山笑う -2-



「なにボサっと突っ立ってやがんだ。とっとと案内しろ、寒いだろうが」
ゼフの叱責に我に返って、サンジは「ああ」と慌てて歩み寄った。

「なに、なんでジジイが・・・」
「おーいサンジ、これどこに運ぶんだ?」
見れば、ウソップが後部座席から大きなケースを運び出そうとしていた。
ゾロが手を貸し、奥の冷蔵庫でいいなと確認する。
「ああ、頼む」
答えながらも気もそぞろで、ゼフに手を貸しゆっくりと歩むカヤに駆け寄った。
「ありがとう、カヤちゃん」
カヤは微笑みながらすっと下がり、ウソップの後に続く。

ゼフは杖を着きながら、ゆっくりとした足取りで玄関に向かった。
数歩下がった位置で祖父の大きな背中を見ながら、サンジはああと小さく息を呑んだ。
レテルニテの玄関は、段差のない緩やかなスロープだ。
いつかもしゼフが来たらその足で一人で自由に出入りできるよう、すべてユニバーサルデザインで設計して貰った。
―――いつか来たら。
そう思っていたのに、それがまさか今日だなんて。

なぜか胸が詰まって、サンジは立ち竦んだままきゅっと口を引き結んだ。
目の前に建つのは、夢の結晶のような“自分の店”。
そしてその店に入る、ゼフの姿。
夢にも見なかったような光景を目の当たりにして、つい万感の想いがこみ上げ、サンジは口元をかすかに戦慄かせた。

「あ、また降って来たわ」
ナミは空を見上げ、舞い落ちる雪の欠片を受け止めるように両手を広げた。
カヤも白い息を吐きながら、小さく歓声を上げる。
「冷えてしまうよ、中に入ろう」
サンジはずっと鼻を啜ると、笑顔を向けてナミ達をエスコートする。
そうして、一番最後に店に入り扉を閉めた。





コツコツと、ゼフが着く杖の音がフロアに響く。
カウンター前のスペースに立ち、ゼフはぐるりと店内を見渡した。
高い天井、ゆっくりと回る天井扇。
雛祭りを意識して店内に飾った桃の花から、仄かに甘い香りが漂っている。
明り取りの窓からは舞い落ちる雪が見え、広い窓の外はいつの間にかうっすらと白に覆われた景色が広がっていた。

「俺とルフィは、荷物持ってチェックインだけ済ませて来るわ」
やっと着いたと言うのに一服する暇もなく、ウソップがルフィを伴って外に出た。
「任せたわ、お願いね」
「お願いします」
カウンターに座って悠々と手を振るナミとカヤを置いて、ウソップの車でそのまま出かける。
慌しいが、夕食までにはまだ時間があるから丁度いいだろう。

サンジはそわそわと落ち着かない素振りで、まずはと紅茶を煎れた。
ナミ達は和々でゆっくりしてきたけれど、カヤやゼフはお茶の一つも飲みたいだろう。
そう思いつつ、外の景色を眺めてじっと動かないゼフの背中にそっと視線を向ける。

何度見ても見慣れない、不思議な光景だ。
自分の店に、ゼフが立っているだなんて。

「カヤちゃんは秋にこのお店に来てるのよね」
「はい。ナミさんは初めてですか?」
「そうなの、最後にこっち来たの去年・・・ううん、一昨年の大晦日だもの。それ以来」
いい感じのお店よねー・・・と語らいながら、サンジが煎れてくれた紅茶で乾杯した。
「カヤちゃん達、お腹空いてない?なにかつまむ?」
「はい、お昼が遅かったのでそれほどお腹は空いてません。おじさまは?」
カヤに尋ねられ、ゼフはああと斜めに振り向いた。
「別に減っとらんよ。茶でも飲むとするか」
言いながらカヤの隣にゆっくりとした動作で腰掛けた。
なんと言うか、カヤとゼフの会話を聞いていると口元がムズムズしてくる。
ウソップも加えて、3人でどんな会話をしながらここまでの道のりを走ってきたのかと想像すると自然に笑えて来て、ゾロはカウンターの向こうでそっと背を向けた。
「カヤちゃん達が、ジジイを迎えに行ってくれたのかい?」
「ええ、ウソップさんのお仕事の都合もあって、少し出発が遅れてしまったんです」
「バラティエに寄って、ケーキとおじさまを乗せて来たのよね」
「俺はケーキのついでみてえなもんだったな」
そんなと小さく笑い合う姿は、仲の良い祖父と孫のようだ。

