぎて寝難いだろうな」
真面目に心配するサンジに更に笑いが起きて、ゾロよりゼフの方が頭を抱えていた。
冗談じゃねえやと低く吐き捨て、苦虫でも噛み潰したように口をへの字に曲げる。

「大丈夫、おじさまのお部屋はホテルに手配済みだから」
ナミは目尻に涙まで溜めて、笑いながら言った。
「さっき先に一緒にチェックインしてくれたのよね」
「おう、バリアフリールームを押さえたからな」
「ホテルで車椅子も手配済みです」
如才ない仲間達の気遣いに、サンジは感激して改めて頭を下げた。
実際、ゾロの家では段差がありすぎて車椅子も使えないし、風呂やトイレは不便だっただろう。
素直にありがたいと思う。
「そっか、ジジイよかったな」
「うっせえ、てめえよりよっぽど頭の回る連中だ」
「折角だから、おじさまにもガールズトーク加わっていただこうかしら」
悪戯っぽく提案するナミに、再び店内は爆笑に包まれた。






「ご馳走様でした」
「後片付け、ほんとにいいの?」
食べるだけ食べて飲んで騒いで、夜9時にはお開きとなった。
いっぱしの吹雪で、停めてあった車にはびっしりと雪が張り付いている。
先にエンジンを掛け、温めながら外から雪を叩き落とした。
「大丈夫だよ、明日も店は休みだからゆっくり片付ける」
「和々の仕出しもあるしね」
サンジは煙草を取り出しながら、吹雪く景色に目を細めた。
「どっちにしろ早起きして、和々のケーキ作ってジジイを迎えに行って・・・」
「あら、私達も明日また和々に行くから、おじさまを一緒にお連れするわよ」
「たしぎさんも、出勤はその時一緒にどうかしら」
「そうね。明日の当番はお松ちゃん達に任せてあるから、私もお客さんの一人として一緒に行こうっと」
「そんなんでいいのかオーナー」
「いいんじゃないの」
ホテルに電話で交渉の結果、一部屋3名までということで、ヘルメッポとコビーは敢え無く自宅帰りとなった。
ルフィとウソップ、スモーカーの3人が一部屋でどう過ごすのか、興味はなくもないがどうでもいいことでもある。

「今夜はナミさん達、賑やかだろうね。早めに寝ないと美容に悪いよ」
「ほんとはサンジ君も加わると楽しいのにねえ」
「ねー」
「残念です」
シャレではなく本気で言っているところが怖えと、ゾロは小声でウソップに言った。
ウソップは前を向いたまま、ウンウンと真剣な表情で頷いている。



「じゃあ、また明日」
「おやすみなさい」
「ご馳走様でした」
「おやすみー」
それぞれに車に乗り込みながら、一台ずつ発進して行く。
轍の見えない真っ白な道を、気持ち良さそうに走り去っていく車を見送ってサンジはぶるりと改めて身を震わせた。
「さっびー」
「俺らも帰るか」
店の照明を落として戸締りだけ確かめ、冷えた軽トラに乗り込んだ。
窓の外にこびりついた雪は既に凍っていて、ワイパーを動かしても硬い音がするばかりで見通しが悪い。

「危ねえからゆっくり帰ろうな」
「ああ」
先を走るテールランプを追いかけるように、ゆっくりと農道を走る。
サンジは硬い座席に背中を凭れさせて、あーあと声に出して息を吐いた。
「参ったなあ、してやられた」
「おう」
対してゾロは、してやったり顔だ。
「誰だよ、ジジイ連れて来ようとか言い出したの」
「俺」
「お前か!?」
言い出しっぺお前かよと、声が引っくり返る。
「驚いたろ」
「驚いた、マジびっくりした。つか、全然気付かなかった」
「実際、提案したのは俺だけど動いたのはウソップだからな」
「相変わらず、ウソップはいい仕事しやがるなあ」
「任せて安心だな」
なにかのキャッチフレーズみたいなことを呟くから、くくくと二人して笑い合う。
「ナミさんも、お前が声掛けたのか?」
「いや、こっちが言う前に向こうから連絡が来た。どちらにしろお前の誕生日に合わせて、日本に帰ってくるつもりだったらしい」
「今や、世界を股に掛けて飛び回るレディだもんなあ」
サンジは感心して、火の点いていないタバコを咥えた。
「カヤちゃんも元気そうで、たしぎちゃんも楽しそうで。ほんとによかった、楽しい誕生日だった」
ありがとうなと小さく呟けば、ゾロは前を向いたまま黙って頷いた。


