山笑う -4-



ゼフ達は2泊の予定でシモツキに滞在した。
予想通りサンジは忙しく動き、ここぞとばかりにゼフをあちこちに引っ張り回した。
和々ではお松ちゃん達がダンディなゼフに熱を上げ、俄かファンクラブが結成されるに至り。
たしぎのツイッター情報で美女襲来を知らせ、3月3日はレディースデーと銘打ったにも関わらず店の外にまで溢れんばかりにおっさん連中が集まった。
懐かしいおじさん達との再会に、カヤは大喜びだ。
サンジは仕入先の市場にもゼフを連れて行き、顔なじみの漁師からあれもこれもとオマケをされた。
村内を回ってはあちこちの農地をゼフに案内し、隣の田んぼのおじさんにも紹介できた。
帰りにお隣さんちに寄って、家に上がりこんでゆっくりとお茶までして。
隣のおばさんの話に笑顔で聞き入るゼフは、今までサンジが知っていた祖父の顔とは違って見えた。
いつも厳格で寡黙な一面しか見せなかったのに、おばさんのゆっくりとした言葉に合わせて相槌を打つゼフは、まるで穏やかな好々爺のようだ。


「サンちゃんがぁ来てくれてぇ、本当によかったのぉ」
おばちゃんは大福みたいに丸い身体を揺らして、コロコロと笑う。
「緑風舎がねぇ、できた時も。こんなぁ田舎に農業しに来る若い人とか、なんで来るのって思ったあさぁ」
跡継ぎが嫌がって村を出る時代に、何を好き好んで辛い農業をしに来るものかと、村の大半が半信半疑だった。
「でもねぇゾロさんとか若い人が、しかもいい男がね、来てくれてねぇ。真剣に、田んぼやってる。そりゃもう私らの方がぁ、狐に抓まれたみたいだったねぇ」
それでもうサンちゃんでしょうぉと、おばちゃんの身振り手振りは見てるだけでも楽しくなるほどに大げさだ。
「農業だけで食ってけねえって、出てく若いもんばっかりだったのに。料理人さんまで村に来てくれたぁ。そんで、村の野菜をまるで魔法みたいに美味しいお料理に化けさせてさぁ、そりゃあもうみんな嬉しくてねえ。若いもんは勿論、年寄りが喜んでねぇ」

何もない村だと思っていた。
子ども達はどんどん街に出て行き、年寄りだけが残る時代に取り残された村だと思っていた。
けれど、まったく知らない土地から見知らぬ若者達がこの村に移り住んで、一番嫌われる農業に楽しげに取り掛かって。
この村はいい、ここの暮らしはいいと言葉で言われて村人たちは初めて、自分たちの住んでいる場所がそう捨てたものではないと気付かされたのだ。

「夜になって暗くなるのは当たり前、川が流れてるからせせらぎが聞こえて、森があるから鳥が囀って、草が生えてるから虫が鳴くのにぃ、そんなことを都会から来た人はぁ喜ぶの」
おっかっしいねぇと、おばちゃんは笑う。
「当たり前のことなのにねぇ。それが素晴らしいと言われたら、そうかなとか思ぉてまう。調子いいねえ。でもお調子者なのはぁ、この村の気質でねぇ」
「実際に、いいところですな」
ゼフはお世辞ではなく、穏やかに目を細めてそう言った。
「孫が移り住むと聞いた時は正直、そう長くはいないだろうと踏んでおりました。じきに嫌気が差して帰ってくるだろうと。街の中でしか暮らしたことのない男でしてな」
虫が苦手で。
そう付け加えると、おばちゃんはああそうと深刻そうな顔で頷く。
「虫は私もぉ嫌でね。あと蛇も嫌ぁ、嫌なものばっかり。ばっかりなのに、なんかここがいいのねぇ」
年寄りがはりきるのよと、ここだけの話みたいに声を潜める。
「サンちゃんがあんまり美味しいものを作るからぁ、みんな自分の野菜をレストランで使って欲しくてねぇ。とうじろーのおっさんとか、自分とこの野菜がこない美味いと、自慢して歩いたさぁ」
みんな、ウキウキしているのだ。
ゾロ達が来て、サンジが来て、何の変哲もない田舎の村がまるで宝島のように変身した。
「楽しくてね、ワクワクしてね。年寄りが元気になったさぁ。美味しいものは人を元気にするし、笑顔になるし、もっと頑張ろうって気になるしぃ。いいねえ、サンちゃんのお陰さねぇ」
「そう言っていただけると、ありがたいです」
殊勝なゼフの物言いに、おばちゃんはまたまたあと手を振って身体を揺らした。
「まだまだヒヨっこで常識もろくに知らず、なにかとご迷惑をお掛けすると思いますが、どうかよろしくお願いします」
「こちらこそですぅ」

お茶請けの水羊羹をご馳走になって、お隣さんをおいとました。
「おじいさんもぉ、またこちらにお帰りの際は遊びに来てくださいねぇ」
「あ、ああ・・・はい」
「お越し」ではなく「お帰り」になっていることに気付いて、ゾロはこっそり笑いを漏らした。
もしかしたらいつか、ゼフもこちらに「帰る」ことになるのかもしれない。



雪の上に刻まれた轍を選びながら、ゆっくりと田んぼ道を歩いて帰る。
「いいお隣さんだな」
「だろ、俺すごいお世話になってんだ。おばちゃん優しいし頼もしいし。お隣って言うには少々離れてるけどな」
濡れた足元でゼフが滑らないようさり気なく服の裾を掴みながら、サンジは横を向いたまま煙草を吹かした。
またその内、こうしてゼフと連れ立ってこの景色を見ることもあるかもしれないと、漠然とした予感があった。
だから寂しくはない。
これきりということはもうないのだと、訳もなく確信している。





