約束なんてしない  -3-


昨夜の「匂い」発言の余波が効いているのか、なぜだかギクシャクした朝食になった。
二人向かい合わせでモグモグと食べるも、会話が続かない。
ゾロが話さないのはいつものことだから、明らかに自分の態度の方がおかしいのだとサンジに自覚はあった。
お天気の話題でも今日の予定でも島の女の子の可愛さについてだって、その気になればいくらだって話すネタはあるのだ。
けれどついぼうっとして、ゾロがもぐもぐと咀嚼する口元をじっと眺めていたりして。
そんな自分にはっとして慌てて食事を再開させたり、とにもかくにも挙動不審だ。
「えらい豪勢な朝飯だな」
ゾロの、呟きとも取れる声に救われた思いですぐに食い付いた。
「んだろー?なんか市場のおっちゃん達がえらくサービスしてくれてよ、あれ持ってけこれ持ってけって」
途端、ゾロのこめかみにピキンと立った青筋になんて、サンジは気付かない。
「んでもって、宿取るのも大変だろうから今いるとこで連泊しろとかさあ。あれこれ親切に教えてくれるのな。特に夜は、海賊とか立ち寄る島だから絶対一人歩きするなとかさー」
「お前、海賊の自覚あるか?」
ゾロの当然のような突っ込みを、鼻で笑い返した。
「あったりまえだろ、けど俺がいくら自覚してても街の人達がそう見てくれなきゃ、まあしょうがねえんじゃねえの」
ゾロと違い、サンジは見てくれから一目置かれるような威圧感を持たない。
いきがって歩いてもせいぜいチンピラ程度の印象だから、まさかこの優男が海賊船のコックだなどと、誰も思わないだろう。
「能ある鷹は爪隠すってな。それに人に紛れて行動した方が、買い出しだって楽なもんだ」
開き直っている訳ではなく、これが仕事人としてのサンジの矜持だろう。
こういう部分には、ゾロも素直に敬服する。
「まあそんな訳で、てめえには不本意だろうがここでもう一泊すんぞ。もう下には話し付けたから」
キッチン付の快適なツインルームで、サンジの手料理込みなら文句の付けようもないほど贅沢な一泊だ。
だが―――

「なら今夜、てめえとやるぞ」
「ん、なにを?」
サンジはなにか聞き逃したかと、軽く小首を傾げて見せた。
その様子を、不覚にも可愛いとか思ってしまう。
「ここでもう一泊すんなら、てめえを抱くぞっつったんだ」
「―――・・・」
サンジは片方しか見えない瞳をぱちくりと瞬きさせて、それからむむむと眉間に皺を寄せて見せた。
半端に吸い付けた煙草を灰皿に押し潰し、こめかみを指で揉むような仕種を見せ、再びポケットから煙草を取り出して火を点ける。
ゆっくり吸い込んで吐き出してから、指先でととんと灰を落とした。
「―――で、なんだって?」
そこまでじっと待っていたゾロも、いい加減いらついて声を荒げる。
「今晩てめえに突っ込むっつったんだ」
「悪いが俺は、マリモ語がわからねえ。わかるように喋れ」
けっとゾロの方が横を向く。
「なに言ったってやるっつったらやるんだ。イヤなら尻尾巻いて逃げろ」
「あんだとお?」
カッチーンと来て、再び煙草を灰皿に押し潰した。
「なんで俺が逃げなきゃなんねえんだ、てめえが出てけ」
「怖えから俺を追い出すんだろうが」
「誰が怖いっつった。つか、なんでそういう話になってんだ?」
イライラとポケットに手を突っ込み煙草を取り出して、中身が空なのに気付いた。
ぐしゃりと箱を握りつぶし、ゴミ箱に投げ捨てる。
「大体、なんで俺が突っ込まれるんだよ」
「なら、てめえが突っ込みてえのか」
「アホか、俺は野郎に突っ込む趣味はねえ」
「だったら黙って突っ込まれろ」
「他に選択肢はねえのか?!」
叫びながら立ち上がったら、ゾロも椅子を蹴って立ち上がった。
「ねえ!」
ビンっと空気が震えるほどの大声で真正面から怒鳴られる。
前髪が風圧で揺れて、恐ろしいほどのゾロの気迫に首を竦めた。
「てめえみてえなユルいのがチャラチャラしてたら目離しなんねえ、俺がやる!」
「あ、ああああアホかー!」
向こう脛を強かに蹴って、僅かに屈んだゾロの頭の上に咄嗟に手にしたフライパンを振り下ろす。
軽快な音が響いたが、サンジは振り返らずにそのまま部屋を飛び出した。
「・・・っ、逃げんのか?」
「ざけんな、煙草買ってくるだけだ!」
律儀に言い返して、乱暴に扉を閉める。
足音を立てて階段を駆け下りるも、昼間で客がいないせいか閑散とした宿からは文句の一つも出ない。