家の前にもそれなりに雪が積もっていて真っ白だった。
玄関に横付け状態で軽トラを停め、ゾロが先に下りて凍りついた戸を蹴りながら開けて中に入る。
灯りが点いただけでなんだかほっとして、サンジもコートの前を合わせ震えながら家の中に駆け込んだ。
「うお、さっびー」
「エアコン、ストーブ、炬燵、電気、風呂」
あちこちのスイッチを入れながら、二人して家の中をバタバタと歩き回る。
薬缶に水を汲んで、火が点き始めたストーブの上に乗せたら水滴がシュンシュンと鳴った。
「うーさびー」
ストーブの前に陣取って赤い光を眺めていると、風呂の準備を終えたゾロが爪先立った歩き方で台所に入ってくる。
「こりゃホテルの方が、何倍もいいな」
「俺らもホテルに泊まればよかったか」
「来年はそうするか」
真面目な顔で語り合い、身体を重ねるようにくっ付けてストーブの前に座った。
「あーあったかー」
「つか、近付きすぎだ。足先が焦げるぞ」
焦げねえよと笑いながら、サンジは体育座りのまま膝をより深く抱え込んだ。
ゾロはそんなサンジの背中に張り付いて、両腕だけストーブに伸ばしている。

「ジジイ、もうホテルに着いたかな」
「だろうな」
「ほんとは、この家も見て欲しかったんだけど」
「明日来るだろ」
「和々に、ジジイも座るのかな」
「ちょっと面白そうな眺めだ」
「お松ちゃん達にも会わせてえ」
「おばさんら、喜ぶぞ」
「市場にも、連れて行きてえな」
「明日、一緒に行こう」
「隣のおばちゃんとこにも、挨拶に行きたい」
「連れて行こうぜ」
「畑に野菜採りに行くのも、ちょっと足元雪が多いかな」
「大丈夫だ、それほど積もらねえだろ」
「隣の田んぼのおじいさん、いたらいいな」
「いたら紹介しようぜ」
「緑風舎にも連れてって」
「おう」
「ゾロの田んぼや畑も見に行って」
「おう」
「なんかすげえ、忙しいな」
「そうだな」
放射熱で熱くなった爪先を掌で擦りながら、サンジはゾロの肩に凭れた。
「どうしよう、すげえ嬉しい。今日一日とても楽しかった」
「そうか」
「ありがとうな、ほんとにありがとう」
「どういたしまして」

俺の誕生日には、最高のプレゼントを貰ったから。
ゾロにそう囁かれ、サンジの頬がストーブの光のせいだけでなく赤く染まる。
「そこで、俺からのプレゼントだが」
真面目な顔で切り出され、サンジはえ?と目を丸くした。
「プレゼントは、ジジイじゃねえのか?」
「なんでプレゼントがじじいだよ。まあそれでもいいんだろうが」
くっくと苦笑しつつ、サンジの身体を後ろから抱き寄せる。
「本当はこれだ、って目の前に差し出せるといいんだけどよ。俺一人で選ぶのもなんだし、物が物だけにプレゼント品扱いはしたくねえしでよ」
「なに?」
「まだちと早いんだが、徳さんとこの犬がそろそろ仔を生むらしい。一匹どうだ」
「え?」
犬?とゾロの腕の中で身体を反転させて向き直った。
「いいのか、犬飼っても」
「その代わり、ちゃんと毎日散歩させろよ」
「勿論、するする!毎日だってする!」
「飲食店やってるんだから、衛生面では気を付けろよな」
「わかってる」
「旅行にだって気楽には出掛けられねえぞ。留守番させるか、連れて行くか」
「連れて行こう、連れて行けるとこに行こう」
「もしかしたら病気や事故で、死ぬことだってあり得るんだぞ」
「覚悟しとく」
「言っとくけど、徳さんちの犬は雑種だからな」
「そんなの構わねえ」
「ちゃんと躾ろよ、甘やかすんじゃねえぞ」
「大丈夫だ、俺は厳しく躾ける自信がある」
お前で実証してると言えば、ゾロはそれもそうかと笑った。
「まだ少し先のプレゼントだ」
「いい、すげえ嬉しい」
サンジは興奮して膝立ちになり、そのままぎゅっとゾロの首に齧り付いた。
「すげえ嬉しい、ありがとうゾロ」
「誕生日、おめでとう」
喜んでもらえて何よりだと、腕に抱え込んだサンジの顔を覗き込んだ。
感激に目を潤ませて、サンジはそのまま顔ごとぶつかるようにして口付けてくる。
拙いけれど想いが篭もった口付けを受け止めて、ゾロは温まり始めた部屋の中でサンジの身体をゆっくりと横たえた。

風呂の水を止め忘れていたことに気付いたのは、それから30分後のことだった。



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