楽しかった3日間はあっという間に過ぎ去った。
シモツキ駅の駐車場に皆が集まって、別れの挨拶を交わした。
ルフィとナミはそれぞれの実家に立ち寄った後、また海外に飛ぶのだと言う。
「今、紀行文の依頼があるのよ。各地のお天気と絡めて、ルフィが一緒だからネタには困らないわ」
「ナミさんが文章を書くのかい?」
「そうよ」
「すごいな」
一人10冊は購入ノルマよと、鬼のように命令してジープに乗り込んだ。
「それじゃ、またね」
「サンジの飯、どこで食ったのよりも美味かったぞ。俺らと一緒に来ればいいのに」
「ナミさんと二人きりならいくらでも行く」
即答したサンジの横で、ゾロがくわっと目を剥いた。
「本気か?」
「・・・ばか」
あーあやってらんねーとか、心底嫌そうな呻きがあちこちから漏れる。
「じゃあしょうがねえ。また食いにくるな」
「一人では来るなよ」
どこまでも冷淡なサンジにしししと笑い返し、ルフィとナミはあっさりと走り去って行った。

「じゃあ、俺らも行くか」
ウソップは来た時と同じように、ゼフを乗せて戻るらしい。
「ありがとう、ジジイがお世話になります」
サンジが畏まって頭を下げると、ウソップはいやあと照れたように笑った。
「実際、じいさんと会うのは今回が初めてだったけどな。話ができてよかったよ」
「こいつがガキん時からずっと付き合ってくれていて、あんたには感謝の言葉もない」
ゼフにしみじみとそう言われ、ウソップは笑顔のまま首を振っている。
「俺はサンジに覚えてて貰ってただけで、めちゃくちゃ嬉しかった。縁が繋がっててよかったよ。こうして付き合ってるうちに、俺らの運命も変わっちまったみたいだし。な」
そう言って話を振ると、そうですともとカヤは目を輝かせた。
「今度の日曜に、診療所の臨時職員面接があるのでまた伺います。これから先もなにがしかの用事があると思いますので、またよろしくお願いします」
「え、じゃあまたうちに寄って?」
わほっと飛び上がらん勢いのサンジに、カヤは笑顔で首を振った。
「午前中の1時間だけなので、その日はとんぼ返りの予定です。またゆっくりお邪魔させてもらいますね」
「そっか、残念」
「でもこれからはしょっちゅう来ることになるわよね。そうなるためにも、頑張ってね」
たしぎに励まされ、カヤは胸に両手を当てたまま頬を紅潮させている。
「ウソップ工房の場所も、そろそろ決めたいしな」
ウソップは昨日、役場で空き家活用の申請を済ませてきた。
すでに数箇所候補地があり、住宅兼工房に改築する予定らしい。
「カヤちゃんの就職の方が先に決まったら、住むとこより引越しのが早くなるな」
「この辺でもアパートとかあるし、大丈夫だろ」
「カヤちゃんちのお許しが出るかどうかが問題だ」
「つか、メリーさんのお許し?」
「揉めたら、おじさんに口添えして貰うよ」
勝手なことをと呟きながら、ゼフの顔は笑っている、

「それじゃあ、またな」
「ああ、また」
「頑張って、カヤちゃん」
「また来ますね」
ゼフが後部座席に乗ってしまってから、サンジは窓越しに近付いた。
「ジジイ」
「なんだ」
面倒臭そうにパワーウィンドウを下げる。
「来てくれて、ありがとう」
片手をポケットに突っ込んで、斜に構えた態度は不遜なままだ。
それでも耳まで赤く染めて、尖らせた口元は拗ねているようにも甘えているようにも見える。
「元気でやってりゃ、それでいい」
―――こっちも楽しかった。
小声でそう告げ、前を向いたままパワーウィンドウを上げる。
サンジは一歩下がってからにかりと笑い、軽く手を振った。

「またな」
「気を付けてなー」
「また来いよー」



また雪がちらつき始めた冬の空の下、軽くクラクションを鳴らして走り去っていく。
交差点を曲がってしまうまで見送って、ヘルメッポはあーあと嘆息した。
「帰っちまったなあ」
「寂しくなりますね」
「また来るわよ」
「面白い奴らだったなあ」
それじゃあ俺らもと、それぞれが仕事に戻る。
サンジもゾロの軽トラに乗って、冷えた車内から調子よく振り続ける空を見上げた。

分厚い雲に覆われた空は重たい灰色で、いかにも冬の景色だ。
けれどどこか、何かが真冬のそれとは違う。
なんだろうと首を巡らし、その原因に気が付いた。
「色が、違うんだ」
「ん?」
走り始めた軽トラの窓に額をくっ付けるようにして、サンジは外の景色を眺めた。
「山の色が、冬とは違う」
「ああ、もう春だからな」
未だに雪がちらつく寒さでも、樹々は確実に芽吹きその色を少しずつ変えている。
濃い暗緑色の景色は少しずつ柔らかな色合いとなり、やがて淡い緑や薄紅色が山々を覆っていくのだろう。

「春山澹冶にして笑ふが如く」
「笑う?」
「そう、春の季語は『山笑う』」
「なるほど」
春の色は緑と黄色だと、ここに越して来た時に気付いたことを思い出した。
今はまだ暗い山並みがまるで嫣然と笑うように艶やかになるのも、もうすぐだろう。
そうして春が訪れる。
サンジは心弾む想いで、流れる景色に笑顔を向けた。


END


back