約束なんてしない  -2-


陽がすっかり落ちてしまうと、街の明かりも極端に減り随分閑散とした風景になる。
昼間の賑やかさが嘘のようにひっそりと静まり返って、すでに畳まれた後の市場を二人は早足で歩いた。
「えー店閉まるの早くね?食材買い足したかったのに」
「酒場はねえのか」
目を離すとすぐに路地に入りたがるゾロを足で軌道修正させ、ようやく片付け途中の食料品店を見つけた。
「マダム、店じまいのところ悪いけど調味料見せてもらえないかな」
「おやいらっしゃい」
女主人は品物に布を被せる手を止めて、愛想笑いを返した。
「この島は、閉めるの随分早いんだね」
「お客さんはみんなそう言うねえ、でも島の規則で決まってるんだよ。午後7時以降は商売しちゃいけないのさ」
「規則って・・・」
「島の自警団さ、破ったら海賊より怖いよ」
言いながらおどけて見せるから、さほど厳しいものでもないのだろう。
「そりゃあ頼もしいな」
サンジは手早く調味料を選び、おかみに差し出した。
慣れた手つきで紙袋に入れながら、おかみは誇らしげに胸を張る。
「そりゃあそうさ、この自警団あってこそ街は平和に保たれてるからね。店が早く閉まって旅のお客さん方は残念がるけど、島の若いもん達にはこれくらいの環境が丁度いい。夕食は宿でとるしかないと思うよ」
お兄さん方には悪いねと、おつりを渡して手を振った。
「忙しいところありがとう」
サンジ達が離れれば、店はすぐに看板を下ろしてしまった。
市場だけじゃなく食堂やカフェも一様に扉を閉ざしてしまっている。
「マジで、酒場はねえのか」
「さすがに裏通りにはあるみてえだが、極端に数が少ないよな」
ナミは歓楽街があると言っていたが、花街や娼館の類は本当にないのだろうか。
遠目にキラキラと輝いて見えるのは、高台にある巨大な施設のみだ。
ナミ達は、今夜はあの辺りで過ごしているのかもしれない。
それとは対照的に、小奇麗に整備された街は人気がなくなって、途端に素っ気無い異国の風景に変わった。
不意に、湿った匂いが鼻先を掠める。
どこかで雨が降ってでもいるのだろうか。
暗くてよくわからないが、ナミならば通り雨でも予知するかもしれない。
「諦めて、宿に戻ろうぜ」
ゾロは名残惜しそうだったが、大人しくサンジについて来た。



市場で食材を調達しておいてよかったと、改めて思いながら手早く夕食の支度をする。
ゾロは先に風呂場に消えた。
買い込んだ酒の数も限られているから、飲んで過ごすと言う訳にもいかないのだろう。
「アル中め」
口では悪態を吐きつつ、無意識に鼻歌交じりで調理を続ける。
烏の行水でさっさと上がってきたゾロは、明らかに上機嫌なサンジの後ろ姿を眺めながらごろりとベッドに寝転がった。
「飯」
「もうできる、つかなんだ偉そうに」
口元を尖らせ眉を顰めるも、その動作は踊るように流暢で足取りも軽い。
「洗ってある皿並べろ、うし出来上がりっと」
テーブルに適当に並べているゾロを追い掛けるようにして、綺麗に皿に盛り付ける。
さてできた、とフライパンを戻してテーブルに向き直った。
「お?」
取り皿と共にグラスが二つ置いてある。
珍しくラッパ飲みしないのかよと驚いて、グラスが二つあることにさらに驚いた。
「えーと・・・」
戸惑いつつ着席すれば、ゾロは口で栓を抜いて勝手にグラスにどぼどぼ注いだ。
「ほれ」
「え、俺の?」
差し出され、あからさまに戸惑ってしまう。
「酒、1本しかねえだろ」
「一人で飲んでもつまらねえだろうが」
いや、お前いっつも一人で飲んでるし。
そう突っ込みたかったが、場の雰囲気を壊したくなくて口を噤んだ。
「じゃあ、お相伴に預かろうかな」
言いながらグラスを持ち上げ、ゾロの前に掲げる。
ゾロは一旦ためらったが、自分もグラスを持ち上げてそれに合わせた。
「なんの乾杯だ」
「そりゃあ、ナミさんとロビンちゃんの美貌に」
「なんだそりゃ」
くくくと喉の奥で笑って、酒を一口含む。
思いの外軽くて爽やかな、口当たりのいい酒だ。
「あれ、美味い」
「うむ」
ゾロには少し物足りないだろう。
こんなもの、水みたいなものかもしれない。
「こんなことなら、もっと買ってくりゃよかったな」
きっとゾロは、一人でどこかに飲みに行くだろうと思っていたのだ。
こんな風に随分と早い時間から、二人きりで過ごすことになるとは思ってもみなかった。
「折角の陸なのに」
「まあ、たまにはいいだろ」
言外にそう悪くはないと匂わせて、ゾロは料理に箸を付ける。
いつも無表情で食べ進むゾロだが、今日は心なしかその表情が柔らかに見えた。
「美味いか?」
「おう」
頬杖を着いて問いかけるサンジに、素直に応じる。
「それ、この島特有の海草と和えてあんだ」
「海獣の肉も、新鮮なの手に入ってよかった」
「これ、コリコリして歯ごたえいいよな」
サンジの言葉にいちいち頷きながら、ゾロは旺盛な食欲を見せて次々と平らげていく。
その様子を見るだけで、サンジは大いに満足した。
「ナミさん達やウソップとチョッパーはいいとして、ルフィ、ちゃんと飯にありつけたかなあ」
こんなに早い時間から食堂が閉まるなんて、気付いていもいなかっただろう。
「あいつのことなら心配ない、飯の匂いにだけは敏感だ」
「・・・違いねえ」
ふふっと肩を竦めて笑い、ゾロのグラスに酒を注いだ。
「どんな手段ででも飯だけは食うだろうけど、余計なトラブル引き起こしそうで怖いな」
「ちょっと目を離すとすぐ、どっかいっちまいやがるからな」
ゾロの言葉に動作を止め、サンジは目を見張ったままじっと固まった。
「・・・なんだ?」
「お前がそれを言うか」
「だからなんだ」
サンジの視線をうるさそうに箸で振って、サンジのグラスへと酒を注ごうとする。
「や、俺はいいから」
「お前美味いっつってただろうが」
1本しかないから遠慮してるのに、ゾロは構わず勢いよく注ぐからグラスから零れてしまう。
「ああ、勿体ねえ」
グラスを持とうとして酒に濡れた手の甲を、サンジは口元に持っていってぺろりと舐めた。
顔を上げれば、ゾロがなんとも言えないような妙な顔つきでじっと見ている。
「なんだ?」
「・・・別に」
ごっそさん、と舐めたように綺麗になった皿を残しゾロは残りの酒を瓶ごと呷ってベッドに戻った。



