忘れ水  -2-


中学生達が帰った後、通常なら店じまいをしてすぐに自宅に帰るところだが今日は違った。
明日・明後日と、レストラン開店1周年フェアとしてカフェタイムにデザートブッフェを行う予定だから、その準備をしなければならない。
今日の営業中にも祝いの花や鉢植えなどが届いたから、閉店後はそれらの整理にも追われた。

「新装開店みたいな花輪が届いたな」
「いいだろ、景気付けに表に並べておくと派手だぞ」
開店のときにも同じものが届いたと、サンジは嬉しげだ。
「日曜日のカフェタイムが終了したら、お客さんに自由に持って帰って貰えるようにしとこう」
「おい、これはどこに置く?」
両手で抱えたゾロの上半身がすっぽり隠れるほどの、大きなアレンジも届いた。
大輪のひまわりと青いデルフィニウムの対比が鮮やかだ。
「そりゃあやっぱり、入ってすぐにどーんと目立つのがいいなあ」
「カウンターには大き過ぎて、邪魔だろ」
「邪魔言うな」
「じゃあ奥はどうだ。これだけの大きさなら、離れて見ても十分目立つ」
ゾロが置いてその場を離れた。
サンジは顎に手を当て、ウンと満足げに頷く。
「目立つ目立つ、店の雰囲気が一気に華やかになるな」
グリーティングカードを手に、サンジは感激に目を潤ませた。
「ヒナ姉さま、覚えていてくださったんだ。ありがたいなあ」
「ヒナ・・・誰だっけ」
「忘れるか?あの美女を。スモーカーの麗しきお姉さまだ」
そう言えば、たしぎ達の結婚式に来ていたっけか。
「じゃあ、これはどうする」
次にゾロが持ってきたのは、観葉植物。
ゾロの両親が「1周年おめでとう」とのメッセージと共に贈ってくれたものだ。
「それこそ、入ってすぐのところに置きたいな。そのリボンもずっと付けておきたい」
サンジは、ヒナから貰ったアレンジメントを受け取った時とはまた違った、はにかんだような笑顔で答えた。


ゾロの母から思い掛けないプレゼントが届いたのは、昨日のこと。
桐箱の包みと巨大な幸福の木に、サンジは興奮した面持ちで玄関から飛んで帰ってきた。
「ゾロっゾロ、おかあさんから木が届いたっ」
「はあ?」
「お前、レストランが1周年だからとか何とか、知らせたのかわざわざ」
責めている訳ではないだろうが、なにやら顔を赤くして鼻息も荒い。
そんなに大層なことでもないだろうに。

「別に知らせるつもりはなかったが、今年も盆は帰れねえのかと聞いてきたから、レストランが1周年記念でそれどころじゃねえって答えただけだ」
それでお祝いの鉢植えを贈ってきただけのことだろう。
ゾロはそう軽く受け止めているのに、なんだかサンジはすっかり舞い上がっている。
「気を遣っていただいちゃったなあ、こんな大きな木。立派過ぎてどうしよう、俺枯らしちゃったりしねえだろうか」
「大丈夫だろ。初心者でも安心って、ここに育て方の紙が一緒に入ってるぞ」
ああどうしようとオタつく様子が、端から見ていて面白い。

「んで、こっちはなんだって?」
「なんだろう」
慎重な手付きで大きな箱の包みを解くと樟脳の匂いがした。
「お、懐かしいな」
見知った柄を認め、ゾロは懐かしさに目を細める。
高校の時に母が作った浴衣だ。
ほとんど黒に近い暗緑色に、縞模様が入っている。
長く着られるようにと地味な色目で選んだものだが、今着ると年齢に相応しく落ち着いて見えた。
「ゆ、かた」
「これ、お前のだろ」
たとう紙を広げれば、真新しい生地の浴衣が現れた。
こちらは淡青地に濃紺の模様が入り、モダンな感じだ。
「ああ、似合うな」
ゾロが無造作に広げ、生地をサンジの胸元に当てた。
サンジは「え」とか「あ」とか「お」とか、意味不明な声を上げながら、ワタワタしている。
「浴衣って、俺の?」
「お袋が作ったんだろ」
「作った?ほんとに?」
大袈裟なほど驚いて、ゾロが押し付けた浴衣を受け取ろうとして弾かれたように両手を挙げた。
「待て、ちょっと手を洗ってくる」
「・・・」
先に俺が掴んでるんだから手遅れじゃないか?とは、今さら言えなかった。