そのままダカダカと街中を闇雲に歩き、ようやく興奮が鎮まってきたのは公園を3周してからだった。
ポテポテ歩いて疲れを感じ、空いたベンチにどかりと腰を下ろす。
一服しようとポケットを弄って、煙草を切らしていたことに気付いた。
そう言えば、煙草を買いに飛び出したのだ。
アホだなーと呟いて、手持ち無沙汰に空を見上げる。
昨日の雨が嘘のように、すかんと晴れた気持ちのいい午後だ。
寝坊したから昼を過ぎても腹は減らない。
けれど、ゾロはそろそろ腹が空くだろう。
昼はなにを食わせるかなーと思いながら、いやいやいやいやそれどころじゃねえだろと頭を抱える。

落ち着いて、頭の中を整理してみた。
さっきゾロはなんと言った?
俺に突っ込むとかなんとか、言ってなかったか?
突っ込むってなんだよ。
なにを突っ込むんだよ。
なんで俺に、つか俺を・・・抱く、とか言った?
「わわわわわわ」
ふわーっと毛が逆立って、耳が火を吹くほどに熱く感じた。
わしゃわしゃと髪を掻き混ぜ頭を抱える。
なに言ってんの?なに言ってくれちゃってんの?
ゾロが、あのゾロが?
俺を抱くって、なに言ってんの?
なんで俺?つか、なんで・・・なんで―――
「なんでそういう話になった?」

目離しならないとか言っていた。
ユルくてチャラチャラとかも言っていた。
人を捕まえて随分失礼な評価だが、そんなだから俺がやると息巻いていた。
なんでやるんだ、勝手になに一人で決めちゃってるんだ。
しかもあんなに鼻の穴膨らませて頬まで赤くさせて、握った拳は筋が浮くほど強く固められていて、人の目を真っ直ぐに見て逃がさないぞと挑むみたいに。
「なんで―――」
声に出して、ああそうだと改めて思う。
なんでそんなこと言うのか。
なんでやりたいのか、なんで今夜なのか。
いきなりなのかそうじゃないのか、実は前からだったのか単なる思い付きか、どういう意味でそんなこと言うのか。
ちゃんと説明してもらわないといけない。
意味がなく戯れにこういうことを口にする男じゃないと、それくらいはサンジにもわかる。
あの瞳の強さを見るだけで、気まぐれでもからかいでもないことぐらい、ちゃんとわかる。
だから―――
「あいつの口から、白状させてやる」
うし、と声に出して頷き、サンジはベンチから立ち上がった。



部屋に帰れば、むわっと汗臭い空気が顔を撫でた。
サンジが戻るのを大人しく待っていたのか、ゾロは部屋の中で筋トレに勤しんでいる。
串ダンゴはないが、あらゆる方法で過酷なストレッチを試みているらしく、指一本でさかさまになったまま振り返ったゾロは汗だくだった。
「逃げたんじゃねえのか」
「誰がだ!」
いきなり憎まれ口で迎えられ、言い返せばゾロの表情がなんだかへんなことに気付いた。
さかさまなのはいいとして、なんとなく・・・口元が緩んでいる。
というか、ぶっちゃけニヤついている。
なにそれ、なんで嬉しそうなのてめえ。
「ええい汗臭え、おやつ作る間にシャワー浴びて着替えて来い」
「おお」
今から遅い昼飯を食べると、夕飯の食い倒れが勿体無い。
ここは一つ、スイーツタイムで腹を満たしてもらおう。
サンジの甚だ勝手な思い付きだが、ゾロにも異存はないようだ。
刺して言い返しもせず、素直に言うことに従い風呂へと向かう。
その背中が風呂場に消えるのを横目で見ながら、窓を開け放ち換気して、買ったばかりの煙草の封を開ける。
煙草を咥えておやつの準備を始める内、どんどん調子に乗ってきてつい鼻唄まで飛び出すようになってきた。
いかんおかしいと気を引き締めるも、そう悪い気分ではない。