「それでどう?おじさま。サンジ君のお店は」
サンジが気になって気になって、でも聞けなくてモジモジしているようなことを、ナミはさらっと尋ねた。
ゼフはふんと鼻から息を吐き、ゆっくりと紅茶を啜る。
「こんな辺鄙な場所にぽつんと建ってやがって、それこそ狸や狐くらいしか来ねえんじゃねえのか」
「んなことねえよ」
すでに綺麗に拭かれた皿を何度も拭き直ししながら、サンジは口元を尖らせた。
「一応それなりに、常連さんとかいらっしゃるんだぜ。キュートな若奥さんとか、狸かもしれねえおっさん達とか、結構たくさん」
「けど確かに、ちょっと寂しい感じがするわね」
なにせ周りになんにもないんですもの、とナミは遠慮なく心配する。
「冬の間は特にね。先週まではちょっと春めいて、田んぼの畦道なんかも緑が広がってたんだけどこの雪で・・・」
そう言って窓の外に目をやり、ありゃ?と間の抜けた声を出した。
「もう真っ白だ」
「まあ」
釣られて窓の外に目を向け、全員がほうとため息を吐く。
山と田んぼしか見えない景色は、一面が白に覆われていた。

「積もるの早いわね〜」
「でもきれいですね、雪を被った地面や木肌の色が、いつもよりくすんで見えて・・・なんていうかとても深い色合いになってます」
「景色はいいだろ?」
サンジの言葉に、ゼフはふんと口をへの字にして黙った。
文句を言わないと言うことは、肯定ということだ。
「確かに冬の間はお客さん減ってるんだ。特に今年はとんでもなく雪が降ったから」
「集中豪雪あったでしょ」
「あれ、うちはポイント外れてたけど、すぐ近くの場所じゃえらいことになってて・・・」
話をしていると、表にワゴンが止まった。
スモーカー達だ。
時計を見れば5時を過ぎている。

「こんにちは」
「カヤちゃん、久しぶり」
弾むように飛び込んできたたしぎが、ゼフの存在に気付き足を止める。
ゼフは身体を傾けて、座ったまま来客達の方に向いた。
「あの、うちの祖父です。レストランのオーナーをやってる・・・」
「ゼフです、よろしく」
慇懃な態度で名乗るゼフに、いつもは調子のいいヘルメッポまでなにやら畏まって姿勢を正した。
「ゾロの仕事仲間で、スモーカーと言います。これは妻のたしぎ」
「これって・・・たしぎです、いつもサンジさんにお世話になってます」
「たしぎちゃんは、和々って喫茶店の経営もしてるんだ。前に話したろ?俺のケーキとか出してくれてる店」
「雑貨がとても可愛いんですよ」
「さっき私も見てきた。もっとゆっくり見たかったな」
「明日はゆっくりしてってください、二人とも」

女子同士で盛り上がっている後ろで、コビーとヘルメッポがそれぞれに頭を下げている。
「ゾロさんと一緒に農業の仕事やってます、コビーです」
「同じく、ヘルメッポです」
サンジはカウンター越しに身を乗り出して、付け足した。
「コビーはゾロと一緒に、週末はこの店のスタッフとして働いてくれてるんだ。あと、スモーカーやヘルメッポも手伝ってくれてる」
「そうか、いつも孫が世話になっております」
丁寧に頭を下げるゼフに、いやああと恐縮しながら両手を振って見せた。
「とりあえず適当に座れよ。紅茶とコーヒーどっちがいい?」
注文を受けながら、ゾロはカップの用意をしている。
「あと、ルフィとウソップが帰ってきたら勢揃いだな」
たしぎの隣のスツールに窮屈そうに腰を下ろしたスモーカーを、ナミは物珍しそうに見上げた。
「貴方があの雑貨を選んでらっしゃるんですって」
「そうですよ」
スモーカーより先に、なぜかカヤが誇らしげに答えた。
「素敵ですよね、あのセンス」
「今のディスプレイも素敵。もうすぐ春が来るから何か揃えなきゃって、購買意欲をそそられるわ」
「あら、ナミさんに買っていただけるなら、それが何よりの名誉かも」
「ふふふ、私の財布の紐は固いのよ」
きゃっきゃと盛り上がる女子達の隣で、ヘルメッポはゼフを相手に農業問題を熱く語っている。

