約束なんてしない  -1-


遠くに島影が映る頃、カモメ便が一足早く観光パンフレットを落としていった。
随分手回しのいい島だと、ナミはさっそく丸められたそれを広げる。
「あら、島の全体図が載ってる。これは見やすいわね、歓楽街の案内もあるし」
「なんですとナミすわん!歓楽街?」
単語を聞きつけて、飲み物を持って来たサンジがその場でトレイ片手にクルクル回ってどうぞと傅いた。
どう言う訳か、グラスからは一滴も零れていない。
まさに一流コック(ウェイター?)の妙技ゆえか。
「歓楽街って言ってもカジノやバーがメインよ。サンジ君がご期待のものは・・・ぱっと見、見当らないみたい」
「やだなあ、なに言ってんのナミさん!」
冷や汗を拭いつつ、隣のロビンにどうぞとこちらは熱いコーヒーを差し出す。
優雅にティータイムを楽しむ女性陣を尻目に、男性陣は着岸の準備で大童だ。
「でっかい島だと治安はどうなんだ?」
どんぐり眼で振り向くウソップに、ナミはひらひらとパンフレットを掲げて見せた。
「それがね、島独自の自警団が大きな組織らしくて、海軍の常駐所はないみたい」
「そりゃ一番理想的じゃね?」
高額の賞金首でありながら一般人に危害を加えない麦わらクルーにとって、海軍は厄介だ。
常駐していれば追い掛け回されるが、いなければいないで治安が悪くなり面倒ごとに巻き込まれる確率も高くなる。
今回のように独自の自警団がしっかりしていてくれれば、安心して滞在できる。
「ようし、冒険だ!」
「でかい街は久しぶりだなー、おっきい本屋とかあるかな?」
「メインストリートにでかい市場が書いてあるぞ」
釣られてナミの傍にワラワラと集まったチョッパーとウソップを、ゾロが呼びつけた。
「島が右から左に移動したぞ」
「「「お前が舵を取るなー!」」」
ワラワラと賑やかに慌てふためきながら、ゴーイングメリー号は無事港へと入った。





「ログが溜まるのは2日後、ちょっと忙しないわね。明後日の正午に船に集合ね」
海賊であろうが商船であろうが、料金さえ払えば船を堂々と係留させておくことができる。
その間、丸2日陸で遊べるとあって仲間達は皆浮き足立った。

「あーちょっと待ちなさいよコラ!」
飛び出しかけたルフィの耳朶を引っ張ったら、そのままナミまでゴムのように跳ね上がりそうになった。
それをウソップが押さえチョッパが止め、ロビンが何本も生やした腕で雁字搦めしてようやく落ち着く。
「明日には一旦、集合して一緒にご飯食べましょう」
「えー」
面倒臭そうなルフィの頭を拳骨で抑え、ナミは仲間達を見渡してにこっと微笑む。
「こーんな大きな街ですもの、たった2日と言えどもうっかり目を離すとどこかに行っちゃったきり帰って来なかったり遭難したり余計なトラブル持ち込んだり海軍引き連れて来たりすることって、あるじゃなーい?」
最後の視線はゾロで止まった。
気が付けば、全員の目がゾロに集中している。
「んな訳あるか」
「「「いーやあるある」」」
異口同音に賛同されて、腑に落ちない表情なのはゾロ一人だ。
「なんせ48時間以上経つと別のルートに即上書きされるから、ここ結構忙しないのよ。集合の時間は厳守。遅れたら置いていくから」
笑顔のままだが目が笑っていない。
中日に一旦集合して安否を確認しておきたいとのナミの意向もわかり、全員素直に頷いた。
「そいじゃ、一応明日の夕飯一緒に食うか」
「えっとね集合場所は、南港のバザールの中の“食い倒れ食堂”」
「食い倒れー!」
「縁起悪っ!いや店にとって」
「違いねえ」
ゲラゲラと笑いつつ、取り敢えず解散と相成った。