綺麗に手を洗い、どこか覚悟を決めたような真面目な顔付きで戻ってきた。
改めて正座し、慎重な手付きで浴衣を持ち上げる。
「こんなの、作れるのか。すごいな」
「浴衣ってのは案外簡単らしいぞ、まっすぐ縫うくらいで」
「や、簡単ってこたあねえだろう」
洗面所の前まで持って行って、おずおずと胸に当てる。
「似合う、か?」
「ああ、よく似合う。そんくらいはっきりした色味と柄の方が、お前には合う」
「そうか・・・な」
頬を高潮させて、躊躇いがちに鏡に視線を上げた。
自分の姿を直視するのがそんなに恥ずかしいものなのかと、柄にもない初々しさについゾロの頬が緩む。
「手紙が入ってっぞ、見るか」
「うんっ、見る!」
飛び付く勢いで戻ってきて、手にした浴衣をどうしたらいいものかとたたらを踏んだ。
「俺が畳んでやるから、そこに寝かせろ」
「じゃあ掃除機掛けないと」
「・・・は?」
結局サンジが掃除機を掛ける間、ゾロは浴衣を持ち上げてぼうっと間抜けに突っ立っていた。

「えっと、どれどれ」
ゾロが浴衣を畳み直している間に、サンジは宝物を押し頂くみたいに手紙を受け取り封を開けた。
仄かにお香の薫りがする白い便箋に、流麗な文字が綴られている。

立秋とは名ばかりの、暑い日が続いておりますね。
お元気でお過ごしでしょうか。
レストラン「レテルニテ」開店1周年、おめでとうございます。
地元の皆さんの支えやお客様の嬉しい言葉、なによりサンジさんの頑張りがあってこその、1周年だと思います。
これからも、美味しいお料理とほっとできる癒しの空間を提供してあげてください。
皆さんにとって、サンジさんの輝くような笑顔が何よりのご馳走でしょう。
お店のますますの繁盛と、二人の暮らしの安泰を願って、幸福の木を送ります。
一緒に送った浴衣は、サンジさんに似合うかなと思って生地を選びました。
サンジさんなら、きっと上手に着こなすと思います。
荷物になってしまったらごめんなさいね。
残暑厳しい折柄、夏風邪など召しませんようご自愛ください。


ほうっと深く息を吐いて、サンジは中空に視線を漂わせ、にへらと笑った。
客観的に見て不気味だったが、ゾロはそんな様子だって可愛いなと思える。
「お袋、なんて?」
「あの、レストランの1周年おめでとうと、浴衣送るよって」
「そうか、よかったな」
「うん」
サンジはまだ夢見心地な表情で、手紙と観葉植物と浴衣に順繰りに視線を移している。
「折角だから、日曜日の祭りには浴衣着て行くか」
ゾロの声に、正座したままぴょんと跳ねた。
「おう、行く行く!他に祭りとかなかったっけ、浴衣着られるような」
「来週の半ばは、隣の隣の市で花火大会あるだろう。来月は反対隣の市で祭りあるし」
「うし!」
いずれにも、浴衣が着たいがために参加を決意したらしい。
「これからいっぱい着倒すぞ」
「そうしてくれ、お袋も喜ぶ」
ウキウキと踊りだしそうなほど嬉しげな様子のサンジに、ゾロも釣られて笑顔になった夕方だった。