―――なんだかこの光景が、やっぱり夢みたいで信じられないなあ。
サンジはどこかフワフワした気分で、同じ皿をずっと拭き続けていた。




程なくして、ウソップの車が駐車場に止まった。
もう外は真っ白で、スモーカーのワゴンの轍はすっかり雪に埋もれ消えてしまっている。
ほとんど吹雪の中を足早に駆けて来て、ルフィは開口一番叫んだ。
「サンジ腹減った、ただいま!」
「順番そっちかよ」
「いや〜参った参った、本格的に降って来たぞ」
「ありがとう、ウソップさん」
ウソップに駆け寄り、頭や肩に積もった雪をカヤも一緒に払い落とす。

「それじゃ全員揃ったことだし、ちと早いが飯にするか」
「うっし!」
「準備手伝うわ」
それじゃあみんなでと、一斉に動き始めた。





「さあどうぞ」
テーブルを移動させて、店の中央に一つの長い食卓を作る。
薄いピンクのテーブルクロスに、真っ白なキッチンクロス。
濃いピンクのナプキンをあしらって、黒の角盆にさくらの花びら型の小皿を乗せた。
そこここに置かれた雛祭り用のテーブルフィギュアは、和々からの借り物だ。
テーブルフラワーにはピンクや黄色をメインにした花を飾り、どこまで可愛らしさを追求した。
なにせ今回の主役は、ナミとカヤ、それにたしぎだと思っていたからだ。
まさか主賓席にゼフが座るだなんて、予想だにしていなかった。


―――どうしよう・・・
外の景色は明らかに冬に逆戻りで、薄い磁器の食器では雰囲気に合わないのではないか。
アペリティフは少し量が少な過ぎたか。
メインのソースは、ゼフに味見をしてもらうべきだっただろうか。

俄かに胸に湧き上がった不安を現すように、サンジの動きがほんの少し鈍る。
それを見透かしたか、ゾロが水を運ぶ足を止めてそっと近付いた。
「いつも通りでいいだろ」
耳元で小さく囁かれ、サンジは前を向いたままウンと答えた。
―――いつも通りでいい。
いつも自分が、お客さんに提供している通りの、いつものやり方で。
俺の店を、俺の味を、ジジイに知ってもらうために。
サンジは迷いを捨てて、いつものように手際よく作業を始めた。




「今日はサンジ君の誕生日なのに、主役が座らないでどうするの?」
「一通りコースが終わったら俺も座ります、誕生日云々はその時に」
今日は誕生日と言うよりも、レテルニテのお披露目をしたいとサンジは申し出た。
親しい友人に、懐かしい親友達に、そして家族に。
今の自分の生き方を見て欲しいから。
そう伝えれば、みな納得して大人しくテーブルに着いた。

「それじゃあお言葉に甘えて、ゾロとサンジ君には悪いけど先にいただきましょうか」
「いいんですかね、僕もお手伝いしなくて」
メインスタッフのコビーも今日はお客様だ。
みんなが楽しんで食べてくれるのが、何よりの俺へのプレゼントだよと言って、サンジはゾロとともに食前酒を開けアミューズを運んだ。

「自然薯のフリットです」
「可愛らしい、お花が添えてあるのね」
「それも食べられますよ」
どうしても雛祭りを意識しているせいで、可愛らしい盛り付けとなっている。
だがまあ仕方がない。
今日の主役はナミやカヤ、それにたしぎ達女子だ。
そう開き直って、サンジはせっせと料理を運ぶ。
「春キャベツのクリームスープです」
「綺麗な色ね」
「雪掘りだからね、とても甘いよ」
雪が消えてる間に白菜を収穫すべきだったとか、去年の出来は散々だったねとか、和やかに会話しながら食事が進んでいく。
いつもは途轍もない勢いでがっつくルフィも、今夜ばかりは大人しく周りのペースに合わせていた。
ちょっとかしこまった態度がおかしいと、すでにワインで酔っ払ったのかウソップがクスクスと嗤い続けている。
「スモークサーモンの温製仕立てサラダ、ビーツのソースです」
「この野菜もゾロが作ってるの?」
「それはハウスで水耕栽培」
「柔らかいよ」
「野菜っぽくないよな」
「癖がないから、子どもでも食べやすいんだ」
「このドレッシング、美味しい」
「温かいサーモンって、蕩けるみたい」
ワイワイと賑やかな中にあって、ゼフだけが黙々とフォークを使っている。
サンジはその様子を横目で見ながら、冷静に調理を続けた。
「子鴨のシュークルート添えです」
「この鴨も、もしかしてこの村の・・・」
「いや、これは最初から食用のやつ。アイガモ農法してるからそれを食べたいって要望もあるんだけど、今のところお断りしてて・・・」
「子鴨のが美味しいしな」
「お口直しに桃のソルベをどうぞ。んでこっちが、仔羊背肉のロースト白菜添え、柚子胡椒風味のジュレを添えて。今日は生憎、魚市場が休みでね。肉料理ばかりになっちまった」
「俺は大歓迎だぞ」
調子のいいルフィに、皆が笑う。