「なあ」
「ん?」
洗い物をしている間中も、背中にチクチクとゾロの視線を感じてなんとも居心地が悪い。
サンジは濡れた手を拭いて煙草を取り出すと、そっぽを向いたまま火を吐けた。
軽く吹かしてからゾロに向き直る。
「飲み足りなかったら、酒場行ってもいいんだぞ」
思わぬ提案に、ゾロは寝そべったまま首だけ擡げた。
「酒場はねえだろうが」
「探しゃああるだろ、お前そういう時鼻効くじゃねえか」
酒場には辿り着けるのに、宿や船に戻れないのはどういう訳だろう。
「行ってきたらいいぞ、朝までに戻ってこなきゃ探しに行ってやる」
「てめえは、行かねえのか?」
ゾロの口調にどこか落胆したような色を見て、サンジはお?と首を傾げた。
「別に俺は、さっきの酒で充分だし」
いい酒だった。
ゾロと二人で飲んだからか、今もとてもいい気分だ。
「俺も別にいい。知らねえ街を一人でぶらついても仕方ねえしな」
とくんと胸が鳴って、サンジはそれを誤魔化すように灰皿に煙草を押し潰す。
「この出不精め」
「雨も降ってるじゃねえか、わざわざ好き好んで出歩くこたねえよ」
言われて気付いた。
そう言えば、外から雨だれの音がする。
本格的に降ってきたか。
「雨降りならしょうがねえな、大人しく野郎二人で寝てるか」
「てめえの匂いがする場所なら、よく寝れる」
ふうんと聞き流して、思わずはっと動きを止めてしまった。
今、なんと言ったこやつは。
振り向いて顔を見るのは躊躇われるが、ゾロがどんな表情をしているのかはものすごく見てみたい。
内心の葛藤でぎこちなく首を巡らしながら、サンジはぎくしゃくとした動きで立ち上がった。
「じゃ、俺風呂行ってくる」
「おう」
ゾロは、自らの爆弾発言など気にしていないようで、再びベッドに大の字になってとろとろとまどろんでいた。
なんだ、なんなんだ一体。


サンジは風呂場に入ると、服を脱ぎながらも先ほどのゾロの台詞をずっと頭の中で繰り返していた。
俺の匂いがする場所で?
だったら眠れる?
つか、俺の匂いって、匂いって?!
俺臭い?
いやまさか、俺のフレーバーは煙草だぜ。
煙草の匂い?
え、煙草フェチ?
すっかり混乱した頭で、勢いよくシャワーを捻った。