「じゃあ、幸福の木はここで」
置いた場所から少し離れて、試し眇めつ風景を確認しているサンジを置いて、ゾロはちゃっちゃと別の荷物の封を解く。
ナミとルフィからは、店に贈り物が届いた。
「ナミからは、テーブルクロス一式だな」
「あ、これは助かる。テーブルセンターもあるのかな」
セットものではないらしく、無地のものやら割と派手な柄やらが適当に詰めてあった。
多分海外の蚤の市で手に入れたのだろう。
「カードが入ってるぞ『サンジ君なら上手に組み合わせて使ってくれると思って』だとよ」
「さっすがナミさん、センスいいなあ」
スモーカーとたしぎからは食器とテーブルフィギュア、ウソップとカヤからは季節に応じて架け替えられる壁掛け絵のフレームが送られた。

「みんなありがたいなあ、嬉しいなあ」
「こんだけ、この店の1周年を祝ってくれる人がいるんだ」
ゾロの言葉にウンウン頷き、赤くなった鼻の下を擦った。
「勿体無いな、本当にありがたいばかりだ。応援してくれる人に報いるためにも、もっともっと頑張んないと」
そう言って、急に改まった態度でゾロに向き直った。
「こうやって1年続けられたのも、なによりゾロのお陰だ。本当にありがとう」
「よせよ」
面と向かって言われると、さすがのゾロも照れくさい。
「農家レストランって、降って沸いたような話だったのにすぐに乗ってくれて協力してくれて、お前の後押しがなかったら絶対に不可能だった。ゾロのお陰だ、ゾロの力がなかったら、こんなのできなかった」
真剣な眼差しで見つめるサンジを、いくら照れくさくても茶化しちゃ悪いとゾロも真面目な顔付きで見返す。
「本当は、ゾロの方が産直とかしたかったのに、それを1年先延ばしして俺のを優先してくれた」
「それは、結果的にそうなっただけだ。お前だって産直の便りとか作業とか、全部手伝ってくれてるじゃねえか。お互い様だろ」
「うん、でもやっぱりお礼を言いたい。感謝している」
ありがとう、と改めて紡ぐ口元に、ゾロの視線が引き寄せられる。
それと同時に徐々に顔も近付いて、距離が縮まった。
ほんの少し首を傾け、サンジが受け止める素振りを見せながらついっと顔を背けられる。
同時に胸を押し返され、動きが止まった。

「なんだ」
「や・・・ちょっと」
サンジはバツが悪そうな顔で、ちらりと窓の外に目をやった。
景色がよく見えるようにと、窓は広く大きく取られている。
けれどそこから見えるのは田んぼと山並み。
人影どころか民家すら、見えない。
「誰もいねえだろうが」
「うん、けどよ」
なんかこう、恥ずかしいよな〜と蚊の鳴くような声で呟いた。

「職場でって、こう、いけないことしてる気がしね?」
「職場って、他に誰かいる訳でなし」
「でも、いつもと雰囲気違うしよ」
別に、軽くキスしようとしただけなのに、サンジは耳まで真っ赤に染めてきょときょとと落ち着かない。
「たまには違った場所ってのも、悪くねえだろ」
「ば・・・そんなだから、昨夜だって」
そこまで言って、自爆したと気付き頭を抱えた。
「うわあ、思い出しちゃった」
「・・・ぷっ」
昨夜は軽くお仕置きしたのだった。
「確かに、昨夜はちょっと雰囲気変えて風呂場だったよな」
「言うなバカ。これから風呂入る度に思い出しちまうじゃねえか」
「思い出したら俺を呼べ」
「バカ、ほんとバカ。エロ親父」
腹を小突くサンジの後ろ頭に手を掛けて、強引に上向かせ唇を浚った。
一瞬舌まで絡めて口内を嘗め回してから、すっと離れる。
「ごっそさん」
サンジは口元を手の甲で抑え、頭から湯気でも噴き出しそうなほどに赤面しながら肩を怒らせた。
「このドスケベ、エロハゲ、セクハラマリモっ」
「それ以上言うと、忘れられない場所にしちまうぞ」
冗談めかして笑いながら、その実目が笑ってないのに気付いてサンジはぐっと声を詰まらせた。

「さって、明日の準備急がなきゃな」
くるりとその場で踵を返し、いそいそとキッチンの中に入る。
ゾロは笑いを噛み殺しながら、水遣りするべく表に出た。



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