最後にチーズの盛り合わせとデザートを供したところで、ようやくゾロとサンジもテーブルに着いた。
「とても美味しかったわ、改めて乾杯しましょう」
「素敵な誕生日に」
「おめでとう、サンジさん」
「おめでとう」
次々にグラスが掲げられ、口々に祝福の言葉を投げ掛けられながら乾杯する。
ゾロと軽くグラスを合わせた後、急に喉の渇きを覚えて一気に食前酒を飲み干した。
正面に座るぜフと目が合って、酔いのせいでかさっと頬が熱くなる。

「美味しかったですよね、おじさま」
ナミに水を向けられ、ゼフはデザートスプーンを持ったまま鷹揚に頷いた。
「これで、いくらだって?」
「2500円」
「採算は、取れてんのか」
詰問するようなゼフの口調に、負けじと言い返す形になる。
「大丈夫だ、例えば自然薯はゾロが掘ってくれたものだし、野菜も全部うちの畑やハウス、足らなかったらスモーカーとかから仕入れてる。今日は魚が入れられなかったけど、魚市場じゃ結構知り合いが出来て、獲れ過ぎたからって直接分けてくれる漁師さんとかもいるんだぜ。それに猪とか鹿肉とかも、分けてくれる猟師さんがいる」
「なんでもかんでも貰って賄ってんじゃねえぞ、自然薯一つにしたって上等じゃねえか、ちゃんと支払ってんだろうな」
「その点はしっかり払ってる。ゾロはなかなか受け取ってくれなかったけど、それでもそこだけはきっちりしたかったし」
「他にも、助けてもらってんのか」
「秋とか、野菜の出来がよくなくて足らなくなってた時は、近所のおっさん達とかが誰か彼か食材を分けてくれてた。凄く助かった、本当にありがたかった」
「そんなだから、やってこれてんだぞ」
ゼフの厳しい指摘に、うんと素直に頷く。
「この店は、俺一人の店じゃねえんだ。ゾロやコビー、みんなに手伝ってもらってる。食材だって、村の人達に支えられてる。肉も魚も、漁をして生計を立ててる人達に助けてもらってる。俺一人の力じゃ絶対出来なかった。今からだってやっていけないって、それだけは自信がある」
そうきっぱり言い切って、サンジはへへっと照れたように笑った。
「今まで、バラティエでもそうだったけど、俺はずっと助けられて生きてきた。そこから脱却しなきゃって焦ってたけど、結局そのままでいいんだって開き直ったよ。俺はこれからもずっと、誰かに支えられて生きていく。そんな俺でも、誰かを支えられるように生きていきたい」
ゼフを真っ直ぐに見据えて、頬を紅潮させてそう宣言するサンジは、謙虚でありながら堂々として見えた。
目を眇め、笑むように口ひげを動かしてから、ゼフはゆっくりとデザートを口に運ぶ。
「・・・それで、お味の方は?」
ウソップが恐る恐る尋ねれば、ゼフは口を動かしたまま仏頂面で頷いた。
「別に、言うことはねえ」

途端、サンジの顔がくしゃりと歪む。
ゾロは背中を軽く叩き、ナミがテーブルに置いたままのサンジの拳に掌を重ねた。
「よかったわね」
「・・・うん」
「そりゃそうだよ、美味いもの」
「ほんとに美味いもん食うと自然と笑顔になって、後はなんにも言うことねえもんなあ」
スモーカーの素直な賞賛の言葉に、ゼフはふんと鼻を鳴らしてから観念したように笑顔を見せる。
「サンジ、お代わり」
「つか、バースデーケーキ忘れてね?!」

総突っ込みに遭って初めてケーキのことを思い出し、サンジは慌てて厨房に飛び込んだ。
みんなの笑い声に合わせて声を立てて笑いつつ、袖口でそっと目尻を拭いながら。


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