Whispering -1-




みかけない人だね。
旅の途中かい?
こんななんにもない島に、観光でもあるまいに。

え、腹が減った?
安くて美味い店はないか?
それならあるよ。
なんにもない島だけど、安くて美味い店ならある。
この道を真っ直ぐ、海沿いに歩けば小高い丘のところに小さな店が立ってる。
それしかないから、間違いようがないさ。

昔は婆さんが漁師相手に細々と営んでいた飯屋だったけど、今はちょっと洒落たレストランになってるよ。
ああ、そこの飯は美味い。
俺らだって、家に帰りゃ古女房が変わり映えのねえ飯を食わせてくれるけどよ、そこで食うのはちょっと違うんだ。
ほんとにちょっと、“特別”にな。
朝起きて仕事して飯食って寝るだけの毎日だけどよ。
ほんのちょっとした“特別”な日に、あそこで飯を食うんだ。

女房がヘソ曲げて弁当作ってくれない時とか、あそこに連れてって飯食わせてやりゃあすぐに機嫌を直すさ。
他所の島に働きに出てる息子どもも、帰ってきたときにあそこでちょっと宴会すりゃあ、このまま島に残ろうかなんて
心変わり起こしそうになる。
勿論反対するけどよ。
他所でがっぽり稼いでうちに送ってくれなきゃ、こっちがおまんまの食い上げだ。

まあそりゃいい。
そりゃいいとして、あの店は俺らにとって“特別”なんだ。
“特別”で“贅沢”なのに、そんだけ身構えなくていい。
なんせ安いんだから。
だから俺らは大事に大事に、あそこで飯を食うのさ。

あんたもあそこで飯を食うなら、大人しく行儀良く食わなきゃなんねえぞ。
なんせ下手すっと蹴り飛ばされるからな。
ほんとだぜ。
蹴られた奴あ、見えねえとこまで飛んでいくんだぜ。
蹴られるのは野郎だけだがな。
しかも“女”って区別さえあれば、天と地ほどに待遇に差がつくんだ。
俺らには無愛想なのに、うちの古女房でさえ恭しく、どっかの貴婦人でも招いたみたいに丁重に接待するんだぜ、
あそこの店主は。
十にも満たねえガキでも、皺くちゃの婆さんでもよ。
ほんとにそんな扱いが似合うような娘は、こんな辺鄙な島にゃいねえのによ。

極端なんだよ。
んでもって、短気で凶暴なんだよ。
だが飯は美味い。
んでもって安い。
ちょっと“特別”な気分になる。
最高さね。



ああそうだ。
あそこで食事するなら、言葉は無用だぜ。
メニューも毎回3種類しかねえから、その中から選ぶといい。
なんせ、何食ったって美味いから、ハズレはねえよ。
メニューの頭に色がつけてある。
赤・青・黄色、いつもその3色さ。
自分が選んだ色の旗を、テーブルの上に立てればいい。
それで店主はわかる。
そうしてやんな。

後は黙って味わえばいい。
そりゃ、美味えんだから。
毎日・・・とはいかねえが、毎週食ってても飽きねえんだ。
あんたも腹いっぱい食ってくるといい。
腹が減った奴には、惜しみなく食わせてくれるから。

ただし、くれぐれも蹴り飛ばされないように、気をつけな。
























鍋一杯のピストゥーを掻き混ぜて、味見をした後ウンウンと一人頷いてみる。
うん、野菜の旨みがよく出てる。
今日のスープもイチオシだぜ。
昨日マリオに貰った子兎のコンフィと、ダズリーに貰ったかさごでポワレを作って・・・、マダム・マリーがくれた洋なしは少々
柔らかかったからローストしてと―――
頭の中でメニューを組み立てながら手早く仕込みを済ませ、テーブルセッティングに移る。



古ぼけた小さい店ながら、やっと構えた我が城だ。
辺鄙な田舎の孤島なのに、毎日誰か彼かが来てくれて、客足が途絶えることはない。
最近は島以外からも、噂を聞き付けて足を運んでくれる人もでてきたが、あまり忙しくなっては一人で手が回らなくなるから、
今くらいがちょうどいい。