「匂いが甘え」
タオルで髪をわしゃわしゃ拭きながら上がって来たゾロを、ぞんざいに顎で使った。
「とっとと皿を並べろ、いやその前にテーブルを拭け。大皿に入れるから取り分けるぞ」
焼きたて熱々のパイを乗せ、包丁で切り分ける。
むわっと湯気が立ちフルーティな香りが室内を満たすのを、ゾロが目を輝かして見ている。
ルフィほどわかりやすくはないが、この男も甘いものはイけるらしい。
「酒はねえのか」
「あるか!おやつタイムだぞ。どうせ今夜たらふく飲むだろうが」
よく考えたら今夜は仲間みんなで食い倒れするのだった。
今晩やるとかどうとかだって、ちゃんとこの部屋に戻ってくるかどうかは怪しい。
盛り上がって午前様までどこかで飲んだくれる可能性の方が大だ。
いくら夜に開いている店が少ないと言っても、真夜中にやってる酒場くらいはあるだろう。
切り分けられたパイを前に殊勝に手を合わせるゾロに、サンジは頬杖を着いて聞いた。
「あのさ、さっきの話だけどよ」
「ああ?」
もう口いっぱいにパイを頬張ってモゴモゴしているゾロが、そのまま視線を上げた。
「なんでてめえ、俺をやりてえの?」
頬袋を膨らませながら、目力を強くする。
「そりゃてめえ、フラフラしてて隙だらけで・・・」
「や、そういう外的な理由じゃなくてだな。その、つまりてめえはどういうつもりで俺をだ・・・」
ゾロが、モグモグしながらじっとこちらを見ている。
「だ・・・だ―――」
ゴホン、と咳払いして取り繕った。
「俺をなんとかしてえとか、てめえはなんでそう思ったんだって聞いてんだよ!」
逆ギレするサンジに、ゾロはすっと目を眇めた。
モグモグごくんと飲み込んだ後、今度はゾロが肘を着いてしばし考えるポーズを取る。
カリカリと指先でこめかみ辺りを掻き、思いついたように顔を上げた。
「あれだ」
「なんだ」
「取られるって思った」
「・・・は?」
語彙が貧困なのはわかってはいたが、やはりこれでは会話にならない。
「取られる前に自分のモンにしてえと」
「おう、そうだそれそれ」
わが意を得たりという風に顔を輝かせるゾロに、サンジは溜め息しか出ない。
「もうちょい踏み込んで喋れ。なんで取られるのがイヤなんだ」
「あ?」
「俺が他のモンになるのがヤなんだろ?なんでだ」
またしても長考に入った。
こいつは掛け値なしの馬鹿だと、つくづく思う。
「そりゃあてめえが、ユルいから」
「だからそこに戻るな、なんで俺をてめえのもんにしたいんだ」
じっとサンジを見つめる瞳を、こちらも力をこめて見返した。
ここで負けちゃあなんねえと、妙に対抗心が湧く。
「キラキラ、してんな」
「・・・は?」
「チカチカしてすぐに目に付く、てめえの声ばかり聞こえるし、気配がねえと落ち着かない」
不意に、昨夜の「匂い」発言が甦った。
「んで、俺の匂いで安心すんのか」
「ああ、そうだ」
なんのてらいもなく、ゾロは真顔で肯定した。
対してサンジは、額に手を当てたまま嘆息する。
「あのなあ、ゾロ」
「ん?」
「そういうの、なんてえのか知らねえ?」
「知らん」
考えろ、ちょっとは頭を使え。
世間一般的に、いや常識的に自分の心境の変化くらい分析して名付けてみろ。

サンジは口元に笑いを湛えて顎を上げた。
向かい合いながらも、顎を上げ見下すように視線を下げる。
「てめえが、その答えを見つけられねえならこの話はなしだ」
「―――あ?」
2切れ目のパイを口に運びながら、ゾロは動きを止めた。
ぱかんと開いた口元の、歯並びは綺麗だ。
「俺が満足する答えを言葉にしてみやがれ。そうじゃなきゃ、俺は受け入れられねえ」
「なにをごちゃごちゃ・・・」
「アホか!」
ダン!とテーブルを拳骨で叩く。
「言っとくがこれは俺にとっちゃ一大事だぞ。大問題なんだ人生の転機だ運命変わっちゃうかもしんねえんだぞ。たいした理由もなしにさあどうぞと男にケツ差し出したりできるかってんだ。俺にそういう無茶を強いるってんなら、てめえだってない知恵搾って俺を説得できるだけの言葉ってもんを探しやがれ」
サンジの剣幕に、ゾロはぐっと押し黙った。
したいやりたいと自分の希望だけで、サンジの都合を考えなかったのはまずかったなと今更ながらちょっぴり反省する。
「言葉を、見つけりゃいいんだな」
「おう」
「それがてめえの納得できるモンなら、いいんだな」
「おうよ」
「本当だな」
「しつけえ、男に二言はねえ。約束は守る」
“約束”の二文字を出されると、ゾロはそれ以上畳み掛けなかった。
その代わりよし、と満足そうに頷き口元に笑みまで浮かべている。
「なに暢気にへらへらしてんだ、ちゃんと答えわかってんのかよ」
「考える」
「考えなきゃわかんねえのかよ!」
今夜やるとかなんとかだから、タイムリミット的にはもう半日もないのだ。
その辺りわかってるのかなーと危ぶまれたが、別にサンジ的にはゾロに成功してもらいたくないから助言するのは止めにした。

なんのかんのと結局二人だけのお茶会は随分と和やかな雰囲気で終わり、二人して暢気に昼寝などしてから夕食予定の「食い倒れ」店目指してぷらぷらと歩いていく。
ここ2日ですっかり顔なじみになった街の人達と気軽に挨拶を交わし、通りすがりに店を冷やかし、ああでもないこうでもないと話ながらのそぞろ歩きは楽しかった。
ショーウィンドウに映る自分たちの姿を客観的に見て、もしかしてちょっとデートっぽくね?と、サンジだけが気付いて妙な心地になったりもしたが、まあ気付かなかったことにする。
途中、山から降りてきたルフィと合流し、賑やかに騒ぎながら港に着いた。
食堂にはもうウソップとチョッパーがいて、後は女性陣が合流するだけだった。

そうして約束の7時を過ぎても、ナミとロビンは姿を現さなかった。





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