「チョッパーは本屋探すんだろ?」
「うん、でも市場も覗きたい」
「俺も先に市場ブラつくから一緒に行こうぜ」
チョッパーとウソップは、香辛料や漢方薬繋がりでよく店でかち合うことが多い。
今回は一緒に行動するようだ。
勿論サンジもそのルートに合流するのが自然だが、歩み寄ろうとして先に牽制されてしまった。
「じゃあ、サンジそっちはよろしくな」
「明日、食い倒れで会おうな〜」
ウソップとチョッパーに笑顔で手を振られ駆け足で立ち去られて、サンジは苦虫でも噛み潰したみたいに顔を歪めて煙草を噛み締めた。
「へいへい、いってらっしゃい」
げんなりしつつ振り返れば、ウソップが言う「そっち」はもう100メートルほども遠くへサクサクと歩いてしまっている。
「くおらこの迷子緑!?」
「ああ?なにしやがんだグル眉」
後ろから飛び蹴りするのを軽く避けられ、ムカついて二度三度蹴り掛かった。
「着いて早々じゃれるんじゃねえ」
「誰がてめえ相手にじゃれるか。どうせならロビンちゃんやナミさんに遊んでもらいたいー」
「ならそっち行けばいいじゃねえか」
もはや二人の姿は街へと消えている。
「俺だってできるもんならそうしてえよ、ショッピングに付き合って荷物持って一緒にお茶してディナーもしてえよ!」
とっかえひっかえ試着するナミに、どれも似合いすぎて俺が迷うよー!なんて叫びたい。
たまにはエステでもお願いしようかしらなんて、もろ肌脱いだロビンの背中をオイルでマッサージしまくりたい。
そんな秘めた欲望をうっかり声に出して並べ立てている間に、ゾロはまたサクサクと200メートルほど歩き去っている。
「だから待てっつってんだこの腹巻迷子」
「なんなんだ」
ゲシゲシと空を蹴りながら、サンジはゾロの前に回りこんだ。
「この島は48時間きっかりには出発しなきゃなんねえんだから、てめえ一人に彷徨われると迷惑なんだ」
「ああ?明日には飯に戻るだろ」
「単独で戻れるかボケ!」
ウソップもチョッパーも、ゾロと言うお荷物をさっさと預けて逃げてしまった。
ナミやロビンに任せる訳にも行かず、ルフィは論外だ。
結果サンジが貧乏くじを引いた形になる。
「何でてめえが付いて来るんだ」
「逆だろ、お前が俺に付いてくんだよ・・・って、言ってる傍からどっち行くんだてめえ」
「俺は釣りがしてえ」
「そっちは山だボケっ」
喧々諤々怒鳴りあいながら、二人は街の中へと入っていった。



ゾロの天才的な方向音痴は、自覚がないから実に性質が悪い。
ちょっと目を離すとすぐにどこかへ行ってしまうから、同行するのは骨が折れるのだ。
目的の買い物がある場合は、はっきりいって足手まといになる。
サンジとて短い滞在中に買い出しの手配をしなくてはならないが、その辺りは職業柄慣れているしこれくらい活気付いた市場が港にあれば出航当日に配達してくれる手筈さえとっておけば後は心配ない。
「んっと、あと乾物もんも揃えときてえんだが」
「兄ちゃんこれとかどうだい?水に戻すだけでこんだけになるぜ」
「おお、こりゃすげえボリュームだな」
珍しい食材に惹かれて店主とつい話し込んでいる間にも、ゾロは勝手にテクテク歩いてしまったりする。
そうすると、先ほどからの二人のやり取りを見ていたらしいおかみさん方が機転を利かせて教えてくれた。
「お兄さん、お連れさんが2軒先まで行っちゃったよ」
「ありがとう、助かりますマダム。じゃあ、それ5袋一緒に配達頼む。南港5番、羊頭のキャラベルだ」
「毎度あり」
グランドライン広しとは言え、市場でのやり取りはどことも同じようなものだ。
加えて、サンジはなぜか商売人に気に入られる素養がある。
ちょっと世間話した程度でオマケは当たり前だし、まとめ買いするせいか配達を断られたこともない。
「ったく、じっとしてらんねんのかてめえ」
「話が長え」
「必要な情報収集だよ、ここ独自の食材なんか使い方わかんねえどどうしようもねえじゃねえか」
言いながら、すぐに「お」と視線は店頭へと流れた。
「マダム、これはなんの実ですか?」
ゾロはやれやれとため息を吐き、周囲を見回して酒屋の前に進んだ。
様々な種類の酒が並ぶ光景でも見て時間を潰しているしかあるまい。

ゾロにしてみれば、自分の方がサンジに付き合ってやっていると思っている。
市場に入ったが最後、どの店でも何がしか声を掛け話を聞かなければ気が済まないとでも思っているみたいに、のべつ幕なし喋り続けるのだ。
しかもどの相手にも愛想よく。
野郎には素っ気無くも笑顔を返すし、女相手だとどんなオバサンでもバアサンでも丁寧な物腰で懐いている。
とても嬉しげで楽しそうで、ガキ臭く笑う姿はよく目立つ髪の色と相俟って、そこだけ花が咲いたように華やかだ。
いつの間にか市場中の注目を浴びていることに、多分本人だけが気付いていない。
ぱっと見細腰で痩身だから、大荷物を抱えて歩けないと思われるのだろう。
屈強な男達が自ら荷持ちを進言しているのも何度か見た。
んじゃ配達よろしくと、好意を素直に受け取るサンジは明らかに無防備で。
海賊でありながらこのユルさと能天気さでは、決して目離しならないと危ぶんでいるのが実はゾロの方だったりする。
お互いの思惑など知らぬまま、お互い相手に「付き合ってやっている」と恩着せがましく思いながら一緒にいる二人だった。