小さな市場で仕入れる食材より、村人からの貰い物の方が多いのもありがたかった。
つい捨ててしまうような野菜くずや商品にならない魚なんかも、きちんと調理してご馳走に生まれ変わらせる。
そんな料理を村人達は心から愛し、喜んでくれている。

―――俺の居場所は、ここにあった
海以外何もない、小さな小さな島だけど。
ようやく見つけた安住の地で、サンジはやすらかな気持ちで波の音に耳を傾ける。






かつての仲間達は、今もこの広い海のどこかで、信じられないような冒険を繰り広げているのだろうか。
それとも、それぞれの夢を叶えただろうか。
あの頃の笑顔のままに、笑っているだろうか。
何かを失って、誰かが傷付いて、それでも前を向いて歩み続けているだろうか。

サンジはタバコを咥えたまま、店の外に出て岬に佇み、海を見下ろした。
雲は茜色に染まり、まもなく漆黒の闇を連れて来る。
日の入りと共に眠りに就くこの島では、街の灯りは滅多にない。
だからサンジは、夜になるとまるで陸の灯台のように外灯を煌々とつけて、食事を楽しみに来る村人や
旅人のために店を開く。

一人で全てを賄うには、ランチとディナーの時間帯を決めるだけで精一杯だけれど、誰かが腹を空かせて
扉を叩いてくれるなら、いつだって食わせてやるのだ。
それが、自分を受け入れてくれた村人達への恩返しだとも思って。


薄紅色の中空に白い月の姿を認めて、サンジはタバコを揉み消すと店の中に入った。
今夜は月が綺麗な夜になりそうだ。
思い出すと、まだほんの少し苦くて痛い。




毎日が光に満ちていた、冒険の日々。
共に夢を追い続けた仲間達。
美しく聡明な女神のごときレディも一緒だったと言うのに、何故かいつも最初に思い出してしまうのは
むさ苦しい緑頭だ。

いつも尊大で横柄で馬鹿にしたような口調で、すぐに人をからかうくせに、最後には本気で喧嘩を売って
くるようなガキ臭い男だった。
そのくせ、見た目はおっさんで口数も少ないもんだからパッと見仲間内からも恐れられていたようだけれど、
蓋を開けてみればただの単細胞野郎だ。
何かにつけて絡んできやがって、口で適わなくなると刀抜いて斬りかかってくるなんざ、一歩間違えたら
犯罪者じゃねえか。
それに対等に歯向かってた俺も俺なんだけどよ。

気がつけば知らない内に一人笑いを零していて、サンジは慌てて表情を引き締めた。
しまった、また思い出しちまったよ。
どうせなら、ナミさんやロビンちゃんの見目麗しいお姿ばかり、リフレインしたらいいのになあ。






月の綺麗なこんな夜は、どうしたってあの男のことばかり浮かんで来る。

波の音に包まれながら、ぎこちなくお互いの熱を分かち合った、あの夜のことも―――







第一印象から最悪だった。

キュートなレディの側にいるってだけでいけ好かない存在なのに、自分の馬鹿っぷりを尊大に認めたり、
しかもその後すぐ身体を張ってそれを証明したりして。
人を小馬鹿にした態度や横柄な物言いが気に食わないのも勿論あるが、なにより許せないのは自分の事を
顧みないことだ。
なにもかも、運を天に任せて成り行きで突っ走ってやがる。

「運がいい」ことにどんな根拠があるんだか知らないが、鬼徹を選ぶときもリトルガーデンでの戦いも、司法の
塔でのウソップとの掛け合いも、後で耳にしただけで血が下がる思いをした。
馬鹿と呼ぶにも程がある。
勝つことだけを考えて勢いだけで行動して、その後に何が待っているかなんて考えもしないんだろうか。
人の運命は推し量れない。
思いもかけない出来事や突然の不幸が、いつ襲い掛かるかわからないんだ。