俺の匂いのする場所って、つまり、一緒の部屋に寝てても嫌じゃねえってことかな。
つか、気詰まりじゃねえのかな。
や、俺は別に平気だけれども。
いつも男部屋で一緒に寝てんだし、匂いどころかいびきも欠伸も歯軋りだって丸聞こえなんだけど。
けど、よく寝れるって。
俺の傍だと安心するってことか?
あのゾロが?
俺の匂いがする場所ならって・・・匂いって匂いって・・・

わーと口の中で喚きながら髪を洗った。
よく泡立てて身体中隈なく洗い、匂いが強そうな場所を殊更念入りに洗ってしまう。
いやいやいやいや落ち着け俺。
なに動揺してんだ。
マリモの言葉の一つや二つに、なにワタワタしてんだ俺。
特に何てことないだろう。
仲間の気配がある場所の方がよく寝れるって、そういうことだろ。
深い意味はない、断じてそれ以上の意味はない・・・はず。
ただ、俺の匂いって・・・
俺の匂いって――――
うがあっと水飛沫を上げて顔振るい、パンパンと叩いた。
しゃっきりしろ、俺。

短い間ながらすっかりのぼせきった顔で風呂から上がれば、部屋の中はすでに灯りが落とされてベッドの一つがこんもりと山になっていた。
しとしとと静かに降り続く雨音に紛れ、安らかな寝息が響いている。
そのことにほっとして、それからほんの少し落胆して、サンジももぞもぞと隣のベッドに入った。





まんじりともできないかと思ったが、思いの外ぐっすりと眠ってしまった。
目が覚めたらすでに雨は上がっていて、薄いカーテン越しに朝の白い光が差し込んでいる。
窓を開ければ、しっとりと湿った空気が頬を撫でて心地いい。
続く街並みはいつの間にか人が溢れ、活気に満ちていた。
夜が早い分、朝も早いらしい。
「気持ちいーな」
大きく伸びをして深呼吸し、日差しを背にして振り返る。
ゾロはまだ、ベッドの上で大の字になってガアガアと高鼾だ。
その無防備な寝姿に自然と笑いが込み上げて、サンジはニマニマしながら朝食を買うべく階下へと下りた。

露店の間を歩くと、そこここでパンの焼けるいい匂いが漂い、新鮮な野菜やフルーツが山盛りになっている。
昨日見知ったおっさんおばちゃん達と挨拶を交わし、呼び込みにつられてその都度足を止めた。
「昨日はありがとうマダム、お陰で美味しい夕食が作れたよ」
「お兄さん、昨日着いたんでしょ。今日の分も買っておいで」
「今日はいい魚が捕れてるよ」
ログが溜まる時間を知り尽くしていて、タイムリーな誘い文句に心が揺れた。
とは言え、まずは朝食だ。
それでも抱えきれないほどの食料を買い込んで、ついでにたくさんのオマケまでつけてもらって踊るような足取りで部屋に戻る。
ゾロは出て行った時と同じ姿勢でまだ眠り続けていて、サンジが料理している間も目を覚まさなかった。
よほど熟睡しているのだろうと呆れつつ、昨夜のゾロの言葉が不意に脳裏に蘇ってしまう。
「俺の匂いで、安心し切ってんじゃねえぞ」
ぼそっと呟いて、自分の言葉に照れて一人で身悶えした。
いやいやいや、勝手にツボに入ってんじゃねえよ俺。
いつまで拘ってんだよ、恥ずかしいぞ俺。

朝食の支度をすっかり整えてしまってから、さてと太平楽に眠りこけるゾロに向き直る。
いつもなら怒号と共に蹴り飛ばすところだが、ここはまあ宿の部屋であるし、備品を壊すと後々面倒だし金も掛かるし、無駄な乱闘は避けた方がいいだろう。
そう思って、そう理由をつけて、サンジはそっと横たわるゾロの隣に腰を降ろした。
「起きろ」
言って、むにっとゾロの頬を抓ってみる。
指で挟んで引っ張って、それでも起きないからぐいぐいと左右に振った。
皮膚が赤くなって指の跡が付いたけれど、起きる気配がない。
鼻を抓み、ついでに口に掌を当てて塞いでみた。
ふぐっと間の抜けた息が漏れて、ふぐふぐと掌をきつく吸われる。
「く、すぐって・・・」
声を立てて笑い掛け、ぐいっと背中を押され前のめりに倒れた。
慌てて両手をベッドに着いて倒れこむのを防ぐも、腰と背中をゾロの両腕で抱かれた形で固定される。
「はわっ」
目の前に、ゾロの顔があった。
ばっちり瞳を開けて、鼻がくっつきそうなほどの近くから見つめている。
寝ぼけてもいない、怒ってもいないけれど笑ってもいない強い視線。

「お・・・はよう」
間抜けなサンジの声に、ゾロは表情を緩めて欠伸をし、「おはよう」と返した。





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