「よしよし、いい子で待ってたな」
踊るような足取りで酒屋の前にやってきたサンジは上機嫌だった。
よほどいい買い物ができたらしい。
「オマケで食材分けて貰えたから、てめえにも食わせてやるよ」
ゾロの右眉がピクンと動いた。
「どっかキッチン付の宿見つけたら俺が料理できるし」
それじゃあ早速探さねえとと、すぐに首を巡らす。
「なんだてめえ気が早え奴だな、まだ日は高えんだからどっかで茶でもしようぜ」
言いながら、サンジはふと店を振り返った。
「ちゃんと待ってたご褒美に、一本くらい買ってやろうか」
ゾロの目がきらんと光った。
「ったく、しょうがねえなあ。これ・・・はダメだぞ、ちと高え。同じ米の酒ならこっちなら・・・」
うんうんと一頻り悩んでから、一本選んで買った。
「うし、じゃあこれに合うつまみを作ってやる」
ゾロが口端を引き上げながら踵を返す。
「あんだてめえ、わかりやすい奴だなあ」
サンジは快活に笑いながらその後に続いた。

一部始終を見守っていた市場のおっちゃんおばちゃん達が、ほうっと詰めていた息を吐く。
「緑の兄ちゃん、一言も喋ってねえぞ」
「でも会話は成り立ってたねえ」
「たいしたもんだ」





時間が早かったせいか、キッチン付の部屋はすぐに見つかった。
ツインなのは気に入らないが、贅沢は言ってられない。
なにより、宿代が折半なのは常に懐が寂しい台所事情には嬉しいことだ。
「夕食の仕込みも済んだし、どっかで茶でもしようぜ」
甘いものが食べたい。
そう言うと、ゾロは嫌がらずに付いてきた。
てっきり部屋でガアガア寝だすと思ったから、これは意外だ。
意外ついでにからかってみたくなって、パンフレットに載っていた非常に乙女チックで可愛らしいカフェへと誘った。
「島の特産だって、この瑞々しい赤がなんとも言えず美味そうだよなあ」
ゾロには一口で足りなさそうな小さく美麗なプティフールを前に、サンジはニヤニヤしながら煙草を吹かしている。
窓にはレースのカフェカーテンがそよぎ、木立の間から少し朱色に染まった日差しが降り注ぐテラス。
二人以外の客は全員うら若き女性と言う状況で、店員と道行く人々の注目をも一身に浴びながら、ゾロは済ました顔でカップを啜っていた。
可愛くて綺麗なプティフールはすでに腹の中だ。
「こうしてお茶してたら、ナミさんかロビンちゃんが通り掛りそうなもんなんだけど」
出会わなかったなあと悔しげに呟く。
ウソップとチョッパーには宿に入る前に裏通りで会った。
ルフィは公園の猿と威嚇し合っているのを見た。
けれどナミとロビンの二人はカジノかエステに行っているのか、姿を見掛けてはいない。
「でかく見えて、案外行動範囲は狭い島なんだよここ。街の中心からずーっと放射状に店ができてるから迷うこともねえし」
や、てめえには言わねえけどと一人でブツブツ言っている。
ゾロがくいっとコーヒーを飲み干して、それを合図に店を出た。

ずっとサンジが一方的に話すばかりなのに、なぜかお互い会話が成り立っている気持ちになっている。
つい話に夢中で、ゾロがどこに向かっているのか気付いていなかった。
はたと我に返れば、随分街から離れたところまで来てしまっている。
「ありゃここどこだ、街は後ろだろ」
ぐるりと辺りを見回して、森の中に迷い込んでいることに気付く。
「海はあっちで港が・・・こっちか」
持参したパンフレットと見比べて、はてと首を傾げた。
「こりゃ、どこだ?」
地図に小さな森のマークはあるが、それにしては今いる場所が広すぎる。
「ちょっと丘登って見ようぜ、上から見たらなんか見えるだろ」
黙ってゾロが付いてくるのをいいことに、テクテクと小高い丘を登った。
樹々の間から視界が開け、途中から切り立った崖になっていることに気付いた。
「ああ、この下はなんとか倶楽部の敷地なのか」

見下ろせば、一面の芝生と整備された森が配置された、巨大な公園のようになっていた。
とは言え誰もが自由に出入りできる雰囲気にない。
会員制の遊技場らしい。
芝生広場の中央には円形のガラスドームが2つあって、蛇腹のような回廊が繋いでいた。
「むふ、むふふ・・・」
いきなり不気味な含み笑いを始めたサンジに、ゾロが眉根を寄せる。
「なんだエロコック、気色悪い」
「悪かったな。だって見ろよあれー」
指差した先に、2つのドーム。
「こんもり盛り上がって、まるでおっぱいみたいじゃね?」
カクンと、ゾロの肩が下がった。
言うに事欠いて、なに言い出すのかこのアヒル頭は。
「さしずめちょっと白っぽい方が右のおっぱいな。先っぽにちょんとついてんのが・・・」
それ以上はいえない問いでもいう風に、クネクネ背を撓らせる。
「あーやべえな、恥ずかしいなあ」
「俺はそんなてめえが恥ずかしい」
「あ?なんか言ったか?」
お互いに足でゲシゲシ蹴り合いながら、丘を下って街へと帰った。



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