ゾロのすることはなにもかもが傲慢で、運命の上にさえ胡坐を掻いている。
絶望を知らない男だ。
自分ひとりの力ではどうしようもなくて、天に祈ってさえ叶えられなくて―――
悔恨と呵責に苛まされて足掻くことしかできない、ちっぽけな存在だと思い知らされたことがないのだ。

いつだって“力”で道を切り開き、“運”だけで世の中を渡って来たんだろう。
そんな世間知らずの甘ちゃんだから、見ているだけで苛々する。
何かを失う痛みを知らないから、振り返りも立ち止まりもしない。
そんなゾロが、大嫌いだった。










「何のかんの言って、ゾロとサンジ君は相性がいいのよ」
ナミの指摘に、仰天したのはサンジ一人。
「な、なななな何をいきなりっ!?ナミさん、熱でもあんの?」
「いきなりじゃないでしょ、今みんなの相性の話してたんだから」

サニー号のゆったりとしたラウンジで、生簀を泳ぐ魚を眺めながら他愛無いことを話して夜を過ごしていた時だ。
「ウソップとナミは相性がいいって言うより、リアクションが似てるだけなんだよね」
「同じようでもチョッパーはちょっと違うものね。常識組でも」
「常識組って、じゃあ私は?」
「ロビンは非常識組よ、決まってるじゃない」
和気藹々とカードを組み分けるように分析するナミたちの前に夜食を置いて、サンジは恐る恐る話を戻した。
「あの、だから・・・なんで俺とクソ腹巻が・・・」
「確かに、性格は真逆だよな」
「生活態度もね。でも考え方が似てるのよ。筋を通すところとか、男の矜持とか」
それはそうかもしれないが、だから相性がいいってのとは違うと思う。
「戦ってるときの息の合い方は麦藁メンバーの中でもピカ一じゃねえのかな。ルフィを止めるとことかもよ」
「阿吽の呼吸っていうの?最近ますます磨きがかかっているようで」
「少なくとも、俺らの間じゃお前ら二人は『ロロノアさん達』でひと括りだったぞ」
フランキーの言葉に、サンジは眦を吊り上げた。
「冗談じゃねえぞっ、なんだって俺がロロノア属性にならなきゃなんねえんだ。藻類と一緒にするんじゃねえよ」
「別に、そうムキならなくても・・・」
「んだとお?」
額に青筋浮かべてひと睨みすれば、ウソップはうへえと首を竦めて口を閉ざす。
隣でモグモグ夜食を頬張っているルフィは、ごくんと大きく飲み下すとジュースを片手にサンジに振り向いた。

「だってサンジ、ゾロが好きだろ」
フランキー以上の爆弾に、さすがの麦藁クルーも一瞬固まる。
「な、なななななななななにを言い出すんだクソゴムっ!!」
本気だ、本気で怒り心頭だ。
言うに事欠いて、なんでそっち方面に話が行くんだ。
人間、あまりに腹が立つと却って機能が停止するらしい。
条件反射的蹴りも繰り出さず固まったサンジに、ナミは気の毒そうな顔をして見せた。
「野生の勘には適わないものよ」
「なっんでそーなるんですか、ナミさんっ!俺はクソマリモのことなんて、大・大・大っ嫌いですよ!そんなこと
 みんな知ってるじゃないかっ」

顔を付き合わせれば喧嘩ばかりの間柄だ。
そんなおかしな誤解をしてるのは船長くらいなもので、少なくともルフィより良識のある他のメンバーにはそんな
認識はないと思っていたのだが・・・
「別に恋愛感情じゃなくて、『好き』ってのはあるだろが」
「俺も、サンジはゾロのこと好きなんだと思ってたぞ」
「そうじゃなきゃ、仲間としてやってけねえだろうがよ」
サンジの動揺が裏目に出たのか、却って諭される形になってしまった。
「仲間って、たまたまおんなじ船に乗ってるだけじゃねえか。そもそも俺はああいう奴が大嫌いなんだよ、胸糞
 ワルい!二度とそんなこと言うなよっ」
つい感情的に怒鳴ってしまって、途端にバツが悪くなった。
皆ぽかんとした顔でサンジを見ている。
なんだか居た堪れなくて、サンジは慌ててキッチンに向かい見張り番用の夜食を整えた。

しまった。
今日の見張り、ゾロじゃねえか。
いそいそと夜食を準備するのもいらぬ勘繰りを呼ぶようで、かと言って今更この作業を止めるわけにもいかず。
サンジは背後に訪れた意味ありげな沈黙にも耐え切れなくて、トレイにバスケットと酒を乗せるとそそくさと
キッチンを出た。

「コックさん、『好き』の反対は『嫌い』じゃないのよ」
ロビンの言葉が、後ろから追いかけてくる。











とぼとぼと甲板を歩きながら、サンジは一人で猛省していた。
別にムキになることじゃなかったんだ。
普通に「冗談キツイぜ〜」と受け流せば済むようなことなのに、なんだってあんなに強く言い返してしまったんだろう。
動揺してることが却ってモロバレで、墓穴を掘った気がする。

新しい屋根つき見張り部屋はあまりに快適すぎて、きっとゾロは寝ているだろう。
今夜はいつもより手荒に起こしてしまいそうだ。
腹いせに思い切り蹴ってやる。



相性最悪とか虫が好かないとか、口で言うほど二人の仲は険悪ではなかった。
最初こそお互いの腹を探り合ったりタメ年を意識して張り合ったりしてはいたが、一緒に生活していくうちに意外と
悪い奴ではなさそうだとわかってきた。
それはゾロも同じのようで、なんと言うか、少しずつお互いが歩み寄っているような、むず痒い感覚がある。

戦闘センスの良さとタイミングの合い方は、確かにいいと思う。
安心して背後を預けられるし、信頼できる仲間であり、自らもそうでありたいと望む程度に認め合っている。
人の顔を見るとすぐにからかう口の悪さはムカつくが、多分お互い様だろう。
感情を面に出さない仏頂面かと思っていたが、僅かな表情の変化で大体わかるようになってきた。
食事時の好物とか、寝たりないとか物足りないとか、珍しいとか驚いたとか。
ルフィと一緒のときは大口開けて笑ったりして案外感情表現は豊かなのに、なぜかサンジの前ではむすっと
無愛想になることが多い。
そのこと自体非常に不愉快だが、そのせいでゾロの表情を読み取る力が養われた気がする。

酒の肴に海獣の肉を出すと嬉しそうだ。
米の飯も好物で、酒と一緒に口にしたりする。
酒がちょっと物足りないなと思うときは、口をへの字にしたまま視線だけワインラックに流す。
ラウンジの壁に凭れて目を閉じている時は、ルフィやチョッパーがちょっかい掛けてきてもいい合図だ。
逆に誰にも邪魔されずに眠りたいときは、本当に姿を消す。
大方みかん畑の中で寝ているんだろう。
巨大な錘を振り回していても、サンジが飲み物を持って甲板に顔を出せば、錘の振りは小さくなる。
それでも、近付いて声を掛けるまで鍛錬に集中している“ふり”をしている。
わかっていて、わざわざ声を掛けてやるのだ。
汗臭いとか暑苦しいとか鬱陶しいとか、憎まれ口を叩いてやるのがお約束で、そうしてゾロもうるさそうに「素敵
眉毛」と言い返しながら錘を置く。
そんな風にお互いを意識して、少しずつ距離を取りながら付き合っていくのは案外面白い。
ルフィやウソップのように親しく心を許せず、ナミやロビン、チョッパーのように盲目的に親愛できず、フランキーの
ように無条件に頼りにできない。
微妙で過剰な仲間意識。







頭にトレイを載せたまま見張り部屋を覗けば、珍しくゾロは起きていた。
ばっちり目が合ってしまって、先に逸らせた方が負けな気がして、意味なくガンを飛ばしながらトレイを傾けない
ように部屋に入る。

「起きてるとは珍しいな、万年寝太郎が」
「てめえこそ何寝ぼけたこと言ってやがる。寝てたら見張りの意味がねえだろ」
「どの口が言うかそれを!」
乱暴にバスケットを投げて寄越すと、ゾロは危なげなく受け取った。
どうせ使いやしないだろうと思っていたグラスに手を伸ばし、酒を注ぐ仕種を意外に思って注視する。
「・・・なんだ?」
壁に立てかけた白い刀の前に、酒を満たしたグラスを置いた。
その意味を問うためにゾロを見れば、ゾロは思いのほか穏やかな表情でサンジを見ていた。
また目が合ってしまった。
逸らしたら、負けだろうか。

「今日は命日なんだ」
ああそうか、と納得するよりとんと胸を衝かれた気がして、サンジは視線を逸らす。
「白い刀のレディ?」
「女っつってもガキのままだ。けど今なら、酒くらい飲むだろうさ」
大酒飲みになっただろうと、穏やかに笑うゾロはいつもと違う雰囲気を身に纏っていて、なんだかサンジは
落ち着かない。
「じゃあ、俺はお邪魔だな」
そう言って上がりこんだ姿勢のまま後ずさりをしようとするのに、ゾロはちょっと怒ったような顔で睨みつける。
「お前はいろ」
「へ?」
「今日くらい、付き合え」
命令形だと無条件で反発するのに、この日のサンジはやけに素直に承諾した。
見慣れないゾロの表情を見たからかもしれない。
側にいろと、初めて言われたからかもしれない。
なんとなく居心地の悪さを感じつつも、ゾロの隣に腰を下ろす。

いろと言ったのに、そんなサンジに頓着せず、ゾロはバスケットを開けてさっさと中身に齧り付いている。
サンジは仕方なく煙草を取り出すと、火をつけて深く吸い込んだ。

「線で書いたような、鋭利な三日月だな」
目を眇めて空を眺めれば、星の瞬く夜の中に白い月が浮かんでいる。
「どこで見たって月は月で、星は星だな」
意味がわからず、ゾロの横顔を眺める。
「くいながべそかいて俺をなじった時も、初めて村を出た夜も、晴れりゃ空に月は浮かんでた。イーストブルー
 だろうがグランドラインだろうがどこでだってだ」
「―――まあな」
草木も生えない枯れた孤島で、膝を抱えてじっと海だけ眺めていた時も、月だけは変わらず見下ろしていたっけか。

「お前も、大事な人を失ったことあるんだよな」
「なんだ急に」
絶望を知らない男だと思っていた。
失う怖さを知らないから闇雲に突き進めるのだと、勝手にそう思っていたのに。
「失くして悲しい想いをしたことがあるんなら、もうちょっと先のことを考えろよ」
「ああ?」
ブルスケッタを口いっぱい頬張りながら、剣呑な声を出す。
「危機察知能力ってのか・・・ウソップほどじゃねえけど、何かがやべーセンサーはもうちょい磨いといた方がいいと
 思うぞ。いつだって猪突猛進で、てめえみてえな生き方してたら命がいくつあったって足りやしねえ」
ここで終わるならそれまでだなんて、きっと屁理屈をほざきやがるんだろうけど。
珍しく素直にそんなことを呟いたのに、ゾロからなんのリアクションもない。
不審に思って横を向けば、ゾロはじっとサンジを見ていた。
また目が合っちまったよ。
なんかもう、勘弁してくれよ。
目を逸らすと言うより、蛇に睨まれた蛙みたいに固まってしまう。
じっと見つめるゾロの目は、何の感情も浮かべていなくて却って不気味だ。

「・・・なんだよ」
わざと険のある顔つきを作って歯を剥いて見せると、ゾロは口端を上げた。
「てめえに心配されるたあ、思ってもなかった」
「だ、誰が心配してんだよっ」
血相変えて怒鳴り返すのに、ゾロは平然とした顔で酒を飲んでいる。
「心配してんだろ。時々意味なくものすげえ不機嫌になったり喧嘩売ったりしてくるとは思ってたが、そうか。
 そういうことか」
「どういうことだよ、勝手に一人で納得してんじゃねえよ、誰もてめえの心配なんざしてねえよ」
「そういや、俺が怪我してくっと、途端にツンケンしてやがるもんな」
「してねえっつってんだろが、思い上がるのも大概にしろよ勘違い野郎。大体、俺はてめえのそういうとこが
ムカつくんだ」
「ああ?」
「なんつーか、怪我しても知らん顔っつうか、なんかてめえ自分の身体でも他人事みてえじゃねえか。
 痛いのが好きな真性マゾなんだから仕方ねえかもしれねえが」
「誰がマゾだ」
「違うのか?んじゃ、もしかして鈍すぎて痛み感じねえとか」
「痛えよ。多分人並みに」
「人並みなら、痛みだけで気絶してるぜ」
「うっせえな、てめえだって何度も死に掛けてんじゃねえか」
「誰が何度もだ。俺はそんなに間抜けじゃねえ」
「どうだか」
「んだとおっ」

狭い部屋の中で足を振り上げはしたが、横並びの男の延髄に振り下ろしたところで威力はたかが知れている。
片手で受け止められ、ついでに足を抱えられた。
バランスを崩して倒れそうになるのに、ゾロのシャツを掴んで堪えた。
なんだか変な構図だ。
しかも、至近距離で顔を見合わせるゾロの表情は妙に真顔で。

「俺が怪我しようが死に掛かろうが、てめえには関係ねえんじゃねえのか?」
問い詰めるでも挑発するでもない、穏やかと言ってもいい声音でそう問われ、サンジの胸がまたツンと痛む。
関係ないと、言われたくはない。
「一応、仮にも仲間だろうが。むさ苦しい筋肉馬鹿でも戦闘力から見たら、痛手だろ」
だから案じるのだ。
麦藁海賊団の一員として。
「だからって、なんでてめえが怒る。ナミの小言はうるせえしウソップはぼやくし、ルフィだって笑いながら睨み
 つけんだぞ。それで充分じゃねえか」
その仲間の中に、俺が入っちゃおかしいか。
そう言い返そうとして、止めた。
まるで言い訳をしているようだ。


「お前が俺を嫌うのは、俺が無茶をするからか?」
肩に担いでいた足を外して、ゾロは顔を背けた。
サンジはそろそろと座り直し、少しゾロから距離を開けて壁に凭れる。
「別にそれだけじゃねえ。なんせてめえはだらしねえし汗臭いしアホだし、偉そうで迷子癖があるからだ」
「てめえだって女にだらしねえし強暴だし足癖悪いし口も悪いし生意気な癖にドアホじゃねえか」
「あんだとおっ」
少なくとも、ゾロには言われたくない。
「だから俺も、お前が嫌いだ」
真っ直ぐ見つめられて、そう言われた。
ツンなんてもんじゃない、グサリと刃物を突き立てられたような痛みが胸を貫いた。
「ドアホなだけじゃない、誰かを庇ってうっかり死にそうなてめえが、嫌いだ」
「―――」
嫌いの言葉だけがグルグル回る頭の中に、一拍遅れてゾロの言葉が届く。
「てめえは甘い。女相手だと無防備になるし、命のやり取りするような敵を相手にしても冷徹になりきれねえ。
 生きるか死ぬかの瀬戸際で、一番最初に無茶しでかすタイプだ。てめえのそういうところがムカついて許せねえ」
「――・・・そんなの・・・」
わかったような口を利くなとか、てめえにこそ言われたくねえとか、反論しようとしてできなかった。
予想外に、面と向かって言われた「嫌い」の言葉が突き刺さって、動揺が隠せない。

俺って、ゾロに嫌われたくなかったのか。
あんなに嫌いだったのに?
いや、そもそも好かれてなかっただろ。
嫌われてて、当たり前じゃないのか。
なのに
なんで



口端に引っかかったままの煙草を、ゾロが抜いた。
床に押し潰して消すのを、焼き跡がつくからフランキーに怒られるぞと思いながらも、他人事のようにゾロの動きを
ぼうと眺める。
怒った表情のまま、焦点が合わないほど近くに顔を寄せて唇をつけた。
むに、と柔らかい感覚を一瞬触れさせて、すぐに離れる。
サンジは目を見開いたまま、動くこともリアクションを起こすこともできない。
口を半開きにして、今起こった事柄がなんだったのか必死で思い返す。

なに?今の
もしかして―――
キ、ス?

思い当たるより先に、もう一度ゾロが顔を近付けて来る。
その唇を避けようともしないで、サンジは首を傾けた。

ゾロに似合わぬしっとりとした口付けに、湿った舌で応える。
おずおずとすべり込んできた熱い滑りは、力強い動きで口内を蹂躙し、舌根まできつく絡め取って吸い付く。
たちまちゾロらしい猛々しさを見せる行為に、サンジは仰け反りながら唇を歪めて笑った。
喉の奥から込み上げる笑い声がゾロに吸い込まれ、小さな痙攣だけが身体を揺らす。

「―――何がおかしい」
さすがにむっとしたか、僅かに唇を離して至近距離から睨んでくる。
囁く言葉も吐く息も頬を触れて、サンジは笑いながら眉を下げた。
なぜだかおかしいのに、困る。
こういうのは想定外だからすごく困るのに、嫌じゃない。

「なんだってんだ」
サンジの困惑が伝染したようにゾロも眉を寄せて、けれどもう一度口付けて来た。
今度は軽く、触れ合うようなフレンチ・キス。
なかなかテクニシャンだと、場違いなところで感心する。



まさかここでこう流れて、こんな展開になるなんて思いもしなかったのだけれど。
こういう状況に置かれて敢えて抵抗と言うリアクションが取れないのは、なぜだろう。
サンジは他人事のように考えていた。
喧嘩の延長で向き合ってはいるけれど、ゾロはサンジに触れてはいない。
ただ顔を寄せて唇をつけただけだ。
深いキスを交わしているときも、まるで境界線でもあるようにその腕は床にあって、サンジを押さえつけたり
抱き締めたりしようとはしなかった。
それなのにサンジは逃げない。
逃げずに受け入れ、自らも身を乗り出してゾロと口付けを交わした。
その両手もやはり床にあり、求めたり突き放したりはしなかった。

自分たちのおかしな体勢に気付いて、サンジはまたくすりと笑った。
今度はゾロも怒らず、バツが悪そうに頭をかきながら身体を起こす。

「嫌いな相手に、なんですんだ」
壁に凭れ、サンジは懐から新しい煙草を取り出す。
ゾロも並ぶように壁に凭れ直して、空になったバスケットをサンジの膝に乗せた。
「嫌いだから、だろ」
「―――ふうん」
火の点いた煙草を咥えて、空のバスケットを手に見張り部屋から出る。
ゾロはもう興味を失くしたように外を眺め、酒をラッパ飲みしている。

サンジは振り返り、捨て台詞を投げてやった。
「ロビンちゃんが言ってたけどよ、『好き』の反対は『嫌い』じゃねえんだってよ」
「・・・はあ?」
顔を顰め剣呑な声を出すゾロに意味ありげな顔を残して、サンジは飛び降りた。












ラウンジに戻れば、まだ仲間たちはトランプゲームに興じたり読書をしたりと、思い思いに過ごしていた。
「おかえり、遅かったわね」
「また喧嘩してんじゃねえかって、心配してたんだぜ」
「ナミさんに心配してもらえるなんて、幸せだ〜〜〜〜」
空のバスケットを頭に載せ、くるくる回るサンジの顔をナミはじっと見つめた。
「どうしたのサンジ君」
「はい?なんですか、ナミすわんっ」
「顔が赤いわよ」
「・・・へ・・・」

指摘されて2秒後に、本当に真っ赤に染まってしまった。



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